修学旅行三日目。
まだ眠気の残る朝のロビーは、昨日の夜のテンションをそのまま引きずったみたいに騒がしかった。
寝癖のついた頭のまま、みんながロビーを横切っていく。
「今日、水族館やぞ!?」
「ジンベエザメ絶対見るで!」
「俺、チンアナゴの写真百枚撮る予定やから」
「きしょすぎ案件ww」
そんな声が飛び交うたび、あちこちで笑い声が弾ける。
全員、目の下にはうっすらクマがある。昨日も夜通しでゲームをしたらしい。
俺たちはそのまま、ぞろぞろとバスへ向かう。
乗り込むや否や、今度は誰がどこに座るかで即座に揉め始めた。
「俺、伊織の隣に座ってえぇ? 田中のイビキで寝不足やねん」
「は? 俺かて伊織とまだ隣になってへんし」
「いやいや昨日は俺が久保に譲ったし、今日は俺」
海野と山根が、冗談抜きで睨み合っている。
「じゃんけんで決めよ」
「望むところだわ」
二人が真剣な顔で拳を出すのを見て、
俺はいたたまれなくなって、思わず立ち上がった。
「もうさ、どこでもいいじゃん。先生に怒られたくない。
俺は補助席でもいいからさ……」
そう言いながら通路に出ようとした、その瞬間――
肩に、軽いと衝撃があった。
視界がくるりと回って、気付けば俺は、一番奥の窓際の席に押し込まれていた。
顔を上げると、久保が、何事もなかったみたいな顔で、隣の通路側に腰を下ろしている。
「……え?」
呆けた声を出す俺を一切無視して、久保はそのまま脚を組み、前を向いた。
「また久保かよ……」
「お前ほんと伊織好きやなぁー」
「何なん? 毎回毎回」
いつもの軽口。いつもの冷やかし――の、はずだった。
久保は、肘掛けに頬杖をついたまま、あまりにもあっさりと言った。
「うん、好きだけど」
……え?
一拍。
いや、二拍くらい。
完全な無音が、バスの中に落ちた。
「……なんか文句ある?」
久保の視線は、誰にも向いていない。
けれど、刺さるみたいな言葉だけが、まっすぐ飛んでくる。
「お前らも好きなら、牽制するけど」
――数秒、完全な沈黙。
「……え、今のきいた? 待って、ガチ?」
誰かの乾いた声で、ようやく空気が動き出した。
その瞬間、俺の顔は熱湯でも浴びたみたいに、一気に熱くなった。
「ちょっ、久保!? 何言って――」
心臓が暴れて、言葉が、まともな形にならない。
「はいはい、もう出発するぞー。席つけ!」
先生の声が、バスの前方から響き渡った。
その一言で、ようやく全員が現実に引き戻されたみたいに、ざわざわしながら席に戻っていく。
「……朝から爆弾落としやがって……心臓に悪いわ」
「なぁ、今のガチやと思う? 目ぇ笑っとらんかったよな?」
「いや、ジョークのつもりやない?」
いつメングループ以外のクラスメイトの声。
その小声が、波みたいに後ろから流れてきた。
俺は、それ以上耐えられなくなって、逃げるように窓の外へ顔を向けた。
久保も、つーんとしたまま、さっきと同じ姿勢で、前を見続けている。
バスが走り出す。ゆっくりと、揺れる振動が伝わって。
俺はそのまま、そっと目を閉じた。
――寝たふり。俺は、もう寝てますよ。
誰も、話しかけないで下さい。
さっきの「好きだけど」という言葉が、耳の奥で、何度も何度も再生されているのに。
眠れるわけなんて、あるはずもなかった。
しばらくして、車内の後ろの方から、誰かが叫ぶ。
「見えた! 海! 水族館もうすぐ!」
ざわめきのあと、少しずつ大きくなる歓声。
見えてきたのは、遠くに広がる、きらきらした青い海と水族館のゲート。
バスは大きく減速して――俺たちはついに、水族館に到着した。
