初めて訪れる村。
人々の声が聞こえるだけで、不安と恐怖で手が震える。それを涼は優しくて大きな手で包んでくれる。
「野菜を買って帰るだけだからね」
こくりと頷くが、震えは止まらない。
私の髪色を見たら、皆が鬼の形相で殺しにかかってくる。せめて、せめて髪を隠したい。
何か髪を隠せるものはないかと、辺りを挙動不審に探してしまう。そして、一軒の家の横に立てかけてある笠を見つけた。
涼の手をクイッと引っ張り、反対の手で笠を指さした。
「被るの?」
縦に大きく頭を振れば、困った顔で笑われた。
「人の物を勝手に取ったら犯罪だよ」
確かにそうだが、このままでは野菜ではなく石が飛んでくる。鍬を振り回される。
それに何より、鬼の子と手を繋いでいる涼まで被害に遭ってしまう。自分だけならともかく、他の誰かが傷付くのは見たくない。
力を抜いて涼の手から逃れようとしたが、涼は逃がさないといった風に強く握りしめてくる。
そこまでして野菜は食べたくないと目で訴えるが、涼の歩は止まらない。
そして、ついに人の姿が見えた。
男の人が農業に勤しんでおり、手拭いで額の汗を拭いていた。彼は、私と涼を見て驚いた顔を見せる。
私が真っ赤な髪をして目立つのもあるが、よくよく考えてみると、涼も随分と高貴で派手な見た目をしており、私よりも目立つ。そんな二人が歩いているのだから、気付かないわけがない。
次々に現れる人の視線は、全て私たちに注がれる。
無邪気にはしゃぐ子供が二人、私たちの周りをぐるりと一周回る。
「わぁ、オイラ、鬼の子初めて見た」
「あたしも! お母ちゃん呼んでこよ!」
「だな、爺ちゃんなんて泣いて喜ぶぞ」
子供らは、そのまま元来た道に走っていった。
そして、気付けば田畑にいる人や道を歩く人は立ち止まり、私たちに向かって手を合わせている。
その光景を呆気に取られて見ていると、涼が耳打ちしてきた。
「これが本来の君の立ち位置」
(私の……立ち位置?)
首を傾げていると、涼はクスリと笑って手を引いた。
「さ、野菜買いに行こう」
よく分からないまま、私は村の中心部に位置する商店街へと向かった——。
そこでも、誰一人石を投げてくる人はいなかった。罵声を浴びせられることも蔑んだ目で見られることもない。
父の言いつけ、あれは何だったのか。
『鬼の子』は、存在することさえ許されない。人間は皆、鬼の子を忌み嫌い、殺しに来る。だから、人間は全て敵だと思え。
生まれ故郷に足を踏み入れた時は、確かにその通りだったのに、この村では普通に買い物が出来る。いや、むしろ歓迎されている。
「お代はいらないよ! 鬼の子を拝めただけで、明日から商売繁盛する気しかしないよ」
きゅうりと茄子とトマト、玉ねぎの入った籠を渡され、私はそれを両手で受け取った。
キョトンとした顔で涼を見上げれば、「良かったね」と笑顔で返された。意味が分からない。
◇◇◇◇
買い物と言って良いのか分からないが、野菜を調達した私と涼は、海辺の大きな流木に腰掛けた。
野菜を脇に置いて、私は髪の毛を胸元でクルクルといじった。
(もしかして、これは赤じゃないのかな? さっきの村の人たちは、これが黒に見えてる? でも、鬼の子って呼ばれたし……)
涼は、心を読まずとも私の考えが分かったよう。愉快そうに笑って教えてくれた。
「鬼の子はね、鬼神っていう鬼の神様に選ばれた子なんだ」
(鬼……)
「あ、御伽話に出てくる恐い鬼じゃないよ。人間を見守ってる神様。そして、鬼の子と呼ばれる人間は幸せを呼ぶと言い伝えられている」
(災いではないの?)
涼を見上げれば、ふふッと笑って続きを話し始めた。
「おそらく、小雪の村にいた昔の鬼の子が傲慢に育っちゃったんじゃない? 『俺に楯突くと災いを呼ぶぞ』みたいなね。私の知る鬼の子も行き着く先は同じだったし。詳しくは分からないけど、小雪の村やその周辺……そこら一帯では、どこかで話がすり替わってるんだ。だから、今の村でなら小雪は幸せに暮らせると思うよ」
(それって……)
もしかして、その為に私をあの村に連れていったの?
