エンドクレジットが流れ、劇場の照明がゆっくり灯った。
ぞろぞろと立ち上がる人たちを見て、俺たちも席を立つ。
ほんの少し沈黙が続き、何を話せば自然に会話が続くか、頭の中でぐるぐる考えていた。
感想とか、もう言ってもいいのかな。
いや、でも移動中だし、大きい声でも話せないし。
ていうか、この後ってどうしたらいいんだろう――
劇場内の階段を下りながら、目が泳ぎまくる俺。
先に沈黙を破ったのは、晄だった。
「……どっかカフェでも入る?」
その言葉に、思わず顔をぱっと上げる。
射抜くような鋭い瞳と視線が合い、胸の奥がちくちくと熱くなる。緊張がなかなか解けず、声を出すのも勇気が必要だった。
「うん……! 行きたい、です」
「敬語やめろよ。喋りにくい」
はっきり言われたのに、すぐには「うん」とタメ口に切り替えられず、こくんと小さく頷く。
その仕草に、晄の目元が少し緩んだような気がした。
*
映画館の近くのカフェに入り、注文口で一緒にメニューを眺めるけれど、文字はほとんど頭に入ってこない。
晄が前屈みになって俺の手元を覗き込むと、長い前髪がさらりと落ちる。
シルバーのチェーンが揺れ、首筋や肩のラインがくっきり見えた。
――なんで、こんな人が隣に立っているんだろう。
俺より十センチ以上高い晄を見上げながら、そう思う。
静かに立っているだけなのに、首の傾け方や指先の角度まで完璧で、まるで画面から抜け出した俳優みたいだ。
どこを見ればいいのか分からないのに、目で追うのを止められない。
「何飲む?」
「えっと……抹茶ラテにしようかな」
「俺、頼んで来るから。……席、先に取っててくんねぇ?」
「は、はいっ」
混み始めた店内で、空いている席を示すように顎で軽く指示される。
ぴゅっと慌てて店内の奥へ向かい、どこに座ろうか迷った末、結局一番最初に見つけた隅の二人掛けの席に荷物を置いた。ちょっとそわそわしながら、注文の順番が回ってきた晄をこっそり見て、すぐに視線を落とす。
やがて、トレイを片手に持った晄がやってきて、俺にカップを差し出しながら言った。
「どうぞ、人見知りさん」
「……え?」
思わず顔を上げると、晄はマスクを外し、からかうような笑みを浮かべていた。
「さっきから『緊張しすぎて死にそう』って顔してるから」
「そ、そんなこと……」
「図星だろ」
晄は俺を見つめたまま、カップに口をつける。
俺はぎこちなく頷き、視線を自然に膝に落とした。
――ごめんなさい。
コミュ障の俺には、こんなイケメンと目を合わせて話すなんてハードルが高すぎます。
「DMだとあんな喋るのにな」
「メッセージは、考える時間があるから大丈夫なんだけど……」
「せっかく会えたんだし……もっと映画の話、したいけど。俺は」
「が、頑張ります……」
見た目は派手で近寄りがたい雰囲気なのに、こうして気遣いを見せてくれるのが意外だった。
沈黙が少し長く感じられ、テーブル下で足先がもぞもぞと落ち着かない。
カップに手を伸ばすと、晄がぽつりと声をかけてきた。
「……で、今日の映画、どう思った?」
テーブルに頬杖をつき、視線を向けられる。
心臓は相変わらずバクバクしているけれど、「喋らなきゃ」と両膝の上で拳を軽く握った。
「え、えっと……面白かった! 後半、怒涛の伏線回収がヤバすぎて……」
「分かる。あそこまで一気に畳みかけるとは思わなかった」
顔を上げると、晄はじっと続きを待っているような表情でこちらを見ていた。
「あと、主人公の細かい仕草とか……動きが絶妙で、もう一回考察しながら見直したい!」
