最愛の祖母を亡くしてから、もうすぐ十日が過ぎようとしている。
佐久間紬は、今日も泣いて過ごしていた。
部屋に飾った祖母、さわの写真を見つめて抱きしめては、感極まって勝手に涙が溢れてくるのだ。
ついこの間まで、とても元気だった祖母。
常に好奇心旺盛で、行動的で、いつ見ても活き活きとしていた。
多国籍な料理にチャレンジしたり、庭でハーブや花を育てたり、編み物をしたり、友達と温泉旅行へ出かけたり。本も沢山読んでいた。一体そんな時間がいつあるのか……と不思議に思うほど、いろんな趣味に時間を費やしているような人であった。
そんな祖母の最期は、実に唐突で呆気なかった。
病気が見つかってから、二ヶ月も経たない旅立ちであった。
あの元気な祖母のことだから、治療してすぐに元気になって退院するだろう。そんな風に、勝手に決めつけていた自分を責めた。
もっとお見舞いに行けばよかった。おばあちゃん家に遊びに行けば良かった。三毛猫のマロンも連れて行ってあげれば良かった。後悔は渾渾と溢れ出してくる。
葬儀で思い切り泣き、しっかりとお別れをしたつもりでいたが、思い出すたび涙はとめどなく流れ出る。
学校から寄り道もせず帰宅し、それからはずっと祖母の写真と共に過ごしている紬であった。
「おばあちゃんのご飯、また食べたいな」
何故、教えてもらわなかったのだろうと後悔しても仕方がないのは分かっている。教えてもらったところで、料理の苦手な紬に同じ味が作れる自信もない。
当たり前に食べていた祖母のご飯の数々……。
悲しいはずなのに、想像すると理不尽なほどお腹が減るのだった。
「家に行ってみようかな」
紬は思い立って祖母の家に行ってみることにした。
いつまでも部屋で篭っていられない。それに、祖母のことだからレシピのメモが残っているかもしれないと考えたのだ。
涙を拭いて薄めのアウターを羽織ると、カバンを斜め掛けにし、部屋を出た。
自転車を出し、門を出ようとしたところ、ポストに手紙が入っているのが見えた。別に帰ってきてからでもよかったのだが、ふと気になって抜き取った。
『佐久間紬様』とだけ書かれてある、シンプルな白い封筒。誰かが直接ポストに投函したようだ。丁寧な字で書かれているが、紬の知り合いにこんな筆跡の人はいない。
一体誰だろうか。
裏に向けると『最期の晩餐カフェ』と書かれていた。
「なにこれ、気持ち悪い」
肩がぞくりと戦慄く。
イタズラにしても酷い。このまま警察に持っていくべきか、それとも見なかったフリをして捨てようか。
それにしても高級な紙質の封筒。まるで結婚式の招待状のような厚み。イタズラでこんなにもこだわるのも変だと思い、恐る恐るシールを剥がす。シーリングワックスのシールには、どうやらこのカフェのマークのような、猫の顔の模様が施されている。マロンに似ていると思い、少しは恐怖心が和らいだ。
中には緑と濃紺の細いリボンの付いた、二つ折りのカードが入っていた。広げると、一番上にはやはり『佐久間紬様』と書かれてある。
重要なのは、その内容だ。
「なになに? 大切な人と、最後の時間を過ごしませんか? この度は宮代さわ様からのご依頼で、紬様を最期の晩餐カフェへ招待する運びとなりました。……って、おばあちゃんの名前じゃない!!」
なんでこの手紙の差出人は、祖母の名前を知っているのだろうか。再び腕が粟立つのを感じながら、続きに目を通す。
「最後の晩餐カフェは亡くなられた方の依頼により、指定された日、その時間にのみ開店いたします。そして今回、宮代様が最後に会いたいと指名されたのが、紬様、あなたです。当日のメニューと、カフェの地図を同封しておきます。是非お越しくださいませ」
カードの下に重なっていた別紙を見ると、そこに書かれていたメニューはまさに祖母の得意料理であった。
「ビーフロールに三種のチーズのキッシュ、ポトフに麹あんこのフルーツ大福!? 本当に、おばあちゃんなの?」
地図を見ると、隣町にある教会を指している。
紬も祖母もキリスト教とは無縁であるから、きっとこの差出人の関係なのだろうと考えた。
指定された日は三日後。
「どうしよう。イタズラにしては手が込みすぎている。誰かが、私を励ますためにしてくれたのかな」
その手紙を捨てるわけにもいかず、紬はカバンにそっとしまい、今度こそ自転車に跨ると少し離れた所にある祖母の家へと向かった。
