橋爪若羽は駄犬である。
待てができない、言う事が聞けない大型犬は今日もその瞳にオレを閉じ込めていた。
「センパイ」
ゆっくりと唇を震わせてオレの事を呼ぶその姿は、さながら餌を目の前に置かれた犬だ。我慢ができずゆっくりと顔を近づけてくるのもなにもかも犬で、可愛いと思えてしまう。
放課後、夕暮れに支配された空き教室で二人きり。
熱を孕んだアンバーの瞳も栗色の髪もなにもかもが茜色に溶け込んでいるようで、一つ年下のくせに少し視線が上にある整った顔と綺麗な二重を見上げる形で待ってやる。
震える指先がオレを撫でた。
揺れる瞳がオレをはっきりと映している。
逃げられないとわかっている、逃げるつもりだって最初からなかった。この駄犬の唇がほんの一瞬震えたのを見たから、ゆっくりと目を伏せて待ってやる。静かに、橋爪とオレだけの呼吸が響く世界で。それでも一向にこない衝撃に耐えきれず薄く目を開けると、鼻が触れあう距離に橋爪はいた。ゆっくり、ゆっくりと近づいて。けどその震える唇が触れたのはオレの頬で、少し柔らかな感触が伝わってくる。
「ふふ」
あぁ、あまりにもチェリーだ。
可愛い大型犬が情けないチェリーになって、けど真剣な顔でオレに食いついている。それがなによりも面白くてつい笑ってしまうと、じっと橋爪はオレを睨みつけていた。
「かなたセンパイ、今笑いましたね?」
「いやだってお前、そこはないだろ」
触れるような、啄むようなキスだった。
味見をするような、舐めるような犬の愛情表現だった。
別にそういった関係ではない、こいつがオレにアプローチをしてきてそれをオレが遊んでやってるだけ。傍から見れば名前を付けるには曖昧な関係と距離感が少し楽しいと思えてきて、だからこそイタズラをしてやりたくなってしまう。チョロくて詰めが甘い、可愛い仔犬。
ちょん、とオレの唇を人差し指で示してやる。
「キスするならちゃんと口にしろよ、ビビリ」
ちょっとだけ意地悪に挑発もしてやる。
ニイと笑いながら目を細めると橋爪はなにを思ったのか、一瞬肩を揺らしたがすぐに息を吐いてかなたセンパイ、とオレの事を呼んでくる。
「それやるの、僕だけにしてくださいね」
声音が低くなる。
獣のような、獲物を見つけたように。
鈍く光ったアンバーの瞳には、オレしか映っていない。
「口はまだ、だめです」
言い聞かせるような言葉だ。
オレに、そしてなによりも自分自身に対して理性を切らさないように。これだけ誘ってもこない辺りがチェリーだと思ったが、そんな考えは突然走った小さな痛みにかき消されてしまう。チクリと、首先に感じたのは明らかに噛み付くようなキスをされた時のもので、がばりと勢いよく顔を上げた。オレの挑発を受け取った橋爪はクソ真面目な顔をして、ススと人差し指でさっきまでキスをしていた首筋を撫でていく。こいつに一挙手一投足を握られているような気分で吐息が漏れた。
「ここなら大丈夫ですよね、かなたセンパイ?」
「いや、あ、おまっ」
あからさまなくらい呂律が回らなかった。
まるで油断したタイミングに放たれた強烈なカウンターは脳みそをバグらせるにじゅうぶんすぎて、呼吸だって熱くなる。パクパクと口を数度動かして声にならない声を出しながら、やっと絞り出せたのは苦し紛れな呻き声で、首筋を手で隠しながら腹の底から羞恥がダダ漏れの声を出す。
「そ、そうじゃねえだろ!」
橋爪若羽は駄犬だ。
駄犬で、どうしようもなくオレの事が大好きな獣の名前だ。
待てができない、言う事が聞けない大型犬は今日もその瞳にオレを閉じ込めていた。
「センパイ」
ゆっくりと唇を震わせてオレの事を呼ぶその姿は、さながら餌を目の前に置かれた犬だ。我慢ができずゆっくりと顔を近づけてくるのもなにもかも犬で、可愛いと思えてしまう。
放課後、夕暮れに支配された空き教室で二人きり。
熱を孕んだアンバーの瞳も栗色の髪もなにもかもが茜色に溶け込んでいるようで、一つ年下のくせに少し視線が上にある整った顔と綺麗な二重を見上げる形で待ってやる。
震える指先がオレを撫でた。
揺れる瞳がオレをはっきりと映している。
逃げられないとわかっている、逃げるつもりだって最初からなかった。この駄犬の唇がほんの一瞬震えたのを見たから、ゆっくりと目を伏せて待ってやる。静かに、橋爪とオレだけの呼吸が響く世界で。それでも一向にこない衝撃に耐えきれず薄く目を開けると、鼻が触れあう距離に橋爪はいた。ゆっくり、ゆっくりと近づいて。けどその震える唇が触れたのはオレの頬で、少し柔らかな感触が伝わってくる。
「ふふ」
あぁ、あまりにもチェリーだ。
可愛い大型犬が情けないチェリーになって、けど真剣な顔でオレに食いついている。それがなによりも面白くてつい笑ってしまうと、じっと橋爪はオレを睨みつけていた。
「かなたセンパイ、今笑いましたね?」
「いやだってお前、そこはないだろ」
触れるような、啄むようなキスだった。
味見をするような、舐めるような犬の愛情表現だった。
別にそういった関係ではない、こいつがオレにアプローチをしてきてそれをオレが遊んでやってるだけ。傍から見れば名前を付けるには曖昧な関係と距離感が少し楽しいと思えてきて、だからこそイタズラをしてやりたくなってしまう。チョロくて詰めが甘い、可愛い仔犬。
ちょん、とオレの唇を人差し指で示してやる。
「キスするならちゃんと口にしろよ、ビビリ」
ちょっとだけ意地悪に挑発もしてやる。
ニイと笑いながら目を細めると橋爪はなにを思ったのか、一瞬肩を揺らしたがすぐに息を吐いてかなたセンパイ、とオレの事を呼んでくる。
「それやるの、僕だけにしてくださいね」
声音が低くなる。
獣のような、獲物を見つけたように。
鈍く光ったアンバーの瞳には、オレしか映っていない。
「口はまだ、だめです」
言い聞かせるような言葉だ。
オレに、そしてなによりも自分自身に対して理性を切らさないように。これだけ誘ってもこない辺りがチェリーだと思ったが、そんな考えは突然走った小さな痛みにかき消されてしまう。チクリと、首先に感じたのは明らかに噛み付くようなキスをされた時のもので、がばりと勢いよく顔を上げた。オレの挑発を受け取った橋爪はクソ真面目な顔をして、ススと人差し指でさっきまでキスをしていた首筋を撫でていく。こいつに一挙手一投足を握られているような気分で吐息が漏れた。
「ここなら大丈夫ですよね、かなたセンパイ?」
「いや、あ、おまっ」
あからさまなくらい呂律が回らなかった。
まるで油断したタイミングに放たれた強烈なカウンターは脳みそをバグらせるにじゅうぶんすぎて、呼吸だって熱くなる。パクパクと口を数度動かして声にならない声を出しながら、やっと絞り出せたのは苦し紛れな呻き声で、首筋を手で隠しながら腹の底から羞恥がダダ漏れの声を出す。
「そ、そうじゃねえだろ!」
橋爪若羽は駄犬だ。
駄犬で、どうしようもなくオレの事が大好きな獣の名前だ。



