「彷徨お前、けっこうあの一年生に絆されてるよな」
「あ?」
突然投げられた言葉に顔をしかめた。
多分こいつが言っているのは、あの駄犬である橋爪について。一瞬表情を歪ませたのをそいつは見逃さず図星だな、なんて笑いながら顔を近づけてきた。
「どうなんだよ、ぶっちゃけ」
「だからなんの話だよ、絆されたとかどうとか」
「……まじで無自覚なやつだこれ」
呆れたように投げられた言葉に顔をしかめると、横で聞いてた他の奴らも見世物小屋のように集まってきてしまう。
「お前、本当にクズ男って呼ばれている癖にそういうところ鈍いよな」
「おう、喧嘩なら買ってやろうか」
冗談だろと笑っているがそうとは思えない。じっと睨んでも対したダメージにはならなかったらしく、手に持っていた菓子パンをかじりながら視線を持ち上げた。なにかいつもと違うと思えば、そう。
「そういえば、あいつこないな……」
時計に目を向けて顔をしかめる。
昼休みは移動教室だろうと決まって顔を出していた橋爪の姿はどこにもなく、ただ普段よりも静かな時間が流れている。菓子パンをかじりながら廊下に目を向けてもくる気配は一向になくて、つい顔をしかめた。
別にあいつが勝手にきていただけで、それだけの話で。
オレとしたら願ったりかなったりのはずなのにどこか物足りなさを感じてしまう。
「いや違う、ただハンカチを返したいんだよオレは」
「おい、彷徨の奴がイマジナリー後輩と喋り始めたぞ」
「喋ってねえ」
気を抜けば橋爪の事を考えているみたいで、なんだか女々しいオレが一番嫌だった。
「…………」
「彷徨どっか行くのか?」
「ちょっとそこら辺」
自然と身体は動いていた。
ふらりと立ち上がり廊下へ出ると、迷う事なく近くにあった階段を上がっていく。
「確か、こっちだったな」
他学年に顔を出す理由なんてそうあるわけじゃない、去年は一年間通ったはずの階すら忘れてしまっていたからなんとか記憶を手繰り寄せた。一つ上の階、そこから二個空き教室を越えた先。一年の教室が並ぶそこに差し掛かると、手前の教室から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ここか……」
思えば、橋爪がクラスでどんな奴なのかを知らない。だから少し、ほんの少しだけ気になってしまった。廊下にいた一年生達の視線は気になったが恐る恐る声がした教室を覗き込むとそこにいたのは嫌というほど見た……けどオレには絶対向けない、少し気だるげな表情と少し低い声だった。
「若羽今日の帰りカラオケ行こうよ」
「あー、ちょっと今日は用事が」
「とか言いつつ、若羽くん全然付き合ってくれないじゃん。一回行こうよ!」
「また今度な」
「っ……」
見えた、見てしまった。
無意識に息を飲んだ自分はやけに女々しかったと思う。
視線の先には橋爪がいて、オレの知っている橋爪じゃなくて。けど、それだけじゃない気がする。この胸のざわつきは、このくすんだ感情はどこからきているのか。名前の知らない感情が、腹の底に居座っている。
確かに、悔しいけど顔はいいと思う。
異性から見ればきっとイケメンってやつに橋爪は入るはずだ。だから誰かに言い寄られるのだって、当然でありなにも不思議ではないのに。
「……なんだろ」
胸の奥が、苦しいのは。
寂しさと苦しさをミキサーで混ぜたような、見えない壁があるような。
気づくと足は無意識に後退りをしている。見なかった事に、なかった事にするために。感情も言葉も全部飲み込んだはずなのに、それを許さないのが橋爪若羽という男だ。
「かなたセンパイ!」
「げ……」
こいつ、気づくのが早すぎる。
さっきまでの気だるげな表情はどこかへ置いてきたのか、普段と変わらない駄犬の顔をオレに向けてきた。
「一年のとこにくるなんて珍しいですね、もしかして僕に会いにきてくれたんですか?」
「自惚れすんな、たまたま通りかかって……それで、この前のハンカチ返さなきゃなと思っただけだ」
視線を逸らしながら、しどろもどろな言葉を紡ぐ。
我ながら適当すぎる誤魔化しだったと思う。
それでも橋爪は嬉しそうに笑って、ありがとうございますなんて検討違いなお礼を口にしていた。
「センパイお昼まだですか? 僕今から購買行くので御一緒しません?」
「悪いけど、もう菓子パン食ったよ」
