カリカリカリカリ……。
 物音に目を覚ますと、スフレがローテーブルの足を引っ掻いていた。
 窓から差し込む太陽の光が眩しい。
 壁の時計を見ると、午後一時過ぎ。
 気付けばずいぶん寝ていたらしい。
「おはよう、スフレ。来てたんだ」
 私がお気に入りのフロアクッションを枕にしていたのが気に入らなかったのだろう。
 不満顔のスフレは、私を無視してローテーブルの脚をカリカリと引っ掻いている。
「ごめん、ごめん。すぐ退くよ」
 目を擦りながら身体を起こすと、スフレがものすごい素早さでフロアクッションの上に移動して腰をおろす。それから、威嚇するような目で私のことを見てきた。
「心配しなくてもとらないよ。それより、ねえ、小説が書けたんだ」
 私を労うように、スフレがゆっくりと尻尾を揺らす。
「ありがとう。約束どおり、一番最初はスフレのご主人様に読んでもらうよ。ちょっと緊張するんだけどね」
 私は最後にざっと原稿の内容を確認すると、タイトルの横に茅花 綺というペンネームを入れた。
 新作小説に登場するのは、スフレをモデルにしたハチワレ猫だ。
 あるとき、一人暮らしの女性の部屋に隣のベランダから猫が遊びにくるようになる。
 女性が「猫を預かっています」という手紙を猫の首輪に結びつけたのをきっかけに、顔も知らない隣人との文通が始まる。やりとりの中で隣人の仕事がパティシエだと知った彼女は、猫の運ぶ手紙を通してケーキ作りを教えてほしいと頼む。
 まもなく迎える恋人との一周年記念に、イチゴのショートケーキを手作りしたいと思ったのだ。
 料理に不慣れな彼女は、猫の運んでくる手紙のアドバイスを頼りにケーキ作りに試行錯誤。一周年を迎える前にギリギリで、完璧にケーキが焼けるようになる。
 だが、一周年記念当日、女性は恋人から他に好きな人ができたと別れを告げられてしまう。
 傷心の彼女は、ベランダの窓から遊びに来たハチワレ猫に手紙を託す。
【よかったら、一緒にケーキを食べてもらえませんか】
 ハチワレ猫が手紙を持って帰ってしばらくすると、部屋のドアのベルが鳴る。
 やってきたのは、ハチワレ猫を抱いた男性。その人は、数年ぶりに会う女性の幼なじみだった。
 物語は、そこから新しい恋が始まる予感を匂わせてふんわりとジ・エンド。
 二万字程度のひさしぶりに書けた短編だ。
 二十枚近くになる原稿をプリンターで印刷してクリップで止めると、私は水色のメモ帳に手紙を書いた。
 
【301号室 スフレの飼い主様
 小説ができたので読んでください。
 原稿はドアポストに入れておきます。
 ねえ、あなたは綺だよね。302号室 茅島知花】

 手紙の最後で、初めて自分の名前を明かした。
 この手紙と小説の原稿が、無事に301の住人の手に届くことを願って。