乱気流の飛行機でパニックになり、隣の奴に手を握ってもらったら、転校先の生徒会長でした。


「さっき授業中に、びーりある来て焦ったわマジ」

「神林に見つかったらガチで死ぬって。放課後の説教クソ長いし」

 修学旅行を五日後に控えた、体育の授業中。
 次の対戦相手を決める試合の間、俺たちは壁際に座り込んで雑談していた。
 山根が田中の髪を弄りながら言う。

「俺、将来は天才美容師になるから♡」

 ジャージのポケットから小さいワックスを取り出し、髪にちょいちょいとつけて遊ぶ。

「お、“今日ビジュいいじゃん♪”」

「マジで川内、最近それしか言わんやん。“盛れててイイじゃん♪”」

 セットが決まった田中が立ち上がって軽くダンスを披露すると、速攻で体育の遠藤先生に見つかって呼び出される。

「はい、解散」

「田中ファイティーン!」

 ゲラゲラ笑いながらみんなで送り出すと、田中は俺たちに中指を立てて、それがさらに先生の叱責を呼んでいた。

「あ、俺もびーりある来たわ。伊織、こっち向いて」

 海野に呼ばれ、振り向くと、ポーズを要求された。

「もー、マジ撮んないでよ」

「ほっぺハートがええ、はいクソ可愛い~」

 言われるがまま、片手を丸くしてほっぺにくっつけると、川内がヤンキー座りで言った。

「てか、今日カラオケ行かん?」

「ええやん、久保も行く?」

 壁に背をもたれ、腕を組んで立っていた久保は、俺たちを見下ろすようにして答える。

「いいよ。生徒会ないし」

 その声に、山根が久保とグータッチ。先生の説教タイムを終えた田中も戻ってきた。

「田中、今日カラオケ行くで」

「マジ? ほんなら俺、イケナイ太陽はキープで」

「じゃあ、ライラックは俺のなー」

 山根が手を上げ、それに川内も続く。

「フルーツジッパー縛りにするわ」

「川内が歌ってもクソ可愛くあらへんけどな」

 みんなそれぞれ、お気に入りのアーティストがいるらしい。
 田中は久保に腕を回し、顔を近づけて言った。

「久保ぉ、お前が歌うと、“いいね♡”クソ増えるから載せてもええ?」

「無理」

 久保がばっさり切り捨てるのを見て、思わず笑ってしまった。
 それを見た田中がすかさず今度は俺を攻撃してくる。

「いや、伊織ガチやで? 久保ってほら、イケボやん?
 しかも、めっちゃ歌上手やねん」

 目で久保を見ると、ふいっと視線を逸らされた。
 山根が今度は俺の髪を弄り始め、横にいた川内もからかってくる。

「伊織はいっつも、何歌うん? “超最強”とか一緒に歌う?」
「まって、それはガチで笑えん。
 伊織はメンバーにおっても可笑しないって」

 いつも通り、俺と久保と海野以外が、大爆笑。腹を抱えて笑い転げている。
 田中たちが「ねぇ、もっともっと♪」と歌いながらぶりっこしているのを見て、久保は白けた顔になっていた。

「伊織、これはマジ。何歌うん?」

 海野がスマホを弄りながら聞いてきたので、少し沈黙してから答えた。

「……国歌?」

「あ、ホンマに? ほんなら俺も歌えるし、一緒に歌おうや」

 俺のボケを凌駕する大ボケを海野がかまし、みんな膝から崩れ落ちて笑い転げた。
 久保も堪えきれなかったらしく、顔を腕で覆って笑っている。
 ビーッ、というホイッスルの音が体育館に響いた後、コートに入るよう先生に声を掛けられた。

「はいはい、移動移動」

「あー、クソ笑った。腹筋ますます割れるわ」

 みんなで笑いながら立ち上がり、移動する途中で、つい前を見ていなくてぶつかってしまった。

「あ、ごめん……」

 ふと目を上げると、久保の腕が俺の肩を支えてくれていた。

「お前ら、まーたぶつかっとるん? 距離近すぎやで」

「伊織がピクミンみたいに久保の後ろついとっとるもん。
 どんだけ久保のこと好きなん~?」

 そんなふうにからかわれた瞬間、久保はぱっとその手を離した。
 あまりに素早くて、まるで触れていたのを誤魔化すみたいで。
 その不自然さに気づいた途端、胸の奥はそわそわした。

 言い返す言葉も見つからないまま、
 恥ずかしさだけが先に込み上げてきて、
 俺と久保の間に、気まずいような、くすぐったい沈黙が落ちる。

 周りは相変わらず騒がしくて、
 冗談半分の冷やかしが飛び交っているのに、
 ふと目が合った瞬間、お互い、何も言えなくなってしまった。

 久保の頬も、俺の頬も、
 自分でも分かるくらい熱くて、赤くなっていて。

 いつもの、騒がしくて他愛のないノリの中で。
 俺たちだけが、確かに感じ取っているものが、間にそっと残っていた。



  放課後、約束通りカラオケに行った俺たちは、歌って騒いで。
 海野がドリンクバーで作った“えげつない色の何か”を片手に

「みっくちゅジュースやで」

 と噛んで大爆笑を誘った。
 誰が飲むかで揉めて、カラオケの点数でビリになった川内が飲み干す瞬間をみんなで動画に収めて。
 久保は、一曲だけ歌ってくれた。
 噂通り、びっくりするくらい上手くて、インスタの“いいね”が異様に増える理由も分かる気がした。
 帰る頃にはみんな腹が減りすぎて、山根の「バーガー食いたい」の一言でハンバーガーショップへ直行した。

