君はどうして、


 早速次の日には蘭がクラスの男子バレーボール部員にマネージャーを引き受ける話をすると、君と蘭はその日の放課後、体操服に着替えてまずは体験というか、お手伝いという形で参加することになった。
 辞めてしまった先輩マネージャーが何をやっていたのか君と蘭は部員の背の高い男子達にぼんやり教えてもらいつつ、あとは練習の補助をその場その場で声をかけられながらこなしていくことに。

「蘭さんはコートの右側のチーム、君は左側のチームを担当してね。二十五点取った方が勝ちで三セット行います。わからないことがあったら聞いてね」
「はい!」

 蘭の元気な返事に教えてくれた先輩がうんうんと頷く。元気があってよろしい、といった感じ。君も小さくお辞儀をすると、同じように先輩は君の目を見てうんと頷いてくれた。
 事前に蘭が同じクラスの男子バレーボール部員達に君のことを説明しておいてくれたからか、君が喋らないことに対して否定的な雰囲気とかもなく、全体的に思っていたよりも優しくしてもらえている感覚がある。初めて飛び込んでみた世界だったけれど、蘭だけでなく自分にとってもいい経験になったなと、彼らとのやりとりを通して君は感じられていた。
 そして時間は過ぎていき、ついに練習を終えると、最後は部員全員で片付けをして体育館の鍵をかけておしまいだ。挨拶をしてから、君と蘭は二人でいつもの帰路についた。
 小学校とはもちろん変わった通学路。中学校から自宅のアパートまでは途中に大きな川が下に流れている橋を渡る。橋といっても観光地とか公園にあるイメージのものではなく、車がよく通る三車線の車道の両脇に、一段高さを上げた歩道がきちんと整備されている普通の道路の延長上にあるタイプの橋である。川の遠く先は海に繋がっていて、橋を渡る時の空はとても広かった。
 隣を歩く蘭が最近ハマっているラムネを食べている。「君も食べる?」と訊かれたので君は頷いて一粒もらった。それは一枚のシートから錠剤の薬のように一つずつ取り出す駄菓子で、ラムネを一粒取り出した後に占いの結果が読めるようになっている。

「あー、勉強運△だって。いまいちだね〜」

 ニヤニヤ笑いながら君を揶揄う蘭はご機嫌だった。今日のマネージャー体験が楽しかったのだろう。正式にやりますと帰りに伝えていたから。もちろん君も一緒だ。

「でも部活に入ると帰りがこんなに遅くなるんだねー。もう夕方越えて夜だよ。ほら、夜空」

 そう言って蘭が橋の手すりに身を乗り出して空を指さした。キラキラと星が見える。先程までまだ紫だったのにと、君もその空を眺めると、プチりと隣で蘭がラムネを一粒開けた。

「やった、友情◎! 占いあってるね。だって今日楽しかったし。やってみてよかった!」

 満面の笑顔を浮かべた蘭がその一粒を口に放り込む。蘭が笑ってることが嬉しくて、君も自然と表情が動いた。

「あ、笑ってる。ねっ、一緒にやってよかったよね」

 それに君がうんと頷いたのを見て、満足気に蘭が歩きだしたので、君も続くようにその隣を歩き出した。


 さて。正式にマネージャーになった君達の毎日は今までに比べて忙しなく過ぎていくことになる。
 バレーボールの知識もそこそこつき、「マネージャー、こっちお願い」と、君も部員に頼られるようになってきた。「おい、ちゃんと聞こえる返事しろー」と、厳しい顧問の先生に怒られたりもするけれど、基本的に君の気質として受け入れられている。それには確実に蘭の頑張りも関わっていた。
 蘭は自然と声出しや会話でのやり取りが必要な練習の補助系を君の代わりに引き受けてくれているのだ。その分君は声を出さないで済む記録の記入や備品の準備片付け、管理などを担当していて、それがちょうど良く回っていた。
 全部蘭の気がきくおかげである。痒い所に手が届く蘭の働きぶりとはつらつとした受け答えは部員の中でも好評なようだった。

「お疲れ様でした! お先に失礼しまーす」

 蘭が大きな声で挨拶をしていく隣で、君も頭を下げて部員達の前を通り過ぎていく。

「あ、ちょっと待ってもらっていい?」

 声をかけられたのはまさかの君だった。君はちゃんと話せるか心配になりながらも声をかけてきた先輩の元へ向かうと、「このさ、救急箱の中身なんだけど」と、備品管理の相談を持ち出され、確かに自分の担当だと、うんうんと頷きながら先輩の提案や指示を受け入れる。