「俺も、考察すんの好き。 照明も計算されてたよな、光の色で感情の揺れを表してて」
「わかる! 家のシーンのセットも丁寧に映してたし、キャラクターの心情とリンクしてた気がする」
晄は柔らかく笑った。
初対面のときは無愛想に見えたけれど、こういう笑顔も見せてくれるんだと、少し胸を撫で下ろす。
シラけさせちゃったらどうしよう、と会う前は不安だったけれど、不思議と自然に会話は続いていた。話題は少しずつ映画の細部から監督の意図、今回出演した俳優の他の出演作品、好きな映画のジャンルまで広がっていった。
「……超マイナーだけど、北欧の映画とか観る?」
「大好き。スウェーデンのをよく観るんだけど、この二つが特に好きで……」
「うわ、マジか。俺もコレはめっちゃ好き。やっぱリメイクよりオリジナルだよな」
時折声を揃えて笑ったり、指摘に頷き合ったり。スマホで海外のレビューを見せ合い、同じ画面を覗き込むうち、テーブル越しに向かい合う距離も自然と縮まった。
少し間が空いて、カップの縁を指でなぞりながら、晄がぼそりと言った。
「……宵、最初に俺のレビューにコメントしたの、『瞬きのプロム』だったよな」
ぶっきらぼうな調子なのに、言葉の奥に少しだけ探るような響きがある。
「うん。最後のダンスのシーンがすごく好きだなって思った」
「……体育館の照明、落ちるとこ?」
晄は視線を窓の外に向けたまま言う。
カフェのガラス越しに、夕方の光が斜めに差し込んでいた。
「主人公、自信が無くてずっと下向いてんのにさ。
ヒロインはちゃんと目を逸らさずに主人公を見つめてるじゃん。あのシーンが俺は好き」
笑っているのかどうか分からない声だった。
俺は晄の気持ちをそっと想像しながら、ゆっくり頷く。
第一印象は治安も口も悪い人……だったけれど、こういう人の心の機微に目を向ける辺り、意外と内面は繊細なのかな、と思った。
「分かる。誰も気づかないって思ってたのに、ちゃんと見てくれる人がいる感じ。
自分以上に自分のことを理解してくれる人がいるって……素敵だよね」
晄の指が一瞬止まった。
小さく息を吐き、少しだけ視線を戻す。
「……こんなマニアックな話でも通じんのは、さすが映画中毒の宵だよな」
短い言葉なのに、トーンは柔らかくなっていた。
少し沈黙が続いたけれど、それは今まで恐れていた沈黙とは別物で。
静かだけど、居心地のいい空気だった。
「……アプリのレビュー読んだ時から思ってたけど、やっぱいい感性してんな、お前」
「え?」
「映画、観る視点とか、解釈。細かいところまで見てるし」
その言葉に何か返そうとしたけど、喉の奥がひゅっと詰まって、声にならなかった。
晄はそれ以上何も言わず、手元のラテをゆっくり飲み干す。
気づけば、二人の間にまた自然な沈黙が流れていた。
その沈黙さえも心地よく、不思議な安心感がある。
人と話して、そんな風に思えるのは初めてだった。
そんな時、晄が軽く視線を合わせてきた。
「あのさ。映画以外のことで、一個聞きたい事があんだけど」
「うん」
「宵の半年くらい前のレビューに、“入院中に鑑賞しました”って書いてたじゃん?」
喉の奥がひゅっと縮む感覚。
まさか、そんな前のレビューまで読んでくれているとは思わなかった。
そう、実は俺は半年前の冬に、ある事がきっかけで――大学病院に緊急入院した時期があった。
自分の中でもあまりいい思い出ではないから、触れられたくなくて、思わず話を逸らそうとする。
「……あー、うん。してた、入院」
「え、怪我? 病気?」
「病気……みたいなものかな。でも、完治してるから、気にしないで」
