シュガースポットまで待って

「お邪魔……します」
 引っ越しの手伝いで何回か来たけど、やっぱり『彼氏の部屋』って思うと緊張するわ。
 それに結弦先輩の部屋、いっつもええ匂いするからドキドキすんねん。
 シャンプーかワックスみたいな香りは、美容師学校行ってるから? 
 それとも先輩のフェロモンやったりして。
 それやったらずっと嗅いどきたい──って、俺、やっぱり変態や。

「凪、さっき買った食料、冷蔵庫入れといてくれる?」
「は、はーい」
 びびった。妄想してたの、バレてへんかな。
 ずっと緊張してるから落ち着かへん。取り敢えずお手伝いせなあかんな。
 言われた通りに袋から冷蔵庫に移してると、後ろから結弦先輩の腕がそっと回ってくる。

「せ、先輩、どないしたん? もしかして、しんどいん?」
「いいや、ちょっと凪吸いしてる」
 凪吸い? それっていわゆる、『猫吸い』の、俺バージョン?
 先輩、おもろいこと言うな──って、こんなひっついとったらヤバいって。
 背中にぴったりくっついてくるから、さっきより緊張がパワーアップしてる。

「……あかん、先輩。これ以上、くっついてたら俺、心臓が爆発してまう」
 呟くように言ったら、先輩がくすっと笑った。
「凪は、ほんまにかわいいな」
 その関西弁で瞬殺やった。
 抱きしめられたら、どうしていいかわからへん。もう、何でもええからしゃべっとこ。

「そ、そうや。先輩、俺のどこを好きになってくれたん?」
 ベタな質問やけど、間を埋めるんにはええやろ。
「俺が凪を好きなとこ? 答えてもいいけど、ちゃんと名前で呼んで。そしたら答える」
 それ、言われたら困る。
 さっきから先輩呼びやったの、バレてへんと思っとったわ。
 くそー、甘かったか。

「えっと、ゆ、ゆ……づるさんは、俺のどこが好き……とか?」
 先輩が、俺の背中に頭を擦り付けながら、「まずは……」と、話してくれる。
「笑ったとこだろ。それから、困った顔に照れた顔。白いうなじに耳の形。肌の色が白いとこと唇の赤い色。頑張り屋なとこに関西弁が可愛いとこ。あ、それから──しゃべってる途中で寝てしまうとこも。寝言言ってるのが、かわ──」
「あー、もういいです! 聞いてて恥ずかしいわ」
「え、まだ全部言ってないけど」
 まだあんの!? 教えてって言ったんは俺やけど、まさかこんな、甘々ビームを連射されるとは思わんかった。

「凪がお願いしてきたのに……あ、でもこれだけは言わせて」
「も、もういいって。顔が熱なってきたわ」
「だめ。これが一番、大事だから聞け」
 肩を掴まれて、くるっと体を反転させられた。
 真正面から見つめられてると、きれいすぎる顔に直視できひん。
「な、なに……? 顔、近い……よ」

「俺のこと、大切に思ってくれて、必死で守ろうとしてくれたとこだ。今の俺があるのは、凪がいてくれたから。凪の全てが可愛すぎて仕方ない。凪の好きなとこなんて、星の数ほどある」
 これは瞬殺やなくて拷問や。大好きな人から、愛情たっぷりの言葉を注がれまくったら、窒息死──いや、ちゃうな。毒殺や、しかも猛毒の。

「先輩。俺……遺書書くわ。このままやったらドキドキで心臓、潰れる」
 真剣に言うたのに、結弦先輩がお腹、抱えて笑ろてる。
 どこにツボッたんかわからへんけど、嬉しいな。大好きな人が笑ってるん、見るのは。
「凪、嬉しそうだな」
「うん、嬉しいで。だって、先輩の美容師学校、遠くなかったもん。だから、こうやって会いに来れてる」
 結弦先輩の手をぎゅって握って伝えた。俺がどれだけ嬉しかったか伝えたくて。

「俺も。試合前に凪が靴下とリストバンドくれたときなんか、倉持がいなかったら間違いなく抱きしめてたな」
「それは……困る。けど、ちょっと残念?」
「なんで疑問なんだよ。あ、けどあれは助かったな。プレゼントと一緒にくれた、漢方薬。あれには助けられたって倉持が言ってた」
「あ、足つったときのやろ? 教えてくれたの、夏美ちゃんやねん。寝てるとき、こむら返りになるから常備してるんやって」

 普通に話してるのに、また結弦先輩が笑い出した。
「なあ、何で笑ろてるん?」
「凪の話しでたまに出てきてた『夏美ちゃん』がまさか、七十超えた女の人とは思わなかったから」
 そっか。俺、年齢とか言ってなかったかも。
「あー見えて、夏美ちゃん、昔、どっかで歌、歌っててんて。歌手? やったかな。そのときからずっと『夏美ちゃん』やったから……先輩? どないしたん?」
 前屈みになってるから顔を覗き込んだら、なんか怒ってる。

「……凪は油断すると、俺のこと『先輩』呼びになる。倉持と同じ扱いみたいで嫌だな」
 しゅんって拗ねてる。そんな結弦先輩もかわいい。
「ごめんって。けどしゃーないやん。ずっと先輩呼びしてたんやし。なあ、機嫌直して」
 俺がいつもするみたいに、結弦先輩が、顔をそっぽ向けてもた。
「結弦……さん。なあ、笑ろてえな。笑ったら、ええことあるねんで。ほら、なんて言ったっけ。えっと、なんとかニン。あれが出たら脳にええんやろ?」
「セロトニンだろ? 幸せホルモン」
 ボソって暗い声で結弦先輩がまだ拗ねてる。
 もう、しゃーない。元気にする奥の手や。

