翌日、俺と五十嵐は香取の逆鱗に触れ、部室で正座させられていた。
「この馬鹿どもめ。恋愛ごっこに浮かれて、肝心の資料を抜かすとは……」
香取に頼まれていた、一番大事な資料写真を撮影するのを忘れたのだ。
普段は冷静で穏やかな香取は、キレると手が付けられなくなる。幼馴染だから、そのことはよく理解した上での、正座でお説教コースだった。
「いや、あの……恋愛ごっこはしてないんですけど」
「大事なのはそこじゃない。しかも、スマホなんかで撮ってきやがって」
長いダメ出しの後、今日の模型作りは香取が担当し、俺と五十嵐が再び駅へ撮影しに行くことになった。
校門を出て、電車に揺られ、五十嵐と一通り撮影を終えた頃、遠くで雷鳴がくぐもった音を立てた。
「……今日って雨の予報だったか?」
「いや、曇りって言ってました」
「撤収だな」
急いで片付け始めたが、間に合わなかった。
夕立ち特有の大粒の雨が、容赦なくアスファルトを叩き始める。
「うわ、最悪。傘持ってきてねぇわ」
「俺もです」
「三脚、俺が持つ」
「いいですよ、俺が」
そう言って、俺の手から奪うようにして三脚を担ぐ五十嵐の肩は、雨でずぶ濡れだった。
「自分で持つって!」
「先輩の肩、もう限界でしょ」
そう言うと、五十嵐はさっと踵を返して先に歩きはじめる。
正直、重かったし持ってくれて助かった。でも、嬉しさよりも、どこまでコイツは俺の事を見ているんだろうと、気持ちが揺れる。
冷たい風が吹き抜け、ワイシャツが肌に貼りつく。
慌てて乗り込んだ二両編成の電車に、乗客は俺たちしか居なかった。
「翠先輩、制服びしょ濡れですよ。タオルは?」
「持ってるわけないじゃん」
「風邪ひきますよ。タオルは無いんですけど……これ、使ってください」
リュックから取り出したジャージを、五十嵐は俺の肩にそっとかけた。
「い、要らねぇし」
「駅祭りの前に、風邪ひきたいですか?」
「それは嫌だけど……」
いつもの五十嵐の目が据わっていて、息が浅くなる。
喉に何か張りついたように、乾くのを感じた。
五十嵐がジャージのファスナーをゆっくり上げて、一番上で止めた。
「はい。これで大丈夫です」
そう言って微笑む五十嵐を見て、心臓がうるさいくらい鳴っていた。
「……翠先輩」
「何だよ」
「この状況、二度目のラッキーって思ってます」
「……素直すぎるのもどうかと思うぞ」
俺は自分を守るように身体の前で腕を組んで、じろりと五十嵐を睨んだ。
「すみません。 でも、彼ジャー姿を見れるとは思ってなかったんで」
「か、彼氏じゃねーし! 勝手なこと言うなよ」
「言ったもん勝ちですよ。……そろそろ彼氏にしてもらえません?」
笑いながら、五十嵐の目がやわらかく光る。
からかってるのは分かる。でも、同時に本気なんだっていうことも、無言の圧で分からされる。
「もう、そういうのいいから。俺を好きなのは、じゅうぶん――」
ジャージの袖から僅かに出た指先で、口元を隠す。その仕草をみた五十嵐が、言葉を遮るように言った。
「充分伝わったから、もう止めてくれってことですか?」
「え?」
そこには遊びも迷いもない、真剣な熱が宿っていた。
俺の問いかけに応えるように、強く、揺るがず、止めるつもりなんて微塵も感じさせない。
「これ以上アプローチして来るなって、言いたかったんですよね?」
その視線を受け止めて、心臓が無駄に早鐘を打つ。
窓の外の景色も、五十嵐も、全部視界に入ってきて、目を逸らせない。
「言ったじゃないですか。“本気で落としに行きますね”って」
「い、言ったけど――」
その瞬間、五十嵐の手が、俺の顔のすぐ横に置かれた。
車窓と五十嵐の体の間に挟まれて、身動きが取れなくなる。
――五十嵐って、こんなに身体が大きかったっけ?
広い肩。夏服のシャツの隙間から、腕の筋や、浮き出た血管のラインが見える。
ほのかに香る香水の匂いも、視界いっぱいに迫るその体も、いつもより近く感じさせられる。
「止めないですよ。ただの後輩じゃなくて……
俺のこと、ちゃんと男として意識して下さい」
ぐっと更に距離を詰められて、背中に窓ガラスのひんやりした感触が伝わった。
電車の中だとか、早く言い返さなきゃとか、考えるのに何も行動に移せない。
「あれ、いつもの勢いはどうしたんですか?……頬っぺた真っ赤ですけど」
体が勝手に熱を帯びて、心臓も変なリズムで鳴っている。言い返せない、何も言えない。
ふざけて顔を近づけられたり、隣にいる事にも慣れてるのに、どうしたらいいのか分からない。
「……翠先輩?」
五十嵐が俺の様子に違和感を感じたような声で名前を呼ぶと、体をそっと離した。
――振り払っても、ふり払っても。頭の中が、五十嵐でいっぱいになってる。
窓の外の景色が流れていくのに、心の中の時間だけは止まったまま。
俺は言葉をひとつも返せないまま、早く駅に着くことだけを願うしかなかった。



