まじまじと、颯真くんらしき人の背中を見つめる。

 すると俺の不躾な視線を感じたのか、颯真くんらしき人とぴったりくっついている背が低いほうの男が、肩越しに俺を見てきた。目元が涼やかな印象の、綺麗系な男の子だ。俺と目が合った瞬間、嫌そうに顔を顰めてくる。

「ちょっと、何見てるんだよ」

 男の子が、最初から喧嘩腰な口調で言ってきた。だけど俺は感覚が麻痺してしまったような状態に陥っていたので、口を開けたまま、目を逸らすことも言葉を発することもできない。

 俺が反応しないことにしびれを切らしたのか、男の子が「チッ」と舌打ちした。颯真くんらしき人の二の腕を掴むと、耳元に口を寄せる。

「なんかジロジロ見てる奴がいるから、あっちいこ」
「え、誰」

 ここでようやく、颯真くんらしき人が俺を振り返った。男の子と同様、嫌そうに眉間に皺を寄せて俺を睨みつけてくる。

 ショックのあまり、やっぱり俺は動けずにいた。

 何故なら、そこにいたのは正真正銘俺の彼氏な筈の二条(にじょう)颯真(そうま)くんだったからだ。

 なんでそんな目で見られなくちゃいけないんだよ。俺は何ひとつ悪いことなんてしていないのに、なんで俺が悪者みたいな扱いを受けなくちゃいけないんだよ……!

 でも、これが俺のメッセージに既読すら付けなかった理由なんだと、ストンと理解できた。

 二人とも、何も言わずに二人を見ている俺を訝しげな目で見ている。……何か、何か言わなくちゃ。でないとなんか、一生後悔する気がする。

 逃げたくなる気持ちに必死で抗いながら、俺は考えに考え――息を思い切り吸い込んだ。

 カバンの中から、会ったら渡そうと思っていたこの間誕生日を迎えたばかりの颯真くんへのプレゼントが入った手のひら大の箱を掴む。野球のピッチャーさながらのフォームを構えると、腹の底からの大声を出した。

「……別れくらいちゃんと言えよ! 颯真くんのばーか!」
「えっ」

 そのまま勢い任せに、プレゼントの箱を颯真くんに投げつける。

「な、何投げてんだよお前!」

 男の子が颯真くんに当たって床に落ちた箱を見て、目をひん剥きながら怒鳴ってきた。俺はそいつのことは無視した。俺の彼氏だった人を横から掻っ攫っていったのはこいつのほうだ。こいつが何を喚こうが、知ったことか。

 颯真くんはようやく俺が誰だかわかったのか、目を見開いて俺のほうに向かってくる。

「ら、(らい)……っ、ま」
「もう二度とその顔は見たくない!」

 今にも涙が溢れ出しそうな顔を見られるのが嫌で、正門に出るには二人の前を通り過ぎないといけないので咄嗟に踵を返した。勧誘で学生が賑わっているキャンパスに駆け足で飛び込む。

「――来! 待って!」

 颯真くんの声が追ってきた。だけどすぐに男の子が颯真くんを引き止める。

「ちょ、ちょっと颯真!? 知り合いなの!? 別れってどういうことだよ!?」
「待ってくれ凜人、これは――!」

 言い争う声が遠のいていった。

「う……っ、うああ……っ!」

 泣きながら走っていく俺を、周りの学生がおかしなものでも見るかのような目つきで見ている。

 ――信じられねえ、あの浮気男! 普通に女の子が好きだった俺の性癖を捻じ曲げるだけ捻じ曲げておいて、遠距離になった途端浮気して捨てるとか、あ、り、え、ねえぇー!

「ふざけんな……っ!」

 腕で涙をぐしぐし拭きながら、人が少ないほうへと足を向けた。とにかく今は、誰にも見咎められずに思い切り泣きたかった。

 校舎と校舎の間の狭い通路を抜けていく。すると中庭のような空間に出た。小さめな桜の木が一本と、その下にちょっとボロい木のベンチが置かれている。

 ここだけ切り取られたような、静かな空間だった。

 導かれるようにふらふらとベンチに腰掛けると、俺を慰めるかのように降ってくる桜の花びらをぼんやりと見つめる。

 颯真くんの焦り顔と「今夜も泊まりに行っていい?」という言葉が、頭の中に現れては消えていった。

 ポツリと呟く。

「なんだよ……今夜もってことは、昨日も泊まってたってことだろ……」

 昨日から一向に既読がつかなかった理由は、まず間違いなくそれだろう。

 颯真くんは俺が隣にいないのをいいことに、東京で別の相手を見つけてそいつの家に入り浸っていたんだ。「今日は控えめにする。だってお前といたいんだもん」とも言っていたから、まず間違いなくソッチもとっくに経験済みなんだろうな。

「……人のモンを奪っておいて、酷くね……?」

 こんなことなら、俺のハジメテは颯真くんにあげなかった。ずっと渋っていてプラトニックを貫いていた俺に、上京前の颯真くんが「上京しても来の温度をいつでも思い出せるように……な、お願い」と頼み込むから、だから清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で挑んだのに。

 夏休みだって、何度も家に呼ばれてそういう機会があった。なのに、なのに、なのに――!

「うう……っ、うあぁ……!」

 その気がなかった俺を夢中にさせておいて、あまりにも酷すぎる。この大学にだって颯真くんに会いたい一心で頑張って合格したのに、俺が必死で勉強している間も堂々と浮気してたってことだよな?

 悔しくて、何よりずっと裏切られていたことが悲しくて仕方なくて、俺はひらひらと舞い落ちる桜の花びらを視界に収めたまま、思う存分泣いた。

「ず……っ」

 なんだけど、泣きすぎたせいで鼻水まで垂れてくる。

「ティッシュ……あれ?」

 カバンの中を弄っても、持っていると思っていたティッシュは見つからなかった。

 鼻水を垂らしたままキャンパスを歩くのはさすがに抵抗がある。ならハンカチはと思っても、昨日はスーツのポケットに入っていたそれは、今日はなく。

 拭けるものといえば、お洒落に見えると思って奮発して買ったオーバーサイズの春ニットの袖くらいしか思いつかない。でもけっこう高かったから、できるなら汚したくない。

「どおしよ……」

 困り果ててぼんやりと袖を見つめていると。

「あの……これ、よかったら使って」

 突然目の前にポケットティッシュが差し出された。近くに人がいるとは全く考えていなかった俺は、驚きに目を見開く。

「え、と……」
「その、ガンガン使っちゃっていいからさ」

 俺の目の前に屈み込んで心配そうな笑顔で俺の顔を見下ろしてきていたのは、パンクファッションに身を包んだ中性的で綺麗な人だった。