シュガースポットまで待って

 ボールが床をドンドンと弾む音がコートに響く。
 バッシュが擦り付ける、キュキュッて床の音。あれ、俺好きやな。
 練習、見にくるん三回目やしバスケのことまだわからへんけど、みんなが作る音聞いてるだけで俺も参加してる気分になるわ。

 タカシさんが「ナイスシュート」って声を張り上げて、次のパスに全力で走ってる。
 一番声デカいし、威勢いいのがカッコええな。結弦先輩や千加良君って孫がおるなんて思われへんわ。
「ナイスパス!」とか、「しっかり走れ!」って、声を出して盛り上げてる。
 けど、ちょっとしんどそうや。肩で息してんの大丈夫なん? ちょっとハラハラするわ。
 ミオさんは相変わらず笑顔で余裕やな。チーちゃんもサエさんも的確なパスやし、オサムちゃんは中学生の千加良君に食らいついてる。
 みんな俺のおとんより年上やのに、めっちゃ体力あるやん。
 あ、カズさん、また結弦先輩を独占しとる。先輩の手を取ってパスの角度の確認して。
 それ、触らんでもわかるやつやん。
 カズさん。気づいてへんかもやけど、それ、めっちゃ贅沢なマンツーマンやで。

 ……でも、なんか、ええな。
 俺も、関西におったら、まさやんらとタカシさんみたいに歳とってもつるんでたんかな。
 あ、結弦先輩。こっち見た。目合ったら、ニコッてわろてくれる。
 よし、思いっきり手ぇ振っとこ。
 ……って、ちょ、カズさん。なんで今、前に出てきて俺にピースサインなん。
 結弦先輩、隠れてもうたやん。
 ほんま、そういうとこやで。お調子者って言われんのは。

 俺は体育館の隅っこでボール抱えたまま、みんなの動きを追ってるだけやねんから。
 あ、千加良君、シュート決めるかな。
 気づいたら、ものすごいスピードで俺の目の前まで走ってきてる。風、すごっ。
 タカシさんからパスもろた瞬間、そのまま軽快にシュート決めよった。
 嬉しそうに結弦先輩の名前呼んでる。……羨ましいな。
 俺も一緒にできたら、ハイタッチとかできたんかな。

「見てくれてた? 結弦ちゃん。俺のスリー」
「見てた、見てた。だいぶん、決まるようになってきたな」
 結弦先輩が嬉しそうに拍手してる。千加良君は、百点満点の笑顔や。
 夏の太陽みたいに眩しいなぁ。
 大好きな人に褒めてもらったら、誰だってあんな顔になってまうわ。
「俺もバスケ、やっとったらよかったな……」
 床の上であぐらかいて、ボールを小さくドリブルするしかできひんもんな。
 でも、結弦先輩がコートにおって、バスケに関わってる──それ、見れるだけで俺は幸せや。

「あー、疲れた。ちょっと休憩しよ」
 サエさんがリュックからタオル出してたら、みんなも一斉にコートの外に出てきた。
「みんな、お疲れさん」
 声かけた瞬間、身体が勝手に動く。ここからは俺の出番や。
 すっと立って、壁に立てかけてあるモップを握る。
 コートにモップかけてたら、自分も練習に混ざってる気分になるわ。
「凪君、そんなことまでしなくていいぞ。最後にみんなでするから」
 水筒を片手にタカシさんが言う。
「ええねん。俺、これしかできひんから。やらしてな、タカシさん」
 みんなが楽しそうにコート走ってるから、俺も走ってみたい。
 そこで、このモップ係を思いついたんや。

 これ持ってたら、ドリブルできひん俺でもコートを走れる。
 スーイスイッて、モップの滑りを使って端から端まで走ったら、なんかもう、自分でもダンクシュートできそうな気分になるわ。
「ふんふふーん、ふんふふーん」
「……それか、倉持が言ってた、凪の鼻歌は」
「し、椎名先輩っ。いつの間に俺の背後におったんや」
 コートの端っこに着いたら、背中に結弦先輩の声が落ちてきた。
「背後って……俺は幽霊か」
 俺は幽霊か──って、めちゃくちゃ刺さるボケやん。

