※涼視点です※
その日の晩は、小雪が料理を作った。
料理といっても、ただ野菜を切って炒めただけのシンプルなもの。
嬉しそうに出来上がった料理を机の上に並べ、その前に小雪が座るのかと思えば、私が座らされた。
「私は良いから、小雪が食べなよ」
そう言って席を小雪に譲ろうとするが、小雪は頑として譲らない。
箸を無理やり持たされ、食べてと目で訴えてくる。
仕方なく私は一口茄子を口に入れた。
美味しい? と首を傾げる小雪に、私は正直に言った。
「ごめん。何の味もしないんだ」
小雪は驚いた顔をして、無作法にも茄子を手で摘んで食べた。すると、美味しかったようで、小雪の頬が緩んだ。
「小雪が全部食べて」
立ち上がって、席を小雪に譲る。
納得がいってない表情だが、味がしないものはしないのだ。私には味覚がないから。いや、正確には味覚を失った。
これは帝からの罰。
私が以前犯した罪の代償だ。
——あれは、およそ五百年前のこと。
私は主に海全体を守護する神故、いつものように深海の様子や砂浜、辺り一帯の見回りをしていた。
そこで、あろうことか人間が海に大量の墨を流し入れていた。それを発見した私は、即座に彼らに天罰を下した。
そこまでは問題ない。
ただ、やり過ぎてしまったのだ。
流石に二度、三度同じようなことをすれば、死も致し方ない。しかし、彼らは初犯。海の荒波に飲まれて重症になるような脅し程度にとどめるのが一般的な罰の与え方だった。
それを私は、海を愛するばかりに彼らを死に追いやった。
帝は優しいお方故、初めは私に注意しただけだった。
しかし、人間は懲りもせず海水を汚染し続ける。
身投げする時だって、海が多い。その度に海は汚染されていく。
人間は、魚介を好きなだけとっていくのに、全く海に感謝しない。そんな人間に嫌気がさした私は、村一つ海に沈めたのだ。
さすがの帝もやり過ぎだと私に罰を与えた。
それが、味覚を奪うこと。
神は食べなくても生きてはいける。しかし、死ぬことのない神の楽しみは食べることくらいだ。
それを失った私は、何の楽しみもなくなった。
山神のように、人間を娶っては快楽に溺れる神もいる。私も一度は試してみたりもしたが、虚しいだけだった。
それからの私は仕事一筋。
未然に人間が海を汚染するのを防ぐことに勤しんだ。
——と言いつつも、酒だけは違う。
味覚がなくなった私だが、酔うことは出来る。
ほろ酔いの気分の良いこと。それだけが唯一の楽しみだ。
小雪が寝た後、私は晩酌予定だ。
だから、小雪が食べる様を見るのは嬉しい。この後のほろ酔いを考えると、つい笑みが溢れる。
そんな私を見て、小雪は不愉快そうな顔をする。
「美味しくないの?」
小雪は首を横に振る。
私が一緒に食べないのが不満なのだろう。
毎食のことなので、慣れた。
「そうだ。小雪もお酒飲んでみる?」
キョトンとした顔で見てくる小雪は、おそらく酒を知らないのだろう。
「人間は、十六歳で酒が飲めるはずだけど」
(涼は飲むの?)
口パクと身振り手振りで伝えてくる小雪に、私は頷いた。
「小雪が飲むなら、私も飲むよ」
飲まないなら後で一人で飲むけどね。
なんてことは言わないけれど、私が飲むと言ったことで、小雪の顔は満面の笑みに変わった。
どれだけ私と行動を共にしたいのか。変わった人間だ。
指をパチンと鳴らせば、ぐい呑みが二つに大きな酒瓶が現れた。
ピンクのぐい呑みに酒を注ぎ小雪の前に置いた。
私も隣に座って青色のぐい呑みに酒を注ぐ。
「乾杯」
ぐい呑み同士をカンと当てると、ガラスの音が良い感じに響いた。
私は一気にそれを飲み干し、もう一杯入れる。五杯くらい飲まないと酔えないため、いつもの要領で飲んでいると、小雪も真似をして一気飲みした。
「ケホッ、ケホッ」
そして、むせた。
「ちょ、小雪!? 最初は少しずつ飲まないと。って、私が悪かったね。初めてなのに飲み方も教えてなかった」
小雪に水を渡し、飲むように促す。
けれど、もう遅かった。
「ヒック……ヒック……」
小雪の真っ白な肌が赤く色付いてきた。
小雪は、私の胸に縋るように抱きついてくる。そして、額を指さしてきた。当てろと言うことだろう。コツンと当てた。
(涼、なんだかホワホワする)
「酒の度数も高いのあげちゃったし、完全に私のミスだ。ごめん」
(ミス? 涼でもミスするの? 神様なのに?)
