まもなく、上映開始です。

 レジ横のデジタル時計は、夜十時を指していた。

「お疲れ様でーす……」

 ぎこちなく店長たちに挨拶をして、俺は「従業員専用」と書かれたドアを押した。
 駅前のレンタルビデオ店で、週四日のペースで働き始めてもうすぐ一年になる。
 スタッフ割引に惹かれて始めたアルバイトだったが、実際の業務量は想像の何倍も多かった。
 レジでの貸出と会計だけではなく、返却のチェックやディスクのメンテナンスもある。
 商品の陳列や新作映画の売り場づくりでは、同じ作品のDVDとブルーレイを大量に並べるため、腰や脚が痛くなることも少なくない。

 それでも俺は、この職場を辞めずに続けている。
 映画好きの俺にとって、商品に囲まれて働けること自体が、コミュ障の俺でもモチベーションを保てる理由のひとつだからだ。

 ロッカールームのドアを開けると、湿った空気と煙草の匂いが絡みつく。
 奥にある更衣室を兼ねた休憩スペースでは、先輩アルバイトの三人がパイプ椅子に座り、大声で笑い合っていた。
 派手な髪、ピアス、タトゥーは怖そうだけど、仕事はできるし面倒見もいい人たちだ。

「おう、深山(みやま)。お疲れー」

 バイトリーダーの遊佐先輩が片手を上げる。手にはエナジードリンクと煙草。

「あの、頼まれてた陳列、全部終わりました」
「もう終わったの? 俺らと違って、やっぱシゴデキだねー、(よい)くん」

 そう言って笑ったのは、有馬先輩だ。
 二つ上で、この中では一番物腰が柔らかい。所々にピンクメッシュの入った黒髪を指先で弄りながら、先輩は俺の目を見て微笑みながら言った。

「このあとさー、俺ら上がったら駅前で飲むけど、宵くんも来る?」

 駅前の居酒屋。複数人での会話、ビールの苦味。
 できれば避けたい。人見知りの俺にとって、ただそこに居るだけで体力を奪われる場所だ。

「あ、あの……お酒、苦手なので。飲み会はちょっと……」

 にこっと作り笑いを浮かべ、困ったふうに断る。
 行けたら行きたいんですけど……という、無難な断りの逃げ道だ。

 ――本当は、さっき借りたDVDのことで頭がいっぱい。なんなら、胸まで弾んでいた。

 明日からは三連休。
 今夜からオールで映画を観ると、俺は何日も前から決めていた。
 休憩時間中に、ピックアップしていた映画のレンタルも、とっくに済ませてある。

「あー、そういえば宵くん下戸(げこ)だっけ。じゃあまた今度、メシの時にでも誘うよ」

 ロッカーを開けると、小さな軋む音。
 中から取り出した黒いリュックを肩にかけ、軽く頭を下げて部屋を出る。

「お先に失礼しまーす……」

 俺の挨拶に先輩たちはダルそうに手を振り、タバコを灰皿に押しつけた。
 俺はその大きな笑い声が店へ漏れないように、そっとドアを閉める。

「疲れた……」

 深呼吸すると、夜風が肺の奥まで染み渡り、煙草の匂いを一気に攫っていく。
 耳にイヤホンを差し込み、上着のポケットの中で、家鍵の冷たい感触を確かめながら駅へ向かう。
 華金の駅前には、笑うサラリーマン、OL、大学生のグループ。
 その賑やかさを視界に入れたくなくて、俯きながら階段を上っていく。

 ――昔から、俺は人見知りが強かった。

 知らない大人に話しかけられると固まり、言葉が出なくなる。
 中学・高校では、それがもっとひどくなった。
 うまく話せない自分が恥ずかしくて、喋る前から身構えてしまう。
 複数人での会話は特に、喋り出すタイミングや、相槌や視線の動かし方がぎこちなくなる。
 友達を作ろうと頑張っても、返しがうまくできず空回りして、結局ひとりに戻る。

