猫の届けた、優しい時間


【302号室様
 お詫びのプリン、喜んでいただけたようでよかったです。
 あなたのお仕事のお力添えもできたようでうれしいです。
 ちなみに、お仕事は何をされているのでしょうか。
私はpâtisserie AYAでパティシエをしています。
 おすすめ商品ばかりですので、ぜひまた店にお越しください。】
 
 スフレが手紙を運んできたのは、私がpâtisserie AYAを訪れた翌日だった。
 301号室の住人はpâtisserie AYAのパティシエのようだが、前回と同様、名前を明記していない。
 スフレの飼い主は綺なのか、そうでないのか。はっきりとわからないままだ。
 昨日の手紙に「あなたは綺ですよね」と書こうとして躊躇ったのは私。それなのに、結局ひとりでモヤモヤしている。
「ねえ、スフレのご主人は綺なんでしょう」
 今日もフロアクッションでくつろぐスフレに訊ねるが、もちろん答えなど返ってくるはずもない。
 私はメモ帳に手紙を書くと、まだうちに来たばかりのスフレの首輪にそれを結んだ。

【301号室 スフレの飼い主様
 お返事ありがとうございます。
 少し前までは大学の事務職員として働いていましたが、今はライターの仕事をしながら小説を書いています。
 洋菓子と猫の出てくるお話です。
 あなたのお店のお菓子を小説の参考にさせてもらってもいいですか。】

 実際の私は、もう二年もまともに小説を書いていない。
 だから、この手紙は綺に私の存在を知らせるためのアピールだ。
 それから一日空けてうちにやってきたスフレの首輪には、301号室の住人からの手紙が結んであった。

【302号室様
 あなたは小説家なんですね。
 洋菓子と猫の出てくるお話、素敵です。
 ぜひ、あなたの小説にうちの店のお菓子を使ってください。
 ですが、ひとつだけお願いがあります。
 小説が完成したら一番に読ませてください。
 あなたの小説を楽しみにしています。】
 
 スフレが運んできた手紙を読んだあと、私は二年ぶりに小説のプロットを作りにとりかかった。
 登場人物の設定、ストーリーの構成、伏線の差し込み方。最初は勘が戻らずに苦労したが、小説用にしていた古いノートに思い浮かんだことをメモしていくうちに段々と感覚が戻ってきた。
 ノートを何ページも使って、アイデアを詰め込み練り込む。ある瞬間に、それがパァーンと弾けてスライドショーみたいな映像として頭の中に流れ込んできて。私はそれを夢中になって、パソコンで文字に起こした。
 朝も昼も夜も、水分と少しの食事だけとって原稿に向き合った。
 鍵を開けっぱなしにしているベランダの窓からは、スフレが気まぐれに入ってきて、いつのまにか帰っていった。
 小説を書いているあいだ、私はスフレの首輪に手紙は結ばなかった。
 そのあいだ、スフレが飼い主からの手紙を運んでくることもなかった。
 小説を書くのにかかった時間は丸三日。明け方の四時頃に仕上がり、私はそのままバタンとフロアクッションを枕にして倒れた。