晄に心配させたくなくて、笑顔を作る。
その笑顔が少しぎこちないことくらい、自分でも分かっていた。
晄は一瞬だけ俺をじっと見つめ、それでもほんの少しだけ眉を寄せていた。
「体調は?」
「もう元気だよ。こっちの耳が……若干、聞こえにくい時もあるけど。聞こえないわけじゃないから」
片耳に手を触れながら説明すると、晄は軽く頷き、「なら良いけど」とだけ呟いて。
言葉は少ないけれど、それ以上話を広げない晄に、胸の奥で不器用な優しさを感じた。
会話が一区切りついた後、二人で店内を見渡してから、見計らったように晄が中腰で席を立った。
「……結構喋ったな。そろそろ出るか」
「そうだね」
続いて立ち上がると、二つのカップを片付けながら、さっきまでの緊張や動揺がふわりと溶けていくのを感じた。
「あ、悪い」
「え? いいよ、全然。晄も最初に運んでくれたじゃん」
トレーを返却口に差し込んで店を出ると、春の風がやわらかく通り抜け、桜の花びらがスニーカーのつま先をかすめた。
晄の長い前髪が風に揺れて、二人で駅まで一緒に歩いた。
別れる時間が近づいていることを、俺はうっすら意識する。
晄は三番線、俺は四番線で、反対方向に向かう電車に乗る予定だった。
「……電車来たし、帰るわ。それじゃ」
別れの言葉はあっさりしていて、映画のラストシーンのような名残惜しさはない。
でも、今日一日でこれだけ話せたこと、その中心でリードしてくれたのは間違いなく晄だった。
斜めにかけたバッグのベルトをぎゅっと握る。
次に会う約束はしていないし、もう会えないかもしれない。
なら、ちゃんと伝えたい――
そう思う気持ちが、胸の奥で静かに膨らんだ。
「あの、晄……」
自分では少し大きめの声で呼びかけたつもりだった。
でも、その声は細く、駅のアナウンスや話し声にかき消され、晄は気づかないまま歩き続ける。
咄嗟に後ろから、そっと晄の服を掴んだ。
くい、と服を引っ張られて振り返った晄は、目を大きく見開き、驚いた表情でこちらを見た。
「今日、うまく話せなくてごめん!
でも、楽しかったから……ありがとう」
言葉は小さく、最後は尻すぼみになってしまったけれど、晄は足を止め、黙って耳を傾けてくれる。
その立ち姿や雰囲気から、優しさが暖かい空気のように伝わってきた。
「……こっちこそ、サンキューな」
そう言って、晄はゆっくり電車に乗り込む。
ホームと車内で視線が一瞬だけ重なり、互いの存在を確かめ合う。
走り出した電車に向かって小さく手を振ると、晄は微かに目線を逸らした。
でも、風に揺れる髪と横顔のシルエットが、まるで映画のワンシーンのように、心に残った。
――あぁ、行っちゃった。
そんな風に思う自分に、少しだけ違和感を覚える。
なぜか、ちょっとだけ寂しいような気持ち。
でも、その理由は自分でもうまく説明できない。
今日たくさん話せたし、楽しかったから……なのかもしれない。
その時、バッグの中でスマホが小さく振動し、画面に晄からのメッセージが表示されていた。
“また誘うかも”
自然と口元が緩む。
返信する指先が少し震えながらも、タップして打ち込む。
“すごく楽しかった。また行こう”
差し込む夕日をぼんやり眺めながら、今日観た『future mind』を思い返す。
胸の中に残るシーンを整理するように、フィルメモリーを開き、文字を打ち込んだ。
“今日は友だちと三原シネマで鑑賞。
ラスト十五分、怒涛の展開で心臓がバクバクした。
照明やカメラワークも素晴らしかった。
絶対劇場で観るのがオススメ!”
