今日も俺は、大和さんと二人でフォームの確認をしていた。
必死に体を動かしているのに、どうしても腕の角度が微妙に狂ってしまう。
「もう少し手首の角度をこう…」
大和さんがそっと俺の腕に手を添えて直してくれる。
その距離の近さに、胸の奥がじわじわ熱くなる。
手の温もり、わずかな汗の匂い、指先から伝わる圧――すべてが意識をかき乱す。
そのとき、肩を軽く叩かれた。
「おっと、ひなと君。今日は俺じゃなくて、藤堂に甘えてるの? 寂しい~」
「えっ!? そ、そんなつもりは……!」
振り返ると、真柴さんがニヤニヤしながら立っていた。
「真柴、お前本当にやめろ。そういうのセクハラになるから」
大和さんも思わず顔を赤らめ、慌てて否定する。
「二人とも焦ってるじゃん。あー、楽しいなぁ」
真柴さんは腕を組み、笑みを浮かべてからかってくる。
もう、やめて欲しい。俺は思わず顔を手で覆い、赤面するのを隠した。
大和さんは苦笑しながら、そっと俺の頭に手を置く。
「恥ずかしがると、余計いじられるぞ」
ちら、と視線を移すと、大和さんが俺を見ていた。
目が合うだけで、心臓が飛び出しそうだ。……いや、でも大和さんが優しいのは誰にでもって、真柴さんが言ってたし。
頭では分かっている。大和さんが誰にでも同じ優しさを向けている姿を、稽古中も、懇親会でも見てきた。
でも、心臓はそれでも跳ねる。手に握った木刀が鼓動にシンクロして震えている。
「……じゃあ、次は俺とじゃなくて、山内くんと手合せしてみようか」
大和さんの声に合わせて、俺と参加者の山内くんがスポンジで出来た刀を構え合った。
息を整えて、動き出す――はずだった。
刀を構えたままふと横を見ると、大和さんが別の参加者にフォームを教えているのが目に入った。
その相手は女性で、緊張した様子で刀を握っている。
大和さんは彼女の手にそっと触れ、角度を直してやりながら微笑んだ。
その距離の近さ、穏やかな声。
まるで俺に教えてくれたときと同じ仕草だった。
――優しいのは、誰にでも。
頭の中でそう繰り返してみても、どうしようもなく、苦しい。
他の誰かにあの笑顔を向けているだけで、心臓が締め付けられるようだった。
「大和さんって、ほんと丁寧に教えてくれますよね」
隣で山内くんが言った。
「……うん、そうだね」
乾いた声が、自分のものとは思えなかった。
気を取り直そうと刀を構え直す。集中しろ。こんなことで乱れるな。
そう言い聞かせても、心のどこかで大和さんの姿がちらつく。
次の斬りに合わせて前に踏み出した瞬間、足元のマットが微妙に滑った。
体のバランスが一瞬狂い、思わず右手を床についた拍子に、肘をガツンと打った。
「痛っ……!」
思わず声が出て、鈍い痛みが肘から腕に広がる。
周囲が一瞬静まり返り、スタッフや参加者たちの心配そうな声が聞こえて、余計に焦る。
「ひなと!」
大和さんがすぐに駆け寄り、俺の手を取る。その手は、少し震えていた。
心臓の音が耳まで届きそうだ。呼吸が混ざる。
ジャージの下の汗の匂い、温かい指先、そして真剣な瞳――すべてが視線を奪っていく。
「ひなと君、血が出てる。こっちで手当しましょう」
シオリさんにそっと腕を引かれて、俺は後ろ髪を引かれる思いで稽古場の端に下がった。
消毒して貰い、大きめの絆創膏を貼られる。
「剥がれやすい場所だから、軽く巻いておくね」
手際よく、白い包帯が巻かれる。その様子を見つめながら、俺の心は不安でいっぱいだった。
明日は稽古の最終日で、その成果を披露するミニライブ形式の発表会がある。
大した怪我ではないけれど、百パーセントの力を出し切れないような気がした。
「ひなと君」
俺の不安げな顔を見て、その気持ちを察したように大和さんが声を掛けてくれた。
「……今は休憩。あとで俺が教えるから、他のみんなの動きを見て学ぶ時間にして」
大和さんが、俺の頭をくしゃくしゃと撫でて微笑む。
