初めて食べた特製メロンパンは実に美味かった。美味かったけど、この状況は非常にまずい。
おれがむきになって誤解を解こうとすればするほど、かえってクラスメイト達はみんな全てを察したかのような顔つきになってそれ以上話を聞こうとせず、結局おれは誤解されたままその日を終える羽目になった。
(クソッ、一体おれが何したっていうんだ……)
元はと言えば、五瓶がわざわざ二年の教室に来てみんなの前で妙な言い回しをしたのが悪いのだ。昨夜おれにしたことを謝りたいだけなら何も教室まで来なくたって、夜には寮で嫌でも顔を合わせることになるのだからそこで謝ればいいのに。なんでよりによってあんな人目のある場所で、昨夜の話を持ち出してきたんだ。
これは一度、注意しておいた方がいいかもしれない。どうせあと二週間であいつは部屋を出て行くけど、それまでの間にまたこんなことが起きたら周囲からのおれ達に対する誤解は余計に深まってしまう。
三寮の生徒たちがここに来た日の翌日から食堂と共同浴場は夜の利用時間が学年ごとに分けられ、五瓶と顔を合わせるのは夕方のわずかな時間と夜の就寝時間だけになってしまった。
今日はまだ、夕食の時間まで余裕がある。机に向かって宿題をしているおれの後ろで、五瓶は敷きっぱなしの布団の上に寝そべってスマホをいじっている。話すならチャンスは今しかない。
机の上に広げたノートをぱたんと閉じて、椅子に座ったまま五瓶の方を向く。
「……あ、あのさ」
努めて自然に言ったつもりだったのに、いきなり声が上擦ってしまった。なに緊張してんだ、おれ。
五瓶はふと顔を上げておれを見た。
「今日の昼休みみたいなこと、今後はもうしないでくれるかな」
「はあ」
何とも気のない反応が返ってきた。おれが本気で困っていると、ちゃんと分かっているのだろうか。
「何かおれに話したいことがあるんなら、夜にちゃんと聞くからさ。教室に来られると、その……周りの目があるし、五瓶も話しにくいだろ」
「迷惑でしたか」
「そっ、そういう意味じゃないって。メロンパンは美味かったし、嬉しかったよ。ありがとう。でもわざわざ教室まで来なくてもよかったんじゃないのかって」
五瓶は手にしているスマホを枕元にぽんと伏せて置くと、身体を起こして布団の上で片膝を立てて座った。何となく改まったようなその態度に、思わず身構えてしまう。
「小高先輩、なんで今朝は俺が起きるより前に一人で食堂に行っちゃったんですか。いつもは一緒に行くのに」
ぎくりとして返答に詰まる。昨夜あったことが気まずくて五瓶と顔合わせるのを避けてました、なんて言えるか。
「そ、それは……五瓶がまだ寝てたから」
「起こしてくれればいいじゃないですか」
「いや、そうだけど……いつもよりだいぶ早い時間だったし」
「早い時間に起きたってことは、早めに登校しなきゃいけない用事でもあったんですか」
「……ないけど」
「じゃあなんで早く起きたんですか」
次第に尋問を受けているような気分になってきた。五瓶の口調はいつもと変わらないけど、その淡々とした言い方がかえっておれを責めているように感じられる。
「そんなことどうだっていいだろ。何なんだよ、さっきから」
いい加減やめてくれ、と言わんばかりに、少しキツい言い方になってしまった。おれの苛立ちが伝わったのか、五瓶はそれ以上は何も言ってこなかった。ただ、髪に半分隠れた目はじっとおれを見ている。
もしかしてこいつ、怒ってんのか?