「ならセンパイを眺めながら食べます」
やっぱりくるべきではなかったかもしれない。
さっきまでの気だるげな顔は跡形もなく消え去り、ニヘラと笑う顔はさながら飼い主を見る大型犬だ。
なにを言ったところでこいつが着いてくるのは目に見えてわかっていて、肩を落としながらも健気に後ろを歩く橋爪を見やる。
けど、それよりどうしても気になるのはオレを突き刺す冷ややかな視線達だ。あまりいいものではないそれはオレだけに向けられていて、声を潜めて……いや、潜めたふりをしながらわざと聞かせるような声でオレの事を話していた。
「あの先輩でしょ、谷垣先輩」
「聞いた事あるよ、二年の先輩達を女とか男関係なくとっかえひっかえしているって」
「いや、それはさすがに言いすぎだろ」
さすがに笑ってしまった、そこまでオレも雑食ではない。
かなり話に対して背びれ尾びれがついている気がしたが、言葉は飲み込んだ。そう言われるのはオレが撒いた種であり、文句が言える立場ではないから。
慣れていた、傷ついてもいない。
けどそれを許さないのは、この詰めの甘い大型犬だ。
「なぁ、センパイのなにを知ってそんな事言ってるわけ?」
「おい、いいって」
咄嗟に止めたがエンジンはかかったままだ。
ぐるる、と喉を奥を鳴らした橋爪にクラスの奴らは一瞬肩を揺らしていたが、それでも橋爪の圧に気づいていないのか言葉から出る悪意は溢れ続けていた。
「若羽も騙されてるんだよきっと、いつか食べられちゃうよ?」
「そんな言い方!」
「いい、やめろ橋爪」
前のめりになった橋爪の首根っこを思いっきり引っ張ってやる。多少苦しげな声は聞こえたが、聞こえないふりをしていいだろ、と言葉を投げかける。不服そうではあったが話は聞いてくれたようで、小さく頷く。けど腹の底は燻ったままのようでじろりと教室を睨みつけていた。
「そんな知らない相手の噂を、本人が聞こえるところで言うなんて性格どうにかしてるよ」
「こら橋爪、やめとけ」
後頭部を叩いてやると、ムッとした顔をオレに向けてきた。
「……行きましょう、かなたセンパイ」
「ちょ、おい橋爪っ」
強引に手を引かれて、その場を後にする。
歩幅の大きい橋爪に着いていくには足がもつれそうで、その動き一つでこいつがいつもオレに合わせてくれていたのだとわかった。
「橋爪、止まれって」
「…………」
声は届いていない。
ただ据わった目で前を睨みつけて、早足で進んでいく。
「止まれって、言ってんだよ!」
負けじと階段の踊り場で手を引くと、ほんの少し橋爪の足がもつれる。それを見逃さず距離を詰めると、ネクタイを引っ張りながら顔を引き寄せた。
「若羽、一旦止まれ」
「っ……!」
呼吸も視線も、心臓の音も重なる距離で。
ほんの一瞬だけ橋爪の瞳が揺れた気がした。
「オレが気にしてないんだ、落ち着け」
その一言でじゅうぶんだったらしい。
据わっていた目にはハッキリとオレを映して、苦しそうに表情を歪める橋爪がいた。
「せん、ぱい……」
「ほら、オレは大丈夫だから」
笑ってやると、橋爪の表情が苦しそうに歪む。掴んでいた手をゆっくり、縋るように両手で包み込んできた。
「すみません、センパイ止めてくれたのに」
「いいって、オレも悪かった。もうこっちにはこねえよ」
「嫌だ、きてください。毎日でも会いたいです」
「わがままかよ」
今ここで突き放すほどオレも薄情ではない。
笑いながら顔を覗き込んでやってもその表情は晴れなくて、橋爪、と優しく名前を呼んでやる。
「別に、そんなカリカリすんな」
「センパイが悪く言われるのは、僕が嫌です」
はっきりと、力強く首を横に振られる。
「あの子達も嘘は言ってない、オレは色んな相手と付き合ったしそれなりの修羅場だってあった……だから、オレは後ろ指を刺されても文句は言えないんだよ」
「けど、そんなの!」
「オレがいいって言ってんだからいいんだよ、聞き分けろって」
とっかえひっかえしたつもりはないけど、きっとそう見えるから。
別に誰でもよかったわけじゃない、誰かと付き合いたかったわけでもない。きっとオレは居場所がほしかったんだ。あの時後ろ指をさされたのを忘れられるような、真綿で包んでくれるような居場所が。ただそれだけでそれ以上でもない、安直な居場所探しをしていただけなんだ。