「はい、それじゃあ再開します。みんなも怪我には十分気をつけるように。……すみません、マットをもう一度固定するので、手伝ってもらえますか?」
参加者の皆と、裏方のスタッフさんたちに指示を出しながら、大和さんは稽古を再開した。
その広い背中を見つめて、どうしても目が離せない。
――なんだこれ。
俺、なんでこんなに動揺してるんだろう。
頭の中がぐちゃぐちゃで、追いつかない。
ワークショップで初めて顔を見た衝撃、懇親会で話したこと、外で二人で話した時間……。
どれも思い出すだけで、胸の奥がぎゅうっと痛くなる。
これは、単なる“龍”への憧れじゃない。
スーツアクターとしての尊敬でもない。
俺は、大和さんそのものに惹かれているんだ。
心臓が暴れ出しそうで、息を整えようとしても上手くいかない。
ぐるぐると混乱する感情を、ぎゅっと握りしめるように、自分の胸にしまう。
肘の痛みも、息の乱れも、全部この感覚にかき消される。それを認めるのは怖い。でも、否定出来ない。
胸の奥でじっと燃え上がる想いを、俺はそっと抱え込んだ。
***
稽古が終わり、参加者たちはそれぞれ自分の部屋へ戻っていった。
スタッフも片づけを終えると、休憩所の方で煙草を吸いながら談笑している声が聞こえる。
俺も部屋に戻るつもりだった。けれど、どうしても落ち着かなかった。
胸の奥で何かがざわざわして、じっとしていられない。
……さっきの、大和さんの笑顔。
誰にでも向けられる優しさなのに、どうしてあんなに苦しくなるんだ。
傷よりも、心の奥がずっと痛い。
気づけば、外の空気を吸いたくて建物の裏へ歩いていた。
冷たい夜気が頬を撫で、稽古で火照った体を少しだけ落ち着かせてくれる。
そのとき――人の話し声が聞こえた。
物陰からそっと覗くと、照明の届かない裏手に大和さんの姿があった。
隣には、昼間にフォームを教えてもらっていたあの女性参加者。
彼女は緊張したように、それでも勇気を振り絞るように大和さんの腕を掴んでいた。
「大和さん……ワークショップが終わったら、ご飯、行きませんか?」
――え?
反射的に陰に身を引いた。
心臓が跳ねる音が、夜の静けさにやけに大きく響く。
少しの沈黙のあと、大和さんの穏やかな声が聞こえた。
「ごめん。そういうのは、ちょっと」
「じゃあ……連絡先だけでも教えてもらえませんか? 教えてほしいことも、いっぱいあって……」
「アクターと参加者の関係だと、連絡先の交換はできないんだ。ごめんね」
女性の声が、少し掠れた。それでも、引き下がらない。
「……じゃあ。付き合うのを前提に、考えてもらえませんか?」
一瞬、空気が張りつめた。
大和さんの返事は、ためらいなく落ちた。
「それは出来ない」
はっきりとした声だった。
冷たくはない。でも、まっすぐで、揺るがない。
女性はしばらく黙っていたが、やがて小さく頭を下げ、背を向けて去っていった。
大和さんはその場に立ち尽くしたまま、一つ息を吐く。
俺は陰に隠れたまま、動けなかった。
胸の奥が痛くて、息をするたびに締めつけられる。
――やっぱり。この気持ちは、ただの憧れなんかじゃない。
月明かりの下で、俺はようやく自分の恋を、はっきりと自覚した。
けれどそれは、胸の奥で静かに燃えるだけの火で、どうすることもできなかった。
***
そのまま部屋に戻っても、眠れなかった。
ベッドに横になっても、さっきの光景が頭から離れない。
あの女性の勇気、大和さんの穏やかな声、そして拒むときのまっすぐな瞳。――誠実だと思った。だけど同時に、遠い人だとも思った。
ドアをノックする音がした。
「ひなと君、起きてる?」
大和さんの声だった。
心臓が一瞬で跳ね上がる。
慌てて上体を起こし、ドアを開けると、彼は部屋の前に立っていた。
ジャージ姿のまま、タオルを肩にかけている。
「ちょっといいか。肘の様子、見せてもらってもいい?」
「あ、はい。……もう大丈夫です」
「そう言って我慢するやつ、結構いるからな」
