私の祈りが通じたのか、村に再び大きな地震がきた。
 地割れを起こし、家屋の損壊も激しい大きな揺れ。
 揺れと同時に、村人らの手が私から離れた。その隙を狙って、一目散に駆け出した。
 後ろ手に両手を縛られているせいで転びそうにはなったが、村人らもまた地震の余波で思うように走れない。
「ま、待て! 鬼の子!」
「災いが……災いが来るぞ。早く鬼の子を殺せ!」
 災い、私が起こせるなら起こしたい。
 この村を滅ぼして、この世界を滅ぼして、私も死にたい。
 そう思いながら、私は必死に逃げた。亡くなったであろう優しい父を置いて——。

◇◇◇◇

 十六年前、父が逃げた方とは反対に向かって私は逃げた。山ではなく海側。さして理由はなかった。どこでも良かった。死ねるのなら。
 ただ、村人に殺されるのだけは嫌だった。
 何故って、癪ではないか。私を殺せば何事も上手くいくと思って悦に浸る村人らに殺されるのは。誰が殺させてなるものか。
「お母ちゃん、お父ちゃん。こんな髪で生まれてきてごめんね……」
 既に日が昇り始めており、キラキラと輝く水面がゆらゆらと神秘的に光る。
 私は水面にチャポンと右足をつけた。
 ひんやりとした海水が心地良い。
 左足もつけ、ゆっくりと深い方へと移動する。
 汗ばんで張り付いていた肌襦袢が、今度は海水でべったり張り付いていく。
 髪が赤くさえなければ、皆と同じように黒ければ……髪色が違うだけで、きっと両親は幸せだった。
 誰も苦しむことなく平穏な日常を過ごすことが出来たはず。
「ねぇ、神様。自ら命を絶った者って、悪霊になるんでしょ? 私を悪霊にして」
 私だけならともかく、母を……あの優しい父を苦しめた村人らを呪い殺したい。
 ただただそんなこと考え、後ろ手に縛られた縄をどうにかするでもなく海の中に沈んでいく。
 胸元まで入った時だった——。
「ねぇ、死ぬのは自由だけどさ、他でやってくれない? ここ、私の神域だから。迷惑極まりないよ」
 声のする方を振り返れば、砂浜に誰か立っていた。
 男性とも女性ともとれる中性的な顔立ちをした彼は、煌びやかな着物を何枚も重ね、とても高貴なお方なのだと窺える。彼は、水面のようにキラキラと輝く長い銀髪を靡かせて、こちらを迷惑そうに見ていた。
 迷惑極まりないと口にも出されているくらいだ。本気で迷惑なのだろう。
 とはいえ、今更引き返すのも無理な話だ。こういうのは思い立った時にしなければ、怖気付いて出来なくなってしまうというもの。
 私は彼のことを見なかったことにし、虚ろな瞳で前に向き直った。
「はぁ……これだから鬼の子は。いっそ話を聞かないんだから」
 溜め息を吐く彼をギロリと目だけで睨む。
 なにゆえ見ず知らずの男にまで『鬼の子』呼ばわりされねばならない。
「ただ、髪の色が赤いだけでしょ。それで何故、私を鬼の子なんて呼ぶの!? なんで、お母ちゃんを……お父ちゃんを非難するの!?」
 村人らに言えなかった文句を今ここで言うのも筋違いかもしれないが、ずっと思っていたことを死ぬ前に口に出したかったのかもしれない。
 彼は不思議そうな顔で、首をコテンと傾けた。
 すると、突然身体が浮遊感に包まれた。一瞬、深いところに足がハマって溺れたのかと思った。
 けれども、ここは海水の中ではなくその上。びしょ濡れの浴衣が肌に纏わりつき、雫がポタポタと海水の上に垂れる。驚く間もなく、まるで(まり)にでもなったかのように、弧を描いて宙を移動した。
「キャッ」
 その浮遊感が気持ち悪く、目をギュッと瞑れば、突然重力が戻ってきた。
 しかし、この感覚は立っているのとは違う。幼かった頃、父がしてくれた抱っこと感覚が似ていた。
 恐る恐る瞼を開けば、海よりも澄んだ空色の瞳と目があった。
 遠くからでは顔立ちまでハッキリ分からなかったが、切れ長な瞳にキリっとした眉、スッと通った鼻筋に形の良い唇。透き通る陶器のような肌は毛穴ひとつみつけることは出来ない。なんとも美しい美丈夫だった。
 全てを見透かしていそうなその瞳に見つめられ、今の状況を忘れそうになるが、ベタベタに張り付く浴衣の不快感で我に返る。
 ここは彼の腕の中。横抱きにされ、不思議そうな顔で上から下まで見られ、今まで感じたことのない羞恥を覚える。
 浴衣なんてびしょ濡れだから、肌が透けて見えている。
「お、お目汚しを。申し訳あり」
「鬼の子と呼ばれるのが、不快なの?」
「あ、当たり前です!」
「へぇ」
 悪気のなさそうな顔で見てくるため、さっきみたいに感情をぶつけられない。いや、悪意の籠っていない『鬼の子』呼びは初めてで、拍子抜けと言った方が正しい。
「死ぬの?」
「え、ええ」
「何故?」
「それは、私が鬼の子……だから」
「鬼の子は、死ななきゃいけないの?」
「だって、鬼の子は災いを呼ぶから……だから……」
「君は、災いを呼んだことあるの?」
 いつの間にか涙が溢れていた。
 澄んだ空色の瞳は、私の思いを全て見透かしているようで、それでいて何も見ていないよう。
 私は、小さく首を横に振る。
「私……何もしてない」
「だろうね。鬼の子は災いではなく、——しか呼ばない」
「な……ひっ……うぅ……に」
 肝心なところが聞き取れず、聞き返したいのに嗚咽が出て上手く喋れない。
 涙を拭いたいのに、後ろ手に縛られている為拭えない。
「だから、鬼の子は傲慢になる子が多くて嫌いなんだ。でも……」
 彼は、私の濡れた赤い髪にキスを落とした。
「人間が君を必要としないなら、私がもらおうかな」
 急に睡魔が押し寄せ、私は泣きながら瞳を閉じた——。