五瓶を残して先に一人で朝食に行ったくらいで、そこまで怒るだろうか。
「……俺と一緒にいるところを誰かに見られるのが、そんなに嫌ですか」
ほとんど独り言みたいに、五瓶はそう呟いた。
「だっ、だからそうじゃないって……」
「すみませんでした。小高先輩の迷惑になってるのに、教室まで押しかけて」
口ではすみませんと言いつつも、五瓶は露骨に不機嫌そうな態度でぷいとそっぽを向いた。大人げないとは思うけど、そういう反抗的な態度を取られるとこっちだってイラッとする。
「あのな、何回も言わせんなよ。迷惑とかそういうことじゃなくって、言いたいことがあるなら部屋にいる時に話してくれって言ってるだけだよ」
「迷惑じゃないなら、別に学校で話しかけたっていいじゃないですか」
「そうだけど、お前デカいから目立つんだよ。五瓶は意識してなくても、周りの奴らはみんなお前が話すことに聞き耳立ててんの。そんな状況で落ち着いて話なんかできないだろ」
「はあ、そうですかね」
全く興味なさそうに返された。本当に周りの目なんて意識したことないんだな。
見た目に無頓着っぽいのも、表情に乏しいのも、言葉が足りないのも、全ては他人への無関心がそうさせているのかもしれない。ただでさえ独特な雰囲気を漂わせているのに、これでは周囲から無用の誤解を招いてしまうのも無理はないと思う。こいつが一人で誤解されているだけならおれには関係ないしどうでもいいのだが、そこにおれが絡んでいるのなら話は別だ。
誤解というものはそれを解く努力をせずに放置していたら、それが誤解ではなく事実であると認めているも同然なのだ。周りからの誤解を黙って受け入れるなんて、そんなの馬鹿げてる。
「お前はもう少し、自分が周りからどう見られてるのか意識した行動をとった方がいいんじゃないか」
五瓶はぽかんとしておれを見ている。おれの言いたいこと、ちゃんと分かってんのかな。心配になって更に続けようとすると、それより先に五瓶が口を開いた。
「具体的に、何をどうすればいいんですか」
「まあ、例えば……楽しい時は笑ったりするとか」
「はあ」
「あとお前、言葉が足りないせいで誤解されやすくなってるんだと思うぞ。絶対」
「そうですか」
そういうところを今まさに注意してるのだが、きっとこいつは何も分かっていないのだろう。なんか、おれ一人でこんな真剣に説教してるのがバカらしくなってきた。なんでおれが五瓶のせいであんな誤解を受けなくてはならないのかと、だんだんむかむかしてくる。
「今日の昼休みだってそうだったんだからな。お前、ちゃんと自覚してんのか? 自分の言葉が足りてないって」
「今日? 俺、何か変なこと言いましたっけ」
「あのな……」
いい加減、げんなりしてしまう。そこから説明しないと理解できないのか。
「おれが嫌がってるのに、無理やりあんなことして、とか言ってただろ。それと、また一緒に寝てくださいとか」
「ああ、言いましたね」
「人前でああいう誤解を招くような言い方すんなよ。おかげでおれ、クラスの奴らから完全にホモだと思われてんだからな」
「はあ……すみません」
五瓶は表情ひとつ変えずに口だけで謝罪した。こいつの口から出てくる『すみません』はハムより薄い。どうもさっきから他人事みたいに受け答えしているような印象が拭えず、こっちの不安ばかりが募ってくる。
こいつにはもう少し自分のことだという意識を持ってもらわないと、この話はいつまで経っても堂々巡りだ。ここはひとつ、切り口を少し変えてみよう。
「五瓶だって嫌だろ? 変な誤解されんのは」
「誤解って何ですか?」
「いや、だから……おれと五瓶が、その」
どう言えばいいんだ、これ。あまりストレートな言い方はしたくないのだが、かと言って変にぼかした言い回しをすると絶対こいつには伝わらないし。
「小高先輩と俺が、何ですか」
五瓶は首を傾げておれの顔を覗き込むように見ている。もしかしておれ、墓穴を掘っただけなんじゃ。
「……い、一緒に寝るような関係だとか……思われたら、嫌だろ」
散々迷った末、おれはぼかした言い回しに逃げた。
「別に構いませんけど。周りの人たちには好きなように言わせておけばいいと思います」
「よ、よくないって。事実と違うんだから、訂正しないとダメだろ?」
「まるっきり事実と違うってわけではないんで」
「え?」
