誠に頬を撫でられた衝撃で軽く思考停止していたけど、ハッと我に返る。

「そ、そうだ、鍵をしなくちゃ……っ!」

 急いでサムターン錠を縦から横にすると、カチャリという音が響いた。ふうー、と長い息を吐く。

「……にしてもさっきのあれ、なんだったんだろう……」

 思わず呟きが漏れた。

 出会った頃から、誠はボディタッチは多いほうではあった。だけど高校時代にもすぐに肩を組んできたり寄りかかってきたりする奴はいたので、誠も単にそういう人なんだろうなと軽く考えていたんだ。むしろ一度好きと自覚してしまえば、些細なことでも触れ合えるのは純粋に嬉しいし。

 だけど、さっきの前髪に触れた手つきといい、頬を軽く撫でた仕草といい、さすがにど、ど、どう考えても男友達にする距離感じゃない気がするんだけど……!?

 俺の心臓は、トクトクと早鐘を打っているままだ。息が苦しくて仕方がない。

「ヤバい、深呼吸しよ、深呼吸……っ」

 スー、ハーと何度か深呼吸している内に、不意に思い出す。それにしても、あの距離感にはどうも既視感があるぞ、と。

 暫く考えた後、ポンと手を叩く。そうだ、俺が弟の(きょう)を可愛がる時にそっくりなんだ。俺はボディタッチは別に多いほうじゃないと思うけど、享に関してだけは例外だった。とりあえず頭がそこにあれば撫でるし、隙あらば抱きつくし、「兄ちゃーん」と膝の上に乗ってきたらとりあえず引き寄せるよね。あとその時頭の匂いも嗅ぐ。だって嗅ぎたいし。

 そして俺が享に感じているのは、「可愛いなー」というものと、「守ってあげなくちゃ」という庇護欲のふたつ。

「つまり、俺は誠の弟枠……?」

 そういや以前、会話の流れで「うちの姉ちゃんって性格が激しいからさ、来が弟を可愛がっている話を聞くとめっちゃ羨ましい」と言っていたことがある。それにさっきも、「むしろ来に頼られてめっちゃ嬉しい」と確かに言っていた。つまり年下の兄弟がほしかった誠は、頼られると嬉しいということにならないか。

 そのことに気付いた途端、ドッと変な汗が吹き出てきた。

「そ、そうだよな……っ? もう、勘違いするなよ俺、は、はは……っ」

 受け取り方によっては甘ったるさも感じる接触に、脳みそが勘違いしそうになっていた。俺の馬鹿、自分がそうであることを願っているからって、何すぐそっちに結びつけようとしているんだよ! あーもう、恥ずかしい!

 上着の胸元を掴みバサバサと扇ぐと、身体の火照りが落ち着いてきた。

 その時、ちゃぶ台の上に置きっ放しのスマホが目に入る。

 ……ブロックを解除して確認するには、誠が帰った今が最適じゃないか。

 それに、誠に対する恋心を沈める為にも、嫌で仕方ない作業に手をつけるのはいい方法かもしれない。

 家の中に足を向けると、スマホを手に取りベッドの上に腰掛ける。

 トークアプリを開くと、一番上に誠がいた。次に享、その後に母さん、父さん、それにゼミで話すようになった同級生と続いている。

「ん?」

 颯真くんに最後にメッセージを送ってから、まだひと月も経っていない。スクロールしても颯真くんが出てこないので「あれ?」と思っていたら、ブロックしたら非表示にされることを思い出した。

 設定画面からブロックリストを呼び出し、エロ垢や啓発系詐欺垢に混じっている二条颯真の名前を見つけ出す。

 タップをすると、ブロックを解除するかどうかを聞かれた。正直、見るのは怖い。だけど「見るだけ、ちょっと確認するだけ」と勇気を奮い立たせ、ブロックを解除した。

 次の瞬間。

「わ、え……っ」

 画面が一気にスクロールしていく。焦りながらも、「ここから未読」までスクロールして戻っていった。速度が速かったから、内容までは確認できていない。だけど、少しなんかじゃない量のメッセージが送られていることだけはわかった。