祖父は早くに亡くなり、紬は殆ど記憶にない。祖母は一人でそこに住んでいて、今後その家がどうなるのかさえ、紬には分からない。思い出が沢山詰まった祖母の家。何か持って帰れるものがあれば貰って帰ろうと考えた。
鍵を開け中に入ると、花瓶の花は既に枯れていて、中の水も干からびて空だった。
居間も台所も、祖母が使っていた頃のまま。
綺麗に整頓された調味料やいろんな種類の鍋。お皿にも祖母のセンスが感じられる。
棚の一つにレシピ本があるのを見つけ、一冊ずつ取り出して中をパラパラと見てみると、いくつか紬も見覚えのある料理が掲載されていた。
しかし、最後の晩餐カフェのメニューにもなっていたレシピはどこにもない。もしかすると、あれは祖母のオリジナルだったのかもしれないと思った。
それなら、ますますあの手紙の信憑性が上がるというものだ。祖母と一緒にご飯を食べると書かれていたが、それはきっと嘘だろう。亡くなった人になど会えるわけがない。それでも、もしも本当にあのご飯が食べられるなら、騙されたフリをして行ってみるのも良いと思うようになっていた。怪しそうだったら逃げ帰ればいい。
きっと、自分で作るよりはまともなものが食べられそうな気もする……というのも本音としてあった。
いやしかし……思い出のご飯で紬を誘き寄せようとしているという可能性もある。
確かにご飯は魅力的だが、不信感は消えない。結局、考えるほどに気持ちはあやふやになり、答えを導き出せなかった。
三日後だから、三日悩める。紬はレシピ本を棚に戻し、庭に出て花やハーブに水を撒く。
「さぁ、暗くなる前に帰ろう」
また庭の手入れくらいはしに来ようと思いながら、家路に着く。自室で篭って泣いているより、ずっとか気が晴れた。
帰宅後、部屋に入ると再び手紙を取り出し眺める。
「時間が十七時かぁ。学校の後、急いで帰って着替えて……自転車で行けば充分間に合うなぁ」
そんな時間さえも計算されているように感じる。
そもそもこの手紙自体、家のポストに入っていたのだ。最初から紬の家を知っていたということだ。
「本当に、誰なんだろう……」
封筒やカードを何度もひっくり返して見ても、差出人の名前が書かれていない。
得体の知れない恐さを感じつつ、その手紙は、誰にも見つからないよう手帳に挟んでカバンに入れた。
佐久間紬は、今日も泣いて過ごしていた。
部屋に飾った祖母、さわの写真を見つめて抱きしめては、感極まって勝手に涙が溢れてくるのだ。
ついこの間まで、とても元気だった祖母。
常に好奇心旺盛で、行動的で、いつ見ても活き活きとしていた。
多国籍な料理にチャレンジしたり、庭でハーブや花を育てたり、編み物をしたり、友達と温泉旅行へ出かけたり。本も沢山読んでいた。一体そんな時間がいつあるのか……と不思議に思うほど、いろんな趣味に時間を費やしているような人であった。
そんな祖母の最期は、実に唐突で呆気なかった。
病気が見つかってから、二ヶ月も経たない旅立ちであった。
あの元気な祖母のことだから、治療してすぐに元気になって退院するだろう。そんな風に、勝手に決めつけていた自分を責めた。
もっとお見舞いに行けばよかった。おばあちゃん家に遊びに行けば良かった。三毛猫のマロンも連れて行ってあげれば良かった。後悔は渾渾と溢れ出してくる。
葬儀で思い切り泣き、しっかりとお別れをしたつもりでいたが、思い出すたび涙はとめどなく流れ出る。
学校から寄り道もせず帰宅し、それからはずっと祖母の写真と共に過ごしている紬であった。
「おばあちゃんのご飯、また食べたいな」
何故、教えてもらわなかったのだろうと後悔しても仕方がないのは分かっている。教えてもらったところで、料理の苦手な紬に同じ味が作れる自信もない。
当たり前に食べていた祖母のご飯の数々……。
悲しいはずなのに、想像すると理不尽なほどお腹が減るのだった。
「家に行ってみようかな」
紬は思い立って祖母の家に行ってみることにした。
いつまでも部屋で篭っていられない。それに、祖母のことだからレシピのメモが残っているかもしれないと考えたのだ。
涙を拭いて薄めのアウターを羽織ると、カバンを斜め掛けにし、部屋を出た。
自転車を出し、門を出ようとしたところ、ポストに手紙が入っているのが見えた。別に帰ってきてからでもよかったのだが、ふと気になって抜き取った。
『佐久間紬様』とだけ書かれてある、シンプルな白い封筒。誰かが直接ポストに投函したようだ。丁寧な字で書かれているが、紬の知り合いにこんな筆跡の人はいない。