すると、五瓶は笑った。満面の笑みと呼ぶには程遠い、口の端をわずかに上げただけの笑顔だったけど、いつもの仏頂面を思えばこれはとんでもないことだ。前髪に隠れてよく見えないけど、その目もやや細められているのが分かる。
こいつ、笑えるんだ。
そんな当たり前のことにおれはいたく驚いた。いつも無表情でぼーっとしてるから表情筋が死んでるのかと思ってたのに、こんなに優しく笑えたんだな。
変な言い方かもしれないけど、その時の五瓶はすごく人間らしく見えた。少なくとも、今まで見ていた五瓶よりはずっと。
「小高先輩には少し、難しかったですかね」
その言葉には、おれをバカにしているような響きは微塵も感じられなかった。まるで小さな子供に言い聞かせているかのような、いつもよりひどく優しげな口調ですらある。
「な、なんだよ? どういう意味だよ」
しかし、おれは更に混乱していた。五瓶の言ったことの意味もその裏にある意図もさっぱり理解できない。だから言葉が足りないって言ってんのに、こいつはこれでおれに何もかも伝わるとでも思っているのだろうか。
「分からないなら分からなくていいですよ」
よっこいしょ、と言いながら五瓶はゆっくりと立ち上がった。茫然としているおれを放置して、さっさと部屋から出ようとしている。そう言えばそろそろ一年の夕食の時間か。
「いや、ちょっ……待てって! 何なんだよ、ちゃんとはっきり言えよ」
煙に巻いてこのまま逃げるつもりなのかもしれない、そう思って咄嗟に声を上げて呼び止めてしまう。五瓶はドアの前で足を止めて、ふいとこっちを向いた。
「何でもかんでもはっきりさせちゃ、つまんないと思います」
「は……?」
「それじゃ俺、食堂行くんで」
結局五瓶の言っていることの意味は何ひとつとして分からないまま、目の前でドアがぱたんと閉まった。
よく分からないけど、五瓶を説得するのはどうやら失敗したらしい。それだけは分かった。
どういうことだ? おれと変な関係だって誤解されたままなんて、五瓶だって嫌に決まってるのに。放置してていいと思ってるってことか?
事実と違うわけではないって、つまり……一緒に寝ていること自体は事実だからそれは否定しないと、そういう意味だろうか。でも、なんかそういうのとは違うような気がする。上手く言葉にできないけど、五瓶が言おうとしてたのはそういうことじゃなくて、もっと別の……だめだ、やっぱり分からない。
それに、なんか。
(……頭、痛い)
そう言えば寝不足で頭がぼーっとしてるんだっけ。この状態で考えごとなんかしたら熱が出そうだ。それに、おれ一人でいくら考えたところで正解なぞ分かるわけがない。
「何なんだよ……」
やり場のないモヤモヤだけが頭の中を埋め尽くしている。
本当にあいつ、何考えてんのか分からない。
おれがむきになって誤解を解こうとすればするほど、かえってクラスメイト達はみんな全てを察したかのような顔つきになってそれ以上話を聞こうとせず、結局おれは誤解されたままその日を終える羽目になった。
(クソッ、一体おれが何したっていうんだ……)
元はと言えば、五瓶がわざわざ二年の教室に来てみんなの前で妙な言い回しをしたのが悪いのだ。昨夜おれにしたことを謝りたいだけなら何も教室まで来なくたって、夜には寮で嫌でも顔を合わせることになるのだからそこで謝ればいいのに。なんでよりによってあんな人目のある場所で、昨夜の話を持ち出してきたんだ。
これは一度、注意しておいた方がいいかもしれない。どうせあと二週間であいつは部屋を出て行くけど、それまでの間にまたこんなことが起きたら周囲からのおれ達に対する誤解は余計に深まってしまう。
三寮の生徒たちがここに来た日の翌日から食堂と共同浴場は夜の利用時間が学年ごとに分けられ、五瓶と顔を合わせるのは夕方のわずかな時間と夜の就寝時間だけになってしまった。
今日はまだ、夕食の時間まで余裕がある。机に向かって宿題をしているおれの後ろで、五瓶は敷きっぱなしの布団の上に寝そべってスマホをいじっている。話すならチャンスは今しかない。
机の上に広げたノートをぱたんと閉じて、椅子に座ったまま五瓶の方を向く。
「……あ、あのさ」
努めて自然に言ったつもりだったのに、いきなり声が上擦ってしまった。なに緊張してんだ、おれ。
五瓶はふと顔を上げておれを見た。
「今日の昼休みみたいなこと、今後はもうしないでくれるかな」
「はあ」
何とも気のない反応が返ってきた。おれが本気で困っていると、ちゃんと分かっているのだろうか。