 “無理しなくていいや”と諦め始めたのは、大学に入学して暫く経ってからだった。

 バイトのように決まった言葉で済む場所なら、大丈夫。
「こちら返却ですね」「お疲れ様です」――そんな、正解のある会話なら。

 でも、大学では違う。
 自分から話しかける。曖昧な空気で雑談が続く。笑う。
 それができず、怖くて、避けるようになった。
 気づけば誰とも深く関われないまま、大学二年生になっていた。

 広いはずのキャンパスなのに、俺の居場所だけぽっかり抜け落ちている。
 昼休みは人のいない教室で弁当を食べ、サークルにも入らず、空き時間を埋める友達もいない。
 ただそこにいるだけで、孤独を意識させられる場所だった。

 そんな俺が、唯一心を落ち着けられる場所。
 それは、ワンルームのアパートでひとり静かに観る「映画」の世界だ。

 誰かが誰かを心の底から愛し、傷つき、それでも手を伸ばす物語。
 現実では触れられない心の通い合いを、画面越しにそっと追体験する時間。

 いつか、自分もあんなふうに誰かと心を通わせられたら――。
 人と関わるのは苦手でも、その希望だけは捨てきれない。
 けれど、その希望を一番冷めた目で見つめ、壊そうとするのも、いつも自分自身だった。

 帰宅すると、借りたDVDケースを床に並べる。

「どれにしよっかな……」

 ジャンルはバラバラ。迷いながら、新作で一番気になっていた一本を選ぶ。
 ディスクをDVDプレイヤーへセットし、カーテンをぴたりと閉めて外の世界と断絶する。
 冷凍庫からバニラアイスを出し、ちまちま食べながら映画を何時間も観続けるこの時間を、
 俺は“ひとり映画祭”と呼んでいた。

 現実の自分が一切傷つくことなく、ただ受け身のまま、映画の中の人物に自分を投影して、戦ったり、怖がったり、恋をしたり、涙を流す時間。

 ――今の俺にとって、それが「何よりも幸せ」だと言える時間だった。

 *

 それから二時間後。

 アメリカの高校生なら誰もが浮き足立つ卒業イベント――“プロムパーティー”の場面でエンドロールが流れ、映画は大団円を迎えた。

 俺はソファに深く凭れ掛かり、画面いっぱいに流れるキャスト・クレジットをぼんやり眺める。
 手元のスマホを手に取り、『フィルメモリー』を開いた。
 映画のレビューを書き込んだり、気になる作品をクリップしたりできる便利なアプリだ。
 タップひとつで予告編に飛べて、鑑賞後には五段階評価をつける――これが、俺の鑑賞後のルーティンだった。

「はぁ……やっぱプロム系の映画って最高だな。星四つでいいか」

 画面に指を滑らせながらレビューを書き込み、今年観た映画の本数を示すハッシュタグを添える。
 投稿ボタンをタップすると、読み込みの後に同じ作品を観た人たちのレビューが流れてくる。
 簡単な「最高!」から評論家のような詳細分析まで、表現は千差万別だ。

 何気なく流し読みしていたら――その中で、ひとつのコメントに指が止まった。

『明るいミュージカルで、曲が全部最高。キャラも立ってる。プロム行きたかった 日本しね』

 映画の余韻で胸に残る淡い熱狂。
 手の届かない場所への憧れを、たった数行で的確に表現していた。

 ――この人、俺と同じこと考えてる……!

  日本にはプロム文化なんてない。
 いや、あったとしても、一緒にダンスパーティーに行ってくれる人もいなければ、ダンススキルもない。
 それでもやっぱり、映画の中の世界に憧れて、羨んでしまう自分がいる。
 高校生の頃、初めて「プロム」を知ったときには、生まれる国を間違えたんじゃないかと思うこともあった。