「実際、二股だったり修羅場だったり色々あった……それはこの先も言われるに決まってる」
だから大丈夫だと、そう言うつもりだった。
けどこいつは、橋爪の奴はそうもいかないらしい。ずっとオレの手を包み込んでいた橋爪の指先に力がこもる。まるで逃がさないと言っているようで、その熱を孕んだ視線はオレだけに向けられていた。
「じゃあ、僕をセンパイの最後にしてください」
しっかりと、一文字ずつ。
オレに聞き逃されないように紡がれた言葉は、オレだけに向けられたものだった。
「最後って……」
「センパイがキスをするのも触れるのも、その先も……センパイの初めてはもらえないけど、センパイの最後は僕でありたいです」
だめですか、なんて言いながらこてんと首をかしげられるとなにも言えない。さながら犬だ、ご主人様の言いつけを守りながらも褒められるのを待っている犬のようで。押し負けそうになったのをなんとか飲み込んで、作り笑いを貼りつけた。
「なにお前、口説いてるつもりか?」
「もちろん」
まっすぐな視線に射抜かれたら、またなにも言えない。
その瞳だけでバカみたいに心臓は暴れていた。嘘偽りのない言葉がオレを貫いて、こいつにじわりと堕ちていくような感覚だ。
「さぁ、どうしような?」
けど安売りはしなかった。
もう一度ネクタイを引っ張ってやると、耳元に息を吹きかける。途端に橋爪の身体があからさまに揺れて指先からも力が抜けるから、するりと手から逃げ出して一歩後ろに下がった。
「センパイ……!」
「ふは、まだまだ詰めが甘いんだよ橋爪は」
階段を降りながら手だけを振ってやる、顔は絶対後ろに見せない。
「っ……最後、か」
違う、誤魔化しただけだ。
詰めが甘いんじゃない、オレが絆されそうになったから。けどそれを怖いと思ったオレが一番臆病で、早く逃げ出したかった。
「顔、熱っつい」
両手で顔を隠しても、その熱はじわりと伝わってくる。
心を許すのが、たまらなく怖いんだ。
けどこいつになら委ねてもなんて甘い考えが過ぎったオレが一番ダサくて、間抜けな顔を見られたくなかった。
そう言ってやればこいつは、橋爪若羽はオレを軽蔑してくれるだろうか。
「あ?」
突然投げられた言葉に顔をしかめた。
多分こいつが言っているのは、あの駄犬である橋爪について。一瞬表情を歪ませたのをそいつは見逃さず図星だな、なんて笑いながら顔を近づけてきた。
「どうなんだよ、ぶっちゃけ」
「だからなんの話だよ、絆されたとかどうとか」
「……まじで無自覚なやつだこれ」
呆れたように投げられた言葉に顔をしかめると、横で聞いてた他の奴らも見世物小屋のように集まってきてしまう。
「お前、本当にクズ男って呼ばれている癖にそういうところ鈍いよな」
「おう、喧嘩なら買ってやろうか」
冗談だろと笑っているがそうとは思えない。じっと睨んでも対したダメージにはならなかったらしく、手に持っていた菓子パンをかじりながら視線を持ち上げた。なにかいつもと違うと思えば、そう。
「そういえば、あいつこないな……」
時計に目を向けて顔をしかめる。
昼休みは移動教室だろうと決まって顔を出していた橋爪の姿はどこにもなく、ただ普段よりも静かな時間が流れている。菓子パンをかじりながら廊下に目を向けてもくる気配は一向になくて、つい顔をしかめた。
別にあいつが勝手にきていただけで、それだけの話で。
オレとしたら願ったりかなったりのはずなのにどこか物足りなさを感じてしまう。
「いや違う、ただハンカチを返したいんだよオレは」
「おい、彷徨の奴がイマジナリー後輩と喋り始めたぞ」
「喋ってねえ」
気を抜けば橋爪の事を考えているみたいで、なんだか女々しいオレが一番嫌だった。
「…………」
「彷徨どっか行くのか?」
「ちょっとそこら辺」
自然と身体は動いていた。
ふらりと立ち上がり廊下へ出ると、迷う事なく近くにあった階段を上がっていく。
「確か、こっちだったな」
他学年に顔を出す理由なんてそうあるわけじゃない、去年は一年間通ったはずの階すら忘れてしまっていたからなんとか記憶を手繰り寄せた。一つ上の階、そこから二個空き教室を越えた先。一年の教室が並ぶそこに差し掛かると、手前の教室から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ここか……」
