誠はいつも俺の家から出る時、立ち去るのが名残惜しそうに靴を履いたまま、玄関のドアに背中をつけて暫く話してから帰っていく。

 そんなに喋り足りないなら駅まで一緒に行こうと何度か提案したことはあるけど、「夜道は危ないからダメ」と断られた。

 いや、俺も誠と同じ男なんだけどな……? と思ったけど、「俺はこの通り背がでかいし格好もこれだから変なのは寄ってこないけど、来はそうじゃないからダメ」と毎回言われるんだよ。確かに見た目は男らしくはないけどさ……ええー。

 そんな訳で、今日も誠が玄関のドアに背中をもたれている状態で喋っていると、ベッドの上に置きっ放しにしていた俺のスマホが鳴り始めた。

「あ、ちょっとごめんね」

 軽く手を上げて駆け寄る。母さんからの着信だ。

「誠ごめん、母さんからだ」

 顔の前で片手を「ごめんね」のポーズにする。

「わかった。今日もご馳走様! ちゃんと鍵を閉めろよ?」
「うん、誠も気を付けて! おやすみ」

 笑顔で手を振ると、電話に出る。

「あ、母さんお待たせ。どうしたの? こんな時間に珍しい」
『あ、来……! それがね、ちょっと母さんわからなくて』
「え? 何が?」

 電話の向こうから聞こえてきた母さんの声は、いつもと違って本当に困っているように聞こえた。

 誠は玄関前に置いていたカバンを肩にかけ、閉めていた鍵を開けているところだ。ドアを開くと、まだ涼しい春の風がワンルームの中に入ってきた。

 誠は通話の邪魔をしない為か、玄関の外に出ると振り返ってソーッとドアを閉めていく。気遣い屋の誠らしいなあと思って思わず苦笑すると、誠と目が合ったのでどちらからともなく微笑み合った。

 するとその時、電話越しの母さんが予想外の名前を口にする。

『ほら、来と仲がよかったひとつ上の先輩いるでしょ? えーと、二条くん』
「――は? 何? なんで颯真くん?」

 思わず不機嫌を含ませた声で鋭く返すと、閉じかけていた玄関のドアがピタリと止まった。眉間に皺を寄せた誠が、再びドアを開けて玄関の内側に入ってくる。

 静かにドアを閉めると、先程と同じようにドアに背中をつけて身体の前で腕を組んだ。

『それがね、あんたと連絡がつかないって言ってきて、連絡先が変わったなら教えてほしいって言われてねえ』
「え、ちょっと……は? そっちに連絡があったの?」

 俺の言葉を聞いた誠が、眉間の皺を更に深くする。きっと、俺の眉間も今同じ状態なんだろうと思った。

『そうなのよ。でも、来は別に連絡先は変えてないじゃない? まさかとは思ったけど、来が着信拒否とかブロックとかしてるのかなあと思ったのよね。だから番号は変わってないですよとだけ答えたんだけど――で、実際のところはしてるの?』

 母さんは、俺と颯真くんの関係は何も知らない。あの人、余計なことを話してないだろうな……? とヒヤヒヤしながらも、答えた。

「う、うん。実はそうなんだ。喧嘩っていうか、その……もう縁は切ったっていうか」
『そうなの? なんかちょっと二条くん、必死って感じでね。なら住所を教えてくれないかとか言ってきたから、悪いけど母さんちょっと怖くて。ねえ、来』
「な、何」

 母さんの真剣な声色に、思わず唾を嚥下する。誠は靴を脱ぐと、俺の前まで戻ってきた。

『母さん、あの子がうちに来た時に何度も会ってるじゃない? 母さんの勘違いならあれなんだけど、なんていうかあの子の目つきがその……友達とか後輩に向ける目じゃなくて、もっとこう……その、好きな子に向ける目って言ったらいいのかな、そういう感じに見えてたんだけど……合ってる?』
「……!」

 嘘……母さん、鋭くない!? だけどそれが母親というものなのかもしれない、と同時に納得してしまっていた。

「え、あ、その……」

 どうしよう。なんて答えたらいいのかわからなくて、思わず誠を見た。すると誠が安心させるように俺の肩に手を乗せ、優しく撫でてくれる。

 大丈夫、僕がついている――。そう言われた気がして、パニックになりかけていた頭がスッと冷静さを取り戻した。

 そうだ、母さんはいつだって俺の味方だったじゃないか。だからきっと大丈夫、大丈夫だ――。

 自分にそう言い聞かせながら、息をフーッと吐いた後、答える。

「……うん。実は颯真くんと、付き合ってた」
『……そっか。過去形ってことは、今は別れたのね?』

 母さんの声も、どこかホッとしているように聞こえた。もしかしたら俺が颯真くんと同じ大学を目指していた本当の動機も、薄々どころか普通に気付いていたのかもしれないな、とふと思った。

「うん。向こうに酷いことされちゃったから、振ってやった」
『お、格好いいじゃないの来』
「へへ……ありがと」

 お互い探り合うようだった雰囲気が、これを機に払拭される。

 母さんが、あえてなんだろう。明るめの声を出した。

『母さんね、来は律儀なのに連絡をしないとかあり得ないなって思ったのよね! だからこれは怪しいぞと思って、個人情報は教えられませんって突っぱねちゃったの。じゃあ正解だったってことよね!?』
「うん! 母さん滅茶苦茶ナイスアシストだよ!」

 俺も、あえて明るめの声を出す。母さんを、これ以上心配させたくはなかった。

『よかったあー! 来に余計なことしてって嫌われたらどうしようって思ってたのよね! ほら、来ってば滅多に怒らないじゃない? 遠慮して言わなくて溜められたら嫌だなって心配しちゃったのよね!』
「母さん……気を遣わせてごめんね」

 じわりと涙が滲む。多分今回電話してくる前も、いっぱい考えたんだろうなあ。悩ませてしまって申し訳ないという気持ちと同時に、離れても俺のことをちゃんと思ってくれる家族の温かさにジンとくる。

『ううん、それはこっちのセリフよ。あ、ちなみに多分気が付いているのは母さんだけだけどね。他の男たちはそういうのは本当鈍感だから』
「あは、そうなんだ」
『みんな呑気なもんよ。(きょう)なんか、お兄ちゃんの一番は僕だもんなんていつも自信満々よ』
「享ってばそんなこと言ってんの? 可愛いんだけど」

 話題はお互いの近況報告に移っていって、最後に母さんが締め括る。

『二条くん、同じ大学なんでしょ? 母さんちょっと怖いわ。なるべくお友達と一緒にいて、ひとりにならないようにするのよ』
「あ、うん。それは大丈夫。ほぼ毎日友達といるし、なんなら今も隣にいるし」

 誠の顔を見上げながらにこりと笑うと、誠も笑い返してくれた。

 と、誠が突然口を開く。

「来のお母さん、僕が来を守りますから大丈夫です!」
「ま、誠!?」

 いきなり何を言い出したんだと思ったけど、正直なところ誠の言葉はかなり心強かった。だって、住所を知りたいなんて普通に怖いしかない。

『あら! 頼もしいわね、来のことをよろしくお願いします!』
「ちょ、ちょっと母さんってばっ」
「はい!」
「あーもう、誠まで……っ。と、とにかく、大丈夫だから! 切るね!」

 慌てて通話を切ると、誠を上目遣いで見る。

「誠さあ……」
「はは、慌ててる来、かわいー」
「ちょ……っ」
「あ、来のお母さんに言ったことは本当だからな?」

 誠は飄々とした様子で、にこりと俺に笑いかけてきたのだった。