シュガースポットまで待って

「なあ、先生。この子の足、大丈夫やった? ほんまに、ちゃんと診てくれた?」
 カチャカチャとキーボード打つ先生に声かけたのに、画面しか見てへん。
 もー。この先生、人の話し聞いとん? ずっとパソコンばっか触って。
「先生、聞いてるん? この子、バスケめっちゃ上手いねん。そやからちゃんと治してもらわな困るねん」
 丸椅子に座ってる千加良君の前に出て、先生の机にかぶりついた。
 先生の話し聞くときが、患者はいっちゃん緊張すんねんで。

「なあ、せんせ──」
「あのな。さっきからその質問、四回目やで。君は僕の腕、信用してないんか?」
 偉そうな肘置き付いた椅子、クルッと半回転させてこっちを見てくる。
 その黒縁メガネと関西弁が嘘っぽいねん。って、あれ? 関西弁が信用できひんのか?
 あかん、あかん。関西弁を(ないがし)ろにしてもた。

「だって、レントゲン撮って、湿布と包帯巻いただけやんか。もっと、こう、マッサージするとか、電気当てるとかないん? ほんまにこれでええの?」
「ちょっと、恥ずかしいから黙ってよ。ただの捻挫はこれでいいの」
 後ろから千加良君にTシャツ、引っ張られてハッとした。
 俺、お医者さんに偉そうに言ってもた。せやけど、心配なんやもん。
 もし、千加良君が結弦先輩と同じようになってもたら……
 丘を下ってるときから、いや、ちゃう。千加良君が崖から滑った瞬間には、もう考えてた。ほんで、焦ったんや。

「この子の言う通りや。捻挫は変に触らへん方がええ。あ、風呂はやめといてな。シャワーで我慢して。それと、家帰ったら患部を冷やしといてよ」
 先生の顔は真剣そのものや。関西弁やからって、冗談っぽくとってもたん反省せな。
 あー、でも、こういうことやったんかな。
 中三のとき同級生が言ってた、関西弁が軽いとか真剣じゃないって意味は。
 第三者的に聞いたら『カチン』ってくる気持ち、今、わかった気がする。
 けど、一個、気に入らん。
 なんで、千加良君は、同じ関西弁やのに、先生の言うことは素直に聞いてるんや。
 おもしろないけど、おとなしくなってくれたから許しとこ。

「じゃ、念の為に一週間後、もう一回、診せてな。あ、湿布出しとくから」
「はい。ありがとうございました」
 ぺこりって、先生に頭下げてお礼言う姿、なんか可愛いな。
 俺にもこうやって素直やったらええのに。ほんなら、もっと仲良くなれんちゃうかな。
 今さらか……
 大好きな結弦先輩のそばにおる人間として、この子から見たら俺は相応しくないんやろ。
 診察室出ようとしたら、「ちょっと待った」って、関西弁の声で俺らの足は止まった。

「なんですか?」
「なんですかや、あらへん。次は君の番や」
「君って、俺? なんで?」
「なんでやないやろ。君、足、怪我してるやん。ズボンの隙間から血が見えてるで。もう、乾いて固まってるけどな」
 千加良君の視線が、俺の太ももに移った瞬間、思わず両手でズボンを押さえて隠した。
「へ、平気や。こんなん、かすり傷や」
「わかった、わかった。かすり傷でもなんでもええ。ズボン脱いでみ、サービスで診たるわ」
 サ、サービスって、八百屋でジャガイモ一個、おまけするみたいに言わんといて。

「先生。この人、傷を触られるの、ビビってるんですよ」
「ちょお、その言葉は聞き捨てならへんな。俺はビビってなんかないで」
「そしたら潔く、ズボン脱いで傷口診てもらえば? 俺を助けてくれたとき、枝か岩に刺さって怪我したんだから。先生、足から結構、血が出てましたよ」
 ちょっと、何をチクってるんや。
 急に、強気になって。おんぶしてたときの方が、可愛げあったなわ。

