偽物(シャチ)の真実

📌 序章:1.7秒の黄金(きん)の革命

名古屋城天守閣。午前11時00分00秒。

黄金のシンボルが、世界で最も透明な1.7秒の無重力の中で、静かにすり替わった。 この一瞬のために、錺師の師弟と、二人のプロフェッショナルは、人生と技術のすべてを賭けた。すべては、失われた日本の伝統技術の「魂」を取り戻すために。

🏯 導入:師弟の怒りと、穢れたる城

真夜中の名古屋。アキラ(21歳、見習い錺師)は、伝統金工の権威である師匠ゲンゾウ(65歳)の作業場にいた。作業台には、熱された瓦の匂いと、最新の3Dプリンタが吐き出すプラスチックの微かな焦げた匂いが混ざり合っている。

ゲンゾウは、アキラが作った偽物の金シャチの骨格モデルを、使い込まれた金槌の柄で叩いた。

「これが、お前の言う**『真の傑作』**か」

アキラはタブレットを差し出した。画面には、現存する金シャチの鱗をレーザー計測した解析図。創建当時の完璧な設計図と重ねると、再建時に数ミリ単位で省略された意匠の欠陥が、血のような赤でハイライトされていた。

ゲンゾウの瞳に、深い怒りが宿る。彼は戦後、再建の不完全さを嘆きながら亡くなった父を思い出す。

(敗戦の混乱に乗じて、技術者の誇りを矮小化した……)

沈黙が十秒、作業場には金槌と瓦の匂いだけが漂った。

「この不完全な金シャチを、我らが尾張の誇りとして未来に残すのは…許せん」 「そして、その前に藩主たちの改鋳による金の汚染もある」アキラは付け加えた。「この歴史の二重の穢れを清めるには、私たちが白昼堂々、最高の技術を証明するしかない。世間から『伝統を軽視する若者』と見られてきた俺のドローン技術が、師匠の悲願達成には不可欠です。これは、俺の技術が伝統を守る最終兵器であることの証明だ」

アキラの挑戦的な眼差しに、ゲンゾウはかすかに笑った。「伝統を守るために、邪道なハイテクを使うか。……よかろう。だが、万が一にも失敗すれば、お前はただの軽薄な泥棒だ」

👥 チームの背景:技術者の贖罪(しょくざい)

作戦基地のトラック内。

「ジン、高度を維持。ヘリの排気ガスを、屋根の熱が吸い上げないよう調整しろ。ハチ、警備ドローンの誘導パターン、あと30分で最終確認だ」

ハッカーのハチは、元名古屋城警備システムの開発者だった。彼は過去、予算不足による意図的な「手抜き」を強いられた。それは彼にとって、技術者としての良心の殺人だった。

「アキラ君。俺の失敗作を、君の技術で超えてくれよ。あの警備システムは、俺の人生のバグだ。その金シャチは、俺たちの技術者の魂の、最後の償いなんだ」

パイロットのジンは元自衛官。ヘリコプターのプロとして、困難な任務を楽しむプロフェッショナルな余裕を漂わせる。

「最高の技術を、最高の舞台で。たまには、物を奪う救出作戦も悪くない。やるからには、ギリギリの賭けだ。屋根の熱による金属の膨張で、ワイヤーに微細な摩擦抵抗が生じる可能性は、計算に入れたんだろうな?」

「もちろんです」アキラは断言した。「その誤差をゼロにするために、フリーズ時間は1.7秒で設計した」

🚁 クライマックス:1.7秒の「無重力」

午前10時59分30秒。天守閣の屋根の上。夏の日差しで焼かれた瓦のざらついた熱が、アキラの作業服越しに肌に伝わる。口内には、極度の緊張で鉄のような味が広がっていた。彼は、那古野城時代の古い避雷針経路に滑り込ませた、細いワイヤーの感触だけを信じていた。

観光客の歓声と、上空のヘリの爆音が響く。

「ハチ、システムフリーズまでカウント」 「テン、ナイン、エイト……」ハチの冷静な声が、無線から聞こえる。

11時00分00秒

「フリーズ!」

周囲の音が、一瞬にして消滅したかのように感じる。実際には、警備システムのすべてのセンサーとカメラが停止し、無線には高所を吹き抜ける風の「ヒュー」という音だけが響く。

アキラの耳には、ハチが送る微弱な確認信号の電子音だけが、唯一の現実だった。

「ワイヤー、展開! 1.7秒の無重力だ!」

ヘリから降下したジンが、鈍く、疲れた黄金色の現存する金シャチに電磁誘導式のフックを装着。同時に、屋根裏の小型ドローンから伸びたワイヤーが、眩しい、鋭利な輝きを放つ偽物(真の傑作)を吊り上げた。

屋根に反射した太陽光が、一瞬、二つのシャチの異なる黄金色を照らし出し、**時代を超えた「輝きの差」**を目撃する。

新旧のシャチが、まるで魂が入れ替わる瞬間のように、数センチの空間を滑らかに移動する。アキラは、熱された瓦に身体を押し付け、手袋越しの感覚だけで偽物の最終固定具を嵌め込んだ。

11時00分01秒7

「完了!」アキラの叫びは、フリーズが解けた瞬間、再び戻ってきた喧騒にかき消された。

ヘリは急上昇し、観光客の歓声と警備の混乱が残る名古屋城から遠ざかる。誰も、天守閣のシンボルが**「技術者の魂」**にすり替わったことには気づいていない。

📜 エピローグ:二つの印と、残された問い

数日後。名古屋県警文化財課の刑事、加賀谷蓮は、天守閣の金シャチを調査していた。祖父が嘆いた「不完全さ」を知るがゆえに、この犯行の動機に私的な葛藤を覚えていた。

顕微鏡カメラで撮影された鱗の画像には、アキラが残した**「技術革新と魂の救済」**を意味するナノレベルの文字が、緻密に映し出されていた。

そして、その文字の横には、もう一つ。**師匠ゲンゾウの古い金槌でしか残せない、一見すると傷にしか見えない微細な「印」**が、かすかに刻まれていた。

加賀谷は、誰にも聞こえない声で呟いた。 「これは犯罪だ。だが、この印は、古い誇りが新しい才能を認めた証だ。……逃亡者を追う前に、俺はまず、この偽物を**『真の芸術品』**として守らなければならない」

彼は、金シャチの輝きを見つめ、彼らが残した大義と、師弟の絆の深さに、静かに敬意を払った。

その日以来、多くの観光客が、かつてよりも明るく、何かを訴えかけてくるような金鯱の輝きに、静かに見惚れるようになったという。

エピローグの余韻

なお、盗まれた金鯱の行方は、いまだに謎である。ただ、とある山間の古い鍛冶場の床下から、創建当時の完璧な設計図通りに再生される日を待っているかのように、厳重に保管されていたという噂が、まことしやかに囁かれている。