そう言って部屋に入ると、大和さんは備え付けのローテーブルに救急ポーチを置いた。
少し汗の匂いが残るジャージの、布擦れする音。狭い部屋に、急に空気が濃くなる。
「見せて」
そう言われて、部屋着のパーカーを脱いだ。
大和さんが肘に触れて、ドキドキした。まるでそこだけ、熱を持ったみたいに感じる。
「……良かった、大丈夫そうだな」
「はい……」
返事をしながら、目が合わせられなかった。
裏で見たことを思い出して、胸がざわつく。
声を出したら、何かが溢れてしまいそうだった。
「今日……動き、少し乱れてたな」
大和さんが言う。
その言葉に、心臓がぎゅっと掴まれた。
「……すみません」
「いや、謝ることじゃない。人間、波はある。 でも……集中できない理由があるなら、それを自分でちゃんと整理したほうがいい」
そう言って、真っ直ぐこちらを見る。
優しいのに、逃げ場がない視線だった。
喉の奥が熱くなり、何かを言いかけて、結局何も言えなかった。
沈黙。
秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……日中、稽古できなかった分。今から二人で練習する?」
「はいっ」
俺は慌ててタオルとスマホ、鍵をトートバッグに突っ込んで、大和さんの数歩後ろをついて歩く。
足音が床に吸い込まれていくたびに、心臓の鼓動が速くなる。体は正直で、手が冷たく震えていた。
スタジオのドアを開けると、暗闇の中に広い空間が広がる。
大和さんがライトのスイッチを入れると、明かりがパッと灯り、鏡に二人の姿が映っているのが見えた。
昼間とは違う、夜の静けさが漂っている。音のない世界で、二人の呼吸だけがやけに鮮明だった。
「……じゃあ、まずフォームの確認から」
大和さんが手にしたスポンジ刀を差し出す。俺は緊張しながら両手で構えた。
稽古場の鏡の中で、隣に立つその身体が大きく見える。
手首の返し、足の位置、重心のかけ方――頭では覚えていても、体はぎこちなく固まっていた。
「うん、いい感じ。だけど、ここの角度はもう少し浅めに……出来そう?」
そっと腕に手を添えられる。
指先が触れるだけで、心臓が一拍遅れるように跳ねた。
大和さんの手が離れたあとも、その温もりが肌に残る。
「意識してるんですけど、なかなか上手く出来なくて……すみません」
「焦らなくていいよ。呼吸、合わせてみようか」
大和さんが俺の前に立ち、ゆっくりと息を吸う。
その動きに合わせて俺も息を吸う。吐く。
視線を合わせると、距離が急に近くなった気がした。
「ひなと君、ちょっと力が入りすぎてる……もう少し肩の力を抜いて」
言われるままに腕を下ろすけれど、余計に意識してしまう。
もう一度呼吸を整えようとしても、胸の奥でドクンと鳴る音が止まらない。
「怪我したところ、実はまだ痛い?」
「ち、ちがいます。平気なんですけど……」
声を出しかけたところで、言葉は止まる。
大和さんも少し黙り込んだ。
その沈黙が妙に長く感じられ、息が詰まる。鏡に映る二人の姿が、やけに近く見える。
もう一度構え直すけれど、手元が落ち着かない。
必死に動きを真似してみるものの、自分でもわかる。集中できていないこと。
大和さんはふと、俺の表情を見て目を細めた。
「……ちょっと短いけど、今日はもうやめておこうか。道具は片づけておくから、先に戻ってて」
胸の奥でちくりと痛むものを感じた。
――せっかく時間をつくって教えてもらったのに。
しょんぼりと肩を落としながら、俺はスタジオを後にした。
ドアを閉める瞬間、鏡越しに見えた大和さんの背中が、なぜか遠く感じた。
***
廊下の灯りを頼りに歩き、宿泊棟のロビーに戻ると、自販機の前で真柴さんがソファにぐったりと座っていた。
少し酔っているらしく、頭を預けたまま深い眠りに落ちている。
「……真柴さん、風邪ひきますよ」
見て見ぬふりも出来たけれど、やっぱり心配で声をかけた。
でも、なかなか起きない。肩をとんとん、と叩いても爆睡している。
