――放課後。
 キラキラとホコリが舞う西日が差し込む教室内。
 笑い声が交じる空気が、張り詰めた空気を溶かしていた。
 私はカバンに荷物をまとめながら、向かいの席の真央と喋った。

「へぇ〜、あの敦生先輩と恋人になったんだ。やるじゃん」

 彼女は、准平との過去を唯一知っている人物。
 それに、敦生先輩のこともなんとなく知っている。

「偽物だよ! 偽彼女! こうでもしないと、諦めてくれなそうなんだもん」

 カバンの中にぐいぐいと教科書を押し込んだ。

 敦生先輩と出会ってから、正直ロクなことがない。
 高校に入学したら静かに過ごすはずが、いつしかさらし者に。
 彼女はカバンを肩にかけ、小走りで私の横につく。

「でもさ、ちょっと前向きに考えてみたら?」

 ちょっと嬉しそうな声に、胸がぎゅっとした。

「どうして?」
「たった1ヶ月間でしょ? その間だけでも、准平を忘れられるんじゃない?」

 事故を知ってる人は、腫れ物に触るような態度で私に接してきた。
 彼女はそこから抜け出すことを願っている。
 
「……べつにいいよ。過去を背負ったままでも」

 カバンを閉じ、軽くため息をつく。
 准平への片想いは、アイドルに胸をときめかせるのと同じようなもの。
 誰に迷惑をかけてるわけでもないし、いまのままで十分。
 そう思いながら、2年間やり過ごしてきた。 

「ダメダメ! 里宇の両親や准平の両親だって、心配してるんじゃない?」

 その言葉が、まっすぐに胸の奥に落ちていった。

「それはわかってる。でも、両想いだったから、諦められないよ」

 私へのメモさえ残されていなければ、きっとこんなに引きずることはなかった。
 もっと早くに自分から告白していれば……と、何度も思う。

 深いため息をつくと、急に廊下が騒がしくなった。
 ふと目を向けると、敦生先輩が「里宇〜!」と、前扉の向こうで手を上げている。

 げっ、あいつ!
 教室まで迎えに来るなんて……。

 カバンを鷲掴みして、真央に「また明日」と伝えた。
 廊下に出ると、敦生先輩の腕を引いて走った。
 はぁはぁと息を切らし、渡り廊下で足を止める。

「教室まで、なにしに来てんのよ」

 私の声が響き渡り、渡り廊下を包みこんだ。
 遠くから聞こえる生徒の声に配慮し、息を潜める。

「一緒に帰ろうと思って。だって、恋人でしょ」
「はぁ? どうして私がそこまで……」

 呆れたように息を吐き、背を向けた。
 彼は私の前に周ると、壁に手をドンッと打ち付けた。

「ひゃっ!」

 私の体がビクッと揺れ、息を呑む。

 西日に照らされながら、彼はポケットから一枚の紙を取り出した。
 それを、私の目の前にひらりと掲げ、指を滑らせ、⑤番の上でぴたりと止めた。

「ここ、なんて書いてある? 読んでみ?」

 まるで教師が生徒に質問するように問う。
 自分で書いたのに、答えたくない。
 私は目を横に向けた。
 こんな契約ルールはバカげているし、准平に頭が上がらなくなる。

 無言とともに、冷たい風が流れた。

「ほら、よく見て。なんて書いてある?」

 彼は指先でちょんちょん叩き、紙を揺らす。
 私は手に汗をにぎり、息が詰まった。
 私がイヤホンを壊してしまった時とは別人のように、意地悪さに磨きがかかっている気がする。
 
「”1ヶ月間、偽彼女の約束は守ります”……と」

 荒い息を整え、声を詰まらせながら答えた。
 すべての契約ルールを守ってもらうつもりで⑤番を書いた。
 それが、逆手に取られるなんて。
 拳がワナワナと震える。

「わかってるならいい。12月24日まで、きっちりけじめをつけてもらうからね」
「なによ、それ……。借金取りみたい」

 こんなに面倒くさいことを、なんで私が。
 脅迫されているようで腹が立ち、ムッと口を尖らせた。

「おまえがそうさせたんだろ。宝物を壊したんだから、ルールは守れよ」
「うぐぐっ……! そっちこそ、ちゃんと守ってよね」

 なによ、意地悪男。
 信じてほしいだけかと思ってたけど、私をバカにしたいだけ?

 ――このときは、偽彼女という立場を軽くしか考えていなかった。
 彼の提案が、私の心を揺さぶるとは思いもよらなかった。