「何かおれに話したいことがあるんなら、夜にちゃんと聞くからさ。教室に来られると、その……周りの目があるし、五瓶も話しにくいだろ」
「迷惑でしたか」
「そっ、そういう意味じゃないって。メロンパンは美味かったし、嬉しかったよ。ありがとう。でもわざわざ教室まで来なくてもよかったんじゃないのかって」
五瓶は手にしているスマホを枕元にぽんと伏せて置くと、身体を起こして布団の上で片膝を立てて座った。何となく改まったようなその態度に、思わず身構えてしまう。
「小高先輩、なんで今朝は俺が起きるより前に一人で食堂に行っちゃったんですか。いつもは一緒に行くのに」
ぎくりとして返答に詰まる。昨夜あったことが気まずくて五瓶と顔合わせるのを避けてました、なんて言えるか。
「そ、それは……五瓶がまだ寝てたから」
「起こしてくれればいいじゃないですか」
「いや、そうだけど……いつもよりだいぶ早い時間だったし」
「早い時間に起きたってことは、早めに登校しなきゃいけない用事でもあったんですか」
「……ないけど」
「じゃあなんで早く起きたんですか」
次第に尋問を受けているような気分になってきた。五瓶の口調はいつもと変わらないけど、その淡々とした言い方がかえっておれを責めているように感じられる。
「そんなことどうだっていいだろ。何なんだよ、さっきから」
いい加減やめてくれ、と言わんばかりに、少しキツい言い方になってしまった。おれの苛立ちが伝わったのか、五瓶はそれ以上は何も言ってこなかった。ただ、髪に半分隠れた目はじっとおれを見ている。
もしかしてこいつ、怒ってんのか?
五瓶を残して先に一人で朝食に行ったくらいで、そこまで怒るだろうか。
「……俺と一緒にいるところを誰かに見られるのが、そんなに嫌ですか」
ほとんど独り言みたいに、五瓶はそう呟いた。
「だっ、だからそうじゃないって……」
「すみませんでした。小高先輩の迷惑になってるのに、教室まで押しかけて」
口ではすみませんと言いつつも、五瓶は露骨に不機嫌そうな態度でぷいとそっぽを向いた。大人げないとは思うけど、そういう反抗的な態度を取られるとこっちだってイラッとする。
「あのな、何回も言わせんなよ。迷惑とかそういうことじゃなくって、言いたいことがあるなら部屋にいる時に話してくれって言ってるだけだよ」
「迷惑じゃないなら、別に学校で話しかけたっていいじゃないですか」
「そうだけど、お前デカいから目立つんだよ。五瓶は意識してなくても、周りの奴らはみんなお前が話すことに聞き耳立ててんの。そんな状況で落ち着いて話なんかできないだろ」
「はあ、そうですかね」
全く興味なさそうに返された。本当に周りの目なんて意識したことないんだな。
見た目に無頓着っぽいのも、表情に乏しいのも、言葉が足りないのも、全ては他人への無関心がそうさせているのかもしれない。ただでさえ独特な雰囲気を漂わせているのに、これでは周囲から無用の誤解を招いてしまうのも無理はないと思う。こいつが一人で誤解されているだけならおれには関係ないしどうでもいいのだが、そこにおれが絡んでいるのなら話は別だ。
誤解というものはそれを解く努力をせずに放置していたら、それが誤解ではなく事実であると認めているも同然なのだ。周りからの誤解を黙って受け入れるなんて、そんなの馬鹿げてる。
「お前はもう少し、自分が周りからどう見られてるのか意識した行動をとった方がいいんじゃないか」
五瓶はぽかんとしておれを見ている。おれの言いたいこと、ちゃんと分かってんのかな。心配になって更に続けようとすると、それより先に五瓶が口を開いた。
「具体的に、何をどうすればいいんですか」
「まあ、例えば……楽しい時は笑ったりするとか」
「はあ」
「あとお前、言葉が足りないせいで誤解されやすくなってるんだと思うぞ。絶対」
「そうですか」
そういうところを今まさに注意してるのだが、きっとこいつは何も分かっていないのだろう。なんか、おれ一人でこんな真剣に説教してるのがバカらしくなってきた。なんでおれが五瓶のせいであんな誤解を受けなくてはならないのかと、だんだんむかむかしてくる。
「今日の昼休みだってそうだったんだからな。お前、ちゃんと自覚してんのか? 自分の言葉が足りてないって」
「今日? 俺、何か変なこと言いましたっけ」
「あのな……」