『日本しね』

 この四文字は過激だけど、思わずクスッと笑った。
 共感しかないし、パワーワードすぎて心に刺さる。
 この短い一言に、憧れもジレンマも全部詰まっている気がした。

 同じ気持ちを、同じ熱量で抱いている人がいる――そう思うと、指が勝手にこの投稿主のアイコンをタップしていた。

「オータムちゃん……?」

 プロフィールは空白。
 フォローもフォロワーもゼロ。
 IDの“autumn_film”だけが表示されている。
 年齢も性別も分からない。
 でも、名前からしておそらく女性……なのかな。
 それにしても、観た映画は1126本。
 これから観たいリストは435本。
 自分とほぼ変わらない数字に、思わず親近感が湧いた。

 初めて、他人のレビューに“いいね!”を押したくなった。
 右下のハートをタップし、勢いでコメントも書き込む。

『めっちゃ分かる! 俺もう二十歳(ハタチ)だけど、プロムに行きたい人生でした』

 夜の海に、小さなメッセージボトルをそっと流す気持ちだった。
 返事を期待しているわけじゃない。
 ただ、同じ気持ちを伝えたかっただけだ。

 すると、スマホに通知が滑り込む。

 <オータムちゃんがあなたのコメントに返信しました!>

 その通知をタップすると、アプリが起動し、さっきのコメント欄に返信が追加されていた。

Shall we dance?(踊りませんか)

 有名なダンス映画のセリフに、文末には絵文字。
 思わず声を出して笑ってしまう。
 俺も劇中のヒロインのセリフをなぞって返信した。

I would love to(よろこんで)!』

 顔も知らない人との交流に、思わず口角が上がる自分がいる。
 気になって、もう一度オータムちゃんの「観た映画リスト」をスクロールした。

 好みはほぼ同じだった。
 ジャンルだけでなく、評価スコアの付け方まで似ている。
 作品ページを開き、レビューを読み進める。

『主人公が丁度よくイカれてて、最高楽しい。シーンの撮り方も好き。ガラスクラッシュ多め。絶対また観る』

「ちょうどよくイカれてる」――この表現に、また心を掴まれた。
 過剰すぎず、でも普通じゃない。
 その絶妙さを、一言で表している。
 余計な説明はないのに、本質をきちんと突いていると思った。

 笑いのツボや感想が自分と重なったような嬉しさ。
 遠くの誰かと、ふわりと心がつながった気がした。
 オータムちゃんが書いた、いくつかの面白いレビューに「いいね!」を押し、スマホをテーブルにそっと置く。

 残りのDVDをジャンルごとに、鑑賞時間の長さ順に並べ替え、二本目を選ぶ。
 三連休の夜。
 誰にも邪魔されず、気兼ねなくオールで映画を観られる時間。
 プレイヤーにディスクをセットし、俺の“ひとり映画祭”は静かに再開された。

 *

 連休明けの火曜日。
 寝不足でボーッとした頭のまま、大学の講義を受け、そのまま夕方から夜までバイト。
 それが終わってから、一人で映画館のレイトショーに向かった。
 毎月の給料日には「自分へのご褒美」として、新作を映画館で観る。
 それだけは、どんなに疲れていても欠かせない小さな習慣だった。

 鑑賞後、劇場を出た瞬間のひんやりした空気が心地いい。
 階段を降りる足取りに、映画の余韻がまだついてくる。
 帰りの電車に揺られながら、いつものように『フィルメモリー』を開き、レビューを投稿した。

『やっと観られた! 圧倒的な映像美、音楽も最高~! いつもの三原シネマで鑑賞でした☺』

 投稿を終え、スクロールして他の人のレビューも流し見る。
 続編を期待する声が多くて、そんな熱量を眺めているだけでも楽しかった。

 星の評価とハッシュタグをつけ、スマホを閉じようとした――その時。
 画面がふっと白く光った。
 通知が来ている。
 タップして表示されたのは、“オータムちゃん”のアイコンとコメントだった。

『俺も、いつも三原シネマで鑑賞してます こんな偶然あるんだ(笑)』

 その一文を読んだ途端、眉間にきゅっと皺が寄る。

「……俺ってことは、この人、男……?」

 胸の奥がざらりと波打つ。
 でも、その感覚は気持ち悪くなく、むしろ静かに広がっていくような、変な心地だった。
 そういえば、ユーザー名から勝手に女性だと思い込んでいたけど、アイコンはどマイナーなSF映画のポスター。
 よく考えたら、あれをアイコンにする女性は少ないかもしれない。

