突然の出来事にまだ非現実感を感じる中、俺は目の前の教科書に集中しようと焦っていた。
だけど、焦れば焦るほど文字は滑ってしまい頭の中に入ってこない。
「――――っ」
ぐしゃぐしゃっと髪を掻き毟った後、自分の頬を両手でパンッと叩いた。隣の席の学生がビクッとしたのがわかる。ごめん。俺が悪かった。でも今回ばかりは許してほしい。
だって、最初こそ「見つかったらどうしよう!」と怖かった。でも二人の傍若無人な話し声を聞かされている内に、次第に腹が立ってきたんだ。
そもそも、全ての原因は颯真くんにある。俺に別れを告げないままこっちで別の奴と浮気したこともそうだし、俺に振られた後に何を思ったか人んちの実家にまで連絡してきたのだって、考えてみれば随分と勝手な話だ。
そのせいで俺は傷付いて、颯真くんが何をしたいのか理解できないせいで怯えて、警戒をして。本来は全く関係のない誠に送り迎えまでさせていたのに、そんなことなんて何ひとつなかったかのように呑気にでかい声で会話していた。しかもここは図書館なのに、だ。
特に相手の男の子の、あの颯真くんにべったり甘えるような声には、本気で不快感しか覚えなかった。俺が誕プレを投げつけて颯真くんを振った後、修羅場を迎えたとばかり思っていた。だけどあの感じだと、別れもせずに関係を続けているとしか思えない。別に二人が付き合おうがどうでもいいけど、まるでなかったかのような呑気な様子は正直「は?」だった。
だというのにあの人は、俺の実家にまで連絡してきた。一体何の為に? やっぱり地元の奴らへの口止め説が濃厚だろうか。そうにしろそうでないにしろ、どうせろくでもないもんでしかないだろうけどさ。
だから呆れた後、俺は颯真くんに対して激しい怒りを覚えた。散々人を悲しませて怯えさせておいて、なんなんだよ!? ってさ。
人を振り回すにもほどがある。あの人は俺のことを余程コントロールしやすいチョロい奴だと思っていたんだろうなってことが、プンプン伝わってくる。
これまでは誠が心配してくれることもあったし、そもそも颯真くんに無駄な時間を費やしたくないのもあったから避けてきたけど、ここはやっぱりひと言「俺に二度と関わるんじゃねえ」と釘を刺したほうがいいんじゃないか――。
でも、誠に言ったらソッコーで止められるのは間違いない。俺も直接対決はさすがにちょっと……だし。うーん、何かいい方法はないかな――と考え、妙案を思いつく。なら、ブロックしている間に颯真くんが俺に何を伝えようとしていたのかを確認してみればいいんじゃないか。そう、事前調査ってやつだ。
それで颯真くんの主張が明らかにヤバげなやつだったら、誠に付き合ってもらってガツンと釘を刺す。地元への口止め的なやつだったら、「もう関わりたくないから何もしない」とだけ伝えて、またブロックして俺の中から颯真くんの存在を完全に抹消する。うん、これならこれ以上警戒を続けなくてもよくなるし、いいんじゃないかな?