思えば、橋爪がクラスでどんな奴なのかを知らない。だから少し、ほんの少しだけ気になってしまった。廊下にいた一年生達の視線は気になったが恐る恐る声がした教室を覗き込むとそこにいたのは嫌というほど見た……けどオレには絶対向けない、少し気だるげな表情と少し低い声だった。
「若羽今日の帰りカラオケ行こうよ」
「あー、ちょっと今日は用事が」
「とか言いつつ、若羽くん全然付き合ってくれないじゃん。一回行こうよ!」
「また今度な」
「っ……」
見えた、見てしまった。
無意識に息を飲んだ自分はやけに女々しかったと思う。
視線の先には橋爪がいて、オレの知っている橋爪じゃなくて。けど、それだけじゃない気がする。この胸のざわつきは、このくすんだ感情はどこからきているのか。名前の知らない感情が、腹の底に居座っている。
確かに、悔しいけど顔はいいと思う。
異性から見ればきっとイケメンってやつに橋爪は入るはずだ。だから誰かに言い寄られるのだって、当然でありなにも不思議ではないのに。
「……なんだろ」
胸の奥が、苦しいのは。
寂しさと苦しさをミキサーで混ぜたような、見えない壁があるような。
気づくと足は無意識に後退りをしている。見なかった事に、なかった事にするために。感情も言葉も全部飲み込んだはずなのに、それを許さないのが橋爪若羽という男だ。
「かなたセンパイ!」
「げ……」
こいつ、気づくのが早すぎる。
さっきまでの気だるげな表情はどこかへ置いてきたのか、普段と変わらない駄犬の顔をオレに向けてきた。
「一年のとこにくるなんて珍しいですね、もしかして僕に会いにきてくれたんですか?」
「自惚れすんな、たまたま通りかかって……それで、この前のハンカチ返さなきゃなと思っただけだ」
視線を逸らしながら、しどろもどろな言葉を紡ぐ。
我ながら適当すぎる誤魔化しだったと思う。
それでも橋爪は嬉しそうに笑って、ありがとうございますなんて検討違いなお礼を口にしていた。
「センパイお昼まだですか? 僕今から購買行くので御一緒しません?」
「悪いけど、もう菓子パン食ったよ」
「ならセンパイを眺めながら食べます」
やっぱりくるべきではなかったかもしれない。
さっきまでの気だるげな顔は跡形もなく消え去り、ニヘラと笑う顔はさながら飼い主を見る大型犬だ。
なにを言ったところでこいつが着いてくるのは目に見えてわかっていて、肩を落としながらも健気に後ろを歩く橋爪を見やる。
けど、それよりどうしても気になるのはオレを突き刺す冷ややかな視線達だ。あまりいいものではないそれはオレだけに向けられていて、声を潜めて……いや、潜めたふりをしながらわざと聞かせるような声でオレの事を話していた。
「あの先輩でしょ、谷垣先輩」
「聞いた事あるよ、二年の先輩達を女とか男関係なくとっかえひっかえしているって」
「いや、それはさすがに言いすぎだろ」
さすがに笑ってしまった、そこまでオレも雑食ではない。
かなり話に対して背びれ尾びれがついている気がしたが、言葉は飲み込んだ。そう言われるのはオレが撒いた種であり、文句が言える立場ではないから。
慣れていた、傷ついてもいない。
けどそれを許さないのは、この詰めの甘い大型犬だ。
「なぁ、センパイのなにを知ってそんな事言ってるわけ?」
「おい、いいって」
咄嗟に止めたがエンジンはかかったままだ。
ぐるる、と喉を奥を鳴らした橋爪にクラスの奴らは一瞬肩を揺らしていたが、それでも橋爪の圧に気づいていないのか言葉から出る悪意は溢れ続けていた。
「若羽も騙されてるんだよきっと、いつか食べられちゃうよ?」
「そんな言い方!」
「いい、やめろ橋爪」
前のめりになった橋爪の首根っこを思いっきり引っ張ってやる。多少苦しげな声は聞こえたが、聞こえないふりをしていいだろ、と言葉を投げかける。不服そうではあったが話は聞いてくれたようで、小さく頷く。けど腹の底は燻ったままのようでじろりと教室を睨みつけていた。
「そんな知らない相手の噂を、本人が聞こえるところで言うなんて性格どうにかしてるよ」
「こら橋爪、やめとけ」
後頭部を叩いてやると、ムッとした顔をオレに向けてきた。
「……行きましょう、かなたセンパイ」
「ちょ、おい橋爪っ」
強引に手を引かれて、その場を後にする。
