翌日の放課後、チャイムが鳴った。
部室の窓から射す夕陽が、線路パーツを朱色に染めている。
「駅祭りの出展、マジでやるの?」
「……やるしかないだろ。活動実績がないと、流石にまずいし」
香取の質問に答えながら、先生から貰ったプリントを再び眺める。
部活が続くかどうかは、部員数に加えて、年間で一番規模の大きいイベントでの貢献にかかっている。
プリントの端に先生が書いた“動く模型を見せる”という赤字が、ずしりと重くのしかかる。どうしたものかと頭を抱えていると、部室のドアがノックなしで開いた。
「失礼しまーす」
五十嵐だ。今日も姿勢はやたらと良く、髪の乱れ一つない。整いすぎた顔立ちに加え、ムダに爽やかな雰囲気までまとっているのが腹立たしい。
「……来たな」
「はい。今日からよろしくお願いします」
俺からしたら、まるで敵が自陣に首を獲りに来たような状況だというのに、五十嵐は当然のように俺の隣に座り、嬉しそうに距離を詰めてくる。
俺の顔を覗き込むその様子は、大型犬が尻尾を振りながら「お利口」を装っているようにしか見えなかった。
「じゃあ、今日は模型のテーマ決め。香取は何か考えてきた?」
「駅祭りっていっても、観客は子供や一般客だろ。派手な方がウケるんじゃないか?」
香取の意見はもっともだ。有名な車両を走らせれば見栄えはいいし、話題にもなる。
けれど、俺の胸の中には釈然としないものが残った。
「派手すぎると現実味がなくなる。鉄道模型の醍醐味は“リアルさ”だろ」
俺は模型の入った四角い箱を開き、頬杖をつきながら車体を見つめる。
その隣で、五十嵐が手元を覗き込みながら言った。
「リアルって言われても、俺はまだ電車の名前すら怪しいですよ」
どうせ覚える気なんてこれっぽっちもないくせに。
俺は呆れて眉をひそめ、溜息をひとつ漏らした。
「お前、ほんとに何も知らないんだな」
「だから、これから覚えます。とりあえず昨日で、新幹線の情報だけは網羅してきました」
少し意外だった。てっきり口だけだと思っていたが、王道の新幹線についてはちゃんと調べてきたらしい。
とはいえ、新幹線とひと口に言っても、その情報量は膨大だ。半信半疑のまま、俺は試すように問いかける。
「じゃあ問題。新幹線の最高速度は?」
五十嵐は眉ひとつ動かさず、こちらをまっすぐ見ながら答えた。
「320km/hです」
まあ、これくらいは新幹線が好きな小学生でも答えられる。
その余裕のある態度を崩すべく、俺はすぐに次の質問を投げかけた。
「……その速度で運転される区間は?」
「東北新幹線の、宇都宮駅から盛岡駅の区間です」
五十嵐もまた、憎たらしいほど整った顔に笑みを浮かべて答える。
「じゃあ、新幹線で使用されるレールの幅は?」
「1435mmです」
即答。しかも全部正解。その様子に、香取も顎に手を添えて「結構、やるじゃん」と呟く。
やると言ったからには、ちゃんと努力するタイプ……らしい。俺は思わず眉をひそめ、舌打ちした。
五十嵐は「合ってます?」と、わざとらしい顔で俺を見た。
「こんなの初級問題だから」
軽く言い放つと、「お前ら、脱線するな」と香取に指摘され、俺は仕方なく視線をホワイトボードに戻した。
議論はなかなかまとまらず、結構な時間をかけて話し込んだ末、明日に持ち越すことになった。
「じゃあ、テーマは各自考え直すとして……。 五十嵐、こっちに来い」
香取が甲斐甲斐しく五十嵐に鉄道模型のパーツの扱い方を教え始めた。俺よりもすんなりと、香取の方が後輩として五十嵐を受け容れている。
「これ、試しにやってみろ」
香取がそう促すと、五十嵐は一度見ただけなのに、手際よく線路のジョイント部を慎重に合わせていく。その手つきには無駄がなく、集中しているのが伝わってきた。
その様子を視界の端で眺めていた俺に、香取がポツリと呟いた。
「榎戸……こいつ、意外とセンスあるかもよ?」
「……どうだか」
否定しながらも、胸の奥に小さな違和感が残る。
“好きな電車は、無いです”って言っていたくせに、五十嵐の表情は真剣で、どこか楽しそうだ。線路を走り出した車両を見て、まるで子どものように瞳を輝かせている。
「先輩。俺、この電車の外観が好きかも」
不意に振り返った五十嵐と、目が合った。
「それは683系の2000番台。“能登かがり火”っていう列車」
「へー、流石。そういう番号みたいなのも全部覚えてるんですね」
「番号じゃなくて、番台区分な」
「調べてみまーす」
五十嵐の返事はどこか気の抜けた感じだが、指示したことはきっちりこなすあたり、根は素直なのかもしれない。
初日のはずなのに、もう部室の空気にすっかり馴染んでいる気がした。
俺がじっと見ていると、五十嵐はそれに気付いて、少し体をこちらに寄せてきた。
「どうかしました? なんか熱い視線感じますけど」
「どうもしてない。……てか近い。俺の半径三メートル以内に入んな」
「そしたら俺、部室に入れないですよ」
「パーソナルスペースの話をしてんの!」
香取が手元の布でレールを磨きながら、俺達を見てニヤリと笑って言った。
「接触注意。黄色い線の内側までお下がりくださーい」
茶化すようなその一言に、俺は香取をギッと睨んだ。
視界の端に五十嵐がいるだけで、どうしても気が散ってしまう。まるで踏切の警報のように、心の奥で赤色灯がチカチカしている。
なかなか気持ちを落ち着けられないまま、俺は動力車のギア部分にオイルを注油して、手入れを続けた。

