秋の足音が聞こえる風は、少しまだ痛みが残る頬を突き刺すように撫でていく。
廊下側後ろから二番目の席、隙間から入る風に顔をしかめていると教室に入ってきた奴らはオレの顔を見るなり状況を理解したのか面白そうに近寄ってくる。
「なんだよ彷徨、お前またやられたのか」
「漫画みたいに綺麗な手形が残ってんな」
「おい、見世物じゃないぞ」
ほんのり赤みを帯びた頬にも慣れたもので、それはオレだけじゃなくて周りから見ても同じ話だ。
「うちの学校イチのプレイボーイである谷垣彷徨様に手形を付けるとは、今回のはなかなかだったみたいだな」
「本当になぁ、てか彷徨またピアス増えた?」
「軟骨、気分だったし開けた」
「バチバチに開けても似合いやがって……ビジュアルはいいんだけどなこいつ」
褒めてるのか貶してるのかわからない言葉達を睨みつけてもこいつらは慣れているのか動じない。むしろ楽しそうに笑いながら、オレのヘーゼル色をした髪に隠れるピアスを覗き込んでいた。
「ここまでくると、プレイボーイ通り越してクズ男だけどな」
「聞こえてるぞ」
本人がなにも言わないからって、こいつら好き勝手言いやがって。
どれも間違っていないからなにも言えず睨みつけていると、ドタドタと廊下から重めの足音が聞こえる。まるで飼い主を見つけた犬のようで、その音の正体は見なくてもわかり教室にいたほとんどの奴がなぜかオレを見ている。
「……こっち見るな」
「いや、絶対あれ後輩くんでしょ」
「オレに後輩はいない」
「嘘つくなって」
眉間に皺を寄せながら首を振っても説得力がなくて、諦めの意味を込めて肩を落とす。
「かなたセンパイお見えですか!」
後輩ムーヴをかますくせに図体はオレ達二年よりもでかい大型犬。栗色の髪の向こうに光るアンバーの瞳は秋を押し固めたような存在で、その癖笑顔は夏の太陽みたいに眩しい。そいつが入ってきた瞬間室内温度が上がった気がして顔をしかめると、周りの奴らは面白そうにはやし立ててきた。
「またきた、彷徨の犬」
「本当にあいつ懐いてるよな」
「あんな犬拾った覚えないけどな」
「いや、絡まれていたのを助けるのはじゅうぶん拾ったんだよ」
「なんの話してたんです?」
「お前が犬って話」
「僕人間ですよ……?」
クソ真面目な顔をして首をかしげる辺り、だいぶん犬に近い動作だと思う。
橋爪若羽、一つ下の学年であるこいつは妙にオレに懐いているまさに犬のような男だ。
いつだったかと聞かれたらそう、一年生の入学式が終わってしばらく経った辺り。図体も存在もでかいからという単純な理由で三年生に目をつけられたこいつは、学校から駅までの途中で昔懐かしいカツアゲに合っていた。そしてそれを助けたのが、不本意ながらオレだった。
見てしまったから、見て見ぬふりをするのは後味が悪いから。たったそれだけで助けてやったこいつはこの一件が理由なのかオレに気があるらしく、事ある毎にアプローチをしてくるようになった。
ある時は犬のじゃれ合いで啄むようにキスをしたり。
ある時は恋をしている相手に触れるような指先でオレの頬を撫でたり。
どれもセンスはいいなずなのに、結局肝心なあと一押しがいつだって弱いこいつはきっと詰めが甘い部類の奴だろう。
けどその目は、アンバーの瞳は詰めが甘くても虎視眈々と獲物を狙っているようで。
それを同性だから嫌だとは思わないオレがいる辺り絆されているのか、それとも別の感情があるのか。
「っ……」
ただそれだけ、たったそれだけの話だ。
気まぐれに手を差し伸べてやった奴はしっぽを振りながらオレに懐いたようで、こうして暇さえあれば階の違う二年生の教室に顔を出すようになった。
そんな駄犬こと橋爪は今日もしっぽを振りながら――なにかに気づいた様子で目を細め、少しオレよりも骨ばった手を頬に添えてくる。ほんのり赤くなったそれを自分の事のように苦しそうな表情のまま撫でて、喉の奥から唸り声を零した。
「センパイ……誰ですか、こんな酷い痕をつけたのは」
「お前には関係ないだろ」
「関係あります」
「っ……」
アンバーの視線に射抜かれる。
なにも言い返せず喉を鳴らしながら、誤魔化すように立ち上がる。
「別に誰だっていいだろ」
「よくないです」
ムッとした顔を向けてくるそいつを横目に、逃げるように立ち上がると慌てた様子で橋爪もオレの後ろにくっついてきた。
「どこ行くんですか、センパイ」
「購買にジュース買いに行く」
「僕が買ってきますよ!」