「ほら、弟君も心配してるやん。早よ、ズボン──」
「弟ちゃうっ」「弟違います!」
 ハモってもた。ひょっとして、俺ら、気ー合うんちゃうん? 
 好きな人も同じやし……
『弟』の言葉で開き直った俺は、スパッとズボン脱いで足を先生の前に突き出したった。

「……こりゃ思ったより酷いな。緊急手術せなあかん」
 今、何て言った? 手術? それも緊急って。え、俺の足、どないなっとん!?
「せんせ……俺、足、切断すんの? もしかして、腐っとん?」
 さっきまで痛いの、忘れとったのに急に足がガクガク震えてきた。
 傷口が開くみたいな痛みがよみがえって、ズキズキしてくる。
 ちらっと千加良君を見たら、真っ青な顔して、どっか一点だけ見とる。

「……そうやな。これは、相当ヤバいで。もう──」
「もう……?」
「四、いや、五針は縫わなあかんな」
 へ? 縫う? それって、糸で縫う、あの、縫うのこと?
 ポカンってしてたら、先生の横におる看護師さんが爆笑してる。
 ゆっくり千加良君を見たら、同時に俺の方を見てた。
 目が合って数秒後、風船が破裂したみたいに一緒に爆笑してもた。

「もー、先生。脅かさんといてよ。俺、マジで一瞬、天国見えたし」
「大袈裟やな。俺は結構、腕がいいって評判なんやで」
 ほんまに? って看護師さんに視線で聞いたら、外国人みたいに両方の手のひらを上に向けて肩を竦めてる。
 あ、もしかして──
「なあ。もしかして先生って、副業で医者やってる芸人?」
 真面目に聞いたのに、先生も看護師さんもまた笑い出した。おまけに千加良君まで。
 中二らしい笑顔が見れて嬉しかったから、イジられ役でもええかって思っとこ。
 ──って余裕やったんも束の間……
 麻酔の注射針を見た瞬間、先生が地獄の閻魔さんに見えた。

 ****
 
 治療が終わって待合室に向かってたら、前からタカシさんが走って来た。
「じいちゃんっ」
「千加良、凪君も。大丈夫か」
 千加良君の肩つかんで、顔を覗き込むように心配してる。そんなタカシさんの後ろで、ミオちゃんたちがホッとした顔で手を振ってくれてる。
「うん。ただの捻挫だった」
「そうか、よかったな。車とって来たから家に帰ろうか。凪君も、すまんかったな」
「俺は平気やで。千加良君が無事でよかったわ」
「何がよかっただよ! あんたの方が怪我、酷かったのに」
 千加良君の言葉で、タカシさんの顔つきが変わった。
 また、この子はいらんこと言う。
 声がデカいから、ミオちゃんらにも聞こえてもたやん。

「凪君、君、怪我したってどこ──足かっ」
 タカシさんの視線が俺の足に降りてきた。思わず、怪我した方の足をスッと後ろに隠してもた。
「ねえ、凪君が怪我したって聞こえたけど……」
 ボンバーのみんなが集まって来たし、タカシさんの目が俺の足にたどり着いてる。
「ま、まあ……けど、ほんま、たいした事ない──」
「六針! 六針も太もも縫ってるから、この人。けどその怪我、俺が崖から落ちそうになったの、この人が受け止めてくれたから。だから……」
 メンバーみんなが痛みを想像したんか、眉間のシワ、ぎゅうってなってる。
 そんな顔、させたないから黙ってたのに。

「あれ、六やった? 三とか四針ちゃうかったっけ?」
「違う! 六針もだ。そんだけ酷い怪我したの、俺のせいなんだ。やめとけって言ってくれたのに、俺が無視して崖、登ったから。なのに俺のこと庇って、尖った岩が足に刺さったんだろ」
「凪! 今の話し、本当か……」
 この声、結弦先輩? どこにおる……あ、自販機んとこにおった。
「椎名先輩……お疲れさん」
「お疲れさんじゃないだろ。俺は千加良だけが怪我したって聞いてたのに、まさか凪もなんて……しかも、千加良のせいで」
 結弦先輩の顔が、何か気づいたみたいな、ハッとした顔になった。
「先輩。あんな、これは──」
「ちょっと待て。凪、怪我した足で千加良をおぶって病院まで来たのか。緑ヶ丘からここまで結構な距離なのに、お前は……」
 あー、めっちゃ悲しそうな顔になってもた。
 このことは、墓まで持って行こうって思っとたのに。

