修学旅行、最終日の夜。
夕食も、風呂も、長かったオリエンテーションもすべて終わって、ようやく部屋に戻れた瞬間だった。
時計の針はもう消灯時間ぎりぎりを指していて、廊下の明かりも少し落とされ、ホテル全体が「そろそろ終わりですよ」と言っているみたいに静まり始めている。
――の、はずだった。
「はいはいはい! そこのお二人さん、こちらへどうぞ〜!」
静寂をぶち壊すような田中の謎テンションの声。
振り向くと、田中が司会者気取りで前に立ち、山根が歯ブラシをマイク代わりに掲げていた。
「始まりました〜!
“新婚さんいらっしゃい”ごっこぉぉ!!!」
「最悪すぎる……」
俺が小さく呻いたその瞬間にはもう遅く、久保と並んで無理やり座らされる。
川内と海野は床に正座で“観客席”。なぜか拍手までしながら、しっかりスマホのカメラまで向けてきた。
「ではまず〜! お互いの第一印象は〜?」
山根が歯ブラシマイクを、まず俺の口元へ突き出してくる。視線が一斉に集まり、喉がきゅっと締まった。
「……余裕ありそうっていうか……落ち着いてるなって、思った」
無難すぎる答えを絞り出すと、今度は久保へマイクが向く。
久保は一瞬だけ視線を泳がせてから、少しだけ恥ずかしそうに手の甲で口元を押さえた。
「久保は? 伊織のこと、どう思ったん?」
「…………フツーに、可愛い」
一拍遅れて、
「「「いきなし惚気んなや!!」」」
四方向からの叫び声が綺麗に重なり、部屋の空気がびりっと震えた。
俺と久保は思わず顔を見合わせ、同時に赤面して、同時にぷいっと目を逸らす。心臓がうるさくて、耳まで熱い。
「ほな次〜! いつ好きになりましたかー!」
一気に核心に踏み込まれ、俺は言葉に詰まる。頭の中が真っ白になって、逃げ道を探すように視線が揺れた。
「……えー……分かんない。気づいたら……」
完全に逃げの一手。すると山根は、容赦なく久保へマイクを向けた。
「久保は?」
「初めて見た時から、好きだった」
「おおーん、転校初日なぁ」
「まぁ、ぶっちゃけ今やから言うけど、
伊織が来た時は『綺麗な顔』とか影でゆーとる奴、多かったもんな」
「確かに。愛嬌あるしな。ド緊張しとったけど、そこが可愛いゆーか……」
「わかるわかる。チート級イケメンの腹黒王子・久保拓磨様の御眼鏡にかなう資質は十分やし」
もう数か月前になる、転校初日を思い出して、俺も恥ずかしくなる。
けど、久保をチラッと見ると、珍しく照れを隠すように頭を掻きながら言った。
「……いや、飛行機で」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「……え?」
「は?」
「飛行機?」
全員の視線が、ゆっくり、確実に久保へ集まる。俺はもう観念したみたいに目を伏せ、布団の柄を見つめながら、耳だけをそばだてていた。
「前に話しただろ。乱気流で、隣の席の子がパニック起こして、手を握ってほしいって泣いてきたって」
一瞬の間。
「……あれ、伊織」
無音。
次の瞬間――
「「「「はああああああ!?!?!?」」」」
「まじで!?!?!?」
「そんなことある!?!?」
「運命すぎん!?!?」
「いや漫画やん!!!!!」
部屋が崩壊したみたいな騒ぎの中、俺は完全に言い逃れ不能で、耳まで真っ赤になって俯いた。
恥ずかしすぎて、布団に顔を埋めたいくらい。
「……もう言ってもいいかなって思って」
久保は拍子抜けするほど淡々と、でも少しだけ困った顔で言った。
「その時から、ずっと好きだった」
「「「「ぎゃあああああああ!!!!」」」」
その瞬間だった。
「ごらぁぁぁ!!六班!!またお前らかぁぁ!!」
廊下に雷みたいな先生の怒鳴り声が響き渡って、追撃が飛ぶ。
「騒ぎすぎや! 消灯時間、とっくに過ぎとんのやぞ!!」
「す、すみません!!」
俺たちは一斉にその場で近くのベッドに潜り込み、先生によって電気が消され、部屋は一気に静まり返った。
さっきまでの騒音が嘘みたいに、急に声が小さくなる。
「次に起きとったら、お前ら全員、宿直ルームでおねんねやぞ……」
強めの音を立てて部屋の扉が閉まり、先生の足音が、廊下の奥へと消えていく。
誰も声を出さず、ただその気配が完全になくなるまで、息を潜めていた。
しばらくして、ようやく戻ってきたのは、深い静けさだった。流石に宿直ルーム行きは、皆避けたいらしい。
電気はつけられないまま、暗闇の中で、布団が擦れる音だけが微かに響く。
「なぁ、これ電気つけたら殺されるやんな?」
「当たり前やん、寝とる場所ごちゃごちゃやけど、まぁええか」
慌てて潜り込んだせいで、気づけば久保と同じ掛け布団の中にいた。
俺はとっさに背中を向けて、ぎゅっと目を閉じる。
……近い。
すぐ後ろに、久保の気配がある。
触れていないはずなのに、背中越しに体温だけが伝わってきて、胸の奥が落ち着かない。
しばらくして、布団の中で小さく動く気配がした。
ためらうみたいな間のあと、久保の手が、そっと俺のお腹のあたりに回ってくる。
抱き寄せるほど強くもなくて、ただ、そこに置かれただけみたいな、遠慮がちな手。
でも、その手の重さが、はっきり分かってしまって、俺は思わず息を止めた。
嫌じゃない。
むしろ、そのままでいてほしくて、動けなくなる。
久保の呼吸が、背中越しにゆっくり伝わってくる。
言葉はなくても、ちゃんと隣にいるってことだけは、痛いほど伝わってきた。
やがて、久保の呼吸が整っていくのを感じながら、俺もその温度に身を委ねる。
最終日の夜は、背中越しに久保の手を感じて、みんなで雑魚寝のまま、静かに眠りへ落ちていった。



