最初の異変は、その数日後に起きた。
次の講義への移動の為、誠と並んでキャンパスを歩いている時だった。ふと呼ばれた気がして、立ち止まって振り返る。
勧誘の嵐も収まり、振り返ったキャンパス内は凪いだ雰囲気だ。誰もこちらを見ている人はいないし、少しずつでき始めた同じ学部の知り合いもいる気配はない。
「……?」
気のせいかな、と小首を傾げる。
「ちょ……っ、どうしたんだ、来!」
隣を歩いていた俺がついてきていないことに気付いた誠が、慌てた様子で俺の元に駆け戻ってきた。
「話しかけてたら突然返事が聞こえなくなったから隣を見たらいないんだもん! びっくりしたんだけど!?」
「あ、ごめん。なんか誰かに呼ばれた気がして」
「え」
途端に、誠の目が鋭いものに変わり、周囲を見回し始める。緊張している様子が伝わってきたので、申し訳なくなって誠の袖を引っ張った。
「ごめん、でも気のせいだよ。誰も見てないし。俺がちょっと神経質になってるだけだと思う」
「来……」
誠が悔しそうに顔を歪めると、俺の頭をぐしゃぐしゃと大きな手で撫でてくる。
「そりゃそうだよ……とっくに別れた相手が実家に電話してきて住所を聞いてきたら、普通に怖いって」
正直なところ、自分ではちょっと心配しすぎなんじゃないかと思う部分もあった。だけど確かに、怖いは怖い。だから、うまく伝えられないこの不気味さを共有できる誠の存在は、心底ありがたかった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとね、誠」
「うん……。ちょっと考えたんだけどさ、いっそのことこっちから接触して釘を刺すのもありかもしれないよな。ただ警戒するだけっていうのもスッキリしないし」
誠の言葉に、俺は大きく頷く。
「わかる。実は、それもちょっとは考えた」
「来も?」
誠が目を少し大きく開いて、どこか心配そうに俺を見下ろしてきた。
「でもはっきり言って、なんで自分から颯真くんに連絡を取らないといけないんだろうって思ったら全くやる気が起きなくて」
「ふは……っ、来の案外はっきり言っちゃうところ、本当好き」
誠の一〇〇パーセントの肯定に、おかしいやら嬉しいやらでつい吹き出してしまう。
「だってさ、俺に話すことはないもん。向こうが俺と会いたがっているのって、きっと自己弁護をしたいだけだと思うし」
「辛辣で素敵だと思うよ、来」
「ありがと」
そう、今言った通り、俺もそれは考えていた。このままいつ現れるのかとビクビク怯えているだけよりも、自分から一時だけでもブロックを解除してあえてこちらから連絡を取り、話をができる場をもうけたらどうかって。
そうしたら颯真くんはスッキリするし、俺もこれ以上怯える必要もなくなり、誠や母さんの心労も減る。
颯真くんが俺に何か伝えたいのかは、正直わからない。だけど俺が早々に着拒とブロックをして完全に連絡不可の状態にしてしまったから、言いたいことも言えない状態が続いてフラストレーションを溜めたんじゃないかな。
……だけど。
そもそも、俺はもう話すことなんてない。颯真くんが何を言ったところでもう俺の心は完全に離れてしまったし、どんな理由があったにしろ俺と付き合った状態で他の奴に手を出したのは事実だ。
つまり、今更何を話したところで不毛ってことだ。そして俺は不快な思いをしてまで、颯真くんの言い訳か懺悔かは知らないけど話を聞くことに時間を割くくらいなら、その時間を誠と過ごしたい。そもそも向こうだってもう相手がいるんだから、俺とよりを戻すつもりはないだろうし、はっきり言って時間の無駄。
なのにそれでも俺と話をしたい理由は何か。これは俺の予想だけど、腹いせに地元で俺にあることないことを言いふらされたくない為に口止めをしたいんじゃないか。そう考えたら筋が通るんだよね。これまで従順だった俺にだったら、自分の正当性を説けば俺にも非があったんだと思わせられそうだし――というやつだ。
さすがにそこまで小狡くはないと思いたかったけど、冷静に考えれば考えるほど、考えはそこに至った。我ながら、あまりにも冷めた視点で笑ってしまう。確かに颯真くんから見れば俺は恋のせいで盲目になった道化だっただろうから、颯真くんが白だと言えば黒いものも白いと俺が思うと今でも思っている可能性は高かった。
「来? やっぱり怖いよな……」
誠が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。だから俺は、目一杯の笑みをうかべる。
「ううん、大丈夫だよ! だって誠がいるし!」
「来……っ」
そう、今の俺には誠がいる。颯真くんがいずれ大学で接触してくることがあったとしても、大体いつも俺は誠といるから問題ない。受講する内容が違うのは、クラス単位の英語とゼミくらいだしな。
「まあやっぱり不愉快だから、俺からは連絡は取らないことにする」
「うん、僕も来の意見に賛成だな」
誠がホッとしたような緩い笑みを見せた。もしかしたら、俺がしびれを切らして颯真くんと会おうとするんじゃないかと思って探りを入れたのかもしれない。
「僕が来を守るから、ちょっとでもおかしいなって思ったらすぐに言ってくれよな?」
誠の優しい気遣いに、俺の心がほわんと温かさを覚える。
「うん、ありがと」
颯真くんにされたことは、最低なことだと思う。
だけど俺の人生に誠という人を与えてくれたのが颯真くんの所業のせいだというなら、そこだけはちょっと感謝したいな――なんて思った。
