※小雪視点に戻ります※

 目が覚めると、頭がガンガンと傷んだ。
 気分も悪いし、風邪を引いたのだろう。
「小雪、大丈夫? 顔色悪いね」
 心配そうに見てくる涼に、身振りで風邪を引いたことを伝えたいが、思うように伝わらない。
 嘔気がして口元を手で押さえる。
 とはいえ、こんなところでは吐けない。そう思って、よろよろと歩いていると、涼が背中に手を置いてきた。
 ポゥッと黄色い温かい光に包まれ、次第に気分が楽になる。
「二日酔いだね」
 初めて聞く言葉に首を傾げる。
 そんな私の額に涼が額を合わせてきた。
「小雪、昨日のこと覚えてる?」
(昨日? 覚えてるよ。村に野菜買いに行って……)
「ううん。その後。野菜を調理して食べた後のこと」
(うん。涼とお酒飲んだ……けど、私、いつ寝たんだろ。飲み始めたとこまでは覚えてるんだけどなぁ)
「それなら、口付けのことは覚えてないんだ」
(口付け……?)
 キョトン顔で見つめ合えば、涼はニコリと笑って額を離した。
「小雪は、お酒禁止ね」
 お酒禁止、何故?
 十六歳を越えたら飲めるのでは?
「とにかく禁止。絶対ダメ。分かった?」
 私は頬を膨らませてプイッとそっぽを向いた。
 だって、涼はご飯を一緒に食べてくれない。唯一、一緒に出来ることを見つけたのに、それを取り上げられたのだ。怒るのも当然だと思う。
 ムスッとする私の顎を涼はクイッと持ち上げた。
「こういうこと誰にでもされたら困るから、絶対ダメ」
 そう言って、涼は私の唇にチュッとキスをした。
 目を大きく見開く私の額に、再び涼は額をくっつける。
(こ、これは、おとぎ話に出てくる口付けというものでは? 好きな者同士が愛を確かめ合う時にすると言われるあれ。何故、私と涼が? 夫婦でも、ましてや恋人同士でもないのに?)
「口付けの意味は知ってるんだね」
(そ、それくらい知ってる……けど、なんで)
「昨日、沢山してきたでしょ?」
(誰が……って、私が!? 涼に!?)
「ふふ。小雪は、お酒が入ると甘えん坊のキス魔になるみたい」
(甘えん坊のキス魔……)
 キス魔だけならともかく、甘えん坊……いや、キス魔もダメか。どちらにしろ、私は失態を犯した。神様の前で、無礼を働いた。
 ただでさえ昼間に涼が与えてくれたチャンスを蹴り、涼の元に置いて欲しいと迷惑極まりない図々しいお願いをしてしまったというのに……。
 これでは、迷惑しかかけていない。
 私はその場で土下座した。
(大変申し訳ございませんでした)
 声は聞こえずとも、行動だけで分かってもらえるはず。
 このまま蹴り飛ばしてもらっても構わない。
 それでも、この神域から出たくない。人間が怖い。人間が憎い。人間が——。
「小雪、今日は何したい?」
(え? 怒って……ないの?)
 顔を上げて見れば、涼は怒るどころか上機嫌に見えた。
「小雪はさ、本は好き?」
 好きか嫌いかなんて分からない。そもそも字が読めないのだから。
 でも、幼い頃に父が読み聞かせてくれたお伽話は今も忘れない。可哀想な少女を高貴な殿方が娶って幸せになる話。
 私が知っているのは、それくらい。他は全く知らない。私が住んでいるこの国のことすら理解出来ていない。
 困った顔で涼を見つめていると、涼はパチンと指を鳴らした。すると、私の目の前に数十冊の本が積み重なった。
「字、教えてあげようか?」
 首を小さく縦に振れば、涼は指をヒョイっと振った。
 刹那、涼に出会ってから何度目かの浮遊感。まだ慣れないが、私は再び布団の中へと移動させられた。
 横になって、丁寧に肩まで掛け布団をかけられた。
「字を教える前に、読み聞かせてあげる。本の楽しさを知ってからの方が身につくのが早いから」
 そう言って、涼は私の枕元に座って一冊の本を片手に持った。反対の手で、髪を梳くように頭を撫でられ、ややくすぐったい。
「ある山の麓に————」
 涼の読み聞かせは、何とも心地よい。
 いつもより半音低いその声が脳裏に響き、頭の中に今読んだ光景が浮かんでくる。
 目を瞑れば、まるで私が物語のヒロインにでもなったような気分になる。そして、助けてくれるヒーローは、もちろん涼。
 瞼を開け、涼の流し目を見つめる。美しい銀色の睫毛に見惚れ、視線はその下へと移動する。
 形の良い唇。今は読み聞かせのために終始動いている。
(私、涼と口付け……したんだ)
 昨日のことは覚えていないが、さっきの口付けの感触を思い出す。そして、時間差でやってきた感情。
 私は掛け布団を口元まで引き上げた。
「小雪、聞いてる?」
 聞いてる聞いてると強く頷くが、途中から涼に釘付けで聞いていなかった。
「分からない言葉があったら言って。その都度教えてあげるから」
 涼の顔が近付いてきた。
 いつものように額を当てて会話をする為だろう。
 そんなことは百も承知なのだが、まるで今から涼の唇が私のそれに当たるのではないかと思ってしまう。
 火照る頬を押さえ、涼とは反対に寝返りを打った。
「小雪?」
(私、どうしちゃったんだろう……)
 鼓動も高鳴り、明らかに体調がおかしい。
 やはり、風邪を引いたようだ。
 涼が額を私の後頭部に当てて来た。
「大丈夫? つまらなかった?」
(ち、違うの。多分、私、風邪引いたみたいで)
「風邪? おかしいな。先程神力を注いだから、風邪を引いてたら治ってるはずだけど……」
(あ、じゃあ、お腹空いたのかも。朝から何も食べてないし)
「確かに。先に食事にしようか」
(うん)
 何だか胸がいっぱいで食べられそうにないが、このままだと心臓が破裂しそうだ。
 神力でも治せない病にかかってしまったのかもしれない。声だって神力では治せなかったし、あり得る話だ。
 そして、食事で思い出した。
(涼、畑って出せるの?)
「畑?」
(せっかく貰った野菜、育てられないかな)
「土があったら良いの?」
(うん。出来れば栄養たっぷりの土)
「あー……買いに行くのではダメなの?」
 涼は、項垂れるようにして私の頭にずっしりと体重をかけてくる。
 少しばかり痛いが、我慢出来なくはない。
(あの村の人達は優しかったけど、無償でもらうの悪いし……それに、私……お金持ってない)
「お金は気にしなくて良いのに」
(でも……)
「私を祀る鳥居に、沢山ささってるんだ。たまには使ってあげないと」
 涼の収入源が分かったのは良いが、それでも気が引ける。
(難しいなら大丈夫。野菜は我慢するから)
「小雪……」
 涼は、苦渋の選択をしたようにガバッと顔を上げた。
「致し方ない。山神を呼ぶか」