シュガースポットまで待って

 ふんふふーん。ふふーん。
 あー、気分よすぎて、勝手に鼻歌が出るわ。
 この髪型、めっちゃええやん。
『東京のイケてる高校生』って感じ、してへん? 自分だけ?
 鏡に映ってる俺、いつもよりちょっとだけ大人に見えてるやん。
 何より、俺の髪、切ってくれたん、結弦先輩やで。
 髪、触ってくれて、シャンプーしてくれて、おまけにドライヤーからの、スタイリングのフルコース! 
 はぁー。夢のようなひと時やったなぁ。

「俺も先輩みたいに、茶色にしたいな。けど、おかんが色染めたら怒るし」
 せやけど、黒いままでも全然いい。先輩が考えて作ってくれたスタイルやもん。
「やっぱ先輩、天才やな。美容界に入ったら引っ張りだこになるで」
 けど失敗したな。この手鏡やと、髪型全部が映らへん。もっと大きい鏡、持ってきたらよかったわ。
 それでも今日は特別、楽しい。

 藤棚の下で先輩待つだけで、胸のあたりがそわそわして落ち着かへん。
 バイト先に来てくれるって夢が叶ったし、俺が焼いたパンケーキ、美味いって笑ってくれたもんな。
 結弦先輩が『木もれび』に来てくれたってだけで、テンション爆上がりや。
「好きな人が、自分の作ったもん食べてくれて……しかも肌とか髪まで触ってくれたら、そら鼻歌も出るわ。ふんふふ……あ、キャ、キャプテン先輩!」
「太郎ちゃん、えらくご機嫌だな」
 ええ調子で歌ってたら、倉持先輩が藤棚の下におった。ニヤニヤしながら、こっちを見てる。

「も、もー。キャプテン先輩、おるならおるって声かけてくださいよ。俺、めちゃ恥ずかしいやん」
「いやー。太郎ちゃんが楽しそうに鏡見てたから、声かけづらくてね。髪型、変えたんだ。いいね、似合ってる」
 ベンチに座りながら、倉持先輩が褒めてくれた。
「でしょう! これ、実は椎名先輩が切ってくれたんです」
「結弦が? へえー、珍しいな」
「珍しい? キャプテン先輩は切ってもらったこと、ないんですか?」
 スポドリの蓋、開ける手を止めて「ないなぁ」って藤の葉っぱ見上げてる。

 ちょっと待って……
 バスケ仲間で友だちのキャプテン先輩ですら、切ってもらってないの? 
 それって、もしかして俺だけ──
「太郎ちゃんだけってことだな」
 ドッキーン! って、今、俺の心臓、音鳴らんかった? 
 蒸気機関車の石炭みたいに、俺の顔、真っ赤に燃えて頭から煙、出てない?
「俺……だけ」 
『俺だけ……』って呟いた言葉が、頭の中でぴょんぴょん跳ねてる。
 顔が緩みそうになってたら、倉持先輩がニヤリと笑って、こっちを見た。

「太郎ちゃんの気持ち、ダダ漏れだな」
「え! ほ、ほんまですか?」
「ほんま、ほんま」
 せっかく関西弁で返してくれてんのに、今はツッコミ入れる余裕ない。
 キャプテン先輩にどこまで見透かされてるんや……
 男が好きなこと、バレてるんちゃうやろか。

「俺の知る限りでは、結弦が誰かの髪切ったって聞いたことないな。俺ら小学校からの幼馴染だから、大抵の情報は入ってくるからね。太郎ちゃんだけだな、きっと」
「ほ、ほんまかな……ほんまやったら──」
「嬉しい?」
 倉持先輩の言葉に、何も言えんかった。その代わりに、顔が焼けたみたいに熱い。

「うわ。顔、真っ赤だな。太郎ちゃん、可愛いな。初々しい」
 茶化されたうえに、頭も撫でられた。
「や、やめてください。俺、隠せんくなる」
 慌てて、両手で顔に蓋して倉持先輩から隠れた。指の隙間からちらっと見たら、めっちゃ微笑んでこっち見てる。
「別に隠さなくてもよくない?」
「いえ、隠さなあかんのです。椎名先輩に迷惑かけてまうから」
 男に好かれてるって周りに知られたら、椎名先輩もなに言われるかわからへん。
 ……先輩にはあんな嫌な思い、させたない。

「ふーん。別に結弦は何とも思わないと思うけど」
 それはそれで、寂しいな。けど、聞かんでいい話は先輩の耳に入れたない。
「ええんです。椎名先輩には、笑っててほしいから」
 そうや。結弦先輩の、あの、お日さんみたいな笑顔をバスケの友達にもまた見てほしい。
「笑っててほしいか……太郎ちゃん、本当に可愛いな。なあ、結弦やめて俺にしない?」
 はい? 今、何て言いました?
 倉持先輩をじーっと見てたら、今度は髪の毛をくしゃくしゃにされた。

