東京では年々夏が早くなっていた。
三月の後半には半袖シャツ一枚で過ごせる日もザラにあったし、五月の大型連休には虫取り少年のような格好で歩いていてもまったく浮くこともない。むしろこの都会の喧騒と雑踏の中に、うまく紛れ込むことができていた。
大型連休が終わってすぐ、梅雨を通り越したと感じていた夏休みまでのカウントダウンを始めたあの日も、暑さに思考を奪われていたのだと思う。全てを飲み込まんとする日光から逃げるためだけに入ったホームセンターで、普段なら絶対に手を出さない買い物をしていた。
『簡単! 自宅で美味しいミニトマト』
殴り書きとも呼べる赤色で縁取られただけのチープなポップが、入店直後の視界に飛び込んだ。太陽光という衣服を一枚脱ぐまでの僅かな間、俺はそのポップと目を合わせた。
別に「それが何かを語り掛けていた」などという類のものでは決してなかった。自分と同じく、この日差しにやられたアルバイトの仕事だったのだろうと、家庭菜園用の栽培キットを入れたビニル袋の重みを感じながらに思う。日よけにしようと袋を持ち上げると、中身が透けて見えた。
そこに、あのポップは無かった。
二階建て、木造の古いアパートの角部屋は、早送りした季節のこの時間になるとドアノブが外気を上回る熱を持ち始める。「ノブ熱」と勝手に呼んでいるのだが、油断して手のひらで包み込まないよう、扉には『注』とだけ書いた付箋を貼っている。
鍵を挿し込み、一瞬だけノブに触れる。同時に、静電気が走った時の反射運動のように素早く手を引く。この一連の動作を数回繰り返し、手のひらが「ノブ熱」の温度に順応したことを確認してからしっかり掴んで右に捻った。
年始の初売りに並んだ人たちが開店直後に店内へ流れ込むように、部屋の中から熱気が外へと溢れ出す。締め切っていた室内は、外よりうだって蒸し暑い。いっそのことサウナとして営業し、小遣い稼ぎをしたいくらいだった。
靴を脱ぎ、一直線にベランダへ向かう。窓を開けると、たった今まで敵意丸出しだったはずの外の世界から心地よい風が室内に流れ込んだ。
この部屋は外より暑いと、脳が再度認識する。
キッチンカウンターに並んだ空のペットボトルの一つを手に取って、中に水道水を注ぐ。買ったばかりの栽培キットに付属していた頭の凹んだキャップで蓋をすると、それなりにまとまった水が飲み口から溢れ出る。床に落ちた水を足で伸ばしながら説明書を広げると、どうやら蓋をしてから水を入れるらしかった。
キャップの凹んだ部分に種を蒔き、ベランダに置く。こういうものは日差しが強ければ強いほど良いと思ったからだった。
ベランダの窓を閉める直前、「あまり強すぎる日光は当てない方が良い」とチープなポップに書かれていたことを思い出す。
あんな安物の指示に従うなんて癪だから、普段なら絶対に無視していた。しかし、数分前までその日光の被害に遭った実体験があったからか、俺は栽培キットをベランダの隅へと移動させていた。
指示には従った。水は適度に与えたし、風通しだって悪くない。
でも失敗した。その実は青いまま、赤くなる前に萎んでいった。
やはりあのポップに惑わされたと怒りが湧いたけれど、感情はすぐに虚しさへと変わった。
そもそもこの格安賃貸アパートは洗濯に適した、室内を陽の温かさで満たすような好条件の物件ではない。仮にそうであるならば、頭の空っぽなアルバイトが手持ち無沙汰に書いた無料のポップと違って、ちゃんと社会の中で生み出されたお金を使って作られる「入居者募集」のチラシにもれなく記載されていたはずである。
なんなら物件探しの時点で「日当たりが悪くても安い物件」で検索していたことを思い出した。
胸に抱いた虚しさは、厳密に言えば会社の経費を時給という形で得ているアルバイトも社会から生みだされたお金を使って雇われているわけで、決して無料というわけではないという、自分にとって都合の良い解釈をすることで静めた。
ともあれ、現実は目の前にある小さな出来損ないのトマトによって示され、詰め込まれている。
この実は世界の縮図だ。ベランダから見えるこの景色も、地面と擦れるサンダルの音も、強い日差しも、あのアルバイトも、世界の裏側で眠る人たちも、すべてを混ぜてしまえばこの世の縮図は案外、単色で単純なものなのだろう。
そうだとわかっていればわざわざ個性を磨こうとすることも、都会に染まろうとすることだってしなかった。今の自分もそれなりに、少なくとも今以上には、認めてあげられたはずだった。
