四月と五月のあいだにある見えない縫い目を、慎重に跨いでいくうちに、離れて暮らす生活は、思っていたより静かなリズムを持ちはじめた。
朝、窓の向こうの山の線は、長野では鋭い。空の色は薄く、夜の名残りが白い湯気みたいに尾を引く。父の新しい部屋には、新品の匂いと段ボールの紙の匂いが混じっていて、最初は落ち着かなかった。けれど本棚の端に、駅前ベーカリーの“半分こ”の袋を折りたたんで差し込んでおいたら、部屋が少しだけ過去に繋がった。紙の薄い皺が、俺の知らない街の空気に小さな折り目を付けてくれる。
土曜の夜は“練習”。オンラインの鍵盤アプリを開き、画面越しに同じCの位置に指を置く。
〈せーの〉
律の声がイヤホンの向こうから軽く落ちてくる。
“ド”。
ひとつだけの音は、距離の単位を無効にする。続けて“レ”。二つ目の音が鳴るまでの、わずかな沈黙。嫌な間じゃない。呼吸が形を持つまでの予備動作。
〈今日の“&”は、三拍目に入れて〉
〈了解〉
メトロノーム機能の針が、画面上で左右に揺れる。俺は二拍目にほんの少しだけ指を弾ませ、三拍目で“&”を置く。タン。
律の肩が画面の隅で一ミリだけ上下するのが見える。その小ささが、俺の一日を支える。支えるのは大げさだけど、ほかに言いかたがない。音は、人の手の中でしか生きられない。俺の“&”は、彼の指の上で生きる。
隔週の日曜は“映画デート”。同時再生アプリのカウントダウンに合わせて、三、二、一――再生。
別々の街の暗い部屋で、同じ明るさの画面を見る。効果音の低音が床板を通じて爪先に届いて、笑いのタイミングがずれると、チャット欄に小さな抗議が飛ぶ。
〈今“ここ”笑ったのどこ〉
〈子役の眉〉
〈わかる〉
“わかる”という二音は、距離を跨ぐときの関節だ。そこが柔らかいと、無理がない。
劇場に現地集合する回もある。駅の改札に「ただいま」と「おかえり」が互い違いに立っていて、手を上げるだけで、肩の高さが合う。座席の肘掛けは、右を譲る回と左を譲る回を交互にする。譲ることも、譲らないことも、どちらも優しさになる順番があると、やっと覚えた。
@相談くんは、春の終わりにはすっかり熱を失った。燃えるタイムラインよりも、窓ガラスに貼った手書きの小さな案内のほうが長く残る。学校の“紙の相談箱”は、まだ目立たないところにあるけれど、ちゃんと続いている。
月に一度、葛西がまとめて知らせてくれる。
〈今月の質問:隣の席の彼に話しかけるタイミング/部活の先輩の目線の意味/“親友”の線の引き方〉
〈返事:半歩後ろから声をかける/目線は三回続いたら合図かもしれない/線は引くものじゃなく、座りなおすもの〉
紙は重い。重いから、忘れない。
“開封作業の立会い”という段取りは、今も丁寧に守られているらしい。校舎の光の届かない端っこで、誰かの悩みと誰かの言葉が、誰の視線にも晒されずに行き来している。その風景を想像するだけで、胸の奥の空洞が少し温かくなる。
葛西は演劇部の脚本賞を取った。タイトルは『後日談』。
「草稿、送るね」と言ってデータを寄越した。
冒頭の一行目はこうだ。——終演後の照明は、舞台の上ではなく客席の通路に落ちる。
読みながら、俺は笑った。あの公演の日の空気が、文章の隙間からそのまま戻ってきた。
〈二人で書いた短い“後日談”、大事に使わせてもらったよ〉
葛西からそう書かれたメッセージを見て、律にスクショを送る。
〈俺たちの“言語化の宿題”、点は何点かな〉
〈満点じゃないとむしろ不安だから、八十三点〉
〈ちょうどいい〉
俺たちは、ときどき、つまずく。
ある水曜の夜、“&”の時間に俺が遅れた。アラームを十分ずらしたのに、風呂で髪を拭く時間を見誤った。濡れた手でスマホを掴んだときには、画面の向こうの律が「——」の吹き出しを長く出したまま、ピアノの蓋に指先を置いていた。
〈ごめん〉
と打つ。
律はすぐに返した。
〈大丈夫。遅れる通知、今度は“&”の前に送って〉
〈了解〉
言い訳を出さないかわりに、段取りをひとつ増やす。
俺が別の日に、「直さなくていい癖は直さないままでいいけど、“約束の骨格”だけは一緒に守ろう」と言うと、律は「骨格は共有フォルダに入れた」と冗談めかして答えた。