「そう、それ! だから、ほら、結弦さん。俺のこと、ぎゅってしてみ。ほんなら、めちゃ幸せになれるから」
 俺の言葉で先輩が顔を上げた──かと思ったら、いきなり抱きついてきた。
「うわっ。ちょ、ちょっとせんぱ、じゃない。結弦さん。た、倒れるって」
 ググって先輩が俺に体重乗せてきた。細い人やけど、チビの俺には支えられへん。

 ん? ちょっと、先輩の手、俺のシャツの中に入ってへん?
 背中の方に手、伸びてきてへん? ちょ、指が変な動きしてる。
「ゆ、結弦さん。ちょ、ちょっと。あ、いや。そこまでしろとは言ってないんやけど」
「凪が可愛いのが悪い。俺の作戦に引っかかるから」
 さ、作戦!? 
「拗ねてたん、嘘やったん? ──ちょ、ちょっと先輩。変なとこ触らんといて。もーくすぐったいやん」
 あかん、先輩、エロモード入ってる。
 そんな風に触られたら、俺、変な声出てまうやん。

「ま、待って。先輩。俺、まだ心の準備が──」
「準備? それなら一緒に準備しよか」
 耳元でしゃべらんとって。結弦先輩の声、どんな武器よりも破壊力あんねんから。
「な、なあ。結弦先輩、たんま、ストップやって」
 ぐいって思いっきり体を離したら、今度は悲しそうな顔になった。

「……仕方ないな。凪が熟すまで待つか」
「熟すってなに? 俺、バナナちゃうって」
「バ、バナナって。まだ青いって言いたいのか」
 結弦先輩の言ってる意味、わかれへんけど。そういうことにしてる方が良さそうやな。
「そ、そうそう。俺はまだ固くて青いバナナや」
「……わかった。けど、なるべく早めに塾してくれ。キスだけじゃ足りないから。俺は早く凪を食べたい」
「え? バナナの話し、どこいったん? 俺を食べるってなに──」
 結弦先輩の目が、ふっと真剣な色に変わったのを見つけてわかった。わかったけど、これは俺のキャパオーバーなやつや。

「凪、もう、熟れてきた? 顔が真っ赤になってるぞ」
 きっと、甘いんだろなぁ、って、先輩が楽しそうに笑ろてる。
 先輩のきれいな顔の方が、ミシュランの星、五個やと思うで。
「だって、結弦さんの手がまだ服の中にあるからやん」
「凪の肌、すべすべで気持ち──」
 全部言い終わらへんうちに、「そうや!」って大袈裟に叫びながら、結弦先輩の腕を引っ張り出したった。

「は、配信の映画! 一緒に見るって約束したやん。早よあれ見よっ」
「そんな約束してたっけ?」
「してる。俺の夢の中で」
「なんだ、それ」
 結弦先輩、笑ってる。でも、まだまだ足りひん。
 もっと先輩に笑ってもらうねん。悲しい顔する暇ないくらいに。

 結弦先輩の手を握って、テレビの前のソファに一緒に座った。
 肩を並べてたら、コツンって、先輩の頭が俺の肩に乗っかった。
 ……ん? 先輩、足で何かゴソゴソしとるな。
 足元を見たら、先輩が俺の足に自分の足を絡ませてた。
 先輩、これ何してる──
 視線が止まってもたんは、足が絡まってるからやない。
 先輩、今日、くるぶし丈のソックスを履いてたんや。きれいなくるぶしが、ひょこって見えてる。
 そっか。もう春やもんな。足首が見えて、くるぶしが解放されてる……
 なんか、嬉しいな。

「なあ」
「な……に?」
 先輩の足に見惚れてたら、耳に息をかけるみたいな声が、すぐそばから落ちてきた。
「俺、凪の好きなとこ、また一個思いついた」
「ほんま? 嬉しいな。どこ?」
 結弦先輩の方に体を向けた瞬間、また胸の中に閉じ込められてもた。
「抱きしめたときの、凪の温かい温度……」
 あったかいって。そんなん、俺も先輩の温度、大好きや。
 初めて先輩を見た時からこの気持ち、どんどん増えてるねんで……

「俺も、一個、思いついたで」
 なに? って、結弦先輩が耳元で聞いてくる。
 こそばゆくて、笑いそうになるん、我慢して言うた。
「俺が、がんばれる理由は結弦さんやねん。寝られへん夜に会いたくなるんも結弦さんで、美味しいもん食べたとき、一緒に食べたいって浮かぶんも結弦さんだけ──あ、一個って言うたのに、よーさん言ってもた」
 えへへって笑ってごまかしたら、ほっぺたにちゅってされた。

「すごい。殺し文句だな。ますます惚れたで、凪」
 可愛い関西弁で先輩が笑う。その声が愛しすぎて、泣きそうになる。
 何か言おうとしたのに、言葉が形にならへん。
 心臓の音がいつもより大きくて、先輩に届きそうで、好きがあふれてるのも先輩には丸見えやろな。

 息継ぎするのに戸惑ってたら、結弦先輩の手が俺の頬に触れた。
 熱い指先と真っ直ぐな視線に近づきたくて、先輩の手にそっと自分の手も重ねてみる。
 重力に引かれるまま体が傾くと、自然と目を閉じてた。
 唇が触れた瞬間、ふと、既視感を覚えた。

 結弦先輩の最後の試合の日。
 ベンチで夢見た景色が瞼の裏に浮かぶ……
 甘い息と温かい体に包まれながら、都合のいい夢を見てた、幸せな時間。
 これ、夢の続きみたいや……
 結弦先輩がくれる笑顔を眩しいほど浴びて、俺はもっと強くなる。
 だから先輩、安心して俺の横で笑とってな。

 完