そんな日々を過ごしているうちに、気づけば春休みに入り、部活のためだけに学校へ通う君達二人が居た。
 先輩が卒業してしまった男子バレーボール部は寂しさもありつつ、新年度へのやる気で満ち溢れている。
 そんな前向きな雰囲気は、君の心の向きと同じ方向を向いていて、君の心の寂しさを紛らわせてくれた。
 変わることは寂しい。けれど、前に進んでいる証拠でもある。
 今の君と同じだ。
 お疲れ様でしたと挨拶をした君と蘭は、二人でいつもの通学路を歩いて帰る。
 明日からまた新学期が始まる。

「次こそ同じクラスがいいなー」

 そう呟く蘭に、「そうだね」と答えてから君はハッとする。今のは自分のことで合っていただろうかと。
 もしかしたら彼氏のことかもしれないと蘭の様子を窺うと、どうやらその返答で合っていたようだ。
 蘭は君の方へ振り向くと、えへへと笑った。

「同じ気持ちか! 嬉しー」

 蘭のこういうところは幼い頃からずっと変わらなくて、君は素直に可愛いなと思う。
 きっと蘭の彼氏もこういう蘭の一面を気に入っていることだろう。うんうんと心の中で君が頷いていると、隣を歩き続けていた蘭が突然、ぴたりと足を止めた。

「なんか最近さ、同じ気持ちかなーってよく考えるんだよね」

 それはちょうどいつもの橋を渡っていた所で、蘭は手すりに身を預けると、夕日に染まる空を見上げたので、君もその隣に並んで同じものへと目を向けた。
 真っ赤な夕日が沈めば、次に夜をつれてくる。今日がもうすぐ終わることを知らせている。

「昔は君のことなんでもわかってた気がするんだけど、今は全然わからないんだ。てゆーかなんか、自分のこともわからない」
「……蘭が?」

 あの蘭が?という訊ね方になっていたのは蘭にも伝わったらしい。「ね。らしくないでしょ?」と、蘭は笑った。

「この先、君とわたしはどうなるんだろうね。わたしはどうしたいんだろう。どうなるべきなのかな。なんか、昔より単純じゃなくなってる気がする」
「……そんなこと、ないよ」

 そんなことない。だって君と蘭は特別な二人だ。それは何も変わっていない。取り巻く世界が変わっても、それだけは変わらない事実だと君は心に信念のように抱いている。
 だから君は今、変化の恐れに負けずに前を向いて歩き続けている。蘭の隣を。

「ずっと隣を、ずっと一緒に居ようよ」

 それは、君の本心だ。
 君の心の中にある、未来の形をした願望だ。
 現実になるのだと信じている。だって、蘭はいつもそう言ってくれたじゃないか。
 だから君はずっとこの言葉を信じることができているのだ、そこに間違いなんてないはずだ。

「……うん、そうなれたら嬉しい。わたしも、君にとってのそんなわたしで居たいと思ってる」
「じゃあこれも同じ気持ちだね」
「……同じ気持ち、なのかな」

 けれど、蘭から返ってきたのはどこか力無い雰囲気を漂わせた、そんな言葉で。

「じゃあなんとなくずっと息苦しいのは、なんでなの?」

 蘭は君に、ポツリとこぼした。心の欠片がこぼれ落ちたように。
 無意識に呟いていたのか、蘭はその欠片を前にハッと我に返ると、君を見て「大丈夫、わかってるの」と言い訳をするように語り出す。

「仕方ないことなんだよね。それが大人になるってことだって彼氏にも言われた。だから君もわたしにもっと外を見ろって言ったんだよね。大丈夫、わかってる。わかってるから、わたし、君のために変われるよ。ちゃんといい子になれるから、だからずっと、わたしの隣に居てね」

 ずっと隣に居て。
 それは君の願いと同じ言葉が返ってきたはずなのに、そこに同じ気持ちを抱いているようには感じられなくて、君はそれにどう答えればいいのかわからなかった。
 どういうことだと、吸った息を飲み込んで、感情を言葉に出してしまう前に整理しようと試みる。
 今蘭が君に見せたのは、きっと心の柔らかい部分。
 大事に隠していた部分を今、君の言葉に乗せて、そっと君に見せてくれたのだと思う。
 “ずっと息苦しい”
 “仕方のないこと”
 それは君も同じように感じている。そこまではきっと同じ。
 でも、“君のために変われるよ”それは違う。
 蘭のためでないと意味がない。
 そのために君と蘭は変わっていこうとしているのだから、蘭には蘭のために前を向いてもらえなければ、君にとって意味がない。

「蘭は蘭のために生きてほしいよ。君のために、なんて言ってほしくない」

 蘭の本心に応えるために、君の願いを叶えるために、君は必死だった。だってようやく見せてもらえた蘭の本音だ。ちゃんと君の考えと擦り合わせておきたかった。
 言葉で心を見せてもらえたのは、本当に久しぶりだったから。

「蘭が蘭であればいいんだよ。蘭のやりたいようにやってほしい。それが全部の答えで正解になるんだって、信じて歩き続けてほしい。その隣を歩き続けるつもりでいるから。それが、ずっと隣にいるってことだって、思ってる」
「わたしの、やりたいように……」

 そう、蘭は蘭のやりたいように生きてほしい。世界を広げた先で蘭が望むものを見つけてほしい。
 それを支えられる自分でありたい、支え合える自分達でありたい。
 それが、君の願い。
 互いの世界を広げた先で、依存ではなく支え合える関係で成り立ちたい。それが人として正しい二人の在り方なのだと思う。
 きっとそういうことなのだと、蘭以外の人と関わって君は知ることができた。
 蘭は、どう思うだろう。