 でも――性別よりも。
 自分と同じ映画館を使っている、という事実。
 同じ場所で、同じスクリーンを観ていたかもしれない――その一点が、胸を高鳴らせた。

「なんか……映画みたいだなぁ」

 頭に浮かんだ想像が、あまりにベタすぎて笑えるのに、止められなかった。
 主人公とヒロインがそれぞれの人生を送りながら、まだお互いの存在を知らないまま、同じ劇場を使っていて――
 そして運命的に出会い、恋に落ち、すれ違い、結ばれる。
 ラブストーリーでよくある展開だ。
 現実ではまずありえないと分かっているのに、オータムちゃんなら笑って受け止めてくれそうだと思い、返信を打ち込む。

『知らないうちに、劇場で隣同士で座っていたかもですね!』

 匿名だった相手が、ふいに現実の輪郭を帯びる。
 この人は確かに、同じ世界に生きていて、顔も声も知らないのに、距離が急に近づいたように感じた。
 実際に会ったら、どんな人なんだろう。
 でも、想像もつかない。

 すぐに返信が届き、その内容に思わず吹き出した。

『ラストは恋人になってハッピーエンドのやつじゃん(笑)』

 やっぱり、この人は俺と同じだ。
 同じ想像をして、同じタイミングで笑える。
 胸の奥がふっと温かくなり、気づけば口角がゆっくり上がっていた。

『オータムちゃん、映画の観すぎです(笑) 確かにドラマチックですけどね~』

 少し間が空いてから、またオータムちゃんから返信が届いた。

『良かったらDMで話しません? yoiさんともっと、映画の話したいです』

 数分間、俺はスマホを握ったまま動けなかった。
 急に距離を詰められたような気がして、思わず後ずさる。
 コメント欄では気軽にやり取りできていたけれど、DMとなれば話は別だ。
 人との関わりは、できるだけ持ちたくない。
 自分の中で線引きしている部分に踏み込まれそうになると、どうしても怖くなってしまう。

 もしかして、女性と間違えているとか……
 ナンパ目的か、詐欺に誘導されるのかもしれない。
 これまでのやり取りを疑いながら、コメントを見返す。

「うーん、自分のことは“俺”って書き込んだし……」

 オータムちゃんは、俺と違って性別を間違えてはいなさそうだ。

「もしかして、詐欺サイトとか、誘導するやつ……なのかな……」

 いつも、物事を悪い方に考えてしまう。
 勝手に期待して傷つくのが怖いからだ。
 いつもダメになることや失敗すること、悪い方に考えることで、自分の心を守ってきた。

 ホームボタンに指を伸ばし、アプリを閉じようとする。
 でも、途中で指が止まった。

 もしかしたら、そうじゃないかもしれない。
 無視して匿名の関係に戻ることも簡単にできる。
 でも、映画の好みがこんなに似ていて、語れそうな人に会えるチャンスは、滅多にない。

 メッセージのやり取りだけなら、深入りしすぎることもないだろう。
 傷つくことも、きっと少ない。

 本当は――心の片隅にいつもあった気持ち。
 少しだけでいいから、自分の人生を動かしたい。
 いつまでも逃げるんじゃなくて、自分から飛び込む勇気を持ちたい。
 このチャンスを逃したら、人と関わることを、もっと徹底的に断絶してしまうんじゃないか――。

 自分にそう問いかけ、小さく息を吐く。
 ベッドの上で正座し、DMの飛行機マークを親指で強めにタップする。

『yoiです』

 何を送ろうか悩みに悩んで、結局この一言だけ。
 少し無愛想だったかも、と送信後に不安が膨らむ。
 緑色のオンラインマークが点滅して、すぐに返信が届いた。

『DMありがとうございます。周りに映画の話できる人が居ないんで、話せて嬉しいです』

 うわ、どうしよう。
 さっきまで、ナンパとか詐欺だと疑ってごめんなさい。
 コメント欄よりも丁寧な文章を見て、心の中でオータムちゃんに謝った。
 慌ててスマホに文字を打ち込む。