結局それができないから、こうして摘めば潰れるほど柔らかく小さな青い実一つに見せられた現実に、簡単に打ちひしがれてしまうのだ。いや、実際には向き合うことすらしていないのだから、打ちひしがれるという言葉を使うのは違う気もする。そういうものだと自分を丸め込み、答えを先延ばしにして、気落ちする自分を置き去りにするように何かに見出された道を歩き出す。自分で道を選んだわけでもないのだから自らの意思で染まったわけでもないのに、さも自分から染まりにいったかのように肩で風を切りながら進む。
堂々と、さも堂々と見栄を張る。
その結果、取り返しがつかないところまで来てようやく気付くことができる。
ああ、俺は一体何をしているんだろう。
皮肉にも、それに気付かせてくれるのも自分以外だったりする。自分の努力をいとも簡単に上回る人たちは瞬きの回数よりも多く存在していて、一人の時は威勢よく風を切る肩も、いざ躍動する現実を前にすると縮こまる。
どうせ東京の恵まれた空気しか吸ったことがないんだろ、と胸の内で毒づくくせに。
できることならすれ違いたくもないから避けようと思うけれど、今いる道はそんなに広くはない。かと言って、目を閉じたまま歩く器用さを持ち合わせてはいないから、仕方なしに現実が切り裂いた風を感じるくらいの距離感ですれ違うことを余儀なくされる。
そこでまた思う。
ああ、本当に俺は、一体何をしているのだろう。
自分の都合通りに行くのは、いつだって頭の中だけだ。見たくないものに蓋をして自分で道を切り拓き、ご都合主義の記憶と融合していけば、そこには望んだ光景が広がっている。道には幾つもの分岐点が存在していて、その時々の気分で好きな方を選べばいいし、違うと感じたら戻ればいい。
そう思うから進むべき道を決める時、俺は決まって目は開けない。そうすれば再び瞼を閉じたとき、また初めからスタートすることができると思えたからだ。
そういう手順を踏まなかったのだから、手のひらに収まるこの小さな青い実が、まだ失敗も成功も知らない種だった頃に戻ることもない。
いっそのこと、初めから無かったかのように潰してしまおうとも思った。でも虚しくて止めた。「この実一つも彩れないお前が、都会の色に染まれるわけがないだろ」と失敗作のミニトマトに言われている気がした。
着用している白のTシャツ。首元を掴んで伸ばす。
腹いせにこの実を潰して、溢れる汁でこのシャツを染めれば少しは気が晴れるだろうか。
汚れたシャツを洗う自分を想像したらまた虚しくなって、それも止めた。
三月の後半には半袖シャツ一枚で過ごせる日もザラにあったし、五月の大型連休には虫取り少年のような格好で歩いていてもまったく浮くこともない。むしろこの都会の喧騒と雑踏の中に、うまく紛れ込むことができていた。
大型連休が終わってすぐ、梅雨を通り越したと感じていた夏休みまでのカウントダウンを始めたあの日も、暑さに思考を奪われていたのだと思う。全てを飲み込まんとする日光から逃げるためだけに入ったホームセンターで、普段なら絶対に手を出さない買い物をしていた。
『簡単! 自宅で美味しいミニトマト』
殴り書きとも呼べる赤色で縁取られただけのチープなポップが、入店直後の視界に飛び込んだ。太陽光という衣服を一枚脱ぐまでの僅かな間、俺はそのポップと目を合わせた。
別に「それが何かを語り掛けていた」などという類のものでは決してなかった。自分と同じく、この日差しにやられたアルバイトの仕事だったのだろうと、家庭菜園用の栽培キットを入れたビニル袋の重みを感じながらに思う。日よけにしようと袋を持ち上げると、中身が透けて見えた。
そこに、あのポップは無かった。
二階建て、木造の古いアパートの角部屋は、早送りした季節のこの時間になるとドアノブが外気を上回る熱を持ち始める。「ノブ熱」と勝手に呼んでいるのだが、油断して手のひらで包み込まないよう、扉には『注』とだけ書いた付箋を貼っている。
鍵を挿し込み、一瞬だけノブに触れる。同時に、静電気が走った時の反射運動のように素早く手を引く。この一連の動作を数回繰り返し、手のひらが「ノブ熱」の温度に順応したことを確認してからしっかり掴んで右に捻った。
年始の初売りに並んだ人たちが開店直後に店内へ流れ込むように、部屋の中から熱気が外へと溢れ出す。締め切っていた室内は、外よりうだって蒸し暑い。いっそのことサウナとして営業し、小遣い稼ぎをしたいくらいだった。
靴を脱ぎ、一直線にベランダへ向かう。窓を開けると、たった今まで敵意丸出しだったはずの外の世界から心地よい風が室内に流れ込んだ。
この部屋は外より暑いと、脳が再度認識する。
キッチンカウンターに並んだ空のペットボトルの一つを手に取って、中に水道水を注ぐ。買ったばかりの栽培キットに付属していた頭の凹んだキャップで蓋をすると、それなりにまとまった水が飲み口から溢れ出る。床に落ちた水を足で伸ばしながら説明書を広げると、どうやら蓋をしてから水を入れるらしかった。
