「君は何がいい?」
保育園の先生が君に訊ねているのは劇の配役についてだ。発表会の演目は桃太郎。まずは子供達の希望を聞いて、そこからうまく配役を調整していくつもりで、先生は今、君に何の役になりたいのか訊ねている。
なんでも言っていい。君がやりたい好きな役をなんでも。
それなのに君は何も言わなくて、それに周りはやっぱりかと、諦めの空気を漂わせた。
先ほど一度君の番が来た時も君は答えなくて、また最後に訊くからね、と言われたにも関わらず、君はまたダンマリを続けているのだから。
「せんせー! もうなんでもいいんだよきっと!」
「そんなことないよ。それに自分で何がやりたいのか決めるのも大事なことなの。もうひまわり組さんなんだからできるようにならないと」
「でもこのままじゃずっと決まんないよ〜」
クラス中でそうだそうだと不満の声が上がる。先生はそれに注意しつつ、「ねぇ、まだ決まらない? なんでもいいんだよ?」と、早く答えて欲しそうにしている。
それでも、君は答えない。答えられない。なんでだと思う? だって自分の意見を口に出すと母親は決まって君を叱りつけたものね。口を開かないこと、それが一番の解決策で、それ以外の方法を君は知らなかった。
だから君は答えられない。話し出せない。それが脳と身体に染み付いた君のルールだった。
みんながじっと君を見つめている。答えないことの他の選択肢が君にはわからない。間違えたら怒られる。叩かれる。でも何か言えと言われている。一体どうすればいいのだろうと頭の中は答えを出せないままぐるぐると回っていて、時間だけが過ぎていく。
——そこに、救世主が現れた。
「はいわかった! じゃあわたし桃太郎やるから、君はおともの犬ね!」
急に立ち上がって君に指を指したのは、同じアパートの下の階に住んでいる友達の片瀬蘭だ。彼女とはよく保育園の行き帰りに顔を合わせるので、通園児の中では一番身近な存在だった。
「君はわたしの隣に立つ役が良いに決まってるよ。猿は可愛くないし、雉は飛んでっちゃうし、君には犬が一番ぴったり」
「蘭ちゃん、そうやって勝手に決めたら駄目だよ。余計に言いづらくなっちゃうでしょ?」
「違うよ、わかるんだもん。言えないだけでそう思ってるんだよね。ねっ、そうだよね?」
蘭の視線に合わせて、その問いとともに周囲の視線がまた君へと集まる。どっと心臓が跳ねた君は、それに急いでうんと頷いた。助かったと思ったんだよね。もうどうすればいいのか君にはわからなかったから、その選択に飛びついたのだ。
すると、ほらね!と、ドヤ顔になった蘭と、人の指図で意思を表した君に先生は困ったように眉を下げていたけれど、ようやく決まったことにホッとしているようにも君には見えた。先生は君の性格を十分に理解しているから、余計にどう扱ったらいいのか迷っていたようだったので。
「……君はそれでいいのね?」
その問いに君がもう一度うんと頷くと、先生は諦めたように「じゃあ、二人は桃太郎と犬で」と、ホワイトボードに記入した。蘭はすごく満足そうにしている。その様子をみて、君は間違えなかったことにホッとすると、心の中で小さく蘭に感謝を述べた。
——こうして蘭とセットで取り組んだ劇は無事成功し、発表会が終わると、役決めの時から君と蘭のことを先生から報告されていた君の母親と蘭の母親は、君達二人をたくさん褒めてくれた。
「ちゃんとセリフ言えてたじゃない! この子いっつも何も言わないから心配で。でも蘭ちゃんが引っ張ってくれるからとっても助かってます」
「いえこちらこそです。お友達ができても蘭は我が強いから上手くいかないことも多くて……父親が居ないせいかなって悩んでたんですけど、本当によかったです」
「! うちもです! 片親のせいかなって……そうだったんですね……」
同じ境遇だと知った親同士はすっかり打ち解けたようで、これからもどうぞよろしくお願いしますと頭を下げあう。
そんな二人を見た蘭はとても嬉しそうに、「ねぇ、明日何して遊ぶ?」と、君に訊ねてきた。それになんて答えればいいのか考えているうちに、君は上から突き刺さる視線を感じた。君の母親だ。
顔は怒っていない。でも、笑顔の裏で早く答えろと訴えているのがありありとわかる。心臓がヒヤリとして、早く答えなければと君は焦り出したけれど、何も思い浮かばない。何て答えればいいのかわからない。母が怒り出すまでもう時間がない。
——が。
「そうだ、わたし新しく折り紙の折り方教えてもらったから一緒にやろ。ハートに羽が生えるんだよ。君にも教えてあげる」
蘭がニコッと笑うと、君の手をとって、「約束ー!」と、無理やり小指を絡め、その場で指切りげんまんをさせられた。
頭を真っ白にしたまま君は小指をブンブン振り回されて、そうだった!と、ハッと母親の顔を窺うと、もう母親の表情の奥にあった怒りがおさまっているように見えた。
なんで怒りがおさまったのかはわからなかったけれど、君はすごくホッとした。目の前では、ありがとうございますと、また蘭の母に君の母がお礼を言っている。
「蘭ちゃん、この子をよろしくね」
君の母にお願いされた蘭は目を輝かせて「うん!」と返事をしていて、その日から互いの家を行き来し、まるできょうだいのように君と蘭は育っていった。