「クズ男の次はカツアゲ男って呼ばれるだろ、いいって」
突き放してやってもこいつが雛鳥のように後ろを着いてくるのは変わらなくて、諦めて購買に向かう。昼休みだと言うのに人がまばらな自販機の前で立ち止まり電子マネーで適当な炭酸飲料を買ったがその間だってこいつは横にぴったりとくっついたままだ。オレはどうでもいいけど、ここまで一緒に着いてこられると心配になる。主に、こいつの人間関係について。
「お前、いい加減友達とかも大切にしろよ」
「ちゃんといるので大丈夫です」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
こいつ、オレといるという意味がわかっていない。
遠くから突き刺す周りからの視線に息を吐いて、ビシと橋爪を指さしてやる。オレが心配しているのは友達がいるかという事もだけど、それより先の話だ。
「そんなオレと四六時中一緒にいると、仲が良いって思われて友達減るぞ」
笑いながらも脅しをかけた。
クズ男と呼ばれている自覚はある、何人も女子生徒と付き合ったりもした。二股になったり元カノがヘラって警察沙汰手前が起きたのも珍しい話じゃない。けど全部、これはオレの話であって。それはこいつの、橋爪若羽には関係のない話だ。それなのにこいつがオレといるだけで後ろ指をさされる理由の一つになってしまうなら、それはそれであまり気分のいいものではない。
「かなたセンパイもしかして、僕の事心配してくださってます?」
そんなのじゃないと言いかけて言葉を飲み込んだ。本当にそうなのか、そうじゃないのか。他でもないオレ自身がオレを止めたような、そんな気がした。
「大丈夫ですセンパイ、ご心配なく」
「あ?」
話が繋がっておらず顔をしかめると、澄んだアンバーと視線がぶつかる。
「かなたセンパイがいれば、僕はそれだけでじゅうぶんです」
恥ずかしげもなく紡がれた言葉はオレをまっすぐに貫いた。羞恥とこいつに絶対バレたくない嬉しさは滲み出て、腹の中で混ざり合うような感覚。こういう奴だ、橋爪若羽という男は。散々アプローチしてくる時は詰めが甘いのに、呼吸をするようにオレを貫いてめちゃくちゃにしてくる。言葉一つで、指先一つですぐ主導権を奪っていく。その癖自覚がないのは厄介な話で心臓を抉る言葉を目の前に並べる。
だめだ、絶対この甘い言葉を聞いたら。
だめなのに、心臓がずっと暴れている。
少し、ほんの少しだけ。わずかでも勘違いしてしまいそうなオレがいて――それを、その先の事を勝手に考えて怯えているオレ自身を、なによりも許せない。
「お前がオレに向けているその感情は、多分勘違いだよ」
「違います、本当です」
誤魔化しで落とした言葉もすべて拾われた。
「少し優しくされて勘違いしてんだよ、お前にはもっといい人が現れるって」
そう言いながら、ペットボトルの蓋に手をかけた時だ。予期していなかったあまりにも軽快な音がオレに降ってきたのは。
「うあ!」
プシ、と派手な音を鳴らしながら飛び出したのは勢いのいい泡で間抜けに上擦った声と共にそれはどんどん外へ溢れていく。
「センパイ大丈夫ですか……!」
「あー、オレは大丈夫だけど勿体ない事したな……後はちょっと顔にかかったくらいだな」
「一大事ですよ!」
血相を変えてポケットからハンカチを出すと、オレから滴る水滴を丁寧に拭っていた。
「いや、拭かなくても」
「だめです、センパイが風邪ひいちゃいます」
綺麗に畳まれていたハンカチをオレに添えて優しく、諭すように笑っていた。まっすぐなアンバーがオレしか映してなくて、オレ達だけが世界から切り離される。こいつの瞳に閉じ込められたオレは間抜けな顔で目を丸くしていて、それだけでまた心臓の音はうるさい。
だめだ、間違えてはいけない。
咄嗟に追いついてきた判断の中で伸ばした手はハンカチをひったくった後で、なんとか平静を装いながらヒラヒラとハンカチを手の中で揺らした。
「これ、洗って返すから借りる」
「いいですって、そんな事しなくても」
「オレの気がすまねえの」
そう言ってやれば今度は嬉しそうに、幸せそうに橋爪は目を細める。
「センパイのそういう優しくて律儀なところも、僕は大好きです」
「はいはい、そうかも」
「信じてませんよね」
笑って返しても、こいつはムッとしたままだ。
早くオレみたいな悪い男には見切りをつけてほしいんだ。早く、この勘違いから解放してやりたい。
