駅祭りが終わって、一週間が経つ。
部室に飾られた賞状を見ても、まだどこか現実味がなかった。俺たちの作った模型は予想以上に好評で、駅長から直々に感謝状まで頂いた。
これまでのOBたちと肩を並べる実績を作れたことが誇らしくて、ちゃんとやり遂げたと思った。
「翠先輩、ちょっといいですか」
名前を呼ばれて、振り返った先には五十嵐が立っていた。
どこか緊張した顔をしていて、そんな表情を見るのは初めてだった。
「ご褒美のことなんですけど、ちゃんと決めました」
五十嵐の瞳があまりに真剣で、息を呑む。
「俺とデートしてください」
「……は?」
「翠先輩と、鉄道博物館でデートがしたいです」
俺の想像していなかった内容に、思わずきょとんとしてしまった。
ぶっちゃけ、「そんなのでいいの?」と思ってしまっている自分がいる。
「……部活の慰労ってことなら、行ってやってもいい」
「え、本当ですか!」
顔が少し熱くなるのを誤魔化すように、額縁に入った賞状の角度を調節するフリをする。
五十嵐は長年の夢が叶った子どもみたいな、満面の笑みを浮かべた。
「香取せんぱーい! 翠先輩がデートしてくれるって!」
部室の外へ勢いよく飛び出し、廊下にいた香取へ五十嵐の声が響いた。
「バカ五十嵐! 声でけーよ!」
俺が慌てて追いかけると、香取は面倒くさそうに振り向きつつ、口の端だけをわずかに上げた。
「へぇ……あの榎戸が、ついに停車してくれたわけだ」
「誰が列車だよ」
「いや、お前は普通の勾配じゃ止まらねぇよ。恋愛方面は、スイッチバックでもしないと振り向かないタイプだし」
香取は五十嵐のほうへ顎をしゃくった。
「お前な、こいつがどれだけ爆モテしてたか知らねぇだろ。中学から高校まで、告白もデートの誘いも、ラッシュ並みに押し寄せてきてたんだよ。なのに、榎戸はその度に――」
香取はため息混じりに笑った。
「『じゃあ好きなタイプは?』って聞かれると、真顔で『500系こだま』って答えて、即折返し運転。バッサリ断ってきたんだよ」
「香取、余計なこと言うな!」
俺が怒鳴っても、香取は完全に無視して続けた。
「そんな“超高速素通り仕様”の榎戸をだな。お前はよくここまで引き留めたよ。急峻な峠を単機で踏破したようなもんだ。ちょっと誇っとけ」
「やめてくださいよ香取先輩、照れるじゃないですかぁ」
五十嵐は頭を掻きながら、俺の抗議などまるで意に介さず続けた。
「というわけで、デートです! 待ち合わせ場所とか、あとでメッセしますね!」
「いや、慰労だから。デートじゃなくて――」
「デートですよ!」
勢いに完全に押し切られ、反論は無意味だと悟るしかなかった。
***
数日後の土曜日。午前中の駅前は、休日の人々でごった返していた。
改札の先で、五十嵐が俺を見つけて手を振る。
「翠せんぱーい♡」
その声が、あまりに明るく響いて、周囲の視線が一斉に集まった。長身で顔のいい男が満面の笑みを浮かべてはしゃいでる。
「翠先輩の私服……尊い」
「は? 何言ってんだお前、キモいんだけど」
「いや、ほんと想像以上。尊すぎて語彙力が足りません……」
両手で口を押さえて、わざとらしく感嘆してるけど、目は本気だった。頭のてっぺんからつま先まで、じっくり見られてるのが分かる。
けど、五十嵐の方こそ、いつもとまるで違っていた。
バケットハットに、薄いグレーのシャツと伊達メガネ。街の雑踏の中でひときわ目を引いている。
正直言うと、制服姿の時よりカッコよかった。
新幹線ホームへ向かうと、車内清掃中の車両がずらりと並んでいた。五十嵐が急に声を弾ませて振り返る。
「翠先輩、見て! はやぶさが停車してる! かっけー!」
指差す先には、光沢のあるE5系の車体。緑のラインが太陽を反射していた。
「写真撮っていいっすか? 先輩と、はやぶさで」
「俺はいい」
「好きなくせに。 ほら、“グーハート”してくださいよ」
「何だそれ?」
「両手で親指立ててください。それを下にして、こうやってくっつけるんです」
五十嵐が自分の手で見本を作ってみせる。
「……こう?」
顎の下で親指を下げて両手をくっつけた瞬間、長い連写の音が響いた。
「は!? お前、連写すんなって!」