打ち終わった瞬間、“友だち”という単語が心に引っかかる。
DMでのやり取り、今日の直接の会話、盛り上がった時間――でも、友だちって思ってるのは俺だけかもしれない。
だとしたら、“知人”の方が無難かも。
迷いながら長押しでカーソルを合わせ、削除しようと親指を伸ばす。
しかし、タップがわずかにずれて投稿されてしまった。
「あ、やば。ミスった……」
一瞬、心臓が止まったように感じる。
急いで鉛筆マークを押して編集していると、画面に通知が滑り込んできた。
“オータムさんがあなたのレビューにいいね!しました”
編集する間もなく、晄に先に読まれてしまった。
“友だち”って書いたこと、嫌じゃなかったかな。
でも、「いいね」してくれたということは、少なくとも共感してくれたということ。
晄も自分を、友だちとして見てくれていたら嬉しい。
今日、晄に会えて本当に良かった――そう思いながら、電車の揺れに身を任せ、ポケットにしまったスマホに手を添える。
外の景色がゆっくり流れていく。
駅前のビルの窓の明かり、遠くを行き交う人々。
晄と交わした映画トークを思い出しながら、ふと口元が緩む。
電車の揺れに合わせて、今日一日の思い出が光を帯びて揺れているような気がした。
ぞろぞろと立ち上がる人たちを見て、俺たちも席を立つ。
ほんの少し沈黙が続き、何を話せば自然に会話が続くか、頭の中でぐるぐる考えていた。
感想とか、もう言ってもいいのかな。
いや、でも移動中だし、大きい声でも話せないし。
ていうか、この後ってどうしたらいいんだろう――
劇場内の階段を下りながら、目が泳ぎまくる俺。
先に沈黙を破ったのは、晄だった。
「……どっかカフェでも入る?」
その言葉に、思わず顔をぱっと上げる。
射抜くような鋭い瞳と視線が合い、胸の奥がちくちくと熱くなる。緊張がなかなか解けず、声を出すのも勇気が必要だった。
「うん……! 行きたい、です」
「敬語やめろよ。喋りにくい」
はっきり言われたのに、すぐには「うん」とタメ口に切り替えられず、こくんと小さく頷く。
その仕草に、晄の目元が少し緩んだような気がした。
*
映画館の近くのカフェに入り、注文口で一緒にメニューを眺めるけれど、文字はほとんど頭に入ってこない。
晄が前屈みになって俺の手元を覗き込むと、長い前髪がさらりと落ちる。
シルバーのチェーンが揺れ、首筋や肩のラインがくっきり見えた。
――なんで、こんな人が隣に立っているんだろう。
俺より十センチ以上高い晄を見上げながら、そう思う。
静かに立っているだけなのに、首の傾け方や指先の角度まで完璧で、まるで画面から抜け出した俳優みたいだ。
どこを見ればいいのか分からないのに、目で追うのを止められない。
「何飲む?」
「えっと……抹茶ラテにしようかな」
「俺、頼んで来るから。……席、先に取っててくんねぇ?」
「は、はいっ」
混み始めた店内で、空いている席を示すように顎で軽く指示される。
ぴゅっと慌てて店内の奥へ向かい、どこに座ろうか迷った末、結局一番最初に見つけた隅の二人掛けの席に荷物を置いた。ちょっとそわそわしながら、注文の順番が回ってきた晄をこっそり見て、すぐに視線を落とす。
やがて、トレイを片手に持った晄がやってきて、俺にカップを差し出しながら言った。
「どうぞ、人見知りさん」
「……え?」
思わず顔を上げると、晄はマスクを外し、からかうような笑みを浮かべていた。
「さっきから『緊張しすぎて死にそう』って顔してるから」
「そ、そんなこと……」
「図星だろ」
晄は俺を見つめたまま、カップに口をつける。
俺はぎこちなく頷き、視線を自然に膝に落とした。
――ごめんなさい。
コミュ障の俺には、こんなイケメンと目を合わせて話すなんてハードルが高すぎます。
「DMだとあんな喋るのにな」
「メッセージは、考える時間があるから大丈夫なんだけど……」
「せっかく会えたんだし……もっと映画の話、したいけど。俺は」
「が、頑張ります……」
見た目は派手で近寄りがたい雰囲気なのに、こうして気遣いを見せてくれるのが意外だった。
沈黙が少し長く感じられ、テーブル下で足先がもぞもぞと落ち着かない。
カップに手を伸ばすと、晄がぽつりと声をかけてきた。
「……で、今日の映画、どう思った?」
テーブルに頬杖をつき、視線を向けられる。
心臓は相変わらずバクバクしているけれど、「喋らなきゃ」と両膝の上で拳を軽く握った。
