俺の幼なじみは、過保護なんだと思う。──それも、ちょっと異常なくらい。

 一つ下の幼なじみの久世(くぜ)(えにし)が、俺と同じ高校に入学して、早一ヶ月。小さい頃からスキンシップは多かったけど、ここ最近は人目も気にせず、俺──有馬当真(ありまとうま)を容赦なく愛でてくる。
 五月半ばのこの日も、縁は二年の昇降口前で、俺の薄茶色の髪をせっせと整えてくれていた。
 ただ、もうかれこれ五分もこの調子だ。流石に、朝のホームルームの時間が気になってくる。

「縁……もういいよ? 十分、整ってるから」

 俺は頭半分も背の高い縁を見上げて、目の前にあるカーディガンの袖をきゅっと引っ張った。
 でも、縁は少し、意地悪だ。
 
「やーだね。納得いかねぇんだもん」

 切れ長の目をふっと細めて、やたらと整った男前な顔を俺にぐいっと近づけてくる。口を少し尖らせながら、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。せっかく整えた髪は、一瞬で台無しになる。
 だけど、「えぇ……?」と、戸惑う俺を見て、縁はとにかく楽しそうだった。口元を緩めると再び、骨ばった大きな手でああでもない、こうでもないと俺の髪の毛をいじっていく。
 そんな幼なじみの手で、俺の朝はいつも始まる。
 今日も、朝から布団を剥ぎ取られるようにして起こされ、寝惚けているうちにシャツを着せられていた。流石に自分でズボンは穿いたけど、紺色のネクタイを締めるのも、カーディガンのボタンを留めるのも、縁にしてもらう始末。そして、登校中に乱れた髪のお直し──という現在に至る。
 あまりに縁が世話を焼いてくれるものだから、俺はこのままだと、ダメ人間まっしぐらな気がする。

(でも、あれこれ俺に構うのに、縁の方は校則守ろうとはしないんだよね……)

 縁を見れば、ネクタイも締めず、カーディガンのボタンも留めていない。クセのある黒髪から覗く耳には、無骨なピアスがある。
 どれも校則違反のはずなのに、先生も風紀委員の生徒も、誰も縁を咎めない。
 縁はなんというか、大人っぽいというか、色気があるというか。顔が整いすぎてて、黙ってると冷たく見える。背も物凄く高くて、ちょっと周りが怖がってる気がしてならない。
 今も、縁を畏怖するような俺の同級生たちの視線が、遠くからちくちくと刺さっていた。

「縁……皆も見てるし、もうやめよ?」
「はぁ? 何言ってんだよ。むしろ、見せつけてんのー。当真は俺のもんだぞーって」
「なんで」
「そりゃ、当真がほわほわしすぎて心配だからだろ。当真は俺のってわかるようにしときゃ、変なの寄ってこねぇじゃん」

 縁はそう言って、俺の頬っぺたをふにっと軽くつまんできた。
 そんな縁とはマンションのお隣同士で、赤ちゃんの頃からの付き合いだ。俺の方が一学上だけど、ほとんど一緒に育ったと言っても、過言じゃない。だから、縁は俺の扱いがこんな感じなんだと思う。
 でも、今じゃ、考えられないけど、小さい頃は俺の方が縁の方を引っ張っていた。俺はもう少し年上らしくしたいんだけど、これじゃあ、どっちが年上なのか分からなくなる。

「そんなに、俺って頼りない……?」

 否定してくれることを願いつつ、俺は縁の目をじっと見つめた。
 すると、縁は目尻をふっと下げて「まぁ、当真は十六()()だからな」と、言ってのける。
 頭の中で一瞬、じゅうろくさいじってなんだ? と思ったけど、すぐに馬鹿にされているのが分かった。
 十六歳児って、俺が幼児みたいってことだ。

「ひどい」

 俺はむすっと頬を膨らませて、縁のたくましい腕を軽く一発、ぽこっと殴った。

「あははっ。悪い悪い。でも、まぁ、そこが当真の良いところだから」
「ほんとに思ってる?」
「思ってるよ。……当真のそういうほわんとしたとこ、俺はめちゃくちゃ好き。たまんねぇよ」

 縁は時々、ストレートに「好き」という言葉を口にして、俺を愛おしそうに見てくる。
 俺も縁のことが大好きだから別にいいんだけど、その言葉も、視線も、ちょっとだけむずむずする。
 でも、毎度縁は「当真は? 俺のことどう思ってんの?」なんて聞いてくる。だから、仕方なく俺も「縁のこと大好きだよ」って言うようにしている。
 少し照れるし、幼なじみにこんなこと毎日言うものかな? って思うけど、本当のことだし。
 今日もいつもと同じように「俺も縁のこと、大好きだよ」って伝えたら、縁は弾けるような笑顔を浮かべてくれた。

「じゃ、そろそろ行くわ。昼休みは教室迎え行くから、ちゃんと良い子にして待ってろよ?」

 縁は満足げに言うと、せっかく整えていたはずの俺の髪をまた、くしゃりと撫でてきた。毎度お馴染みの謎行動に俺は思わず、くすっと笑って「わかったよ」と返事をする。
 そんな何でもないやりとり──だったはずなのに、縁は急にばっと顔を上げた。
 靴箱の方を見つめる目は、さっきまでの柔らかさはどこにもない。何かを、睨みつけているように見えた。
 そんな縁が心配になって、俺は「縁?」と、名前を呼んでいた。
 縁は「……あぁ、悪い」と言って、何事もなかったかのように俺から手を離す。

「じゃあな。またあとで」

 そう言って縁は、俺の額にちゅっと軽く口づけてきた。
 この一ヶ月で、縁のスキンシップは増した。だけど、縁からおでこにキスをされるなんて、今日が初めてのことで、俺の頭は混乱し始めた。

(俺たちって……幼なじみ、だよね?)

 縁はそんな俺を見てにやりと笑ってから、くるっと背中を向けた。そしてそのまま、俺を残して、隣の校舎へ歩いていく。
 その背中が、ほんの少し慌てたように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
 立ち尽くす俺の髪を、北国の暑くもなく、寒くもない生温い五月の風がさらう。ただ風が吹いているだけなのに、俺の胸はざわついて仕方がない。
 早く教室に行かなきゃって、思う。それなのに、いつになく縁のことが気になって。
 視界から姿がいなくなるまで、俺は過保護な幼なじみの背中をじっと眺めていた。