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 カリカリカリカリ……。
 夕方、日が落ちる頃。ノートパソコンと向き合っていると、ベランダのほうから物音がした。 
 ハッとして横を向くと、後ろ足で立ちあがったスフレが爪で窓をひっかいている。
 今日は朝起きてからずっと作業に集中していて、ベランダの窓を開けるのをすっかり忘れていた。
「ごめん、ごめん」
 あわてて窓を開けると、スフレがツンと顔をそむけながら部屋に入ってくる。
 集中していて、爪の音にすぐ気付かなかったからだろうか。ちょっとご機嫌斜めな様子で歩いていくと、所定のフロアクッションに腰をおろす。
 あれからも、スフレはときどきベランダを通してうちにやってくる。
 奎くんは防犯のためにベランダの窓のカギをかけているようなのだが、どういう方法でなのか、スフレがうまくカギを開けてしまうことがあるようで。
 そういうときのスフレは、長い尻尾をゆらめかせて、したり顔だ。
 聞いたところによると、スフレはメレンゲの子どもらしい。数年前に何匹か生まれた子猫のうち、いちばんメレンゲ似のスフレを奎くんが引き取ったのだそうだ。
 どおりで、最初に既視感があったわけだ。
「ごはん用意するから待ってね」
 声をかけると、スフレが「当然」といったふうに私を見上げて尻尾を揺らす。
 ときどきこんなふうにスフレが遊びに来るので、奎くんから専用のエサを預かっているのだ。
「はい、どうぞ」
 キッチンのシンクのそばにエサの入ったお皿を置くと、ゆっくりと腰をあげたスフレがスタスタと歩いてくる。
 くつろぐ場所はフロアクッションだが、食事はここがいいらしいのだ。
 そばにしゃがんでスフレの食事を眺めていると、スマホの着信が鳴った。
 部屋を移動してノートパソコンの横に置いたスマホを手にとると、奎くんから写真付きのメッセージが届いている。
 私と奎くんのやりとりは、スフレを通した文通ではなくて四角い機械を通してになった。

【今日の差し入れは、フルーツたっぷりのクレープケーキです】

 綺麗な卵色のクレープに包まれた、色とりどりのフルーツとふわふわの生クリーム。それらを全部一緒に口に含んだときの幸せな甘さを想像してニヤニヤしていると、食事を終えたスフレがフロアクッションに戻ってくる。
 何ニヤけてんの、と怪訝に見てくるスフレにコホンとひとつ咳払いすると、私はノートパソコンの前に座った。
 まだ仕事が残っているのだ。
 最近の私は、ライターの仕事をやりつつ、その合間に小説の執筆にも取り組んでいる。
 書籍化をお断りした出版社にダメ元で連絡をしてみたら、担当だった方が企画書を見てくれて、「初稿を書いてみてください」と言ってくれたのだ。それが通るかはわからないけれど、ずっと動き出せずにいた私には大きな一歩で。奎くんが、想像以上に喜んでくれた。
『俺、昔からチハの小説好きなんだよね』
 言われて初めて知ったのだが、奎くんは、綺に貸していた私の小説ノートをこっそり読んでいたらしい。
 たまにノートに感想の手紙を挟んでくれていたのは奎くんだったそうで。十年以上ぶりのタネ明かしにびっくりしてしまった。
 同じ幼馴染でも、私はいつも綺にべったりで。奎くんとは、そこまで仲良くなかった。というより、子どもの頃の奎くんは私にそっけなかったから、嫌われているのかと思っていたのだ。
 だけど、そうではなかったらしい。
 途中にしていたライターのほうの原稿を進めていると、デスクトップの右端にメール受信のポップアップが出た。
 何気なく開いたメールを見て、ドクンと胸が高鳴る。