いい加減、げんなりしてしまう。そこから説明しないと理解できないのか。
「おれが嫌がってるのに、無理やりあんなことして、とか言ってただろ。それと、また一緒に寝てくださいとか」
「ああ、言いましたね」
「人前でああいう誤解を招くような言い方すんなよ。おかげでおれ、クラスの奴らから完全にホモだと思われてんだからな」
「はあ……すみません」
五瓶は表情ひとつ変えずに口だけで謝罪した。こいつの口から出てくる『すみません』はハムより薄い。どうもさっきから他人事みたいに受け答えしているような印象が拭えず、こっちの不安ばかりが募ってくる。
こいつにはもう少し自分のことだという意識を持ってもらわないと、この話はいつまで経っても堂々巡りだ。ここはひとつ、切り口を少し変えてみよう。
「五瓶だって嫌だろ? 変な誤解されんのは」
「誤解って何ですか?」
「いや、だから……おれと五瓶が、その」
どう言えばいいんだ、これ。あまりストレートな言い方はしたくないのだが、かと言って変にぼかした言い回しをすると絶対こいつには伝わらないし。
「小高先輩と俺が、何ですか」
五瓶は首を傾げておれの顔を覗き込むように見ている。もしかしておれ、墓穴を掘っただけなんじゃ。
「……い、一緒に寝るような関係だとか……思われたら、嫌だろ」
散々迷った末、おれはぼかした言い回しに逃げた。
「別に構いませんけど。周りの人たちには好きなように言わせておけばいいと思います」
「よ、よくないって。事実と違うんだから、訂正しないとダメだろ?」
「まるっきり事実と違うってわけではないんで」
「え?」
すると、五瓶は笑った。満面の笑みと呼ぶには程遠い、口の端をわずかに上げただけの笑顔だったけど、いつもの仏頂面を思えばこれはとんでもないことだ。前髪に隠れてよく見えないけど、その目もやや細められているのが分かる。
こいつ、笑えるんだ。
そんな当たり前のことにおれはいたく驚いた。いつも無表情でぼーっとしてるから表情筋が死んでるのかと思ってたのに、こんなに優しく笑えたんだな。
変な言い方かもしれないけど、その時の五瓶はすごく人間らしく見えた。少なくとも、今まで見ていた五瓶よりはずっと。
「小高先輩には少し、難しかったですかね」
その言葉には、おれをバカにしているような響きは微塵も感じられなかった。まるで小さな子供に言い聞かせているかのような、いつもよりひどく優しげな口調ですらある。
「な、なんだよ? どういう意味だよ」
しかし、おれは更に混乱していた。五瓶の言ったことの意味もその裏にある意図もさっぱり理解できない。だから言葉が足りないって言ってんのに、こいつはこれでおれに何もかも伝わるとでも思っているのだろうか。
「分からないなら分からなくていいですよ」
よっこいしょ、と言いながら五瓶はゆっくりと立ち上がった。茫然としているおれを放置して、さっさと部屋から出ようとしている。そう言えばそろそろ一年の夕食の時間か。
「いや、ちょっ……待てって! 何なんだよ、ちゃんとはっきり言えよ」
煙に巻いてこのまま逃げるつもりなのかもしれない、そう思って咄嗟に声を上げて呼び止めてしまう。五瓶はドアの前で足を止めて、ふいとこっちを向いた。
「何でもかんでもはっきりさせちゃ、つまんないと思います」
「は……?」
「それじゃ俺、食堂行くんで」
結局五瓶の言っていることの意味は何ひとつとして分からないまま、目の前でドアがぱたんと閉まった。
よく分からないけど、五瓶を説得するのはどうやら失敗したらしい。それだけは分かった。
どういうことだ? おれと変な関係だって誤解されたままなんて、五瓶だって嫌に決まってるのに。放置してていいと思ってるってことか?
事実と違うわけではないって、つまり……一緒に寝ていること自体は事実だからそれは否定しないと、そういう意味だろうか。でも、なんかそういうのとは違うような気がする。上手く言葉にできないけど、五瓶が言おうとしてたのはそういうことじゃなくて、もっと別の……だめだ、やっぱり分からない。
それに、なんか。
(……頭、痛い)
そう言えば寝不足で頭がぼーっとしてるんだっけ。この状態で考えごとなんかしたら熱が出そうだ。それに、おれ一人でいくら考えたところで正解なぞ分かるわけがない。
「何なんだよ……」
やり場のないモヤモヤだけが頭の中を埋め尽くしている。
本当にあいつ、何考えてんのか分からない。