「馬鹿にしてんの?」
(してないよ。私は、涼と一緒にいられて幸せ)
そう言って、にへら顔の小雪は、私の唇に口付けてきた。
「え……」
(何今の。すっごい気持ち良いね)
「ちょ、小雪!?」
それから、小雪の唇が何度も私の唇に重なった——。
◇◇◇◇
数時間後、真っ暗な空間に一つだけ敷かれた布団に小雪が眠っている。
その枕元で私は片膝を立てて座りながら小雪の赤い髪を撫でる。
「まさか、小雪は酔うとキス魔になるなんてね。私以外の前では飲ませられないね」
それにしても、小雪の心は思った以上に大ダメージを喰らっているようだ。おそらく声が出せないのも精神的なもの。
海辺で聞いた小雪の心の声。
あれは悲鳴に近かった。
ずっと隠れて生活していた小雪は、元気に振る舞いながらも孤独と闘っていた。老婆がいた時はまだマシだったようだが、それ以降、月に一度父と会えるのみ。
知らないところで、全ての人間に忌み嫌われていると知り、一人で怯える毎日。
それも五歳の頃から十年以上だ。精神が崩壊してもおかしくない。
更には、目の前で父が殺され、自分のせいで母も亡くなったと聞かされた。小雪自身殺されそうになり、人間が完全に信じられなくなったのだろう。
それに同情しなくもないが、私は神故に人間に同情はしない。
私が小雪を拾ったのは他でもない、鬼の子だから。
私が手を施すまでもなく海が潤うだろうと思った。人間が鬼の子の恩恵を受けないのであれば、私がもらおうと思った。ただ、それだけだ。同情なんてものではない。
しかし、小雪にとっては、それが今までにないほど嬉しかったようだ。親や恋人、友人とも違うが、私と一緒にいることが、小雪にとって安らげる場所だったよう。
それを私は……やはり神のエゴで神域に閉じ込めるのは如何なものかと、考えてしまった。
小雪が蔑まれない土地に移してやれば、幸せになるかと勘違いした。いや、おそらく勘違いではない。思い切って飛び込めば、小雪は幸せになれるはず。しかし、今まで人と接してこなかった小雪は怖いのだ。
人間不信に陥っている小雪は、誰のことも信じられなくなっている。
「涼」
「え、小雪?」
小雪の顔を覗けば、寝息を立てて眠っている。
寝言は言えるようだ。
「おやすみ」
頭を撫でてやり、私も別室で休もうと立ち上がって小雪に背を向ける。
その瞬間、袴が引っ張られる感覚があり、後ろを振り返る。小雪が袴の裾を掴んでいた。
「涼……行かないで」
「ふふ、起きてたりして」
小雪の要望通り、私はもう暫く一緒にいることにした。
その日の晩は、小雪が料理を作った。
料理といっても、ただ野菜を切って炒めただけのシンプルなもの。
嬉しそうに出来上がった料理を机の上に並べ、その前に小雪が座るのかと思えば、私が座らされた。
「私は良いから、小雪が食べなよ」
そう言って席を小雪に譲ろうとするが、小雪は頑として譲らない。
箸を無理やり持たされ、食べてと目で訴えてくる。
仕方なく私は一口茄子を口に入れた。
美味しい? と首を傾げる小雪に、私は正直に言った。
「ごめん。何の味もしないんだ」
小雪は驚いた顔をして、無作法にも茄子を手で摘んで食べた。すると、美味しかったようで、小雪の頬が緩んだ。
「小雪が全部食べて」
立ち上がって、席を小雪に譲る。
納得がいってない表情だが、味がしないものはしないのだ。私には味覚がないから。いや、正確には味覚を失った。
これは帝からの罰。
私が以前犯した罪の代償だ。
——あれは、およそ五百年前のこと。
私は主に海全体を守護する神故、いつものように深海の様子や砂浜、辺り一帯の見回りをしていた。
そこで、あろうことか人間が海に大量の墨を流し入れていた。それを発見した私は、即座に彼らに天罰を下した。
そこまでは問題ない。
ただ、やり過ぎてしまったのだ。
流石に二度、三度同じようなことをすれば、死も致し方ない。しかし、彼らは初犯。海の荒波に飲まれて重症になるような脅し程度にとどめるのが一般的な罰の与え方だった。
それを私は、海を愛するばかりに彼らを死に追いやった。
帝は優しいお方故、初めは私に注意しただけだった。
しかし、人間は懲りもせず海水を汚染し続ける。
身投げする時だって、海が多い。その度に海は汚染されていく。
人間は、魚介を好きなだけとっていくのに、全く海に感謝しない。そんな人間に嫌気がさした私は、村一つ海に沈めたのだ。
さすがの帝もやり過ぎだと私に罰を与えた。
それが、味覚を奪うこと。
神は食べなくても生きてはいける。しかし、死ぬことのない神の楽しみは食べることくらいだ。
それを失った私は、何の楽しみもなくなった。
山神のように、人間を娶っては快楽に溺れる神もいる。私も一度は試してみたりもしたが、虚しいだけだった。
それからの私は仕事一筋。
未然に人間が海を汚染するのを防ぐことに勤しんだ。
——と言いつつも、酒だけは違う。
味覚がなくなった私だが、酔うことは出来る。
ほろ酔いの気分の良いこと。それだけが唯一の楽しみだ。
小雪が寝た後、私は晩酌予定だ。
だから、小雪が食べる様を見るのは嬉しい。この後のほろ酔いを考えると、つい笑みが溢れる。
そんな私を見て、小雪は不愉快そうな顔をする。
「美味しくないの?」
小雪は首を横に振る。
私が一緒に食べないのが不満なのだろう。
毎食のことなので、慣れた。
「そうだ。小雪もお酒飲んでみる?」
キョトンとした顔で見てくる小雪は、おそらく酒を知らないのだろう。
「人間は、十六歳で酒が飲めるはずだけど」
(涼は飲むの?)