「え、えっと……面白かった! 後半、怒涛の伏線回収がヤバすぎて……」
「分かる。あそこまで一気に畳みかけるとは思わなかった」
顔を上げると、晄はじっと続きを待っているような表情でこちらを見ていた。
「あと、主人公の細かい仕草とか……動きが絶妙で、もう一回考察しながら見直したい!」
「俺も、考察すんの好き。 照明も計算されてたよな、光の色で感情の揺れを表してて」
「わかる! 家のシーンのセットも丁寧に映してたし、キャラクターの心情とリンクしてた気がする」
晄は柔らかく笑った。
初対面のときは無愛想に見えたけれど、こういう笑顔も見せてくれるんだと、少し胸を撫で下ろす。
シラけさせちゃったらどうしよう、と会う前は不安だったけれど、不思議と自然に会話は続いていた。話題は少しずつ映画の細部から監督の意図、今回出演した俳優の他の出演作品、好きな映画のジャンルまで広がっていった。
「……超マイナーだけど、北欧の映画とか観る?」
「大好き。スウェーデンのをよく観るんだけど、この二つが特に好きで……」
「うわ、マジか。俺もコレはめっちゃ好き。やっぱリメイクよりオリジナルだよな」
時折声を揃えて笑ったり、指摘に頷き合ったり。スマホで海外のレビューを見せ合い、同じ画面を覗き込むうち、テーブル越しに向かい合う距離も自然と縮まった。
少し間が空いて、カップの縁を指でなぞりながら、晄がぼそりと言った。
「……宵、最初に俺のレビューにコメントしたの、『瞬きのプロム』だったよな」
ぶっきらぼうな調子なのに、言葉の奥に少しだけ探るような響きがある。
「うん。最後のダンスのシーンがすごく好きだなって思った」
「……体育館の照明、落ちるとこ?」
晄は視線を窓の外に向けたまま言う。
カフェのガラス越しに、夕方の光が斜めに差し込んでいた。
「主人公、自信が無くてずっと下向いてんのにさ。
ヒロインはちゃんと目を逸らさずに主人公を見つめてるじゃん。あのシーンが俺は好き」
笑っているのかどうか分からない声だった。
俺は晄の気持ちをそっと想像しながら、ゆっくり頷く。
第一印象は治安も口も悪い人……だったけれど、こういう人の心の機微に目を向ける辺り、意外と内面は繊細なのかな、と思った。
「分かる。誰も気づかないって思ってたのに、ちゃんと見てくれる人がいる感じ。
自分以上に自分のことを理解してくれる人がいるって……素敵だよね」
晄の指が一瞬止まった。
小さく息を吐き、少しだけ視線を戻す。
「……こんなマニアックな話でも通じんのは、さすが映画中毒の宵だよな」
短い言葉なのに、トーンは柔らかくなっていた。
少し沈黙が続いたけれど、それは今まで恐れていた沈黙とは別物で。
静かだけど、居心地のいい空気だった。
「……アプリのレビュー読んだ時から思ってたけど、やっぱいい感性してんな、お前」
「え?」
「映画、観る視点とか、解釈。細かいところまで見てるし」
その言葉に何か返そうとしたけど、喉の奥がひゅっと詰まって、声にならなかった。
晄はそれ以上何も言わず、手元のラテをゆっくり飲み干す。
気づけば、二人の間にまた自然な沈黙が流れていた。
その沈黙さえも心地よく、不思議な安心感がある。
人と話して、そんな風に思えるのは初めてだった。
そんな時、晄が軽く視線を合わせてきた。
「あのさ。映画以外のことで、一個聞きたい事があんだけど」
「うん」
「宵の半年くらい前のレビューに、“入院中に鑑賞しました”って書いてたじゃん?」
喉の奥がひゅっと縮む感覚。
まさか、そんな前のレビューまで読んでくれているとは思わなかった。
そう、実は俺は半年前の冬に、ある事がきっかけで――大学病院に緊急入院した時期があった。
自分の中でもあまりいい思い出ではないから、触れられたくなくて、思わず話を逸らそうとする。
「……あー、うん。してた、入院」
「え、怪我? 病気?」
「病気……みたいなものかな。でも、完治してるから、気にしないで」
晄に心配させたくなくて、笑顔を作る。
その笑顔が少しぎこちないことくらい、自分でも分かっていた。
晄は一瞬だけ俺をじっと見つめ、それでもほんの少しだけ眉を寄せていた。
「体調は?」
「もう元気だよ。こっちの耳が……若干、聞こえにくい時もあるけど。聞こえないわけじゃないから」
片耳に手を触れながら説明すると、晄は軽く頷き、「なら良いけど」とだけ呟いて。