だってそうしないと、苦しくなるのはオレの方だから。
廊下側後ろから二番目の席、隙間から入る風に顔をしかめていると教室に入ってきた奴らはオレの顔を見るなり状況を理解したのか面白そうに近寄ってくる。
「なんだよ彷徨、お前またやられたのか」
「漫画みたいに綺麗な手形が残ってんな」
「おい、見世物じゃないぞ」
ほんのり赤みを帯びた頬にも慣れたもので、それはオレだけじゃなくて周りから見ても同じ話だ。
「うちの学校イチのプレイボーイである谷垣彷徨様に手形を付けるとは、今回のはなかなかだったみたいだな」
「本当になぁ、てか彷徨またピアス増えた?」
「軟骨、気分だったし開けた」
「バチバチに開けても似合いやがって……ビジュアルはいいんだけどなこいつ」
褒めてるのか貶してるのかわからない言葉達を睨みつけてもこいつらは慣れているのか動じない。むしろ楽しそうに笑いながら、オレのヘーゼル色をした髪に隠れるピアスを覗き込んでいた。
「ここまでくると、プレイボーイ通り越してクズ男だけどな」
「聞こえてるぞ」
本人がなにも言わないからって、こいつら好き勝手言いやがって。
どれも間違っていないからなにも言えず睨みつけていると、ドタドタと廊下から重めの足音が聞こえる。まるで飼い主を見つけた犬のようで、その音の正体は見なくてもわかり教室にいたほとんどの奴がなぜかオレを見ている。
「……こっち見るな」
「いや、絶対あれ後輩くんでしょ」
「オレに後輩はいない」
「嘘つくなって」
眉間に皺を寄せながら首を振っても説得力がなくて、諦めの意味を込めて肩を落とす。
「かなたセンパイお見えですか!」
後輩ムーヴをかますくせに図体はオレ達二年よりもでかい大型犬。栗色の髪の向こうに光るアンバーの瞳は秋を押し固めたような存在で、その癖笑顔は夏の太陽みたいに眩しい。そいつが入ってきた瞬間室内温度が上がった気がして顔をしかめると、周りの奴らは面白そうにはやし立ててきた。
「またきた、彷徨の犬」
「本当にあいつ懐いてるよな」
「あんな犬拾った覚えないけどな」
「いや、絡まれていたのを助けるのはじゅうぶん拾ったんだよ」
「なんの話してたんです?」
「お前が犬って話」
「僕人間ですよ……?」
クソ真面目な顔をして首をかしげる辺り、だいぶん犬に近い動作だと思う。
橋爪若羽、一つ下の学年であるこいつは妙にオレに懐いているまさに犬のような男だ。
いつだったかと聞かれたらそう、一年生の入学式が終わってしばらく経った辺り。図体も存在もでかいからという単純な理由で三年生に目をつけられたこいつは、学校から駅までの途中で昔懐かしいカツアゲに合っていた。そしてそれを助けたのが、不本意ながらオレだった。
見てしまったから、見て見ぬふりをするのは後味が悪いから。たったそれだけで助けてやったこいつはこの一件が理由なのかオレに気があるらしく、事ある毎にアプローチをしてくるようになった。
ある時は犬のじゃれ合いで啄むようにキスをしたり。
ある時は恋をしている相手に触れるような指先でオレの頬を撫でたり。
どれもセンスはいいなずなのに、結局肝心なあと一押しがいつだって弱いこいつはきっと詰めが甘い部類の奴だろう。
けどその目は、アンバーの瞳は詰めが甘くても虎視眈々と獲物を狙っているようで。
それを同性だから嫌だとは思わないオレがいる辺り絆されているのか、それとも別の感情があるのか。
「っ……」
ただそれだけ、たったそれだけの話だ。
気まぐれに手を差し伸べてやった奴はしっぽを振りながらオレに懐いたようで、こうして暇さえあれば階の違う二年生の教室に顔を出すようになった。
そんな駄犬こと橋爪は今日もしっぽを振りながら――なにかに気づいた様子で目を細め、少しオレよりも骨ばった手を頬に添えてくる。ほんのり赤くなったそれを自分の事のように苦しそうな表情のまま撫でて、喉の奥から唸り声を零した。
「センパイ……誰ですか、こんな酷い痕をつけたのは」
「お前には関係ないだろ」
「関係あります」
「っ……」
アンバーの視線に射抜かれる。
なにも言い返せず喉を鳴らしながら、誤魔化すように立ち上がる。
「別に誰だっていいだろ」
「よくないです」
ムッとした顔を向けてくるそいつを横目に、逃げるように立ち上がると慌てた様子で橋爪もオレの後ろにくっついてきた。
「どこ行くんですか、センパイ」
「購買にジュース買いに行く」
「僕が買ってきますよ!」
「クズ男の次はカツアゲ男って呼ばれるだろ、いいって」