口パクと身振り手振りで伝えてくる小雪に、私は頷いた。
「小雪が飲むなら、私も飲むよ」
飲まないなら後で一人で飲むけどね。
なんてことは言わないけれど、私が飲むと言ったことで、小雪の顔は満面の笑みに変わった。
どれだけ私と行動を共にしたいのか。変わった人間だ。
指をパチンと鳴らせば、ぐい呑みが二つに大きな酒瓶が現れた。
ピンクのぐい呑みに酒を注ぎ小雪の前に置いた。
私も隣に座って青色のぐい呑みに酒を注ぐ。
「乾杯」
ぐい呑み同士をカンと当てると、ガラスの音が良い感じに響いた。
私は一気にそれを飲み干し、もう一杯入れる。五杯くらい飲まないと酔えないため、いつもの要領で飲んでいると、小雪も真似をして一気飲みした。
「ケホッ、ケホッ」
そして、むせた。
「ちょ、小雪!? 最初は少しずつ飲まないと。って、私が悪かったね。初めてなのに飲み方も教えてなかった」
小雪に水を渡し、飲むように促す。
けれど、もう遅かった。
「ヒック……ヒック……」
小雪の真っ白な肌が赤く色付いてきた。
小雪は、私の胸に縋るように抱きついてくる。そして、額を指さしてきた。当てろと言うことだろう。コツンと当てた。
(涼、なんだかホワホワする)
「酒の度数も高いのあげちゃったし、完全に私のミスだ。ごめん」
(ミス? 涼でもミスするの? 神様なのに?)
「馬鹿にしてんの?」
(してないよ。私は、涼と一緒にいられて幸せ)
そう言って、にへら顔の小雪は、私の唇に口付けてきた。
「え……」
(何今の。すっごい気持ち良いね)
「ちょ、小雪!?」
それから、小雪の唇が何度も私の唇に重なった——。
◇◇◇◇
数時間後、真っ暗な空間に一つだけ敷かれた布団に小雪が眠っている。
その枕元で私は片膝を立てて座りながら小雪の赤い髪を撫でる。
「まさか、小雪は酔うとキス魔になるなんてね。私以外の前では飲ませられないね」
それにしても、小雪の心は思った以上に大ダメージを喰らっているようだ。おそらく声が出せないのも精神的なもの。
海辺で聞いた小雪の心の声。
あれは悲鳴に近かった。
ずっと隠れて生活していた小雪は、元気に振る舞いながらも孤独と闘っていた。老婆がいた時はまだマシだったようだが、それ以降、月に一度父と会えるのみ。
知らないところで、全ての人間に忌み嫌われていると知り、一人で怯える毎日。
それも五歳の頃から十年以上だ。精神が崩壊してもおかしくない。
更には、目の前で父が殺され、自分のせいで母も亡くなったと聞かされた。小雪自身殺されそうになり、人間が完全に信じられなくなったのだろう。
それに同情しなくもないが、私は神故に人間に同情はしない。
私が小雪を拾ったのは他でもない、鬼の子だから。
私が手を施すまでもなく海が潤うだろうと思った。人間が鬼の子の恩恵を受けないのであれば、私がもらおうと思った。ただ、それだけだ。同情なんてものではない。
しかし、小雪にとっては、それが今までにないほど嬉しかったようだ。親や恋人、友人とも違うが、私と一緒にいることが、小雪にとって安らげる場所だったよう。
それを私は……やはり神のエゴで神域に閉じ込めるのは如何なものかと、考えてしまった。
小雪が蔑まれない土地に移してやれば、幸せになるかと勘違いした。いや、おそらく勘違いではない。思い切って飛び込めば、小雪は幸せになれるはず。しかし、今まで人と接してこなかった小雪は怖いのだ。
人間不信に陥っている小雪は、誰のことも信じられなくなっている。
「涼」
「え、小雪?」
小雪の顔を覗けば、寝息を立てて眠っている。
寝言は言えるようだ。
「おやすみ」
頭を撫でてやり、私も別室で休もうと立ち上がって小雪に背を向ける。
その瞬間、袴が引っ張られる感覚があり、後ろを振り返る。小雪が袴の裾を掴んでいた。
「涼……行かないで」
「ふふ、起きてたりして」
小雪の要望通り、私はもう暫く一緒にいることにした。



