乱気流の飛行機でパニックになり、隣の奴に手を握ってもらったら、転校先の生徒会長でした。


 修学旅行を控え――俺は相変わらず、気持ちが沈んだままだった。

 朝起きても、授業中でも、風呂に入っている時でさえ、頭の中にはずっと「沖縄」の二文字がリフレインしている。まるで、脳内の電光掲示板がそれしか表示しなくなったみたいに、しつこく、しつこく。
 今日もまた、沖縄の空の色はどうだろう、風は強いのか、それとも穏やかに晴れるのか――そんなことばかり考えてしまう自分が、少し馬鹿らしくもあった。

 毎日、天気予報アプリとにらめっこしては、もはや気象予報士にでもなる気かってくらい、細かい数値までチェックしている自分にうんざりする。
 気温の推移、降水確率、風速、湿度……数字の羅列が頭の中でぐるぐる回り、古文の授業内容はまったく頭に入ってこない。教科書を開いても、黒板を見ても、心ここにあらず。

 “的中率、九十九%!”と謳う天気予報アプリとにらめっこして、それでも不安が消えなくて。
 スマホを伏せたまま、しばらく動けなくなった。どうしても納得できないのに、どうすることもできない苛立ち。

 そんな沈んだ気分を引きずったまま迎えた、全校集会。
 体育館の床は冷たいけれど、空調も微妙で、じっと座っているだけでも地味にしんどい。

 隣の席のクラスメイトが足を組み替える音、制服の擦れる音、窓の外の木々が風に揺れる音。
 校長先生の長ーい、ながーい話が、マイク越しに延々と続く。
 修学旅行の心得だの、集団行動の大切さだの、安全第一だの、当たり前の言葉がゆっくり、ゆっくり降ってくる。
 しかし、頭に入ってくるのは言葉の意味ではなく、「ああ、沖縄か……」という重い実感だけ。
 その間、俺はずっと心の中で、同じことだけを願っていた。

 (中止にならないかな……延期じゃなくて、修学旅行そのものが無くならないかな……)

 そんな逃避の妄想に浸っていた、そのとき。

『次は、生徒会からの活動報告です。
 生徒会長の久保拓磨さん、お願いします――』

 その名前を聞いて、はっと顔をあげる。

 久保は、緊張した様子なんて一ミリも見せずに、すっと椅子から立ち上がった。
 壇上に上がり、マイクの高さをさっと調節する動作も無駄がない。その立ち姿も自然で、凛としている。
 目を伏せたまま、落ち着いた声で話し始める。内容は、街頭募金の結果や、活動報告の細かい数字の話。
 本来なら真面目に聞くべき内容のはずなのに――俺の頭には、一文字も入ってこなかった。

 視界の端で、田中たちがこそこそとふざけ始める。

「久保、めっちゃスカしとるわ」
「ほんまや。ストーリーズにのっけとく」
「後でしばかれんで、山根」

 そんなやり取りを横目に見ていると、がしっと肩に腕を回された。

「伊織もインスタやっとる? アカ教えてや」

「あ……うん。 そんな大したもの載せてないけど」

 言われるがままに繋がって、適当にストーリーズを流し見すると、そこには久保の画像も普通に並んでいた。

 “海野が5億年越しにタピオカデビュー(笑)”
 “みんなでテスト明けカラオケ4時間通しまーす”
 “体育の授業 顔面キャッチで山根が鼻血”

 そんな言葉が並んでいて、思わず「楽しそうだな」と口元が緩んだ、その瞬間。
 田中が、俺の肩に手を置いて言った。

「伊織ぃ~! 何で久保の画像見てニヤニヤしとるん?」

「し、してない……!」

 ぶんぶんと手を振って小声で否定する。
 けど、田中は俺の顔を覗き込むように見て言った。

「久保の外面(そとづら)に騙されたらアカンからな。あいつ、裏番やし」

「え?」

 俺が目を丸くしていると、後ろから川内が話に割って入ってきた。

「久保は元々、関西出身やのうて、東京のめっちゃ頭えぇ中学におったんよ。でも親の都合でこっち来てん。
 だから断トツで勉強は一位。センコーからも気に入られてる。
 でも、俺らん中での裏番ゆーか、絶対怒らせたらヤバイのはあいつなんよ」

「そうそう。静かにキレるんよ。それがまた怖いんやけど」

 へぇ……と相槌を打ちながら、だから久保は関西弁じゃないんだ、と、妙なところで納得する。
 視線を壇上に戻すと、久保は相変わらず淡々と報告を続けていた。

「勉強もスポーツも、顔面も完璧。あんなんおったら俺らいつまでもモブやわ」

「それな。たまに遊んでもあいつだけ異様に逆ナンされよるし」

「伊織も怒らせんように気ぃつけや」

 ばしばし、と背中を叩かれる。怒った久保なんて、正直、まったく想像がつかない。というか、何をしたら、あの久保が本気で怒るのかが分からない。

 壇上から降りた久保は、原稿を片手に、ゆっくりと階段を下りていく。
 その横顔が――本当に、めんどくさそうと言うか、かったるそうな。まるで、義務だから仕方なくやっている、みたいな表情をしていて。

 その表情だけが、なぜかずっと、俺の心に引っ掛かり続けていた。