「えっと、先輩のナイスボケは一旦横に置いといて。鼻歌のこと、キャプテン先輩に聞いたって……どこまで聞いたん?」
 まさか倉持先輩──
 俺が、結弦先輩に髪切ってもろた『唯一の人間』やったって喜んでたとか、鏡見ながらニヤけてたとか、鼻の下伸ばしてたとかって盛って話してへんよな?
「どこまでって、それだけだったけどな。凪が、鏡見ながら、髪の毛触って、ニヤニヤしてたなんて、聞いてないし」
「そ、それ、聞いてるやん! もー、キャプテン先輩のおしゃべり。今度会ったら口にガムテ貼ったんねん」
「ガ、ガムテって。想像してしまうだろ、それ」
 結弦先輩、体揺らしてまた笑ろてくれた。最近、笑顔増えたって思うんは自惚れかな。

「だって、俺……めっちゃ嬉しかってんもん。先輩が髪切った人、俺以外おれへんってキャプテン先輩から聞いて」
 先輩にとっては気まぐれでも、俺にとっては最高の時間やったんやから。
「大袈裟だな。でも……そこまで言われると、切った甲斐あるな」
「先輩が切ってくれた日、家に帰ったらオカンがびっくりしとったもん。カリスマ美容師に切ってもろたんかって」
「カリスマって──」
「今さらなに言ってるんだよ、結弦ちゃんがカリスマなのは当たり前だ」
 ドン、ドンッてボール付きながら、千加良君が割り込んで来た。
 いや、『割り込んで』は嫌な言い方やったな。
 この子の入り込んでくる距離感が、なんか俺の心臓、ザワつかせるから、つい。

「そ、そうやな。当たり前やな」
 千加良君と話すと、つい身構えてまう。けど、そんなこと思ったらあかんな。
 ごめんなって、心の中で謝っとこ。
「あんたは知らないみたいだから教えとく。結弦ちゃんがどれだけカッコいいかってことを」
 そんなん知ってるし。結弦先輩がどれだけ素晴らしい人なんかもな。
「千加良。俺の話はいいから休憩しとけ。午後から部活あるんだろ」
「平気。──あのさ、結弦ちゃんは顔もかっこいいけど頭もいい。テストも学年でベストテン入りしてるし、バスケも小学校からずっとレギュラーで、チームを優勝に導いてきたエースだ。あの怪我さえなかったら──」
「千加良、そこまでだ」
 静かな声で結弦先輩が遮った。
「……ごめん、結弦ちゃん」

 千加良君も怪我のこと、知ってるんや。そりゃそうか。従兄弟で親戚やもんな。
 それに、千加良君は結弦先輩のことが大好きやし。バスケやってるんも、結弦先輩の影響かもしれへん。
 大好きな人が大好きなことをできひん気持ち、千加良君が一番わかってるんかも。
 俺よりずっと、結弦先輩の近いところにおるもんな……
「さあ、休憩は終わり。練習再開しようか」
 結弦先輩が空気変えようとしてくれる。ほんなら俺はそれに合わせるだけや。
「俺、モップ片付けてくる──」
「あのさ」
 背中に冷たい声。振り返ったら、千加良君が腕組みして、俺を睨むように見てる。

「な……に?」
「さっき、あんたが言ってたこと。あれ、間違ってるから」
 俺がさっき言ってたこと? どのことやろ。
「誰が言ったか知らないけど、結弦ちゃんが初めて髪を切ったのは、俺だから」
 え……
 すぐ目の前におるのに、耳に蓋されたみたいに、千加良君の声が聞こえにくい。
 それが顔に出とったんか、千加良君の口が得意げな形に変わった。

「千加良、お前なにを言って──」
「結弦ちゃんは黙って。ちゃんと言っとかないと、この人、勘違いしてるから」
 結弦先輩に歯向かってる。そこまでして、俺に言わなあかんって思ってるんや。
「結弦ちゃんは、俺にとってただの従兄弟じゃない。憧れで、尊敬で、俺がずっと追いかけてる人なんだ。バスケのこともそれ以外も。あんたより俺の方が先に知って……」
 千加良君の声がふいに途切れた。
 ……どないしたん? さっきまですごい勢いでまくし立ててたのに、急に黙って。
 しかも、俺を睨んでた目が、どっか別のとこ向いてる。
 千加良君、なんでモップなんか見てるん? いや、ちゃう。見てるんはモップやない。
 俺の手首、見てるんや。そこに残った白い傷痕を見てるんや。