キャップの凹んだ部分に種を蒔き、ベランダに置く。こういうものは日差しが強ければ強いほど良いと思ったからだった。
ベランダの窓を閉める直前、「あまり強すぎる日光は当てない方が良い」とチープなポップに書かれていたことを思い出す。
あんな安物の指示に従うなんて癪だから、普段なら絶対に無視していた。しかし、数分前までその日光の被害に遭った実体験があったからか、俺は栽培キットをベランダの隅へと移動させていた。
指示には従った。水は適度に与えたし、風通しだって悪くない。
でも失敗した。その実は青いまま、赤くなる前に萎んでいった。
やはりあのポップに惑わされたと怒りが湧いたけれど、感情はすぐに虚しさへと変わった。
そもそもこの格安賃貸アパートは洗濯に適した、室内を陽の温かさで満たすような好条件の物件ではない。仮にそうであるならば、頭の空っぽなアルバイトが手持ち無沙汰に書いた無料のポップと違って、ちゃんと社会の中で生み出されたお金を使って作られる「入居者募集」のチラシにもれなく記載されていたはずである。
なんなら物件探しの時点で「日当たりが悪くても安い物件」で検索していたことを思い出した。
胸に抱いた虚しさは、厳密に言えば会社の経費を時給という形で得ているアルバイトも社会から生みだされたお金を使って雇われているわけで、決して無料というわけではないという、自分にとって都合の良い解釈をすることで静めた。
ともあれ、現実は目の前にある小さな出来損ないのトマトによって示され、詰め込まれている。
この実は世界の縮図だ。ベランダから見えるこの景色も、地面と擦れるサンダルの音も、強い日差しも、あのアルバイトも、世界の裏側で眠る人たちも、すべてを混ぜてしまえばこの世の縮図は案外、単色で単純なものなのだろう。
そうだとわかっていればわざわざ個性を磨こうとすることも、都会に染まろうとすることだってしなかった。今の自分もそれなりに、少なくとも今以上には、認めてあげられたはずだった。
結局それができないから、こうして摘めば潰れるほど柔らかく小さな青い実一つに見せられた現実に、簡単に打ちひしがれてしまうのだ。いや、実際には向き合うことすらしていないのだから、打ちひしがれるという言葉を使うのは違う気もする。そういうものだと自分を丸め込み、答えを先延ばしにして、気落ちする自分を置き去りにするように何かに見出された道を歩き出す。自分で道を選んだわけでもないのだから自らの意思で染まったわけでもないのに、さも自分から染まりにいったかのように肩で風を切りながら進む。
堂々と、さも堂々と見栄を張る。
その結果、取り返しがつかないところまで来てようやく気付くことができる。
ああ、俺は一体何をしているんだろう。
皮肉にも、それに気付かせてくれるのも自分以外だったりする。自分の努力をいとも簡単に上回る人たちは瞬きの回数よりも多く存在していて、一人の時は威勢よく風を切る肩も、いざ躍動する現実を前にすると縮こまる。
どうせ東京の恵まれた空気しか吸ったことがないんだろ、と胸の内で毒づくくせに。
できることならすれ違いたくもないから避けようと思うけれど、今いる道はそんなに広くはない。かと言って、目を閉じたまま歩く器用さを持ち合わせてはいないから、仕方なしに現実が切り裂いた風を感じるくらいの距離感ですれ違うことを余儀なくされる。
そこでまた思う。
ああ、本当に俺は、一体何をしているのだろう。
自分の都合通りに行くのは、いつだって頭の中だけだ。見たくないものに蓋をして自分で道を切り拓き、ご都合主義の記憶と融合していけば、そこには望んだ光景が広がっている。道には幾つもの分岐点が存在していて、その時々の気分で好きな方を選べばいいし、違うと感じたら戻ればいい。
そう思うから進むべき道を決める時、俺は決まって目は開けない。そうすれば再び瞼を閉じたとき、また初めからスタートすることができると思えたからだ。
そういう手順を踏まなかったのだから、手のひらに収まるこの小さな青い実が、まだ失敗も成功も知らない種だった頃に戻ることもない。
いっそのこと、初めから無かったかのように潰してしまおうとも思った。でも虚しくて止めた。「この実一つも彩れないお前が、都会の色に染まれるわけがないだろ」と失敗作のミニトマトに言われている気がした。
着用している白のTシャツ。首元を掴んで伸ばす。
腹いせにこの実を潰して、溢れる汁でこのシャツを染めれば少しは気が晴れるだろうか。
汚れたシャツを洗う自分を想像したらまた虚しくなって、それも止めた。