保育園の先生が君に訊ねているのは劇の配役についてだ。発表会の演目は桃太郎。まずは子供達の希望を聞いて、そこからうまく配役を調整していくつもりで、先生は今、君に何の役になりたいのか訊ねている。
なんでも言っていい。君がやりたい好きな役をなんでも。
それなのに君は何も言わなくて、それに周りはやっぱりかと、諦めの空気を漂わせた。
先ほど一度君の番が来た時も君は答えなくて、また最後に訊くからね、と言われたにも関わらず、君はまたダンマリを続けているのだから。
「せんせー! もうなんでもいいんだよきっと!」
「そんなことないよ。それに自分で何がやりたいのか決めるのも大事なことなの。もうひまわり組さんなんだからできるようにならないと」
「でもこのままじゃずっと決まんないよ〜」
クラス中でそうだそうだと不満の声が上がる。先生はそれに注意しつつ、「ねぇ、まだ決まらない? なんでもいいんだよ?」と、早く答えて欲しそうにしている。
それでも、君は答えない。答えられない。なんでだと思う? だって自分の意見を口に出すと母親は決まって君を叱りつけたものね。口を開かないこと、それが一番の解決策で、それ以外の方法を君は知らなかった。
だから君は答えられない。話し出せない。それが脳と身体に染み付いた君のルールだった。
みんながじっと君を見つめている。答えないことの他の選択肢が君にはわからない。間違えたら怒られる。叩かれる。でも何か言えと言われている。一体どうすればいいのだろうと頭の中は答えを出せないままぐるぐると回っていて、時間だけが過ぎていく。
——そこに、救世主が現れた。
「はいわかった! じゃあわたし桃太郎やるから、君はおともの犬ね!」
急に立ち上がって君に指を指したのは、同じアパートの下の階に住んでいる友達の片瀬蘭だ。彼女とはよく保育園の行き帰りに顔を合わせるので、通園児の中では一番身近な存在だった。
「君はわたしの隣に立つ役が良いに決まってるよ。猿は可愛くないし、雉は飛んでっちゃうし、君には犬が一番ぴったり」
「蘭ちゃん、そうやって勝手に決めたら駄目だよ。余計に言いづらくなっちゃうでしょ?」
「違うよ、わかるんだもん。言えないだけでそう思ってるんだよね。ねっ、そうだよね?」
蘭の視線に合わせて、その問いとともに周囲の視線がまた君へと集まる。どっと心臓が跳ねた君は、それに急いでうんと頷いた。助かったと思ったんだよね。もうどうすればいいのか君にはわからなかったから、その選択に飛びついたのだ。
すると、ほらね!と、ドヤ顔になった蘭と、人の指図で意思を表した君に先生は困ったように眉を下げていたけれど、ようやく決まったことにホッとしているようにも君には見えた。先生は君の性格を十分に理解しているから、余計にどう扱ったらいいのか迷っていたようだったので。
「……君はそれでいいのね?」
その問いに君がもう一度うんと頷くと、先生は諦めたように「じゃあ、二人は桃太郎と犬で」と、ホワイトボードに記入した。蘭はすごく満足そうにしている。その様子をみて、君は間違えなかったことにホッとすると、心の中で小さく蘭に感謝を述べた。
——こうして蘭とセットで取り組んだ劇は無事成功し、発表会が終わると、役決めの時から君と蘭のことを先生から報告されていた君の母親と蘭の母親は、君達二人をたくさん褒めてくれた。
「ちゃんとセリフ言えてたじゃない! この子いっつも何も言わないから心配で。でも蘭ちゃんが引っ張ってくれるからとっても助かってます」
「いえこちらこそです。お友達ができても蘭は我が強いから上手くいかないことも多くて……父親が居ないせいかなって悩んでたんですけど、本当によかったです」
「! うちもです! 片親のせいかなって……そうだったんですね……」
同じ境遇だと知った親同士はすっかり打ち解けたようで、これからもどうぞよろしくお願いしますと頭を下げあう。
そんな二人を見た蘭はとても嬉しそうに、「ねぇ、明日何して遊ぶ?」と、君に訊ねてきた。それになんて答えればいいのか考えているうちに、君は上から突き刺さる視線を感じた。君の母親だ。
顔は怒っていない。でも、笑顔の裏で早く答えろと訴えているのがありありとわかる。心臓がヒヤリとして、早く答えなければと君は焦り出したけれど、何も思い浮かばない。何て答えればいいのかわからない。母が怒り出すまでもう時間がない。
——が。
「そうだ、わたし新しく折り紙の折り方教えてもらったから一緒にやろ。ハートに羽が生えるんだよ。君にも教えてあげる」
蘭がニコッと笑うと、君の手をとって、「約束ー!」と、無理やり小指を絡め、その場で指切りげんまんをさせられた。
頭を真っ白にしたまま君は小指をブンブン振り回されて、そうだった!と、ハッと母親の顔を窺うと、もう母親の表情の奥にあった怒りがおさまっているように見えた。
なんで怒りがおさまったのかはわからなかったけれど、君はすごくホッとした。目の前では、ありがとうございますと、また蘭の母に君の母がお礼を言っている。
「蘭ちゃん、この子をよろしくね」
君の母にお願いされた蘭は目を輝かせて「うん!」と返事をしていて、その日から互いの家を行き来し、まるできょうだいのように君と蘭は育っていった。



