遠くても、近くても ─君を想う1ヶ月間─



 ――翌日、私はざわつく教室内で、昨日とは別の通販サイトを見て、ため息をついた。
 画面をじっと見つめ、肩を落とすと、廊下の方が急に騒がしくなった。
 つられるように見ると、教室の前方扉に敦生先輩の姿が――。

 私と目が合った途端、彼は人差し指をひょいひょいとこっちへ向けた。
 来い、という合図だ。
 席を立って、腰を低くしたまま彼の元へ。

「あ、あの。昨日はすみませんでした。あとで先輩の教室まで行こうかと……」

 上目遣いのまま言うと、彼は私の生徒手帳を突き出した。

「こういうの渡されても困るから」
「逃げたと思われるのが嫌ったんで。この見た目で、結構損していますから」

 私は小さくため息をつき、両手で生徒手帳を受け取る。

「中に入ってた写真は彼氏? バンドマンっぽかったけど」

 胸がドキッとした。
 頬が赤く染まり、生徒手帳を胸に抱える。

「中身を見たんですか?!」
「身分を明かしたかったんでしょ?」
「まっ、まぁ……そうですけど」

 計算外だった。
 渡したときは、名前だけ確認するかと。

「それより、どう弁償したらいいですか。昨晩からショッピングサイトを眺めていたけど、三万円切るものってなかなかないし、多分代わり……じゃ無理ですよね」

 冷や汗をにじませ、上目を向けた。
 申し訳ない気持ちと、早く終わらせたい気持ちが交錯する。

「悪いけど、イヤホンの代わりになるものなんてない」

 やっぱり、そうだよね。

「じゃあ、どうすれば……」
「丸1日考えたんだけど、弁償しなくていいよ」
「えっ、でも」
「その代わり、交換条件でどう?」

 頭の中が真っ白になった。
 いままで弁償のことしか頭になかったから。

「……その交換条件、とは?」

 達成できるかわからない。三万円分の交換条件なんて。
 あれほど高価なものと引き換えになるほどだから。
 ……でも、聞く価値はある。

「1ヶ月だけ、俺の偽彼女になってくれない?」

 彼は表情を一転させ、にこりと微笑んだ。
 私は思わぬ提案に、目をきょとんとさせる。
 弁償とは、似ても似つかない。

「どうして私が、先輩の偽彼女に?」

 気になるのは、”彼女”ではなくて、”偽彼女”だということ。

「魔除け」
「……は?」
「女を近づけない役にぴったり。あんたなら俺に惚れなそうだから、安心かなって。面倒な女に狙われやすいから、モテるって結構たいへんなんだよね」

 意味がわからない。
 まだ敦生先輩のことはなにも知らないし、私は准平(じゅんぺい)のことが――。

「バカバカしい。私、遊びで偽彼女なんて、引き受けるつもりなんてないし」

 プイッと目を背けた。
 もしかしたら、からかわれてるのかもしれない。

「じゃあ、本気の偽彼女ならいいの?」
「ばっ、バカにしないでください! 私、好きな人いるんで――失礼します!」

 拳に力を込めて背中を向けた――でも、その直後。

「でも俺、諦めないよ」

 振り返ると、彼は私を寂しそうな目で見つめていた。
 私は唇を噛み締めて、教室に戻っていった。

 なによ、偉そうに。
 こっちは真剣に心配してるのに。
 イエスなんて絶対に言わない。
 イヤホンを壊したからって、軽々しく扱ってほしくないのに。

 席に戻り、机に両手を置き、ふて寝する。
 申し訳なさが、偽彼女騒動でムカつきに変わった。

 だけど、彼の瞳の奥が笑っていなかったことと、あのときの声がなぜか耳の奥に残っていた。
 偽彼女……。
 先輩はモテるのに、どうして”私じゃなきゃダメ”だったんだろう。

 ――結局、話の折がつかなかった。
 私の条件と、彼の条件がケンカをしたまま。
 最後はどちらかが折れなければ、きっと私は、三万円のイヤホンの呪縛から逃げ切れない。