「も、もう、やめてくださいよ。せっかくきれいにセットしたんですよ」
 結弦先輩に教わった、スタイリングがめちゃくちゃになってもたやん。
「ごめん、いじめ過ぎた。ほら、こっちに頭出して。整えてやるよ」
 優しい手付きで髪型、元に戻してくれたから、つい、聞いてしまった。
「……先輩は、男の子が好きな人なんですか?」
 もしかして、キャプテン先輩も俺と同じ?
 自分から聞いといて、変な汗、出てきたもた。

「俺は、可愛い子なら男の子でも女の子でも、好きになるよ」
 そ、それはいわゆる、バイってやつ? っていうか、そんなオーブンにしてええの?
 あかん。俺、めっちゃ動揺してる。ここは、空気変えんと、いらんことしゃべりそうや。
「ど、どうでもいいですけど、太郎ちゃんって呼ばんといてください。俺には、浦嶋凪って、美しい名前があるんやから」
「どうでもいいって。俺のこと邪険に扱うな。わかったよ。じゃ、今から凪君って名前で呼ばせてもらおう」

「『凪君ね』。ずいぶん、凪と仲良くなったんだな、倉持」
「し、椎名先輩!」
 うわー、結弦先輩。待ってたでぇ。キャプテン先輩が変なこと言うから、めっちゃこまってて──
「凪、こっち向いて」
 俺の横に座った先輩がポケットからなんか取り出した。
 先輩、何するん? それに、なんか怒ってへん?
 いつもより眉毛の角度、上がってる。なんで?

「うわっ。ちょ、ちょっと椎名先輩、何してる……」
「ワックス付けてるから大人しくしとけ。せっかくのカットが台無しになってるから」
 やった。また先輩が触ってくれてる。
 髪切ってもらったときと同じ──いや、それ以上に優しい手つきや。
 くしゃくしゃにしてくれたキャプテン先輩に感謝やな。

「これ、ええ匂いやな、椎名先輩」
 結弦先輩の手が動く度に、ふわって石鹸みたいないい香りがする。
「だろ? 店でも評判なんだ」
「そのシリーズ、使いやすいよな。俺も持ってる、それのハードタイプ」
「もしかして、キャプテン先輩の髪切ってるの、椎名先輩のお母さん?」
「幼馴染だからな」
 キャプテン先輩、めっちゃ得意げに言うやん。
 俺の、『椎名結弦ノート』はまだ十ページくらいしか埋めれてないけど、いつかキャプテン先輩も超えて、広辞苑並みの厚さにしたる。

「そう言えば凪君は俺のことあだ名で呼ぶのに、結弦は苗字なんだな」
「そうです、それが何か?」
「いや、てっきり名前呼びしてるかと思った」
 また嬉しそうな顔して言う。何がそんなに楽しいん? キャプテン先輩、暇なん?
「それはあきません。ちゃんと先輩は敬わなあかんもん」
「その割には、敬語じゃないよな」
 す、鋭いツッコミありがとうございます、結弦先輩。
 けど、これは俺の作戦やから。

 この藤棚の下でひとりで過ごしてる先輩見てから、俺は決めたんや。
 休み時間って、普通は友だちとワイワイして過ごすもんやろ? それやのに、椎名先輩はいっつもひとりでここにおる。
 そんときの顔が、なんか……めっちゃ寂しそうやったもん。
 ひとりで時間つぶす寂しさ、俺は知ってるから。

 ほんまはちゃんと『先輩』として敬わなあかんのも、わかってる。
 けど、それやったらあかんねん。
 結弦先輩にはバスケ仲間とか、気の置けへん友だちがほんまはよーさんおるはずなんや。
 キャプテン先輩や筋肉先輩。他にもきっと……
 同級生と過ごすんを避けてるんは、バスケのこと触られたないからやと思う。
『友達・同級生』で埋まってたはずの場所が、今はぽっかり空いてる。
 なら……その穴、俺が埋めたらええやんって思ったんや。
 敬語なんか使ってたら、先輩に近づかれへん。
 友だちでも、仲間でもなんでもええ。俺をその人らの代わりにしてほしい。
 いつか、結弦先輩が昔みたいに、自然とみんなで一緒におれるようになるまで。

「凪、これやる」
 掲げた決意を頭で復唱してたら、結弦先輩に手を取られて、手のひらにワックスを乗せてくれた。
 丸いフォルムの小さなピンクが、コロンって俺の手の中で光ってる。
「え、ええの?」
「ええよ」
 ええよ……結弦先輩の関西弁、嫌味がない。可愛い。録音しときたい!
「商売道具だもんな。あ、結弦。今度、俺の髪も切ってくれよ」
 ちょ、ちょっと。キャプテン先輩、何言い出すん──って、俺が言える立場ちゃうか。
 結弦先輩、切ったげるん? 倉持先輩の髪、切ったら俺だけの特別がなくなってまう。
 緊張して待ってたら、嬉しいひと言が耳に飛び込んできた。