言葉は少ないけれど、それ以上話を広げない晄に、胸の奥で不器用な優しさを感じた。
会話が一区切りついた後、二人で店内を見渡してから、見計らったように晄が中腰で席を立った。
「……結構喋ったな。そろそろ出るか」
「そうだね」
続いて立ち上がると、二つのカップを片付けながら、さっきまでの緊張や動揺がふわりと溶けていくのを感じた。
「あ、悪い」
「え? いいよ、全然。晄も最初に運んでくれたじゃん」
トレーを返却口に差し込んで店を出ると、春の風がやわらかく通り抜け、桜の花びらがスニーカーのつま先をかすめた。
晄の長い前髪が風に揺れて、二人で駅まで一緒に歩いた。
別れる時間が近づいていることを、俺はうっすら意識する。
晄は三番線、俺は四番線で、反対方向に向かう電車に乗る予定だった。
「……電車来たし、帰るわ。それじゃ」
別れの言葉はあっさりしていて、映画のラストシーンのような名残惜しさはない。
でも、今日一日でこれだけ話せたこと、その中心でリードしてくれたのは間違いなく晄だった。
斜めにかけたバッグのベルトをぎゅっと握る。
次に会う約束はしていないし、もう会えないかもしれない。
なら、ちゃんと伝えたい――
そう思う気持ちが、胸の奥で静かに膨らんだ。
「あの、晄……」
自分では少し大きめの声で呼びかけたつもりだった。
でも、その声は細く、駅のアナウンスや話し声にかき消され、晄は気づかないまま歩き続ける。
咄嗟に後ろから、そっと晄の服を掴んだ。
くい、と服を引っ張られて振り返った晄は、目を大きく見開き、驚いた表情でこちらを見た。
「今日、うまく話せなくてごめん!
でも、楽しかったから……ありがとう」
言葉は小さく、最後は尻すぼみになってしまったけれど、晄は足を止め、黙って耳を傾けてくれる。
その立ち姿や雰囲気から、優しさが暖かい空気のように伝わってきた。
「……こっちこそ、サンキューな」
そう言って、晄はゆっくり電車に乗り込む。
ホームと車内で視線が一瞬だけ重なり、互いの存在を確かめ合う。
走り出した電車に向かって小さく手を振ると、晄は微かに目線を逸らした。
でも、風に揺れる髪と横顔のシルエットが、まるで映画のワンシーンのように、心に残った。
――あぁ、行っちゃった。
そんな風に思う自分に、少しだけ違和感を覚える。
なぜか、ちょっとだけ寂しいような気持ち。
でも、その理由は自分でもうまく説明できない。
今日たくさん話せたし、楽しかったから……なのかもしれない。
その時、バッグの中でスマホが小さく振動し、画面に晄からのメッセージが表示されていた。
“また誘うかも”
自然と口元が緩む。
返信する指先が少し震えながらも、タップして打ち込む。
“すごく楽しかった。また行こう”
差し込む夕日をぼんやり眺めながら、今日観た『future mind』を思い返す。
胸の中に残るシーンを整理するように、フィルメモリーを開き、文字を打ち込んだ。
“今日は友だちと三原シネマで鑑賞。
ラスト十五分、怒涛の展開で心臓がバクバクした。
照明やカメラワークも素晴らしかった。
絶対劇場で観るのがオススメ!”
打ち終わった瞬間、“友だち”という単語が心に引っかかる。
DMでのやり取り、今日の直接の会話、盛り上がった時間――でも、友だちって思ってるのは俺だけかもしれない。
だとしたら、“知人”の方が無難かも。
迷いながら長押しでカーソルを合わせ、削除しようと親指を伸ばす。
しかし、タップがわずかにずれて投稿されてしまった。
「あ、やば。ミスった……」
一瞬、心臓が止まったように感じる。
急いで鉛筆マークを押して編集していると、画面に通知が滑り込んできた。
“オータムさんがあなたのレビューにいいね!しました”
編集する間もなく、晄に先に読まれてしまった。
“友だち”って書いたこと、嫌じゃなかったかな。
でも、「いいね」してくれたということは、少なくとも共感してくれたということ。
晄も自分を、友だちとして見てくれていたら嬉しい。
今日、晄に会えて本当に良かった――そう思いながら、電車の揺れに身を任せ、ポケットにしまったスマホに手を添える。
外の景色がゆっくり流れていく。
駅前のビルの窓の明かり、遠くを行き交う人々。
晄と交わした映画トークを思い出しながら、ふと口元が緩む。
電車の揺れに合わせて、今日一日の思い出が光を帯びて揺れているような気がした。