なんとなく方向性が定まってくると現金なもので、さっきまで目が滑って入ってこなかった内容がスムーズに入ってくるようになる。
気が付けば、ゼミを終えて迎えに来た誠が隣に座って俺の横顔を眺め始めたのにも暫く気付かないほど、勉強に没頭していたのだった。
◇
今日も誠と一緒にスーパーに寄って、食材を調達した。
実は、俺はこの時間が何気に一番好きだったりする。だって誠の好みがどんどん知ることができるし、並んで食材を選んでいるとちょっと恋人っぽいじゃないか。
俺は誠と恋人になりたいなんて無謀なことは望まないけど、ちょっと気分を味わうくらいは許してほしい。
勿論、例の乙女な目は間違っても向けないよう心がけた。ただ、俺が作った料理をそれは嬉しそうな様子でもりもり口に運ぶ誠をちゃぶ台の反対側から見ている時だけは、どうしたって微笑ましすぎてあの目になっている自覚はあったけど。
だけど誠は食べる時、料理を見ながら食べる。だから俺の眼差しには気付かないままだから問題ない筈だ、うん。
毎日話題は尽きないし、どんどん話したいことが増えていく。ふと、颯真くんと過ごしていた時は、自分から楽しい話題を振ろうと必死になっていたことを思い出した。……あの頃の俺、健気に頑張っていたなあ。まあ全部無駄だったけど。
使った皿を洗ってくれた誠が、名残惜しそうな様子でカバンを持つ。俺も見送りに立ち上がると、誠と一緒に玄関へ向かった。
「じゃ、また明日迎えに来るから」
「うん。なんかごめんね、面倒ばっかりかけさせて」
毎日はさすがに負担なんじゃないかと思ってそう言うと、誠が薄めの唇を尖らせながら人差し指で俺の額をツンと押した。
「わっ、な、何」
「こら。僕が好きでやってることなんだから、遠慮なんて絶対するなよ」
「でも……」
次に、誠が俺の頭をポンポンと撫でる。
「むしろ来に頼られてめっちゃ嬉しいから、僕から楽しみを奪わないでおいて」
「誠……」
こんなことを言われて、世の中にキュンとしない奴なんていないと思う。だから俺も漏れなくキュンとして、俺を見下ろしている誠を笑いながら見つめ返した。
「へへ……ありがとね」
なのに誠は俺の言葉には反応しないまま、何故か俺の前髪を指で摘むとくるくるとねじり出している。……ん? 何をしているんだろう。
「……誠?」
「――あっ、いや、うん!」
誠はハッとしたように小さく飛び上がると、慌てたように俺の髪に触れていた手で自分の頭を掻いた。
「そ、そろそろ帰るかな!」
「うん。夜道、気を付けてね」
「そうする! 来は僕が出たらすぐに――」
「玄関の鍵だろ。わかってるって」
恒例になりつつある誠の別れの言葉に、こそばゆさもあって小さく笑う。
誠は靴を履くとやっぱり名残惜しそうに俺を振り返ると、人差し指で俺の頬に僅かに触れる。――え。
どういうつもりで触れてきたんだろうと確かめる前に、誠が背中を向けてしまった。
「じゃ、また明日」
「あ、うん」
「戸締まりしろよ」
「だからするってば」
軽口を叩きながら、だけど心臓は早鐘を打っていて。
パタンと閉じた玄関のドアの前で、俺は触れられた頬に手を当てながら、暫くの間ぼんやりと佇んでいたのだった。
だけど、焦れば焦るほど文字は滑ってしまい頭の中に入ってこない。
「――――っ」
ぐしゃぐしゃっと髪を掻き毟った後、自分の頬を両手でパンッと叩いた。隣の席の学生がビクッとしたのがわかる。ごめん。俺が悪かった。でも今回ばかりは許してほしい。
だって、最初こそ「見つかったらどうしよう!」と怖かった。でも二人の傍若無人な話し声を聞かされている内に、次第に腹が立ってきたんだ。
そもそも、全ての原因は颯真くんにある。俺に別れを告げないままこっちで別の奴と浮気したこともそうだし、俺に振られた後に何を思ったか人んちの実家にまで連絡してきたのだって、考えてみれば随分と勝手な話だ。
そのせいで俺は傷付いて、颯真くんが何をしたいのか理解できないせいで怯えて、警戒をして。本来は全く関係のない誠に送り迎えまでさせていたのに、そんなことなんて何ひとつなかったかのように呑気にでかい声で会話していた。しかもここは図書館なのに、だ。
特に相手の男の子の、あの颯真くんにべったり甘えるような声には、本気で不快感しか覚えなかった。俺が誕プレを投げつけて颯真くんを振った後、修羅場を迎えたとばかり思っていた。だけどあの感じだと、別れもせずに関係を続けているとしか思えない。別に二人が付き合おうがどうでもいいけど、まるでなかったかのような呑気な様子は正直「は?」だった。
だというのにあの人は、俺の実家にまで連絡してきた。一体何の為に? やっぱり地元の奴らへの口止め説が濃厚だろうか。そうにしろそうでないにしろ、どうせろくでもないもんでしかないだろうけどさ。
だから呆れた後、俺は颯真くんに対して激しい怒りを覚えた。散々人を悲しませて怯えさせておいて、なんなんだよ!? ってさ。
人を振り回すにもほどがある。あの人は俺のことを余程コントロールしやすいチョロい奴だと思っていたんだろうなってことが、プンプン伝わってくる。
これまでは誠が心配してくれることもあったし、そもそも颯真くんに無駄な時間を費やしたくないのもあったから避けてきたけど、ここはやっぱりひと言「俺に二度と関わるんじゃねえ」と釘を刺したほうがいいんじゃないか――。
でも、誠に言ったらソッコーで止められるのは間違いない。俺も直接対決はさすがにちょっと……だし。うーん、何かいい方法はないかな――と考え、妙案を思いつく。なら、ブロックしている間に颯真くんが俺に何を伝えようとしていたのかを確認してみればいいんじゃないか。そう、事前調査ってやつだ。
それで颯真くんの主張が明らかにヤバげなやつだったら、誠に付き合ってもらってガツンと釘を刺す。地元への口止め的なやつだったら、「もう関わりたくないから何もしない」とだけ伝えて、またブロックして俺の中から颯真くんの存在を完全に抹消する。うん、これならこれ以上警戒を続けなくてもよくなるし、いいんじゃないかな?