次の講義への移動の為、誠と並んでキャンパスを歩いている時だった。ふと呼ばれた気がして、立ち止まって振り返る。
勧誘の嵐も収まり、振り返ったキャンパス内は凪いだ雰囲気だ。誰もこちらを見ている人はいないし、少しずつでき始めた同じ学部の知り合いもいる気配はない。
「……?」
気のせいかな、と小首を傾げる。
「ちょ……っ、どうしたんだ、来!」
隣を歩いていた俺がついてきていないことに気付いた誠が、慌てた様子で俺の元に駆け戻ってきた。
「話しかけてたら突然返事が聞こえなくなったから隣を見たらいないんだもん! びっくりしたんだけど!?」
「あ、ごめん。なんか誰かに呼ばれた気がして」
「え」
途端に、誠の目が鋭いものに変わり、周囲を見回し始める。緊張している様子が伝わってきたので、申し訳なくなって誠の袖を引っ張った。
「ごめん、でも気のせいだよ。誰も見てないし。俺がちょっと神経質になってるだけだと思う」
「来……」
誠が悔しそうに顔を歪めると、俺の頭をぐしゃぐしゃと大きな手で撫でてくる。
「そりゃそうだよ……とっくに別れた相手が実家に電話してきて住所を聞いてきたら、普通に怖いって」
正直なところ、自分ではちょっと心配しすぎなんじゃないかと思う部分もあった。だけど確かに、怖いは怖い。だから、うまく伝えられないこの不気味さを共有できる誠の存在は、心底ありがたかった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとね、誠」
「うん……。ちょっと考えたんだけどさ、いっそのことこっちから接触して釘を刺すのもありかもしれないよな。ただ警戒するだけっていうのもスッキリしないし」
誠の言葉に、俺は大きく頷く。
「わかる。実は、それもちょっとは考えた」
「来も?」
誠が目を少し大きく開いて、どこか心配そうに俺を見下ろしてきた。
「でもはっきり言って、なんで自分から颯真くんに連絡を取らないといけないんだろうって思ったら全くやる気が起きなくて」
「ふは……っ、来の案外はっきり言っちゃうところ、本当好き」
誠の一〇〇パーセントの肯定に、おかしいやら嬉しいやらでつい吹き出してしまう。
「だってさ、俺に話すことはないもん。向こうが俺と会いたがっているのって、きっと自己弁護をしたいだけだと思うし」
「辛辣で素敵だと思うよ、来」
「ありがと」
そう、今言った通り、俺もそれは考えていた。このままいつ現れるのかとビクビク怯えているだけよりも、自分から一時だけでもブロックを解除してあえてこちらから連絡を取り、話をができる場をもうけたらどうかって。
そうしたら颯真くんはスッキリするし、俺もこれ以上怯える必要もなくなり、誠や母さんの心労も減る。
颯真くんが俺に何か伝えたいのかは、正直わからない。だけど俺が早々に着拒とブロックをして完全に連絡不可の状態にしてしまったから、言いたいことも言えない状態が続いてフラストレーションを溜めたんじゃないかな。
……だけど。
そもそも、俺はもう話すことなんてない。颯真くんが何を言ったところでもう俺の心は完全に離れてしまったし、どんな理由があったにしろ俺と付き合った状態で他の奴に手を出したのは事実だ。
つまり、今更何を話したところで不毛ってことだ。そして俺は不快な思いをしてまで、颯真くんの言い訳か懺悔かは知らないけど話を聞くことに時間を割くくらいなら、その時間を誠と過ごしたい。そもそも向こうだってもう相手がいるんだから、俺とよりを戻すつもりはないだろうし、はっきり言って時間の無駄。
なのにそれでも俺と話をしたい理由は何か。これは俺の予想だけど、腹いせに地元で俺にあることないことを言いふらされたくない為に口止めをしたいんじゃないか。そう考えたら筋が通るんだよね。これまで従順だった俺にだったら、自分の正当性を説けば俺にも非があったんだと思わせられそうだし――というやつだ。
さすがにそこまで小狡くはないと思いたかったけど、冷静に考えれば考えるほど、考えはそこに至った。我ながら、あまりにも冷めた視点で笑ってしまう。確かに颯真くんから見れば俺は恋のせいで盲目になった道化だっただろうから、颯真くんが白だと言えば黒いものも白いと俺が思うと今でも思っている可能性は高かった。
「来? やっぱり怖いよな……」
誠が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。だから俺は、目一杯の笑みをうかべる。
「ううん、大丈夫だよ! だって誠がいるし!」
「来……っ」
そう、今の俺には誠がいる。颯真くんがいずれ大学で接触してくることがあったとしても、大体いつも俺は誠といるから問題ない。受講する内容が違うのは、クラス単位の英語とゼミくらいだしな。
「まあやっぱり不愉快だから、俺からは連絡は取らないことにする」
「うん、僕も来の意見に賛成だな」
誠がホッとしたような緩い笑みを見せた。もしかしたら、俺がしびれを切らして颯真くんと会おうとするんじゃないかと思って探りを入れたのかもしれない。
「僕が来を守るから、ちょっとでもおかしいなって思ったらすぐに言ってくれよな?」
誠の優しい気遣いに、俺の心がほわんと温かさを覚える。
「うん、ありがと」
颯真くんにされたことは、最低なことだと思う。
だけど俺の人生に誠という人を与えてくれたのが颯真くんの所業のせいだというなら、そこだけはちょっと感謝したいな――なんて思った。