歩幅の大きい橋爪に着いていくには足がもつれそうで、その動き一つでこいつがいつもオレに合わせてくれていたのだとわかった。
「橋爪、止まれって」
「…………」
声は届いていない。
ただ据わった目で前を睨みつけて、早足で進んでいく。
「止まれって、言ってんだよ!」
負けじと階段の踊り場で手を引くと、ほんの少し橋爪の足がもつれる。それを見逃さず距離を詰めると、ネクタイを引っ張りながら顔を引き寄せた。
「若羽、一旦止まれ」
「っ……!」
呼吸も視線も、心臓の音も重なる距離で。
ほんの一瞬だけ橋爪の瞳が揺れた気がした。
「オレが気にしてないんだ、落ち着け」
その一言でじゅうぶんだったらしい。
据わっていた目にはハッキリとオレを映して、苦しそうに表情を歪める橋爪がいた。
「せん、ぱい……」
「ほら、オレは大丈夫だから」
笑ってやると、橋爪の表情が苦しそうに歪む。掴んでいた手をゆっくり、縋るように両手で包み込んできた。
「すみません、センパイ止めてくれたのに」
「いいって、オレも悪かった。もうこっちにはこねえよ」
「嫌だ、きてください。毎日でも会いたいです」
「わがままかよ」
今ここで突き放すほどオレも薄情ではない。
笑いながら顔を覗き込んでやってもその表情は晴れなくて、橋爪、と優しく名前を呼んでやる。
「別に、そんなカリカリすんな」
「センパイが悪く言われるのは、僕が嫌です」
はっきりと、力強く首を横に振られる。
「あの子達も嘘は言ってない、オレは色んな相手と付き合ったしそれなりの修羅場だってあった……だから、オレは後ろ指を刺されても文句は言えないんだよ」
「けど、そんなの!」
「オレがいいって言ってんだからいいんだよ、聞き分けろって」
とっかえひっかえしたつもりはないけど、きっとそう見えるから。
別に誰でもよかったわけじゃない、誰かと付き合いたかったわけでもない。きっとオレは居場所がほしかったんだ。あの時後ろ指をさされたのを忘れられるような、真綿で包んでくれるような居場所が。ただそれだけでそれ以上でもない、安直な居場所探しをしていただけなんだ。
「実際、二股だったり修羅場だったり色々あった……それはこの先も言われるに決まってる」
だから大丈夫だと、そう言うつもりだった。
けどこいつは、橋爪の奴はそうもいかないらしい。ずっとオレの手を包み込んでいた橋爪の指先に力がこもる。まるで逃がさないと言っているようで、その熱を孕んだ視線はオレだけに向けられていた。
「じゃあ、僕をセンパイの最後にしてください」
しっかりと、一文字ずつ。
オレに聞き逃されないように紡がれた言葉は、オレだけに向けられたものだった。
「最後って……」
「センパイがキスをするのも触れるのも、その先も……センパイの初めてはもらえないけど、センパイの最後は僕でありたいです」
だめですか、なんて言いながらこてんと首をかしげられるとなにも言えない。さながら犬だ、ご主人様の言いつけを守りながらも褒められるのを待っている犬のようで。押し負けそうになったのをなんとか飲み込んで、作り笑いを貼りつけた。
「なにお前、口説いてるつもりか?」
「もちろん」
まっすぐな視線に射抜かれたら、またなにも言えない。
その瞳だけでバカみたいに心臓は暴れていた。嘘偽りのない言葉がオレを貫いて、こいつにじわりと堕ちていくような感覚だ。
「さぁ、どうしような?」
けど安売りはしなかった。
もう一度ネクタイを引っ張ってやると、耳元に息を吹きかける。途端に橋爪の身体があからさまに揺れて指先からも力が抜けるから、するりと手から逃げ出して一歩後ろに下がった。
「センパイ……!」
「ふは、まだまだ詰めが甘いんだよ橋爪は」
階段を降りながら手だけを振ってやる、顔は絶対後ろに見せない。
「っ……最後、か」
違う、誤魔化しただけだ。
詰めが甘いんじゃない、オレが絆されそうになったから。けどそれを怖いと思ったオレが一番臆病で、早く逃げ出したかった。
「顔、熱っつい」
両手で顔を隠しても、その熱はじわりと伝わってくる。
心を許すのが、たまらなく怖いんだ。
けどこいつになら委ねてもなんて甘い考えが過ぎったオレが一番ダサくて、間抜けな顔を見られたくなかった。
そう言ってやればこいつは、橋爪若羽はオレを軽蔑してくれるだろうか。



