シュガースポットまで待って

 体育館を出て藤棚まで来ると、冬の風が頬を撫でた。
 周りは「おめでとう」の声と笑顔で溢れてるけど、俺の胸はちょっと痛い。
「終わってもたな……卒業式」
 結弦先輩がもう学校におらへんようになる。ぽっかり穴が空いた気分や。
 二人で過ごした藤棚も体育館にも、もう先輩はおらへんねんな……
 藤の葉の隙間から見えてる、小さな空を見上げてたら、目の奥が熱くなってきた。

「……結弦先輩。俺、寂しい。めっちゃ寂しいねん」

 言葉に出してもたら、涙が出そうになってきた。
 あかんやろ。先輩の門出やのに、泣くなんて。
「……俺も寂しいよ」
 声がしたから涙を拭って振り返ったら、卒業証明書持った結弦先輩が立ってた。
「先輩……卒業、おめでとうございます」
「ありがとう。けど、覚悟してたとはいえ、辛いな」
 ほんまに? ほんまに先輩もそう思ってくれてるん? 
 聞きたい。でも、言うたら泣きそうや。先輩を困らせてまう。

「先輩、お母さんは?」
「帰ったよ。あ、母さんから凪に伝言、預かってたんだ」
「俺に?」
 何やろ。先輩のお母さんとは、髪切ってもらった日に一回、会っただけやのに。
「母さんが、ありがとうって。怪我でクサってた俺にまたバスケを取り戻してくれて。それと、美容師になるって俺が決めたのも、凪のおかげだって。母さんがそう言ってた」
「それ、キャプテン先輩にも言われたけど、俺は何もしてへん。椎名先輩が頑張ったからや。それに、美容師になるんも、先輩が自分で決めたやん」

 藤棚のベンチの、いつもの場所に結弦先輩が座った。体を俺の方に向けてくれてる。
「自分で決めたけど、そこにいくまでの俺の背中を押してくれたのは、凪だ」
「俺……?」
「そう。凪だよ。俺が凪の髪を切ったときも、そのあとも。ずっと、凪は嬉しそうにしてくれてた。俺のあげたワックス、使ってくれてスタイリングも気にしてて」

「そんなん、当たり前やん。好きな人に髪、切ってもらってカッコよくしてもらってんで。先輩は俺に幸せな気持ちをくれたんや。そやから俺は何も──」
「違うよ、凪。俺が美容師になるって決めたのは、凪の嬉しそうな顔を見たからだ。思いつきで髪切ろうかって言っただけなのに、凪は本当に喜んでくれた」
 肩に先輩の手が乗って、おでことおでこをくっ付けてくれる。

「俺が髪を切ったら、凪がもっと幸せになれる。俺の手で、誰かを笑顔にできるなら、美容師って仕事をしてみたいって思ったんだ。凪が俺の笑顔を取り戻してくれたみたいに」
 おでこ同士がくっ付いてるから、先輩の長いまつ毛が羽みたいに揺れてるのがわかる。
 鳥が青空に羽ばたくみたいで、めっちゃきれいや。
 
「先輩。俺は自分が弱かったのを、勝手に先輩の笑顔をお守りにしてたんや。一方的に好きになって、笑顔を取り戻すんやって。俺は自分勝手してただけなんやで……」
 とうとう涙が出てしもた。けど、自分の仄暗いとこも先輩には知っててほしい。
「凪の弱いとこも強いとこも、俺は全部好きだ。凪の全てに俺は惹かれたんだ」

 関西から東京に来て心が折れて、親に心配させるようなことまでした。
 そんな弱い俺でもええの? 
 下向いて泣いてたら、俺の手首の傷を先輩が撫でてくれる。

「バスケの推薦な、実は復活してたんだ」
「え! ほ、ほんまに? けど、それやったら何で──」
「バスケはいつでもどこでも出来る。それよりも、俺は凪みたいに生きたい」
「俺……みたいに?」
「そうだよ。髪を切って笑顔になった凪が俺の道に光を照らしてくれた。美容師になるって母さんに伝えたら、母さんも笑顔になった。それを見て俺も嬉しくなったんだ。だから母さんは、凪にありがとうなんだよ」
 こんな伝言、自分で言って欲しかったけどさ。そう言って、先輩は百点満点の笑顔を俺にくれた。