もしかして、涼とは、これでサヨナラなの?
私が、魚介ばかりの食事に飽きたって言ったから?
私が、つまらない人間だから?
立ち上がって、涼の前に立った。そして、同じ目線になった涼のおでこにコツンと自身のそれをくっつけた。
(ねぇ、涼。私は、もう涼の神域には入れないの?)
「ここも私の神域の一部だよ」
(そうじゃなくて、涼と一緒にいちゃダメなの? ずっとあそこにいて良いって言ったよね?)
「そうだよ」
(だったら何で? 何で、あの村を勧めるの? 私がつまらない人間だから?)
「つまらない? 小雪は面白いよ」
(うそ、つまんないって言ってたもん)
涼は、額をくっつけたまま考える素振りをする。
そして、思い出したようだ。
「あれに深い意味はないよ。小雪が無知で危なっかしいから、少し警戒心を持ってもらいたかっただけ」
(警戒心……? でも、涼の神域は安全でしょ?)
「どうかなぁ。私だって、神である前に男だからね……なんてね。私は山神とは違うから、安心……小雪? 泣いてるの?」
(泣いてないもん)
「泣いてるよ。涙出てるもん」
そう言いながら、涼は私の溢れる涙を指で拭った。
それでも、とめどなく出てくる涙。涼は眉を下げて私の胸に耳を傾けた。
涼は、納得したように穏やかな表情になる。
「なるほどね」
(涼……私……)
「私のところにいたい?」
(……ダメ?)
「良いよ。小雪が飽きるまでいれば良い」
(ありがとう)
胸に当たっている涼の頭をギュッと抱きしめた。
神様の頭を抱きしめるなんて無礼なのは分かってる。分かっているけれど、そこにあったから、つい抱きしめてしまった。
「帰ろっか」
こくりと頷けば、次の瞬間にはいつもの真っ白い空間にいた。
人々の声が聞こえるだけで、不安と恐怖で手が震える。それを涼は優しくて大きな手で包んでくれる。
「野菜を買って帰るだけだからね」
こくりと頷くが、震えは止まらない。
私の髪色を見たら、皆が鬼の形相で殺しにかかってくる。せめて、せめて髪を隠したい。
何か髪を隠せるものはないかと、辺りを挙動不審に探してしまう。そして、一軒の家の横に立てかけてある笠を見つけた。
涼の手をクイッと引っ張り、反対の手で笠を指さした。
「被るの?」
縦に大きく頭を振れば、困った顔で笑われた。
「人の物を勝手に取ったら犯罪だよ」
確かにそうだが、このままでは野菜ではなく石が飛んでくる。鍬を振り回される。
それに何より、鬼の子と手を繋いでいる涼まで被害に遭ってしまう。自分だけならともかく、他の誰かが傷付くのは見たくない。
力を抜いて涼の手から逃れようとしたが、涼は逃がさないといった風に強く握りしめてくる。
そこまでして野菜は食べたくないと目で訴えるが、涼の歩は止まらない。
そして、ついに人の姿が見えた。
男の人が農業に勤しんでおり、手拭いで額の汗を拭いていた。彼は、私と涼を見て驚いた顔を見せる。
私が真っ赤な髪をして目立つのもあるが、よくよく考えてみると、涼も随分と高貴で派手な見た目をしており、私よりも目立つ。そんな二人が歩いているのだから、気付かないわけがない。
次々に現れる人の視線は、全て私たちに注がれる。
無邪気にはしゃぐ子供が二人、私たちの周りをぐるりと一周回る。
「わぁ、オイラ、鬼の子初めて見た」
「あたしも! お母ちゃん呼んでこよ!」
「だな、爺ちゃんなんて泣いて喜ぶぞ」
子供らは、そのまま元来た道に走っていった。
そして、気付けば田畑にいる人や道を歩く人は立ち止まり、私たちに向かって手を合わせている。
その光景を呆気に取られて見ていると、涼が耳打ちしてきた。
「これが本来の君の立ち位置」
(私の……立ち位置?)