「……関西から来た、わけのわからない奴が、俺の大事な結弦ちゃんの視界に入ってほしくない!」
 真剣で振り下ろされたみたいな、鋭い視線と言葉が胸に刺さった。
「千加良! 言い過ぎだ。それに関西とか関係ないだろ。凪だって──」
「じゃあ、結弦ちゃんは知ってるんだ。この人の手首にリスカの痕あるの。絶対、なんか問題作って東京に逃げてきたんだよ」
 千加良君の声が体育館に反響して、結弦先輩が息を呑んだ気配が伝わってくる。
 目の端っこで、タカシさんたちがこっち見てるんもわかる。
 結弦先輩が、心配そうな顔してるんも……わかる。

「……これは、ちゃうねん」
「ちゃう? あ、違うってことか。関西弁はわかりにくいな。けど、手首の痕が何なのかはわかる。自分の命捨てるってことが、最低なことだってのもな」
 図星、さされてもた……けど、傷のこと説明するんは、ちょっとむずいな。
「じいちゃんも言ってた、命を見放すことは親不孝者がすることだって」
「一回黙れ、千加良。凪、ごめん。俺の従兄弟が言い過ぎて──」
「そ、そうやねん。俺、一回アホなことしてもてな……これはあかんな。こんなんしたら、ほんまにあかん。千加良君の言う通りや。バチ当たるな」
 あれ、俺の声、こんなに大きかったっけ……?
 体育館がシンってなってえらい声が響いてる。タカシさんらもおしゃべりやめてもた。
 これはまずい。早よ、空気を変えな。
 なんか、ネタないかな。俺の笑いの引き出しに、なんか入ってなかったけ?

「……ってちゃうちゃう、嘘やって!  みんな、引っかかった? もー、深刻な顔して信じてもうてるやん」
「は? あんた、何、ごまかして──」
「これなー、中学んとき、近所の懐かへん野良猫にちょっかい出したら、見事、『ガリッ』てやられてな。きっと、俺の愛が重すぎたんやな。うん、うん」
「そ、そんなこと嘘だ──」
「何だ、何だ。凪君は猫にも振られたのか」
 うわー。タカシさん、さんきゅうやで。俺のボケに乗ってくれてる。

「ちょ、ちょー待ってよタカシさん。 今サラッと『も』って言うた? 『猫にも』って、まるで俺が年中誰かに振られてるみたいやんか」
「え、違うのかい?」
「ちゃうわ。こう見えても人間界ではブイブイ言わしてるっちゅーねん」
「あら、その割にはバイトと私らの練習ばっかり来てない? せっかくの夏休みなのに」
 ミオちゃん、ナイスパスくれるやん。ほんなら俺は最高のシュート打つで。

「そうそう、毎日汗水たらしてバイト三昧。ほんで隙間時間にみんなの顔見に来て、終わったら家帰って風呂入って寝て……」
 俺は指折り数えて、ハッとして自分を抱きしめた。
「……俺、めっちゃ寂しい奴やん。ちょっと、そこ。若いのに可哀想にねって言わへんかった? あ、言ってない? どっちでもええか。とどのつまり、俺は非モテ男やもんな」
 しゃがみ込んで、頭を抱えた。えーんえーん、て泣いたフリまでしたった。
 これで完璧やろ。空気、変わったかな。
 ミオちゃんらも、「とどのつまりって」って、笑ろてる。
 作戦成功や。おかんの口癖使って正解やな。

 腕の隙間からそーっと見上げたら、結弦先輩がこっち見てた。
 あれ。先輩、笑ってへん……
 いや、口の端っこは上がってるけど、眉間のしわの溝が深い。
 あかん。結弦先輩、そんな顔せんといて。
 千加良君みたいに怒るとか、呆れるとかしてくれな、俺の嘘がバレてまうやんか
 そんな難しい顔して、何か苦いもんを無理やり飲み込んだみたいに、喉仏を動かしてる。
 先輩にはそんな悲しい顔してほしないのに、俺がさせてどうするねん。俺のアホ。
 冬の重たい雲みたいなどんよりした俺、先輩には見せたなかったのに……