「ま、真柴さん。寝るなら部屋に行かないと……」
一歩近づいてその肩をさっきより強く揺らすと、反対側の手がぐっと俺の手首を掴んだ。
「じゃあ、ひなとも一緒に来てくれる?」
「お、起きてたんですか!」
真柴さんはにやりと笑って、鋭さと茶目っ気が入り混じった目で俺を捉えた。
驚いて肩がこわばった瞬間、そのまま腰を強く押されて、俺が真柴さんを押し倒したような格好になる。
「こんな夜遅くに、大和とスタジオでナニしてたの?」
その問いに、声が思わず裏返る。
「稽古です! あの、離してください」
必死に体を後ろに引くが、真柴さんの腕力には抗えない。
左手で真柴さんは俺の前髪、おでこ、耳へと指を滑らせながら言った。
「ねぇ、俺の言ってた通りになったんじゃない? 藤堂のことを好きになって、集中できなくて怪我したよね」
図星だった。すぐに否定することも出来なくて、きゅっと唇を固く結ぶ。
俺の反応を見た真柴さんはせせら笑いながら、頬に手を添えた。
「可愛いね。バカみたいに真っ直ぐで、初心で。……もしかして、もうスタジオで告白した?」
「あの……これ以上俺の気持ちで、大和さんや皆さんに迷惑はかけないようにするつもりなので……」
必死に言い返す。声が少し震えて、手のひらも冷たくなる。
「なんだ、告白してないんだ。 じゃあ、その気持ちは秘密にしておくのかなぁ?」
少しからかう口調で、真柴さんは俺の反応を楽しんでいる。
大和さんに思いを伝えて、どうにかなろうなんて思っていない。
だって、大和さんは俺の推しであり、龍の“中の人”だから。これからも応援し続けたいし、厄介に思われたくない。
でも、そんな俺の気持ちを読み取ったように、真柴さんは口元に笑みを浮かべた。
「……大和と両想いになるように手助けしてあげるから、今から部屋においでよ」
その言葉に、体が勝手に固まる。
そんな手助けは要らないと突っぱねればいいのに、真柴さんの有無を言わせないような雰囲気に気圧されてしまう。
危なげで、妖艶で、目が惹きつけられる。舞台の上で部下に詰め寄る、ヴァルヌス様そのものだと思った。
「え……あ、あの……」
俺が返事を言いかけたところで、背後から低く鋭い声が響いた。
「――その必要はない」
振り返ると、大和さんが立っていた。
息を整えた顔で真柴さんをじっと見下ろし、まるで鋭い光を放つような視線で睨んでいる。
「ひなと君、こっちにおいで」
俺の腕を大和さんが掴んで、驚きと同時に胸の奥がぎゅっと熱くなる。
手のぬくもり、力強さ、そしてその視線の重み……全てが心臓をかき乱す。
「おおー! さすがヒーロー、ちゃんと駆けつけるじゃん」
真柴さんは茶目っ気たっぷりに笑いながら、腕を組んだ。
「ひなと君で遊ぶな。……毎回、ワークショップに来る子をからかうのもやめろ、人でなし」
大和さんの声は低く、真剣で、口調には揺るぎない芯がある。
その姿に、俺の心は一気に乱れる。動揺と胸の高鳴りが同時に押し寄せる。
真柴さんは肩をすくめ、なおも笑っている。
「俺はひなとじゃなくて、お前で遊んでんの。半分いやがらせ。“お分かりかな”?」
真柴さんは、余裕たっぷりの表情のまま、ヴァルヌスの台詞をさらりと引用した。
「俺が嫌いなのは、十分わかってる。でも、その周りに居る子にちょっかい掛けるな」
「あら、いつもより随分お怒りじゃん。……そんなにひなと君のことが、お気に召した?」
大和さんの気持ちを推しはかるような言葉に、俺も見上げてしまった。
嫌われたくない。でも、好きじゃないと言われるのを想像して、傷つきそうな自分がいる。
「……部屋に連れて行きたくなるほど気に入ってるのは、お前の方だろ」
「そりゃあそうだろ。 俺、可愛い子は大好きだからね。女でも男でも」
「この節操なしが。 ……寝る相手漁るなら、職場以外の場所でやれよ」
「意気地なしに言われたくはないかな」
俺の前で、二人の口論が激しくなっている。掴み合いこそしないものの、今にも手が出そう。