 蘭は、黙って君を見つめていた。そして、

「ちょっとまた、考えてみる」

 そう言って、蘭は前へ歩きだした。
 それは蘭の世界がまた変わり出した瞬間だった。


 そうして春休みが終わり、君達は二年生になっていた。
 残念ながら蘭とはまた違うクラスなってしまったけれど、部活が同じなのでそこは特に変わらず、新しいクラスでもなんとか前のクラスの友達を頼ってみたり、試行錯誤しながら君はまたクラス内に馴染むことができていた。
 今度は原という深く君を知る人間のいない、君一人きりのスタートだったというのにだ。
 
「お昼食べよーよ」
「そういえば君って蘭ちゃんと仲良いよね」
「なんでマネージャーなの? 結構大変?」

 君のことを知らない人間に、君一人で一から君を知ってもらうこともまた、新しい経験だった。
 これは話せるようになった昨年の頑張った君がいるから踏み入れることができた世界だ。
 また次の世界が回り始めた、そんな感覚に君は少し疲れつつもそれを上回る高揚感に包まれていて、全てがうまくいく、そんな気がして仕方なかった。
 だって蘭との関係も、春休み最後の日に話をしてからなんだか調子が良くなっていたから。


 運動部はなかなか休みがない。今日は練習試合明けのため久々の休みで、だから当然蘭は彼氏と帰るんだろうなと思い、君が帰り支度をしていると、突然教室内に蘭の声が響き渡った。

「帰ろ! そんで一緒に遊ぼ!」
「いいけど、彼氏は?」
「別に誘ってないし誘われてないから。そんなのいつでもいーしね」

 そして早く行こうと連れ出されて、君はそのまま蘭の家に行くことになる。
 けれど、本当によかったのかな……と、君は少し不安だった。
 最近の蘭は彼氏に対して以前よりもずいぶんとあっさりしていて、心配になった君は原や他の友達たちにそっと話してみたこともある。けれど、「まぁ付き合ってだいぶ経つしそういうもんでしょ」とあっさり受け入れられる空気だったので、そういうものか……と、経験のない君は仕方なく納得したのだ。
 蘭はそれでいいのかな。
 ちゃんとやりたいことができているのだろうか。

「結局こういう時間が一番なんだよね。それがわたしのやりたいこと」

 蘭の家に着いて、早速君と蘭が適当に映画でもつけながらお菓子を食べていると、突然思い出したように蘭が告げる。
 まるで心を読まれたみたいで君はびっくりした。ちょうど考えていたところだったから。

「わたしのやりたいようにやっていいって君が言ってくれてから考えたんだよ。ずっと君に求めてばかりで自分のやりたいこと、みたいな部分は考えてなかった気がする。でも結局わたし視点だとこういうことがずっと続けばいいなってところで終わるから、それに君が付き合ってくれればそれでいいのかも」

 それは、君の言葉に考えてみると告げた、あの日の蘭の答えだった。
 絶対に聞き逃してなるものかと、君は全神経を蘭に集中させる。もっと教えろ、聞かせろという感覚だった。だって君は蘭のことが大好きで、蘭のことが知りたかったから。
 けれど、

「それが一番現実的で平和かな。あとは全部君側にあるって感じだから、君がそうならわたしはこうなるのかな、みたいな。それがわたしの答えかなー」
「……?」

 返ってきたのは、なんだかとっても難解な答えだった。抽象的すぎて、さっぱり君には理解できない。頭の中の造りからきっと蘭と君とでは違うのだと思う。だから言葉にするほどわかりあうのが難しくなるのだと最近は確信している。
 言い切った満足げな蘭と君の目が合う。蘭は明らかに理解できていない君の顔を見て笑った。

「ほんと、よく顔に出るようになったよね。君が何を考えてるのかわかんないけど、何を感じてるのかはわかりやすくなったよ。まぁ昔からそこは得意だしね!」

 ——何を考えてるのかはわからなくても、何を感じてるのかはわかる。
 なるほど。確かにそうだった。蘭と君はずっと互いの何かを感じ取りあってきた。だって言葉じゃない部分で繋がっていた二人だったのだから。
 言葉がなくても繋がっているし、言葉を使ったらもっとわかり合える。
 遠く感じたのはきっと、感じ取る以外の手段が増えた分の、もっと知りたい、わかるはずなのにというただのもどかしさからきた感覚だったのだ。
 更に近づけるだけの余白を今更見つけただけ。ずっとずっと、変わらず君と蘭は隣にいて、離れることはない。遠くにも行かない。変わらないのだと、ようやく君はそれに納得することができた。
 だったら、

「蘭のこと、わからなくてもいいのか」
「うーん、まぁわたしも君のことわかんないしね。でもわたしのこと大好きでしょ?」
「うん」
「わたしもー。それがわかってればいいのかも。ただのそういう話」

 そう、ただのそういう話だ。
 お互いの考えはわからなくてもずっと隣に居る存在だと、大切に思う気持ちは伝わりあっているのだから、それでいい。
 現実的で平和的なまとめだと思う。このまま続く関係の中で知っていくことも増えるし、また世界が変わることもある。だけどただそれだけが真実として心にあれば、他は全て付属品だ。
 そうとわかれば、自然と君の心は穏やかになった。

 ——君の世界が蘭の世界と交わって、穏やかに正しい回り方を始めた。

 新しい部員が増えた部活も、いまだに二人きりのマネージャー業も、全部がいつも通りに回り始める。
 新しく生まれた現実的で穏やかな君の世界。
 こんな世界を求めていたのだと、それが日常になる幸せを君は感じていた。
 だって、そのためにこれまでたくさん考えて、行動して、頑張ってきたものね。
 ようやく迎えられたそんな未来——なのにその世界が、突然ぴたりと動かなくなってしまう。
 残念ながら、そんな出来ごとが起こってしまう。