なんとなく方向性が定まってくると現金なもので、さっきまで目が滑って入ってこなかった内容がスムーズに入ってくるようになる。
気が付けば、ゼミを終えて迎えに来た誠が隣に座って俺の横顔を眺め始めたのにも暫く気付かないほど、勉強に没頭していたのだった。
◇
今日も誠と一緒にスーパーに寄って、食材を調達した。
実は、俺はこの時間が何気に一番好きだったりする。だって誠の好みがどんどん知ることができるし、並んで食材を選んでいるとちょっと恋人っぽいじゃないか。
俺は誠と恋人になりたいなんて無謀なことは望まないけど、ちょっと気分を味わうくらいは許してほしい。
勿論、例の乙女な目は間違っても向けないよう心がけた。ただ、俺が作った料理をそれは嬉しそうな様子でもりもり口に運ぶ誠をちゃぶ台の反対側から見ている時だけは、どうしたって微笑ましすぎてあの目になっている自覚はあったけど。
だけど誠は食べる時、料理を見ながら食べる。だから俺の眼差しには気付かないままだから問題ない筈だ、うん。
毎日話題は尽きないし、どんどん話したいことが増えていく。ふと、颯真くんと過ごしていた時は、自分から楽しい話題を振ろうと必死になっていたことを思い出した。……あの頃の俺、健気に頑張っていたなあ。まあ全部無駄だったけど。
使った皿を洗ってくれた誠が、名残惜しそうな様子でカバンを持つ。俺も見送りに立ち上がると、誠と一緒に玄関へ向かった。
「じゃ、また明日迎えに来るから」
「うん。なんかごめんね、面倒ばっかりかけさせて」
毎日はさすがに負担なんじゃないかと思ってそう言うと、誠が薄めの唇を尖らせながら人差し指で俺の額をツンと押した。
「わっ、な、何」
「こら。僕が好きでやってることなんだから、遠慮なんて絶対するなよ」
「でも……」
次に、誠が俺の頭をポンポンと撫でる。
「むしろ来に頼られてめっちゃ嬉しいから、僕から楽しみを奪わないでおいて」
「誠……」
こんなことを言われて、世の中にキュンとしない奴なんていないと思う。だから俺も漏れなくキュンとして、俺を見下ろしている誠を笑いながら見つめ返した。
「へへ……ありがとね」
なのに誠は俺の言葉には反応しないまま、何故か俺の前髪を指で摘むとくるくるとねじり出している。……ん? 何をしているんだろう。
「……誠?」
「――あっ、いや、うん!」
誠はハッとしたように小さく飛び上がると、慌てたように俺の髪に触れていた手で自分の頭を掻いた。
「そ、そろそろ帰るかな!」
「うん。夜道、気を付けてね」
「そうする! 来は僕が出たらすぐに――」
「玄関の鍵だろ。わかってるって」
恒例になりつつある誠の別れの言葉に、こそばゆさもあって小さく笑う。
誠は靴を履くとやっぱり名残惜しそうに俺を振り返ると、人差し指で俺の頬に僅かに触れる。――え。
どういうつもりで触れてきたんだろうと確かめる前に、誠が背中を向けてしまった。
「じゃ、また明日」
「あ、うん」
「戸締まりしろよ」
「だからするってば」
軽口を叩きながら、だけど心臓は早鐘を打っていて。
パタンと閉じた玄関のドアの前で、俺は触れられた頬に手を当てながら、暫くの間ぼんやりと佇んでいたのだった。