まだ眠気の残る朝のロビーは、昨日の夜のテンションをそのまま引きずったみたいに騒がしかった。
寝癖のついた頭のまま、みんながロビーを横切っていく。
「今日、水族館やぞ!?」
「ジンベエザメ絶対見るで!」
「俺、チンアナゴの写真百枚撮る予定やから」
「きしょすぎ案件ww」
そんな声が飛び交うたび、あちこちで笑い声が弾ける。
全員、目の下にはうっすらクマがある。昨日も夜通しでゲームをしたらしい。
俺たちはそのまま、ぞろぞろとバスへ向かう。
乗り込むや否や、今度は誰がどこに座るかで即座に揉め始めた。
「俺、伊織の隣に座ってえぇ? 田中のイビキで寝不足やねん」
「は? 俺かて伊織とまだ隣になってへんし」
「いやいや昨日は俺が久保に譲ったし、今日は俺」
海野と山根が、冗談抜きで睨み合っている。
「じゃんけんで決めよ」
「望むところだわ」
二人が真剣な顔で拳を出すのを見て、
俺はいたたまれなくなって、思わず立ち上がった。
「もうさ、どこでもいいじゃん。先生に怒られたくない。
俺は補助席でもいいからさ……」
そう言いながら通路に出ようとした、その瞬間――
肩に、軽いと衝撃があった。
視界がくるりと回って、気付けば俺は、一番奥の窓際の席に押し込まれていた。
顔を上げると、久保が、何事もなかったみたいな顔で、隣の通路側に腰を下ろしている。
「……え?」
呆けた声を出す俺を一切無視して、久保はそのまま脚を組み、前を向いた。
「また久保かよ……」
「お前ほんと伊織好きやなぁー」
「何なん? 毎回毎回」
いつもの軽口。いつもの冷やかし――の、はずだった。
久保は、肘掛けに頬杖をついたまま、あまりにもあっさりと言った。
「うん、好きだけど」
……え?
一拍。
いや、二拍くらい。
完全な無音が、バスの中に落ちた。
「……なんか文句ある?」
久保の視線は、誰にも向いていない。
けれど、刺さるみたいな言葉だけが、まっすぐ飛んでくる。
「お前らも好きなら、牽制するけど」
――数秒、完全な沈黙。
「……え、今のきいた? 待って、ガチ?」
誰かの乾いた声で、ようやく空気が動き出した。
その瞬間、俺の顔は熱湯でも浴びたみたいに、一気に熱くなった。
「ちょっ、久保!? 何言って――」
心臓が暴れて、言葉が、まともな形にならない。
「はいはい、もう出発するぞー。席つけ!」
先生の声が、バスの前方から響き渡った。
その一言で、ようやく全員が現実に引き戻されたみたいに、ざわざわしながら席に戻っていく。
「……朝から爆弾落としやがって……心臓に悪いわ」
「なぁ、今のガチやと思う? 目ぇ笑っとらんかったよな?」
「いや、ジョークのつもりやない?」
いつメングループ以外のクラスメイトの声。
その小声が、波みたいに後ろから流れてきた。
俺は、それ以上耐えられなくなって、逃げるように窓の外へ顔を向けた。
久保も、つーんとしたまま、さっきと同じ姿勢で、前を見続けている。
バスが走り出す。ゆっくりと、揺れる振動が伝わって。
俺はそのまま、そっと目を閉じた。
――寝たふり。俺は、もう寝てますよ。
誰も、話しかけないで下さい。
さっきの「好きだけど」という言葉が、耳の奥で、何度も何度も再生されているのに。
眠れるわけなんて、あるはずもなかった。
しばらくして、車内の後ろの方から、誰かが叫ぶ。
「見えた! 海! 水族館もうすぐ!」
ざわめきのあと、少しずつ大きくなる歓声。
見えてきたのは、遠くに広がる、きらきらした青い海と水族館のゲート。
バスは大きく減速して――俺たちはついに、水族館に到着した。