 改めて、覚悟を決めて読み始める。

「……うわ、何これ」

 思わず冷めた声が漏れた。

 だって、その内容はとんでもないものだったんだ。

 入学式とオリエンの後に会いたいという俺からの連絡を無視したのは、凜人とかいう颯真くんと同じスポーツ同好会メンバーが一緒にいる時にスマホを見るのをものすごく嫌がるから。

 凜人という人は俺が受験真っ只中で連絡を取りづらかった時期に猛プッシュしてきた人だそうで、恋人がいてもいいとすごくしつこかったそうな。それでスポーツ同好会の飲み会で飲み物に何かを入れられて? 前後不覚になったところをホテルに連れて行かれて? そんでその時の写真をネタに付き合うことを強要されて? ほーん。そうですかそうですか。ていうかヤることはヤッてるし二股かけてたのをあっさり認めやがって、このクソ野郎が。

 俺に申し訳なくて、俺が入学してくるまでの間連絡が途切れがちになってしまったと。へー。それでも凜人という人をまいて俺に会おうとしていたところで、まとわりつかれているところを見られて勘違いされてしまったあ?

 スマホを持つ手に、異様な力が籠もった。ミシ、と音がして、慌てて力を抜く。割賦がまだ残ってるから、危ない危ない。

 にしても。

「……っざけてんじゃねえぞ……? 今夜もとかほざいてたのはテメエの口だろうが……っ!」

 普段の俺からは考えられない悪態が、口を突いて出た。

 そして笑ってしまうことに、メッセージはまだ続いていた。

 脅されていたとはいえ、黙っていたことは申し訳なかった。でも颯真くんの心にいるのは俺だけ。俺の姿を見た時、あまりに可愛くて俺だと思わなかったと。ほおほお? あの時滅茶苦茶睨まれたけどな?

 俺が投げつけたプレゼントも受け取った、あんな素敵なボールペンをありがとう、今も大事に使っている――。

「使うんじゃねえ! 捨てろ、今すぐ捨ててくれ!」

 俺はスマホに向かって吐き捨てた。

 メッセージは更に続いていて「どうして既読がつかないの? まだ怒ってる?」だとか、「まさかブロックしてないよね? 俺のこと、まだ好きだよね? だって来には俺しかいないもんね?」なんていうナルシスト全開の鳥肌もののメッセージを見ていたら、本当にゾゾゾゾッと鳥肌が立った。マジで無理。キモい。ない、あり得ない。

 颯真くんを好きだった過去の俺に、タイムマシンに乗って伝えたい。お前、こいつだけはやめておけ、ただのキモい男だぞ、と。

 最後のほうは、ポエムめいた「大学で来を見かけたよ。来がいる場所だけが輝いて見えた。隣にアイツさえいなければ……なんだか俺たち、織姫と彦星みたいだね」なんていうゲロを吐きそうなものになっていた。マジでヤバすぎる。普通にキモいしかもう出てこない。

 しかもよく見たら、毎日一ポエム送ってきてやがる。

「見るんじゃなかった……」

 激しい後悔と共に再びブロックしようとしたその時、突然スマホが鳴り始めた。

「ひっ!?」

 思わずベッドの上にスマホを投げる。何故なら、表示されている名前が「二条颯真」だったからだ。

 鳴り続けるスマホ。固まる俺。

 とにかくすぐに颯真くんの存在をないものにしたい、と急いでスマホの電源を落とす。

「……ふうーっ」

 額の汗を手の甲で拭った。そこではたと気付く。

「ヤバ……ブロックしないまま電源を落としちゃった……」

 真っ黒になったスマホの画面を見つめたまま、俺は途方に暮れた。