首を傾げていると、涼はクスリと笑って手を引いた。
「さ、野菜買いに行こう」
よく分からないまま、私は村の中心部に位置する商店街へと向かった——。
そこでも、誰一人石を投げてくる人はいなかった。罵声を浴びせられることも蔑んだ目で見られることもない。
父の言いつけ、あれは何だったのか。
『鬼の子』は、存在することさえ許されない。人間は皆、鬼の子を忌み嫌い、殺しに来る。だから、人間は全て敵だと思え。
生まれ故郷に足を踏み入れた時は、確かにその通りだったのに、この村では普通に買い物が出来る。いや、むしろ歓迎されている。
「お代はいらないよ! 鬼の子を拝めただけで、明日から商売繁盛する気しかしないよ」
きゅうりと茄子とトマト、玉ねぎの入った籠を渡され、私はそれを両手で受け取った。
キョトンとした顔で涼を見上げれば、「良かったね」と笑顔で返された。意味が分からない。
◇◇◇◇
買い物と言って良いのか分からないが、野菜を調達した私と涼は、海辺の大きな流木に腰掛けた。
野菜を脇に置いて、私は髪の毛を胸元でクルクルといじった。
(もしかして、これは赤じゃないのかな? さっきの村の人たちは、これが黒に見えてる? でも、鬼の子って呼ばれたし……)
涼は、心を読まずとも私の考えが分かったよう。愉快そうに笑って教えてくれた。
「鬼の子はね、鬼神っていう鬼の神様に選ばれた子なんだ」
(鬼……)
「あ、御伽話に出てくる恐い鬼じゃないよ。人間を見守ってる神様。そして、鬼の子と呼ばれる人間は幸せを呼ぶと言い伝えられている」
(災いではないの?)
涼を見上げれば、ふふッと笑って続きを話し始めた。
「おそらく、小雪の村にいた昔の鬼の子が傲慢に育っちゃったんじゃない? 『俺に楯突くと災いを呼ぶぞ』みたいなね。私の知る鬼の子も行き着く先は同じだったし。詳しくは分からないけど、小雪の村やその周辺……そこら一帯では、どこかで話がすり替わってるんだ。だから、今の村でなら小雪は幸せに暮らせると思うよ」
(それって……)
もしかして、その為に私をあの村に連れていったの?
もしかして、涼とは、これでサヨナラなの?
私が、魚介ばかりの食事に飽きたって言ったから?
私が、つまらない人間だから?
立ち上がって、涼の前に立った。そして、同じ目線になった涼のおでこにコツンと自身のそれをくっつけた。
(ねぇ、涼。私は、もう涼の神域には入れないの?)
「ここも私の神域の一部だよ」
(そうじゃなくて、涼と一緒にいちゃダメなの? ずっとあそこにいて良いって言ったよね?)
「そうだよ」
(だったら何で? 何で、あの村を勧めるの? 私がつまらない人間だから?)
「つまらない? 小雪は面白いよ」
(うそ、つまんないって言ってたもん)
涼は、額をくっつけたまま考える素振りをする。
そして、思い出したようだ。
「あれに深い意味はないよ。小雪が無知で危なっかしいから、少し警戒心を持ってもらいたかっただけ」
(警戒心……? でも、涼の神域は安全でしょ?)
「どうかなぁ。私だって、神である前に男だからね……なんてね。私は山神とは違うから、安心……小雪? 泣いてるの?」
(泣いてないもん)
「泣いてるよ。涙出てるもん」
そう言いながら、涼は私の溢れる涙を指で拭った。
それでも、とめどなく出てくる涙。涼は眉を下げて私の胸に耳を傾けた。
涼は、納得したように穏やかな表情になる。
「なるほどね」
(涼……私……)
「私のところにいたい?」
(……ダメ?)
「良いよ。小雪が飽きるまでいれば良い」
(ありがとう)
胸に当たっている涼の頭をギュッと抱きしめた。
神様の頭を抱きしめるなんて無礼なのは分かってる。分かっているけれど、そこにあったから、つい抱きしめてしまった。
「帰ろっか」
こくりと頷けば、次の瞬間にはいつもの真っ白い空間にいた。