慌てて手を下げると、五十嵐はスマホを両手で持ったまま、画面に見入っていた。
その頬が、ほんのり赤い。
「……どうした?」
「やば……これ、保存するだけじゃ足りない。印刷して、スマホに挟みたいです」
「マジでやめろ」
「いや、ほんとに。本音です」
笑っているくせに、どこか真面目な、苦しそうな顔。
その視線に胸を撃たれたみたいに、心臓が跳ねた。
……なんだよ、これ。
頬が熱い。息が浅い。
ほんの数秒でこんなに動揺するなんて、俺らしくない。
今まで制御不能に突っ走ってきたのは五十嵐だったはずなのに――
いま暴走してるのは、どう考えても俺の心臓の方で。
止められない。
止められるわけがない。
胸の奥の高鳴りが、もう言い訳のきかない速さで走り出していた。
***
鉄道博物館のエントランスをくぐると、空気ががらりと変わった。
金属とオイルと、少し埃っぽい匂い。展示ホールには、時代を越えた名車たちが静かに並んでいた。
「これ、旧国鉄の車両ですよね?」
「よく知ってんな」
「昨日、ちょっと予習しました」
「……お前、やっぱ変なところで真面目だな」
「だって、翠先輩と来るんですよ? 中途半端なの嫌なんで」
その言葉に、胸が一瞬だけ強く鳴った。
気持ちを誤魔化すようにパンフレットを開いて、前へ歩き出す。
「こっちに運転シミュレーターもある。俺、やりたいんだけど」
振り返ると、五十嵐はまだ解説パネルを読んでいて、俺が数歩進んでも動く気配がない。
「おい、聞いてんのかよ。行くぞ」
一拍遅れて、五十嵐が顔を上げた。
さっきまでと全然違う、息を呑むみたいな顔で。
「……翠先輩?」
低く落ちた声。五十嵐の視線の先を見ると、自分の手が五十嵐の腕をしっかり掴んでいて、慌てて手を離した。
「……悪い、間違えた」
意味不明な言い訳をしながら、そっぽを向く。
ああ、絶対からかわれる。無意識だろうがなんだろうが、恥ずかしいことにかわりはない。
俺を見下ろしたまま黙っていた五十嵐は、小さく息を吐いて言った。
「間違いで、こんな優しい引き方します?」
くすっと笑う気配が背中をくすぐって、思わず顔まで熱くなる。
顔を向けられず、照れ隠しに逃げるように運転シミュレーターのコーナーへ早足で向かう。
二人でシュミレーターの体験をしてみれば、五十嵐は操作に慣れていなくて、見事なド下手ぶり。
馬鹿にして笑っても、五十嵐は照れ笑いを浮かべて、心の底から嬉しそうだった。
パンフを片手に、ビューレストランの前を素通りすると、五十嵐が俺の肩を掴んだ。
「え、何?」
「翠先輩。お昼ごはん、ここで食べていきしょうよ」
「……ここ、大人気だから事前予約でもしておかないと、無理だぞ」
俺が駅弁コーナーを指差して、昼飯ならあそこで買おうと提案しかけると、五十嵐がスマホの画面を見せてきた。
「はい、なので予約しておきました。トレインビューの窓側の席」
「……え、マジで?」
「翠先輩、新幹線が一番好きって言ってたじゃないですか」
五十嵐は首を傾けて微笑むと、俺の手を引いてレストランに入った。
その予約がどれだけ難しいかなんて、小さい頃から何度も来ているから知っている。
親に連れられてきた時も座れなくて泣いたことがあるし、中学生になってからも一度も予約出来ないほどの人気ぶりなのだ。
ただ一言「ありがとう」と言えばいいのに、プライドが邪魔して言えない。我ながら、本当に可愛げがないと思った。
「……先輩とご飯食べるの、何気に初なので、嬉しいです」
五十嵐ははにかんだ笑みを浮かべて、撫でられ待ちの犬のように俺を見ていた。
「別に飯くらい、学校で一緒に食えるだろ」
つい、ぶっきらぼうな口調で返す。でも口元は少し緩んでいるのを、自分でも分かっていた。
「じゃあ今度、一緒に食べたいです。先輩の教室の前で待ってます」
五十嵐の言葉に、思わず眉が跳ねる。
赤くなっているだろう顔を少しそむけたけれど、心臓は速く打ち続ける。
「……忠犬だな」
そう返すと、五十嵐は満面の笑みを浮かべて、きらきらとこちらを見つめる。
全力で向けられる好意の前に、こっちのプライドはみるみる溶けていく。
でもそれでも、素直に「好き」と言えない自分がいて、胸の中にもどかしさが渦巻いていた。