「……では、明日また先生にも確認しておきます」

 最後に君がそう返事をすると、「おぉ」と、先輩が驚いた。

「文になってるの初めて聞いた」

 何のことだろうと思ったのは一瞬のことで、君は先輩その言葉にハッとする。
 確かに、今君は文章になっている言葉で返事をしていた。しかも何も身構えることなく自然とできていたのだ。授業中と蘭に対して以外では初めてのことかもしれない。

「……驚きました」
「驚いたんだ。いつも単語だもんな」
「……そうですね」

 けれど相変わらず表情は乏しいので、先輩からは、「あ、怒ってる? ノンデリだった、ごめん」と、謝られてしまって、あっけに取られる。基本的にそっけなく感じられる反応しか返せない君は、そんな自分のことを思い出し、申し訳なく思いながらも、「いえ、別に」としか口が動かせなかった。
 すると先輩は君の様子にフォローしようとしたのか、ニカッと笑顔をつくると明るい雰囲気で言った。

「まぁさ、俺ら男バレって声デカいしよく喋るから、自然とそれが馴染んできたんじゃない? 君が部のために頑張ってくれてる証拠だよ。君にとってもここでの経験が良い方向に進むといいね」

 そして、「じゃあよろしく、お疲れ様」と先輩が終わりの挨拶をするので、君も「失礼します」と挨拶を返し、その場を離れた。
 今、先輩に告げられた、“ここでの経験がいい方向に進む”という言葉が、君の頭の中に残っている。初日のマネージャー体験をした時から君は、自分にとってもいい経験になったなと感じていたけれど、こうして続けることになって、今まで関わることのなかった人達と友達でも家族でもない新しい関わり方をして、確かに君は少しずつ変わってきている実感があった。
 経験が人を変えるのだろうか。
 文章で話せたくらいで驚かれる自分は情けないと思うけれど、話さなければと意識しないでできていたのだと思うと、君はそんな自分を褒めてあげたい気持ちにもなった。
 毎日が積み重なって、いつの間にか、少しずつ自分が変わってる。
 蘭も、そうなのだろうか。

「あ、来た来た。じゃあこれで」
「うん。悪いけどよろしくな」
「…………」
「よろしくな」
「……はいはい」

 君が戻ってきたのを確認すると、蘭は話していた同じ学年の部員に返事をして、君に早く帰ろうと急かすように足早に校門へと向かう。
 そのままぐんぐん進んでいく蘭の背中についていくと、学校を出て誰も辺りに知り合いが居ないタイミングで、「ねぇ! 聞いてよ!」と蘭は君へと振り返った。

「なんの関わりもない奴に連絡しろって言われたんだけど! 意味わかんない!」

 見てこれと蘭が君に手渡したのはノートを破り取った切れ端。そこには名前と、多分SNSのIDが書かれていた。

「この名前の奴との賭けに負けてわたしの連絡先教えることになったとか言われて。意味わかんないじゃん。とりあえずここに連絡してやって、とか言われてさ、意味わかんないじゃん。断ったんだよ? なのに賭けは絶対なんだよ〜とか言って! てゆーか自分で聞きに来いって話じゃん! こんなことしてる時点で好感度最悪ってわかんないわけ?」

 蘭はブチギレである。まぁ、それもそうかと蘭の話の内容を聞いて思う。君が聞いてても意味がわからないし、理屈が通っていなかった。

「普段ならこんなの無視して終われるよ? 知り合いでもなんでもないし。でも間に入ってんのが同じ部活の人間じゃそうもいかないじゃん。これからもずっと毎日顔合わすしさ、普通のクラスメイトよりも関わりが濃いっていうか、適当にして最悪なことになった場合を考えると受け取るしかなくて、もうどうしよう〜」

「あいつもあいつだよほんと!」と、荒れる蘭はぐちゃっとメモを握り潰してポケットに突っ込む。忌々しさが消えないのか、「あーもう!」と、次は鞄に手を突っ込んだと思ったらいつもの駄菓子のラムネのシートを取り出した。
 何も確認しないでプツッと一粒ラムネを出すと、穴の空いたそこを見て、「あ!」とまたも大きな声をあげる。

「対人運×! 何これ怖っ、やば、ちょっ、これは食べれない」

 話しながらも歩き続けていたため、今君と蘭はちょうど橋のところまでやってきていた。どうしようかと悩む間もなく蘭がそのラムネを橋の下の川に向かって投げ捨てようとしたので、君は蘭のその手を止めた。
 そして手のひらに握られたそれを摘むと、ポイっと、自分の口の中に入れた。