「え? やだ」
「お前、速攻で断るか。わかった。じゃ、髪の毛はいいから部活に来い」
 倉持先輩の言葉で、結弦先輩の顔色がいっぺんに曇った。
 今にも雨粒がこぼれそうな顔に見えるんは、俺だけ……?
 なんかしゃべった方がええんやろか。それとも、黙ってるんが正解?
「あの──」
 言いかけた言葉が、藤棚を横切った風の音で攫われた。
 藤の葉がざわざわって揺れて、瞼を伏せてる結弦先輩の前髪も揺らしいく。
 長いまつ毛の横顔がきれいやなって、俺は不謹慎やのに見惚れてもた。

「……また、無言か。結弦はバスケの話になったら無口になるな」
 キャプテン先輩、もしかして今までも結弦先輩をバスケに誘ってたんかな。
 シャンプーしてるとき教えてくれた、くるぶしの怪我のこと。親友で部活の仲間の倉持先輩なら当然知ってることや。知ってて誘ってるってことは、足は治ってるんやろか。

「まあ、いいけど。前にも言ったけど、お前が戻って来るまで俺らは勝ち続ける。それで一緒に本戦に行くからな。高校最後の試合なんだ、お前がいないと意味ない」
 倉持先輩が立ち上がって言った。けど、結弦先輩の顔の角度は変われへん。
 足元のシロツメクサが揺れてるのを、じっと見てるみたいに。
 先輩……俺、こんなとき、うまい言葉言われへんでごめんな。
 くだらないギャグとか、ボケとか浮かんでも、今はその出番ちゃう気がするし。

「……じゃ、行くわ。太郎ちゃ──じゃなくて、凪君。またな」
 砂の上を踏む足音が遠ざかって行くの、先輩は聞いてるやろか。その音が、寂しいって言ってるみたいに聞こえへん?
「椎名せんぱ──」
「凪、もうすぐ夏休みだな。どっか遊びにでも行くか」
「あ、う、うん。行きたいっ。けど先輩。受験が……」
「……ああ、そっか。受験か。そうだったな」
 そんな他人事みたいな言い方するんは、今、わざと話題変えたことに繋がるん?
 俺の思い過ごしやったらええねん。──ええねんけど、進路のこと、うやむやにしてるみたいに聞こえる。

 高三の夏って補習とか、予備校の夏期講習とか、色々あるって聞いたことあるで。
 それやのに、自分は関係ないみたいな顔してる。
 俺も先輩と出かけたい。けど、宙ぶらりんの気持ちで遊んでも、心から楽しまれへん。
「あ、そうだ。凪、夏休み中、ひざボンバーの練習見にこないか? 凪の話したら、みんな会いたいって」
「椎名先輩、みんなに俺のこと、話してるん?」
「え、まずかったか?」
 先輩の問いかけに、俺は水浴びした犬みたいに首を振った。

「ぜんぜん! その反対で、めっちゃ嬉しい」
 俺のおらへんとこで、俺の話してくれる結弦先輩。どんな顔してたんやろ。
 楽しそう? それとも面白そうに? どっちでもええわ。一緒におらんでも話題に出るの、最高やん。
「で、どうする?」
「行く! けど、先輩……」
 最初に言ってた、遊びに行くってのは、ボンバーの練習見に行くことなん? 
 ──って聞きたい! 聞いてええやろか?

「夏って言えば海かプールか。凪、どこがいい?」
 え、俺の心の声、聞こえたん? 
 結弦先輩から聞いてくれるなんて。ボンバーの練習と別個で考えてくれてたんや。
「ど、どこでもええっ。あ、どこでもって、あかん答え方やな。えっと、海もええし、プールも行きたい。あと、お祭りとかあったら行ってみたいなぁ」
 東京来てあんまり遊びに行ってへんから、ほんまは全部行きたいって言いたい。
 けど、それは言われへん。

 先輩、受験の話、あんまりしたなさそうやったけど、現実はそうやないって、結弦先輩も思ってるはず。
 あんまり邪魔したない。それに、聞くんも怖い。
 東京やない、どっか遠い学校とか働きに行くとか言われたら──
 俺、耐えらへんかもしれへん。

「そしたら、凪が行きたいとこ、リストにして送ってこいよ。俺が考えといてやるから」
 ベンチから立ち上がって、結弦先輩が笑って言う。
「うん。ありがとう、椎名先輩」
 午後の太陽が背中に当たって、先輩の輪郭が金色に見える。
 お日さんなんかなくても、結弦先輩はいっつも輝いてた。初めて見た時から、俺の目にはそう映ってた。スマホの画面からでも周りが霞むくらいに。
 それは全部、バスケの話ししてる時とか、ボール触ってる瞬間やった。

 今の先輩の笑顔はそんときと比べて、輝きが半分くらいになってる。
 好きやのに、離れなあかんって、そんな辛いことはない。
 俺だって、地元の友達と離れるん、めっちゃ辛かったもん。
 けどな、先輩。先輩には俺がおるから。俺って最強のお笑いマシーンがそばにおるから。
 お日さんなんかなくても、また先輩をキラキラにしてみせる。
 ちょっとずつでも、な……