まもなく、上映開始です。

 朝の気配はまだ薄く、外の光がカーテン越しにやわらかく差し込んでいた。
 目を覚ますと、晄は隣で静かに眠っている。少し眉を寄せた寝顔は、昨日より幼く見えた。

 窓の外には、灰色と水色が溶け合うような明け方の空。
 俺はそっとベッドを抜け出し、晄の肩を包むように布団をかけ直した。

 ふと、布団から覗いた晄の右手に目がとまった。手首から甲へ、淡く光を反射する細い線が走っている。

 俺はためらいながら手を伸ばした。指先でそっと触れると、皮膚の下のかすかな起伏が伝わってくる。
 晄は起きない。穏やかな寝息のリズムだけが、部屋の空気に溶けていく。

 “俺も、誰かとこんな風に心で繋がれたら――”

 俺の心に寄り添ってくれた晄に、今度は俺が寄り添いたい。
 人差し指で、手の甲から、手首の縫い終わりのわずかな膨らみをなぞる。
 ほんの一瞬、晄の指がぴくりと動いた気がしたけど、寝息は変わらなかった。
 俺は息をのんで、手を離した。そしてもう一度、布団を整える。

 声はかけなかった。
 まだ夢の中にいてほしかったから。


 “ごめん、先に出るね”


 起きたら怒るだろうなぁ、と思いながら晄にメッセージを送った。
 鞄を手に取り、キッチンの前を通り過ぎる。シンクには、昨日ふたりで食べた夜ご飯の食器が、水に漬かっていた。

 玄関のドアを静かに閉める。外の空気は、いつもより少し冷たく感じた。
 手をポケットに突っ込み、晄の笑い声や、さりげない仕草。すべてが、この肌寒い空気の中で、やけに鮮明に蘇る。

 “いーじゃん。似合ってる”

 新しい髪型を褒めてくれた声が、ふいに蘇る。その瞬間の笑顔も、いつもと違った柔らかい視線も。
 この新しい服も、もう晄の目には映っていないと思うと、昨日に戻りたくなる。
 思い出にまだ浸っていたいのに、駅へ続く道と朝方の静けさが、現実へゆっくりと引き戻していく。
 手首をそっと顔に寄せる。晄がつけてくれた香水は、昨日は瑞々しかったのに、今はほんのり甘く香る。
 
 晄のために用意した服を脱いだ後も、この香りが残っていれば、思い出を抱きしめたままでいられる気がした。