シュガースポットまで待って

 日和った俺が勇気出して藤棚に行ったんは、衣替えになってからやった。
 けど、結弦先輩はこーへんかった。
 バイトの日もギリギリまでおったけど、会えへんかった。
 バッシュケース事件から、俺が勝手に押しかけてただけやから、ここで会うんは約束とちゃう。
 そやから、先輩の自由やねん。けど……

「結弦先輩、制服、長袖になってもたで」
 風も寒いって感じる日が増えて、藤棚の葉っぱもからっからや。
「……もう帰ろ。今日はバイトもないし」
 カバンを肩にかけて門を出た。
 今日は体育もなかったし、参考書もいらん授業やから軽いはずやのに、やけにカバンが重たい。

「先輩、食堂使わへんから、行ってもおらへんしな」
 倉持先輩に会えたら、様子とか聞けるんかもしれへんけど。体育館に押しかける勇気はない。
 それに、クラスの子が言うてたもんな。バスケ部はなんちゃらって大会の予選で、勝ち進んでるって。
 すごいな。キャプテン先輩、有言実行の男やな。
 結弦先輩が戻るまで勝ち進むってセリフ。今、思い返しても痺れる言葉や。

 地面に靴底擦るみたいに歩いてたら、コンビニが目に入った。
「あ、そうや。シャー芯、買わな」
 店に入るタイミングで、「あれ、浦島じゃね?」って声かけられた。
 聞き覚えのない声に振り返って見た顔は、走って逃げたなる相手やった。
「……どうも」
 声かけてきたんは、中学のとき、転校したクラスにおった同級生やった。
 けど、名前が思い出されへん。

「どうもって。相変わらず関西弁のイントネーションだな。その様子だと、俺の名前も覚えてないんだろ」
 ああ、こんな刺すみたいな言い方する子やったな。東京に来たばかりの俺を、一番初めに凹ませてきた。いっつも、おれにちょっかい出してくる、クラスで目立ってた生徒や。
「……ごめん。あんまりみんなの名前、覚えてへんねん」
 嘘やない。覚えようって思ったけど、脳が拒絶しとったんや。

「言い訳が上手いのも変わらないな。女子にはお得意の方言で笑わせてくせに」
 そんなことしてへん。女子が勝手に俺の言葉を面白がってただけや。
「都合悪くなったら黙るのも同じだな。制服着てるってことは、関西に帰らなかったんだ。てっきりゲイバレしたから逃げたかと思ってた」
 ゲイバレ……それしたん、あんたやろ。

「そういえば、お前がリスカしたせいで、カッター使用禁止になったよな。あ、もしかしてまたカッター買いに来たのか? それで同情されようと思ってる? それ、ウケるな」
 同情……
 そうか、そんな風に思われとったんか。けど、しゃあない。やったんは事実やし。
 こんな場面でも、戦える力はあのとき結弦先輩の笑顔で手に入れたのに、今は無理や。
 先輩の笑顔、思い出そうとしても、雨の中で見た顔しか出てこーへん。
 今の俺には、先輩の笑顔を守ることもできひ──
「なあ、君。まだこの子をいじめるなら、そっちの学校の先生に報告してもいいけど」

 この声……俺の大好きな人の声や……
 ゆっくり振り返って見た顔に、涙が出そうになった。
「し、椎名せんぱ……」
「凪、こっちに来い」
 俺の手首掴んで、自分の背中側に俺を隠すみたいにしてくれる。
「あ、君。今のやり取り、動画で撮っといたからな」
「キャ、キャプテン先輩も」
 二人の後ろを見たら、筋肉先輩も店から出てきた。
 バスケ部の人たちと結弦先輩が一緒にコンビニにおる。これって、これって……
 あ、結弦先輩、バッシュケース持ってる!

 この瞬間、俺の頭から元同級生は、吹き飛んだ。
 昔の話なんて、結弦先輩の格好を見たらどうでもよくなった。
 元同級生に目を向けたら、百八十超えの三人に睨まれてて、気の毒なくらい真っ青になってる。
「お、お前、ウザい!」
 短い捨て台詞だけ言うと、元同級生は早歩きでどっか行ってもた。

「おーおー。あれは完全に俺の筋肉にビビってるな」
 筋肉先輩、かっこええけど、プロテイン飲みながらなんは、ちょっと残念やで。
「あいつ、もしかして競歩でもやってるのかもな」
 キャプテン先輩、競歩って、それ、めっちゃウケる。
「凪。平気か? 暴力とかはなかったか?」
 先輩……結弦先輩や。俺の名前呼んでくれて、心配してくれてる。
 それだけでめちゃくちゃ嬉しい。顔見れて、よかった。 

「は……い、平気です。あの、ありがとうございました、みなさん」
「あれ、凪君。敬語だな」
 あ、しまった。けど、もうこの作戦はいらんかもしれへん。
 結弦先輩のそばには、頼もしい仲間がおるんやもん。本物のタメ語ができる友達が。
「ほんまですね。けど、やっぱり敬語にせなあかんかなって──」
「だめだ。今まで通り、タメ語で話せ。あ、俺にだけな」
 そう言って、結弦先輩が笑ろてくれた。
 あ……今の笑顔、俺の好きな先輩の顔や。

「いや、でも……」
 結弦先輩を傷つけておいて、今までと同じやなんてできひん。
 手首のことは前にバレてるけど、ゲイのことも絶対に聞こえてたはずや。
 俺が男が好きやって知ったんや、もう前みたいにかまってくれることなんかない。
 よし、一個だけ確認して帰ろ。
 その答えが俺の想像と一緒やったら、もう、結弦先輩は大丈夫や。

「あの、椎名せんぱ──」
「結弦、俺ら用事あるからここで解散な。あ、凪君、さっきの動画は嘘だからな。結弦、明日の朝練、遅刻すんなよ」
 朝練……今、キャプテン先輩、朝練て言うた!?
「それ、無駄な心配だ」
 こ、答えた。無駄な心配って!
 聞きたい。『先輩、バスケ部に戻ったん?』って。
 けど怖い。また、この間みたいな顔させてもたら、何万回謝っても足りひん。

「凪君、結弦のこと頼むな」
「キャ、キャプテン先輩、筋肉先輩。ありがとうございました!」
 先輩たちの後ろ姿に頭を下げてたら、後ろから名前を呼ばれた。
 ……凪。
 世界で一番優しい声や。世界で一番、好きな人の声。
 ゆっくり振り返ったら、とびきりの笑顔で言ってくれた。
「一緒に帰ろか」