内心ヒヤヒヤしながら二人の顔を交互に見ると、しばらく沈黙したまま睨みあいが続いた。
埒が明かないと思ったのか、大和さんは静かに俺の腕を引いて、そっと肩に腕を回した。
「……ひなと君、やっぱ部屋まで送る」
その一言に、胸が一気に高鳴る。
「ひなと君、おやすみ」
真柴さんはソファーに座って手をヒラヒラを振りながら、俺に視線を寄越した。
「見なくていいから。……行こう」
抱かれた肩にぐっと力を込められて、意識せずにはいられなかった。
言葉だけでなく、距離感、空気の温度、すべてが特別で――大和さんの隣を歩くその時間が、今は何よりも尊く感じられる。
廊下を進む足が自然とゆっくりになって、俺の部屋の前まで戻って来た。
大和さんがふと立ち止まり、深く息を吐く。
「……ごめん。話があるから、ちょっと部屋の中に入ってもいい?」
「えっ……? あ、はい……」
ドアを開けて部屋に入ると、大和さんは「ここでいいから」とドアのすぐ近くで足を止めた。
狭いスペースで俺が向き直ると、少し間をおいてから大和さんは言った。
「さっきの真柴との会話、聞こえてたんだけど」
言葉が出ない。脚が小刻みに震える。
どこから聞いていたのかは分からない。でも、その言葉のニュアンスで俺が大和さんをどう想っているのかは、もう伝わってしまったのだと悟った。
「ごめんなさい……」
「……なんで謝るの?」
俺はその一言で済ませたかったのに、大和さんは言葉を重ねた。
理由なんて、聞かないでほしい。これ以上どうにもならないのに、言ったって仕方がないのに。
「……大和さんのこと……好きになってしまったからです……」
震える声で、思わず素直に告げる。あそこまで聞かれたら、嘘も誤魔化しもできない。
胸の奥がぎゅっと痛んで、失恋への不安と、打ち明けたことの後悔がぐるぐると渦巻いている。
こんなつもりじゃ、なかった。
このワークショップで大和さんに会えることも。
“龍”じゃなくて、それを演じる大和さんを好きになる事も。
気づいたばかりで、何の整理もついていない恋を、こんなにも早く打ち明けることも。
大和さんは静かに俺を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「その気持ちは、ありがたく受け取るよ。……でも、明日は本番があるから、一旦気持ちを切り替えてくれる?」
プロとして、優しく一線を引く口調。慰めでも、甘やかしでもない。
厳しさと優しさが混ざった声が、胸にずしりと響く。
「君の夢は、いつか龍に倒されることで、それを叶えたくて来たんだよね? このワークショップが終わったら、簡単には会えなくなる。
だから、明日はひなと君の夢を、俺はちゃんと叶えてあげたい。……分かってくれる?」
遠回しに振られたような言い方――でも、真剣な表情だった。
視線を外さず、俺の目をじっと見つめる。
「分かりました。大丈夫です」
悔しい気持ちと寂しさ、切なさが一気に押し寄せる。
でも、無理やり笑顔を作って、ぎこちなく答えるのが精一杯だった。
大和さんが、ゆっくりと腕を伸ばして俺の頭を優しく撫でる。
――その気がないなら、これ以上優しくしないでほしいのに。
そう思った瞬間、涙がぽろぽろと溢れて視界が滲んだ。
俺、本当に何してんだろう。こんな風に泣いたって、大和さんの気を引けるわけでもないのに。
「……お、送って下さってありがとうございました……明日、ちゃんと頑張るので……」
俯いたまま、顔を上げられない。頬を伝って床に涙が落ちていく。
大和さんもきっとそれに気づいてる。だけど、ゆっくりと頭を撫でていた手を離して言った。
「……ごめんね、大事な日の前にこんなこと言って」
大和さんは何も悪くないのに、俺が泣いたせいで謝らせてしまった。
悲しい気持ちより、自分の情けなさに対する憤りのほうが強かった。
部屋のドアが静かに閉じられたあと、俺はその場でしゃがみ込んで動けずにいた。

