澪が柵を降りると、ニコリと白猫が笑ったように見えた。
次の瞬間、四足歩行だった白猫が、パッと前足を地面から離し、あっという間に二足歩行の生き物へと変化する。
澪は、開いた口がまるでふさがらなかった。
「え……?ステラ……だよね…?」
「澪さん。こんばんは」
シャラン、と首元につけている鈴を鳴らした”ステラ”は、澪の手を取り、ふっと笑みを浮かべる。
「千紗さんのことは――街の野良猫から聞いております」
”千紗”という名前を聞いた瞬間、びくりと澪の肩が震える。
「――ステラは……何者なの」
びっくりするくらい低い声が出た。
澪の問いに、ステラは優しく微笑んだ。
「私は猫。”ステラ”…ですよ。澪さん」
―――澪はその言葉を聞き、昔祖母から聞いたことを思い出す。
『澪ちゃん。私たちの街には”星影海”ってのがあるだろう。星影というのは、猫様が星空の下を歩いている様子から、そう呼ばれたんだよ。だから猫様は、この街には大事な、神様みたいな存在なんだよ。猫様は人間の心からの願いなら、何でも聞いてくれるんだよ。』
子どもの頃の澪は、そんなの空想の世界の話だと軽く聞き逃していただろう。
けれども、今、祖母の話は実話だったということを、身にしみて感じた。
「……澪さんは、千紗さんの死に関係しているのですか」
ステラの声は、酷く優しく、温かいものだった。
澪は乾いたはずの涙が沸き、目頭が熱くなるのを覚えながら、コクリとうなずいた。
「――ちーちゃんは、私のせいで死んだの」
ステラは、すべて見透かしているかのように、ゆっくりと頷く。
「…私が…ちーちゃんをいじめから、救えなかったから……」
千紗と初めて展望台に来た数日後、クラスメイトからの卑劣ないじめが始まった、と澪は言う。
最初は軽いもので、陰口を言ったり、持ち物をダサいと言ったり、いやがらせ程度だった。
けれど、運動会に近づくにつれ、いじめはヒートアップしていき、軽く殴られるようにまで発展していった。
澪はそれを知っていながら、ただ千紗を慰める事しかできずにいた。
運動会で転んだのも、千紗が注目されるように仕組んだのも、すべてそのいじめっ子だということさえ知っていながら、先生に知らせることも、いじめっ子に立ち向かうこともできなかった。
「……怖かったの。私までいじめの標的に、されるんじゃないかって」
涙をこぼす澪に、ステラは優しく「ええ」とうなずく。
「けど――今思えば、すっごくバカだった。二人で居れば、きっと乗り越えられたはずなのに、私は、自分のことしか、考えてなかった」
まるで何かを吐き出すように、すらすらと言葉を紡ぐ澪。
「ちーちゃんさえいてくれたら……私はどうなっても、よかったのに」
その言葉は、澪自身の心を、ぎゅぅっと揺さぶった。
「澪さん…」
「だから――私のせいで、ちーちゃんは死んだの」