 千加良坊ちゃんめ。何で言うてまうか──
「うわっ! ちょ、先輩! 何するん!」
 ちょ、ちょっと。何で、俺、結弦先輩に抱き抱えられてるん? 
「じいちゃん、俺、凪を家まで送ってくるから」
「それなら、俺の車で行こう」
「いや、俺が送って行く。じいちゃんは千加良と先に帰ってて」
 俺、先輩の肩に乗っけられてるけど、もしかしてこのまま荷物みたいに運ばれるん?
 わけわからん状況にパニックになってたら、ストンッて長椅子に座らされた。

「せんぱ……」
「凪、背中に乗っかれ」
 はい? 背中に? え、おんぶってこと?
 結弦先輩が背中向けて俺の前に屈むと、両腕を逆手にして指先だけクイクイッて曲げた。
 まるで、早く乗れって合図してるみたいに。
 俺が戸惑ってるんに気づいたんか、肩越しに振り返って言われた。
「ほら、今度は凪の番だ」
 俺の番って……ムリ、ムリ、ムリ! そんなん無理や。

「いや、先輩。俺の番はおかしいって。それに、俺、一人で帰れるし」
「凪のバカ。太もも縫ってるくせに、まともに歩けるわけないだろ」
 バカッて──俺、怒られてんのにドキドキしてる。 
 いやいや。バカと言われようが、結弦先輩にそんなこと、させられへん。
 ここは、断固、拒否──
「あ、うわっ! ちょ、先輩、やめて。俺、重いし」
「な……凪さん、ここはおとなしく送ってもらって。結弦ちゃん、細いけど力持ちだから安心して運ばれてください」

 凪さん……?
 今、千加良君、俺のこと名前で呼んでくれた?
 ちょお、このタイミングでずるいわ。めちゃ嬉しいのに、それを伝えられへんやん。
「じいちゃん。俺、ちゃんと親御さんに話してくるから」
 親御さん? あ、もしかして、俺が怪我したん、責任感じて親に話しするん?
「先輩、そんなんせんでええ。俺、ガキんときからしょちゅう。怪我してるからオカンも慣れてる」
「そんなわけいかないだろ。大事な息子、怪我させたのにちゃんと説明しないとだめだ」
 いや、そこまでせんでも。ヤバい、おおごとになってきた。

「タ、タカシさん。ほんまに、ええねん。先輩、止めて!」
 結弦先輩の背中に乗っかったまま叫んでも、タカシさんは、頼んだって手、振ってる。
「先輩、先輩。なぁ、下ろして」
「凪、もう観念しろ。背中が嫌なら姫抱っこするぞ」
 ひ、姫抱っこ! それは勘弁やっ。まさやんにされたときも、めっちゃ恥ずかってんから。
「凪の家は体育館から近いから余裕だ。心配すんな」
 こんなん心配するって。俺って負荷がかかって、くるぶし、痛なったらどうするん。
 何より、俺のが結弦先輩に謝らなあかんのに……

「椎名先輩……」
「なんだ? 足が痛くなってきたのか?」
「ちゃう。足はまだ、麻酔効いてる。それより、俺。先輩に謝らなあかん」
「凪が俺に謝ることなんかないだろ?」
 自動扉を通りながら、先輩が優しい声で言ってくれた。おまけに、階段から降りたらええのに、遠回りになるスロープの道を選んで歩いてくれる。
 段を降りる振動で、傷にひびくって思ったんやろな。
 ほんまに優しいな、先輩。