「先輩。俺も、いっぱい勇気もらったんやで。それやのに全然、返せてへん」
「なら、これからもずっと二人で与え合いっこすればいい。凪の笑顔は百人力だから」
 ずっと……そんなこと言われたら──

「先輩、卒業せんといて……」

 結弦先輩の制服の裾、掴みながらとうとう言うてもた。
「……二回目だな、それ、聞いたの」
「え? 二回目? 俺、いつ言うた?」
 こんなわがままなこと言うたん、覚えてないやなんて。どこまで俺はアホなんや。 
「さあ、いつでしょう」
「ちょお、先輩。いじわるせんと、教えて。なあ、俺──」
 言いかけた言葉は、結弦先輩に抱きしめらて言えんかった。

「自分より大事なもの、手にするのって幸せだな」
 耳元で囁かれた言葉に、また涙腺が緩みそうになる。
「俺もやで。俺も先輩が一番大切──」
 最後まで言えんかったんは、先輩のジャケットの異変に気付いてもたからや。

「……先輩は、やっぱり女子にモテモテやな。俺、今から不安や」
 先輩のジャケットを掴むと、そこ(・・)の部分を見えるように先輩に突き出した。
「どうした……ああ、これか」
「先輩のジャケット、ボタン一個も残ってへんやん! 全部、女子に取られてるっ」
 結弦先輩に背中を向けるよう、そっぽ向いたった。
 バレンタインのチョコもやけど、こんだけモテてまう人と離れてたら、俺、毎晩寝不足になるんちゃうん。

「拗ねるなよ、凪。ほら、これで勘弁してくれよ。な」
 肩越しにチラッと後ろを見たら、先輩が自分のネクタイを外してる。
 俺の手首を持って、傷痕にネクタイをきゅって巻いてくれた。
「ええの? これ、記念に置いといた方がええんとちゃうん」
 俺が聞いたら、先輩が顎に手を当てて考えてる。けど、すぐに何か閃いたみたいな表情になった。

「じゃ、こっちを俺はもらおうかな」
 先輩の指が俺のネクタイのノットを摘んで、ゆっくり解かれた。
「交換……?」
「そう、だめ?」
 めっちゃ色っぽい顔で言われたら、断る理由なんて世界中、探してもない。
「ええよ! 交換、大賛成や。学年カラーちゃうから普段はつけられへんけど、俺、先輩のネクタイあったら、先輩に会えんでも頑張れるわ」
「……なあ、凪。お前、俺が遠い学校に行くとでも思ってる?」

 そう言えば、美容師学校ってどこにあるん? 東京は東京やんな。
「先輩、どこの学校? この街から遠いん?」
 だんだん胸がドキドキしてきた。まさか、大阪とかって言わへんやろな。
「教えるけどその前に、俺のこと名前で呼んで。そしたら教えるよ」
「えー! それ、試合勝ったらって約束やったやん」
「冷たいな、凪。試合負けた俺って可哀想じゃない? それに試合の時、名前で呼んでくれてただろ?」
「あ、あれは、つい、興奮して……」 
「今日、卒業式だったしお祝いに呼んで欲しいな」
 俺の手、握りながら、そんな甘えた声で言わんといて……断られへんやん。
「わ、わかった。ほんならいくで。ゆ……」
 俺、声が上擦ってるやん。めっちゃ緊張してる。
「ゆ?」
「ゆづ……」
 ふーっ、と一息ついた。
「あと、一文字」
「ゆ……づる……さ──」
「凪、かわいい!」
 せっかく最後まで言えそうやったのに、また抱きしめられて、言えんかった。

 けど、これも嬉しいからもっとしてほしい。
 先輩の腕の中──ここが、俺にとって最高に幸せな場所やから。