一体誰だろうか。
裏に向けると『最期の晩餐カフェ』と書かれていた。
「なにこれ、気持ち悪い」
肩がぞくりと戦慄く。
イタズラにしても酷い。このまま警察に持っていくべきか、それとも見なかったフリをして捨てようか。
それにしても高級な紙質の封筒。まるで結婚式の招待状のような厚み。イタズラでこんなにもこだわるのも変だと思い、恐る恐るシールを剥がす。シーリングワックスのシールには、どうやらこのカフェのマークのような、猫の顔の模様が施されている。マロンに似ていると思い、少しは恐怖心が和らいだ。
中には緑と濃紺の細いリボンの付いた、二つ折りのカードが入っていた。広げると、一番上にはやはり『佐久間紬様』と書かれてある。
重要なのは、その内容だ。
「なになに? 大切な人と、最後の時間を過ごしませんか? この度は宮代さわ様からのご依頼で、紬様を最期の晩餐カフェへ招待する運びとなりました。……って、おばあちゃんの名前じゃない!!」
なんでこの手紙の差出人は、祖母の名前を知っているのだろうか。再び腕が粟立つのを感じながら、続きに目を通す。
「最後の晩餐カフェは亡くなられた方の依頼により、指定された日、その時間にのみ開店いたします。そして今回、宮代様が最後に会いたいと指名されたのが、紬様、あなたです。当日のメニューと、カフェの地図を同封しておきます。是非お越しくださいませ」
カードの下に重なっていた別紙を見ると、そこに書かれていたメニューはまさに祖母の得意料理であった。
「ビーフロールに三種のチーズのキッシュ、ポトフに麹あんこのフルーツ大福!? 本当に、おばあちゃんなの?」
地図を見ると、隣町にある教会を指している。
紬も祖母もキリスト教とは無縁であるから、きっとこの差出人の関係なのだろうと考えた。
指定された日は三日後。
「どうしよう。イタズラにしては手が込みすぎている。誰かが、私を励ますためにしてくれたのかな」
その手紙を捨てるわけにもいかず、紬はカバンにそっとしまい、今度こそ自転車に跨ると少し離れた所にある祖母の家へと向かった。
祖父は早くに亡くなり、紬は殆ど記憶にない。祖母は一人でそこに住んでいて、今後その家がどうなるのかさえ、紬には分からない。思い出が沢山詰まった祖母の家。何か持って帰れるものがあれば貰って帰ろうと考えた。
鍵を開け中に入ると、花瓶の花は既に枯れていて、中の水も干からびて空だった。
居間も台所も、祖母が使っていた頃のまま。
綺麗に整頓された調味料やいろんな種類の鍋。お皿にも祖母のセンスが感じられる。
棚の一つにレシピ本があるのを見つけ、一冊ずつ取り出して中をパラパラと見てみると、いくつか紬も見覚えのある料理が掲載されていた。
しかし、最後の晩餐カフェのメニューにもなっていたレシピはどこにもない。もしかすると、あれは祖母のオリジナルだったのかもしれないと思った。
それなら、ますますあの手紙の信憑性が上がるというものだ。祖母と一緒にご飯を食べると書かれていたが、それはきっと嘘だろう。亡くなった人になど会えるわけがない。それでも、もしも本当にあのご飯が食べられるなら、騙されたフリをして行ってみるのも良いと思うようになっていた。怪しそうだったら逃げ帰ればいい。
きっと、自分で作るよりはまともなものが食べられそうな気もする……というのも本音としてあった。
いやしかし……思い出のご飯で紬を誘き寄せようとしているという可能性もある。
確かにご飯は魅力的だが、不信感は消えない。結局、考えるほどに気持ちはあやふやになり、答えを導き出せなかった。
三日後だから、三日悩める。紬はレシピ本を棚に戻し、庭に出て花やハーブに水を撒く。
「さぁ、暗くなる前に帰ろう」
また庭の手入れくらいはしに来ようと思いながら、家路に着く。自室で篭って泣いているより、ずっとか気が晴れた。
帰宅後、部屋に入ると再び手紙を取り出し眺める。
「時間が十七時かぁ。学校の後、急いで帰って着替えて……自転車で行けば充分間に合うなぁ」
そんな時間さえも計算されているように感じる。
そもそもこの手紙自体、家のポストに入っていたのだ。最初から紬の家を知っていたということだ。
「本当に、誰なんだろう……」
封筒やカードを何度もひっくり返して見ても、差出人の名前が書かれていない。
得体の知れない恐さを感じつつ、その手紙は、誰にも見つからないよう手帳に挟んでカバンに入れた。



