それから数日が過ぎて――。
久保は、友達と腹を抱えて笑う日もあれば、同じ教室にいるのに、まるで別人みたいに距離を取って、輪の外で静かにスマホを触っている日もあった。
さっきまで冗談を言っていたかと思えば、次の瞬間には一人で窓の外を眺めていたり。
そのムラのある態度に気づいているのは、何も俺だけじゃなくて。グループのみんなも、「あれ?」って言いたげな顔をしたまま、どう接すればいいのか分からないように、時々視線を泳がせていた。
「なあ伊織。最近の久保、なんか変ちゃう?」
体育館へ向かう途中、川内がそう聞いてきて、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
「伊織、なんか知ってる?」
探るみたいな目。疑うというより、“頼ってくる”ような視線だった。
でも、俺は久保との約束を、誰にも話すつもりはなかった。
「……誰でもさ、そういう波ってあると思う」
できるだけ、何でもない調子で言葉を紡ぐ。
「元気な時は一緒に騒げばいいし、静かにしたい時は、そっとしとくのが一番じゃない?」
自分でも分かるくらい、少しだけ必死な言い方だった。
みんなは一瞬だけ黙り込んだあと、ふっと力を抜くように頷いた。
「……まぁ、そうやろな」
「もうじき修学旅行やしさ。そん時には久保も元通りになってんとちゃう?」
「生徒会って、拘束時間エグいらしいしなぁ……そりゃしんどいわ」
納得してくれたみたいで、俺は顔を逸らして、細く息を吐いた。
転校してきたばかりの俺が、こんな立場で口を出すのは、正直、怖かった。
でも――こうする以外に、久保を守るやり方が思い浮かばない。
そのまま俺たちは渡り廊下を抜けて、体育館へ向かう。体育の授業は、バスケだった。
特別好きなわけでも、嫌いなわけでもない競技だけど、なぜか今日はみんなのテンションが高くて、その熱につられて、俺の気分も少しだけ浮き上がった。
試合は何セットも繰り返されて、点は取って取られてのシーソーゲーム。元運動部が多い俺らのチームは安定して強くて、コートの中央では、久保が縦横無尽に走り回っていた。
パスを受けて、切り込み、ディフェンスをかわし、最後の一本。
ふわりと浮いた久保の体が、そのまま、きれいにボールをゴールへと流し込む。
レイアップ――完璧すぎる動き。
「ナイス、久保~!」
思わず両手を上げて駆け寄ると、久保は少し照れたように笑って、軽くハイタッチで応えてくれた。
指先が触れた、その瞬間。
また、心臓がどくんと跳ねる。
――少しずつだけど、前よりは久保が元気になってる気がする。
目が合って、俺が二重の嬉しさで笑ってみせると、久保も、ちゃんと笑い返してくれた。
「ほな、今日はここまでー!
週番の二人、ボール片づけ頼むでー」
先生の声が体育館に響いて、俺と山根は同時に「はーい」と返事をした。
全身はもうぐったりで、足も腕も、鉛みたいに重たい。
みんなが教室へ戻っていく中、ボールカゴを引きずるように体育倉庫へ運んでいると、後ろから、足音が近づいてきた。
振り返ると、久保がシューズ袋を片手に立っていた。
「山根、次の移動教室、変更になったらしいよ。
クラスに伝えといたほうがよくない?」
「あ、ホンマ? 俺ちょっと走ってくる!」
山根はそう言うなり、そのまま体育館を飛び出していった。
俺は残りのボールをカゴに放り込む。
気づけば倉庫の中で、久保と二人きり。
この状況になるのは、久しぶりだった。
「……新田、あのさ」
「ん?」
振り返ると、久保は体重をかけてボールカゴを倉庫の奥へ押し込んでいた。
俺も一緒に手を添えて、平均台を跨ぐようにして出口へ向かう。
その途中、久保がぽつりと口を開いて言った。
「昨日、親の話が少しまとまってさ……」
俺の足が、一瞬だけ止まる。
「……離婚は、俺が高校卒業するまではしないって」
その言葉を聞いて、胸が、ふっと軽くなりそうで――でも同時に、ずしんと重くなる。
離婚しない。それはきっと、“良い知らせ”なんだろう。
でも、不和の空気がそのまま続くなら――久保は、ずっとその中で、息を詰めたまま生きることになる。
「……色々、気遣ってくれてたのもありがとう。
……さっき、新田があいつらに言ってくれてたことも、聞こえてた」
「え!?」
思わず声が裏返る。まさか、聞かれていたなんて。
照れ隠しみたいに、俺は久保の背中をバシバシと叩いた。
「お礼なんていいから! みんな久保のこと、普通に好きで心配してんだよ」
「……うん」
久保の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その笑顔を見て、俺の胸の中に溜まっていた息が、やっと外に抜けていく。
でも、ふと視線を逸らすと――久保は、何か言いたそうな顔をしていた。
「あのさ……今日も、結構しんどかったりする?」
なんとなくだけど、顔色も悪い。
大事な話に進展があって、疲れてるのかな。
その瞬間、自然と、あの約束が脳裏に浮かぶ。
「……ハグ、しよっか?」
そう言って、軽く両手を広げると、
久保は一瞬、ためらって、目を伏せた。
「……いや、いい。申し訳ないし。新田も嫌かなって思って」
「全然、嫌じゃない!サンドバッグっていうか、ハグ人形みたいなもんだから!」
自分でも意味が分からないくらい必死で、言葉が少し空回りする。
でも、ここで引いたら、久保はまた、全部を胸の奥に押し込んでしまう気がして。
俺は久保のジャージの裾を、軽く引き寄せて――そのまま、自分から腕を回した。
「ちょっ、待って、新田。俺、体育で汗臭いし……」
「そんなん俺もだし! あと、もうすぐ本鈴鳴るし!
三十秒やんないと、効果ないなんだから。 ほら、早く」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、ぎゅっと、力を込める。
ただ触れるだけじゃ、意味がない気がして。
思い切り、抱きしめた。
埃臭い体育倉庫の中で、ふわ、と久保のシャンプーの匂いと、ちょっと男っぽい汗の匂いがする。
最初、久保の手は宙を彷徨っていた。
でも、少ししてから――俺の背中に、そっと触れて。
戸惑いながらも、確かに、抱き返してきた。



