顔に怒りを浮かばせた颯真くんが、高圧的な態度で俺のほうに近付いてきた。

「あのさあ、来。ここまで俺が譲ってるのに、その態度はないんじゃない?」
「……」

 これまでの俺だったら、「颯真くん怒らないで! 大好き!」などと言ってご機嫌取りをしていただろう。でも、もう俺は騙されない。地元にいる時、颯真くんはこうやって俺をコントロールしていた。これってまんまモラハラ男のやり口じゃね? と気付いたのはここ最近の話だ。

 ギロ、と颯真くんを睨みつける。

「それはこっちのセリフだよ。とっくに俺に振られた癖に、なんで上から来てる訳? さっき言った言葉、聞こえなかったかな? 金輪際俺に関わってほしくないからその話をする為に呼び出したって言ったよね?」

 俺の容赦ない言葉に、颯真くんの顔色が一瞬で真っ赤に変わった。

「な――っ」
「俺が一度でもよりを戻したいって言ったっけ? 実家に連絡されてすごい迷惑だったんだけど。あ、うちの親には浮気した最低男だってちゃんと事実を伝えてるから」
「おま、な……っ」

 颯真くんの唇が、怒りからかわなわなと震えている。颯真くんが怒りの感情を見せると、どうしたって条件反射で心臓のあたりがぎゅっとしてしまう。

俺は颯真くんの機嫌を損ねたくなくて、自分の感情からは目を逸らし続けてきた。不安でも不服でも、颯真くんの言うことを全肯定していた。颯真くんが望む可愛い俺でいれば、俺のことを好きでいてもらえるからと。

 だけどその結果、どうなった? おざなりな扱いをされて、浮気されて。その上謝ったんだから許せとほざくほど颯真くんをつけ上がらせてしまった責任の一端は、俺にもあるかもしれない。

 するとその時、後ろのポケットに突っ込んでおいたスマホから振動が伝わってきた。約束通りきっちり十秒間揺れた後、動きが止まる。

 俺はそれに勇気をもらい、一歩前に出た。

 ――だから今ここで、きっちりと引導を渡す。

「実は颯真くんがごねると思って、証言してくれる人を連れてきてもらうことになってるんだ」
「はあっ!? 証言って何馬鹿なこと言ってんだよ!? 人が嘘を吐いているとでも言いたいのか!?」
「そうだよ。この嘘吐き」
「……この……っ!」

 颯真くんの(まなじり)はつり上がり、余裕げだった雰囲気は最早なくなっている。ここまでは作戦通りだ。

 誠は「あまり刺激するとあいつが暴力を振るってくるんじゃ」と心配していたけど、颯真くんは自分が優位に立っていると思っている時は得意の論点ずらしを仕掛けてくるのが常で、正直厄介なんだ。

 だけど颯真くんはこれまで持て囃されてばかりいたせいで、実はかなり打たれ弱いところがある。

 そこで俺が立てた作戦は、颯真くんを煽り余裕を奪った上で、予め用意しておいたカンペを元に粗探しをしてこちらが論破するというものだった。

 颯真くんは自分が一番賢いと思っている。格下だと思っている俺に論破されたら恥ずかしすぎて二度と近付いてこないだろうという目論見だった。というかポエムを送ってくる相手に理屈は通じないと思うから、プライドをズタズタにするしか解決策はないと思ったんだよね。

 満を持してポケットからカンペを出すと、自分の前に広げる。

「まず、入学式とオリエンの日に送っていた俺からのメッセージを無視したのは、凜人さんが目の前でスマホを見るのを嫌がるからって言ってたね?」
「そ、そうだよ! あいつ束縛系だからさ」
「なるほどなるほど」

 次の項目に移った。

「俺が受験の時に凜人さんから猛プッシュされて、恋人がいてもいいからとしつこく迫られたんだっけ?」
「そ、そう! 本当しつこくてさ、どれだけ俺のことが好きだって言うんだよって感じでさっ」
「ふーん。スポーツ同好会の飲み会で飲み物に何か入れられて前後不覚になったのは誰だったっけ?」

 真顔をキープしたまま、颯真くんに尋ねる。颯真くんは頬を変な感じに引き攣らせながらも、答えた。

「お、俺だよ!」
「ホテルに連れて行かれた?」
「そ、そう!」
「ヤッてる写真を撮られて、それをネタに脅されたんだっけ?」
「そう言ってんだろ!」

 苛立たしげに颯真くんが歯茎を剥く。見た目はイケメンの部類に入るのに、人は嘘を吐いている時ここまで醜悪な顔になるんだな、と思った。

「――よくわかったよ」

 俺がそう言って紙を折り畳むと、颯真くんがあからさまにホッとした笑みを浮かべながら俺のほうに一歩近付いてくる。

「な!? 俺は悪くないだろ!? 浮気の形になったのは悪かったと思う、だけど俺にも事情があったんだよ。だから怒りを収めて、さ、ほら飛び込んでおいでよ」

 颯真くんが、この期に及んで俺に両手を広げてきた。脳内がお花畑だとしか思えないこの行動に、心底呆れ返る。

 俺は自分の身体の前で腕組みをすると、視線をすっかり葉桜となった木のほうへ向けた。

「――ということだそうですが、合ってます? 凜人さん」
「えっ!?」

 颯真くんが、間抜けなほど驚いた様子を見せる。

「……全然違うよ」

 幹の陰から出てきたのは、唇を噛み締め拳を震わせている凜人さんと、凜人さんを探して説得してここまで連れてきてくれた誠だった。