『こちらこそ! いっぱい話しましょう!
 オータムちゃんは、邦画より洋画派ですか?』

 普段、人と面と向かって話す時は、こんな風に明るく話せない。
 だからこそ、取り繕うように絵文字や記号多めで文章を送る。

『洋画の方が好きです。yoiさんもですよね?』
『はい! オータムちゃんの好きな監督とか、いますか?』
『ダフォー監督です。SF映画を割と見るんで』
『え! 俺もです。特に“stranger gate(ストレンジャー・ゲート)”がめっちゃ好きです~!』

 そのまま延々と、映画の話題は続いた。
 名作だと思うラストシーン、好きな俳優の一番好きな作品――
 時間を忘れ、俺はオータムちゃんとのDMに夢中になっていた。

『yoiさん、#ひとり映画祭 ってレビューに書いてますけどアレ何ですか?』
『週末に大量に借りてきて、家で観るのが生き甲斐なんです!』
『ウケる、ガチの映画ジャンキー(笑) でも、観すぎると具合悪くなりません?』
『たまに頭痛するんですけど、ストレス溜まってると、六本は一気見しちゃいます』
『やば(笑)』

 やり取りが続くうちに、共通点がどんどん見つかる。
 映画館はいつも三原シネマ。
 利用している路線も同じで、同い年の大学生だった。

『まさかyoiさんと大学まで同じではないですよね?』
『そうだとしたら、本当に映画の展開!』
『俺は明帝大です』
『あ、早京大なので違いますね』

 映画の話から自然に、プライベートのことにも話題が移っていく。
 同い年で、映画の話でこんなに盛り上がれる人がいる――
 それだけで、今まで閉ざしていた分の感情を爆発させるように喋り倒し、俺の心は高鳴りっぱなしだった。

 やり取りはその後も、一日に二、三回のペースで続く形で落ち着いた。
 未鑑賞作品を教え合い、感想を伝え、続編の予想もする。
 少しずつ積み重なる時間と会話で、敬語もほとんど使わなくなり、確実に仲は深まっていた。

 そして、いつものようにやり取りしていたある日、オータムちゃんからこんな一文が届いた。

『yoiさんがよかったらだけど、週末まで公開してる
future mind(フューチャー・マインド)』一緒に観に行かない?』

 その文字を見た瞬間、息が止まった。
 何度も読み返すけれど、見間違いではない。

「いや、でも……直接会うのはなぁー……」

 行きたい。
 行きたいけど……不安要素しかない。
 コミュ障だし、実際に喋ると自分でも訳がわからなくなるくらいテンパる。
 雰囲気も、明るくはない。
 でも、映画の話でこんなに盛り上がれる相手と、直接会えるチャンスはもう二度とないかもしれない。
 話し方も優しいし、俺の言いたいことも手に取るように分かってくれる。

 深呼吸して、頭の中で文章を何度も組み立てる。
 そして、簡潔に送信した。

『俺、人見知り強くて、DMの時みたいには話せないかも。
 それでも大丈夫?』

『大丈夫。一緒に行こーよ』

 その文字を見た瞬間、胸の奥で何かがふわりとほどけたような感覚。
 ほっとしたような、でも心臓はドキドキ止まらない。
 指先は少し震えているけど、心の奥には明るい光が差し込んだみたいだった。

『オータムちゃんは、いつが都合いい?』

 返事を待つ間、自然に顔がほころぶ。
 アプリで出会った相手だけど、こんなに映画好きな人と一緒に観に行ける――
 それだけで、特別な日になる気がして、もしかしたら、映画友達になれるかも……なんて期待していた。

 ――まさか当日、あんな“オータムちゃん”と対面することになるなんて、まだ知らないまま。