「このお店、初めて来た」

「え、宮城にはワクワクバーガーって無いん?」

「無いよ。えー、どれにしよっかなあ」

 隣の席で、久保とメニューを覗き込む。
 あれもこれも気になって、つい口に出して悩んでいると、久保は小さく笑った。

「久保は何にする?」

「俺? いっつもフィッシュバーガーだけど」

 川内が「シャレ気取り乙」と茶々を入れて、久保がテーブルの下で弁慶の泣き所を蹴る。
 そこからまた誰が何を食べるかで注文がバタついて、久保が冷静に意見を整理して、モバイルオーダーを済ませた。
 二階席の一角で、みんなでノリで頼んだ一キロのポテトが運ばれてくると、俺達は一斉にスマホを構えた。

「え、これ食いきれる? 無理やない?」

「うわー、なじょすんの? これ……」

 俺が笑いながらカメラアプリを起動すると、皆が一様に固まった。

「は? 伊織いまなんつった? なじょ?」

「いや、なじょするって。こんなに量あるしさ」

 ぽかんとして応えると、久保が横で「それ、方言」と口元を片手で隠して笑いながら言った。
 海野がすかさず意味をスマホで調べて、Siriに「すみません。私には理解できません」と返事されて、また皆で腹がよじれるほど笑った。
 その後、追加で運ばれてきたバーガーを頬張っていると、ふと視線を感じて顔を上げた。

「……どしたの?」

 久保が、俺をじっと見ていた。
 気づいた瞬間、久保は目を逸らし、「何でもない」と短く言う。

 ――もしかして、俺だけ頼んだソフトクリーム……食べたいのかな?

 そう思って、俺はスプーンで一口すくい、久保の前に差し出してみた。

「食べる? はい、あーん」

 久保は一瞬、固まった。
 なんで? という顔にも見えるし、本当にただ驚いただけにも見える。
 どっちなのか分からなくて、俺は「え、違った?」と手を引っ込めようとした――その瞬間。

「久保がいらねぇなら、俺が貰う~」

 そう言うなり、田中が俺の手首をつかんで、スプーンをばくっと咥えた。
 間髪入れずに、久保の小さな「は?」が被さる。

「え、なに。食いたかったん?」

 田中が、何も考えてなさそうな顔でスプーンを突き出すと、
 久保は露骨に嫌そうな顔をして、ぷいっとそっぽを向いた。

「お前が口つけたのとか、無理。きしょすぎ」

 そう言ってメロンソーダを飲む久保の横顔は、
 いつもより、ほんのちょっとだけ刺々しい。

「ハァ~!? マジで何様やねん、久保ぉ!」

 田中は大げさに声を張り上げるけど、
 久保はもう相手にしない、という感じでスマホを操作している。

 ……え、今の、そんなにキレるとこだった?
 俺には、久保が何に引っかかったのか、正直よく分からなかった。

 ただ、さっきまでの柔らかい久保の視線が、ほんの一瞬だけ、すっと形を変えた気がして。
 俺はスプーンを持ったまま、久保の横顔を見て、小さく首を傾げることしかできなかった。



 時計が八時を過ぎた頃、俺たちは店の前で解散した。
 田中と山根は駅の方へ、川内と海野は反対方向へ歩いていき、俺と久保はその背中が見えなくなるまで、見送ってから歩き出した。

 外の空気は昼間よりずっと冷えていた。
 長袖シャツ一枚じゃ、さすがに夜風が肌に刺さる。思わず肩をすくめる。
 隣の久保は、さっきエアドロしてもらった今日の写真を眺めていた。
 画面の光が久保の横顔をうっすら照らして、その表情がやけに落ち着いて見える。

「今日、楽しかったね!」

 俺が覗き込むように言うと、久保は横目でちらと見て、微笑んだ。

「……前までは五人だったから、いっつも俺だけ余ってたけどさ。
 伊織が居たから、今日は……普段より、なんか楽しかった」

「じゃあ、飛行機で転校して正解だったわ、俺」
 
 そうふざけると、久保は――急に足を止めた。

「久保?」

 つられて俺も止まった瞬間、ふわりと肩に温度が落ちる。
 久保の黒いカーディガンだった。

「……寒そうにしてるから」

 目を合わせず、声だけ落として言うと、そのまま何事もなかったみたいに歩き出す。

「え、いいって。久保だって寒いじゃん」

「……俺、冬生まれだから。寒いのは平気なの」

 絶対テキトー。
 根拠ゼロ。
 でも、俺はそのテキトーに一瞬で負けて、「ありがとう」としか言えなかった。

「行かねーの?」

 振り返った久保は、さっきより少し柔らかい顔で笑っていた。
 そのあと、いつものコンビニまでの道を歩きながら他愛もない話をした。
 田中のクネクネダンスがキモすぎるとか、海野の“謎の混合ジュース”はもう伝統芸だとか。
 俺も笑ったし、ちゃんと相槌も打った。
 会話が途切れないように、いつも通りにした……つもりだった。
 でも、その“つもり”とは裏腹に、頭の奥はずっと別の方向に走り続けていた。

 ――やっぱ、優しいよな。
 ――てか、これ……あったか。
 ――俺のより、全然大きい。
 
 それから、口には絶対出せないけど……

 ――好きだから、貸してくれたのかな。

 そんな考えが、気づいたら胸の中で勝手に芽を出して、手に負えないほど広がっていく。

 気づきたくないのに、気づいてしまう。
 気づいたくせに、確かめる勇気はない。

 モヤモヤして、苦しくて、でもちょっと嬉しい。
 そんな気持ちが、カーディガンの重みと一緒に肩に乗っていた。