「え? な、なんで?」

 ポカンと口を開けた蘭が、戸惑いながら君に訊ねてくる。
 なんで?だって。

「……もったいないから」

 君は平然と、そう答えた。君の口の中は今、ラムネの甘みと酸味が広がっている。
 もったいない、まず君がそう思ったのは、食べられるのに捨てられるそんなラムネに対して思ったもの。
 それと、

「これで×じゃなくなったね」

 蘭が自分の運勢を×だと決めつけて、人との交流を断ってしまうこと。それはそれでもったいないなと君は感じたから。
 確かに蘭の言う通り、相手側は誠実ではないし、失礼なことをしていると思う。自分のことなのに人任せだし、人の情報を賭けの対象にしてものみたいに扱っていたりして、同じクラスの部員に対してだって不信感がわいてもしょうがない。
 だから嫌だと思う蘭の気持ちも君は十分にわかる。無理に連絡する必要はない。いろんなしがらみを感じて仕方なく受け取ったその先に良い人と良いことが待っているとは限らないのだから。
 ——でももしその先に、今は見えていない予想外の出来ごとが待っていたとしたら?
 誠実じゃないと感じたこの行動が、本当は相手にとってなけなしの勇気を振り絞ってできた、ギリギリの行動だったとしたら?
 悪い奴ではないとわかっていて、部員もそれに協力するためにあえて、賭けをした、なんて表していたら?
 もし連絡して繋がったその先に、蘭にとっての良い経験が待っていたとしたら?

「一回連絡してみて、無理だったら断ればいいんじゃない?」

 どうせこれだけ怒っていても連絡先をポケットにしまった蘭のことだ。連絡しないというクラスメイトの部員との約束を違えるようなことはしないつもりなのだろう。
 いつもそうだ。蘭は結局無理だ、嫌だと言いながらも上手くこなして次に行く。あの母親が帰ってこないと泣いた時もそうだった。自分の足で解決させるために一歩踏み出したのは紛れもなく蘭自身の強さあってのことだ。今回もきっと何かが起こったとしても、結局蘭のやり方で全て上手く行くと思う。
 だったら割り切って、少しでも嫌な気持ちを紛らわせた方がいいと思うのだ。だってきっとまた乗り越えて、この新しい出会いと経験が、いい方向に蘭を向かわせると思うから。
 君はその手伝いがしたかった。
 ただ、それだけだった。

「……君は、なんか変わったね」

 すんと、表情が抜け落ちた蘭が真っ正面から君に言う。

「わたし達はさ、ずっと二人だったよね。二人きりの世界だった」

 急にどうしたのだろうと思いつつ、君は蘭の言葉に同意する。ずっと二人だった。二人きりだった。けれど、それは君だけだ。蘭は違う。

「違うよ。蘭にはいつも、もっと選択肢があった」

 それを、蘭はわかっていない。ずっと気づいていない。
 蘭は周りの人間を引っ張る力があって、みんな本当は蘭ともっと仲良くなりたいと思っている。もっと蘭に近づきたいと。だって成長するにつれて、蘭の周りには人がたくさん増えた。友達がたくさん居た。でも蘭はいつも君を選んだ。なんでなのか、君もみんなも、それだけがわからなかった。
たまたま家が近かったから? 親が片親同士だったから? 喋れない君の報告書が入学時に保育園から提出されて、その影響で六年間ずっと蘭と同じクラスだったから?
 わからない。わからないけれど、君には蘭しか居なかった。でも蘭にはもっと他にたくさんの人が居たのだ、蘭が見えていなかっただけで。

「蘭の世界はもっと広いよ。もっと外を見た方がいい」

 君のその言葉は、蘭の背中を押すつもりの、励ましの言葉だった。自分はずっと頑張る蘭の帰る場所としてそばに居るから、もっと経験して、もっと良い方向に蘭の人生が進みますように。そんな願いを込めた言葉だった。だって君は蘭に引っ張られて生きてきた今、良い方向に進んでいると肯定してもらえる日々を過ごせていたから。
 だってこんなに、蘭に自分の思いが伝えられるようになったから。
 ——だけど、君の言葉は君の思いをそのままに、蘭に届いてはいなくって。

「……そっか。じゃあわたしも変わらないとね」

「じゃないと君においてかれちゃう」そう呟いた蘭は笑って見せた。
 とても、寂しそうに。