突き放してやってもこいつが雛鳥のように後ろを着いてくるのは変わらなくて、諦めて購買に向かう。昼休みだと言うのに人がまばらな自販機の前で立ち止まり電子マネーで適当な炭酸飲料を買ったがその間だってこいつは横にぴったりとくっついたままだ。オレはどうでもいいけど、ここまで一緒に着いてこられると心配になる。主に、こいつの人間関係について。
「お前、いい加減友達とかも大切にしろよ」
「ちゃんといるので大丈夫です」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
こいつ、オレといるという意味がわかっていない。
遠くから突き刺す周りからの視線に息を吐いて、ビシと橋爪を指さしてやる。オレが心配しているのは友達がいるかという事もだけど、それより先の話だ。
「そんなオレと四六時中一緒にいると、仲が良いって思われて友達減るぞ」
笑いながらも脅しをかけた。
クズ男と呼ばれている自覚はある、何人も女子生徒と付き合ったりもした。二股になったり元カノがヘラって警察沙汰手前が起きたのも珍しい話じゃない。けど全部、これはオレの話であって。それはこいつの、橋爪若羽には関係のない話だ。それなのにこいつがオレといるだけで後ろ指をさされる理由の一つになってしまうなら、それはそれであまり気分のいいものではない。
「かなたセンパイもしかして、僕の事心配してくださってます?」
そんなのじゃないと言いかけて言葉を飲み込んだ。本当にそうなのか、そうじゃないのか。他でもないオレ自身がオレを止めたような、そんな気がした。
「大丈夫ですセンパイ、ご心配なく」
「あ?」
話が繋がっておらず顔をしかめると、澄んだアンバーと視線がぶつかる。
「かなたセンパイがいれば、僕はそれだけでじゅうぶんです」
恥ずかしげもなく紡がれた言葉はオレをまっすぐに貫いた。羞恥とこいつに絶対バレたくない嬉しさは滲み出て、腹の中で混ざり合うような感覚。こういう奴だ、橋爪若羽という男は。散々アプローチしてくる時は詰めが甘いのに、呼吸をするようにオレを貫いてめちゃくちゃにしてくる。言葉一つで、指先一つですぐ主導権を奪っていく。その癖自覚がないのは厄介な話で心臓を抉る言葉を目の前に並べる。
だめだ、絶対この甘い言葉を聞いたら。
だめなのに、心臓がずっと暴れている。
少し、ほんの少しだけ。わずかでも勘違いしてしまいそうなオレがいて――それを、その先の事を勝手に考えて怯えているオレ自身を、なによりも許せない。
「お前がオレに向けているその感情は、多分勘違いだよ」
「違います、本当です」
誤魔化しで落とした言葉もすべて拾われた。
「少し優しくされて勘違いしてんだよ、お前にはもっといい人が現れるって」
そう言いながら、ペットボトルの蓋に手をかけた時だ。予期していなかったあまりにも軽快な音がオレに降ってきたのは。
「うあ!」
プシ、と派手な音を鳴らしながら飛び出したのは勢いのいい泡で間抜けに上擦った声と共にそれはどんどん外へ溢れていく。
「センパイ大丈夫ですか……!」
「あー、オレは大丈夫だけど勿体ない事したな……後はちょっと顔にかかったくらいだな」
「一大事ですよ!」
血相を変えてポケットからハンカチを出すと、オレから滴る水滴を丁寧に拭っていた。
「いや、拭かなくても」
「だめです、センパイが風邪ひいちゃいます」
綺麗に畳まれていたハンカチをオレに添えて優しく、諭すように笑っていた。まっすぐなアンバーがオレしか映してなくて、オレ達だけが世界から切り離される。こいつの瞳に閉じ込められたオレは間抜けな顔で目を丸くしていて、それだけでまた心臓の音はうるさい。
だめだ、間違えてはいけない。
咄嗟に追いついてきた判断の中で伸ばした手はハンカチをひったくった後で、なんとか平静を装いながらヒラヒラとハンカチを手の中で揺らした。
「これ、洗って返すから借りる」
「いいですって、そんな事しなくても」
「オレの気がすまねえの」
そう言ってやれば今度は嬉しそうに、幸せそうに橋爪は目を細める。
「センパイのそういう優しくて律儀なところも、僕は大好きです」
「はいはい、そうかも」
「信じてませんよね」
笑って返しても、こいつはムッとしたままだ。
早くオレみたいな悪い男には見切りをつけてほしいんだ。早く、この勘違いから解放してやりたい。
だってそうしないと、苦しくなるのはオレの方だから。