 病院を出たら、外はもうすっかり夕暮れの空になってた。
 オレンジが青に溶け込んでいくのを見つめながら、俺は「ごめんなさい」って呟いた。
「千加良君のこと、頼むでって先輩に言われてたのに、捻挫させてもた。ほんまにごめんなさい」
 先輩の大切な頼み事、守られへんかった。
「凪……」
「……なに」
「ありがとう。千加良を守ってくれて」
 バイクが勢いよく横を走り去って行ったのに、先輩の声はちゃんと耳に届いた。

「先輩、俺の話し聞いてた? 俺、千加良君に捻挫させてもたって──」
「捻挫だけで済んだの、凪のお陰だ。凪が自分の体で千加良を受け止めてくれたから」
 心地いい振動と一緒に聞く、先輩の声。こんな贅沢なこと、俺に巡ってくるやなんて。
「俺、大したことしてへんで」
「大したことだ。ありがとうな、凪」
 先輩の声を聞きながら歩道を見たら、二人の影が重なってる。
 それがなんか嬉しくて、申し訳なくて、なにも言えんくなってもた。

 黙ったままでおったら、じわじわと汗かいてきた。
 昼間の熱が溜まったアスファルトから、ため息みたいな熱気が足元から上ってくる。
 先輩、暑ないんかな?
 背中からそっと顔を覗き込んだ。見つかれへんように、ほんまにちょっとだけ。
 風は吹いてるけど、ドライヤーの温風みたいでいっこも涼しない。
 それやのに、結弦先輩の顔からは、しつこい夏の暑さを感じひん。
 前髪を揺らしてる風は生ぬるいのに、先輩の周りだけ、軽井沢の高原みたいや。
 先輩が歩くと、一定のリズムで俺の体が揺れる。その度に背中から結弦先輩の体温が伝わって落ち着けへん。縫われた傷口より心臓の方が、ドキドキして痛い。

「……俺、重いやろ」
 ぼそって言うたら、先輩が肩越しに小さく笑った。
「大丈夫。凪、軽いよ」
 その声が近すぎて、いつも聞く声より甘く感じる。
 シャツ一枚の向こうに先輩の背中があって、動くと一緒にふわっといい匂いが舞う。
 これ、先輩が俺にくれたワックスの匂いや。
 使うのもったいなくて、ちびちびしか髪につけられへん。けど、匂いは覚えてる。

 病院を出てからずっと、心臓が忙しくしてるん、先輩に気づかれてへんやろか。
 あかん、なんかしゃべらな……
 そう思うのに、蕩けるようなこの状況と痛み、それと疲れが俺の電源を切ろうとしてくる。
 ドラマのワンシーンみたいに、遠くで鳴ってる救急車のサイレン。それと重なるように、満員のスタジアムから漏れる歓声のような、騒がしい鳥の声が風に乗って届いた。
 ──ムクドリの群れだな。
 ぼんやりした頭で聞いた先輩の声。そのあとも、先輩は何か話してくれてたけど、だんだん瞼が重たなってきて頭に入ってこーへん。
 先輩の肩に額がこつんと当たって、それを何回か繰り返した気がする。
 結弦先輩の声と匂い。それと揺れが気持ちよくて、意識がどんどん沈んでいく。

 ──このとき、俺は夢を見てたんや。
 体育館のコート。
 そこでいっぱいの声援を浴びながら、ユニフォーム姿の先輩がドリブルしてる。
 軽いステップ踏んで、華麗にシュート決めたときの笑顔が眩しすぎて、めっちゃきれいで。
 俺はそんな先輩の姿を、滲んだ目で見てるんや。
 嬉しいのに、胸は押し潰されるように苦しくて、涙が止まらへん。
 ボールの跳ねる音も、キャプテン先輩たちの声も聞こえて、みんなで喜んでる景色。

 ──凪、寝ながら笑ってるのか?
 俺、笑ってた? でも、そうかも知れへん。
 だって先輩が大好きなバスケして、俺の大好きな顔して笑ってるから。