共有フォルダの名は、もちろん“ド&”。中にはカレンダーのPDF、サロンの予約表、医師のオンライン枠、映画チケットの半券の写真、そして月末の手紙のスキャン。データなのに、色がある。手触りがあると錯覚できるほど、俺たちは重さのあるものを並べた。
父の暮らしは、思っていたより質素で、思っていたより賑やかだった。
会社の人が時々寄ってきて、玄関に“差し入れ”と書かれた紙袋が増える。父の口数は相変わらず少ない。でも、味噌汁の出汁の取り方が、少しだけ上手くなった。
「湊、青ペン、どこに置いた?」
「二段目。ノートの横」
「お、あった。……ありがとう」
“ありがとう”の言い方が、父の中でゆっくり増えているのを感じる。発音が角ばっていたものが、日に日に丸くなる。
家の冷蔵庫の横に、ベーカリー袋を貼ったマグネットが一個。弁当箱のゴムバンドの横に、青い付箋が一枚。
〈土曜“練習”〉
父は内容を知らない。けれど、付箋の文字を剥がさない。剥がさない、という態度は、時々、とても大きな理解と同じ意味になる。
長期休みの前、律から「サロンで“ミニ発表会”をやろう」と提案が来た。
〈観客は、たぶん数人〉
〈それで充分〉
決行は、八月頭。
発表会の当日の夕方、駅に着くと、空の湿度は薄く、風が指に絡まる。サロンの扉を開けると、いつもの女性がもう三脚を立てていた。折りたたみ椅子が四脚。
「今日は、特等席を用意したわよ」
と壁を指さす。そこには、紙のポスターが一枚。
〈“ド&”ミニ発表会 本日はお越しくださりありがとうございます〉
客席には、葛西と、律の元先生と、俺の父。それから、後ろの壁で腕を組んで見ている、サロンの女性。
開演前、俺は客席の端で父に小さく耳打ちする。
「拍手は、ちょっとだけ遅れて」
「なるほど」
父は頷き、膝の上で手を組んだ。
最初の曲は、C–G–Am–F。
律の指先は、初めの“ド”を置く前に一度だけ空を撫でた。撫でることで、間合いが決まる。
“&”は、二拍目と四拍目。
俺の合図に合わせて、先生のつま先がほんの少しだけ上下したのが見えた。プロは、観客でいるときにも、音楽のほうの身体を忘れない。
終曲。
部屋に一瞬、空白が落ちる。
父が、約束通り、半拍だけ遅れて手を叩く。
葛西がそれに合わせ、先生が静かに続け、最後に壁の女性が“壁からの拍手”を重ねる。
律が笑った。
「拍手、怖くない」
俺も笑って、深く息を吐いた。
「“ただいま”みたいな音がした」
「“おかえり”も、聞こえた」
言葉は、その場にいた四人の胸の上に落ちて、少し跳ね、床に溶けた。
その夜、駅までの帰り道。信号が赤になる。俺たちは手を繋いだ。長い横断歩道の白線を前にして、手のひらを握る角度を確かめる。交差点に吹く風は、町の匂いを数種類まとめて運んでくる。季節と油と、どこかで焼けた砂糖の匂い。
「歩幅、合ってる?」
「合ってる」
青になる。
ふたりで、いち、に、さん、し。
歩く。
この動作は、未来の縫い目をまたぐ練習でもある。練習は、終わらない。終わらないことが、安心になる形もある。
駅のベンチで、俺は律の肩に頭を乗せた。合図ではない。説明のいらない所作。
「好きだよ」
律が小さく言う。
「うん」
俺の返事は短いけれど、その短さは、積み上げた長い文章の上に置かれてる。
違う夜。
俺が疲れてオンラインの“&”に間に合わなくて、連絡をしないまま寝てしまった。
朝、目が覚めると、律から三つのメッセージが来ていた。
〈大丈夫なら大丈夫って送って〉
〈寝落ちなら、“寝落ち”スタンプを作ろう〉
〈今日の“&”は、八拍目に〉
具体的な提案が、不安の侵入口に蓋をする。
俺は、心のなかの不機嫌の正体をほぐしながら返した。
〈ごめん。寝落ち。スタンプ案、採用。八拍目、OK〉
その日の夜、俺たちは八拍目に“&”を入れた。
普通より長い沈黙は、別の種類の安心を連れてきた。
長いから大切だ、とか、短いから軽い、とか、そんな単純な目盛りでは測れない安心。
“約束の骨格”は、確かに守られている。骨格は見えないけれど、欠けるとすぐわかる。
俺たちはまだ、一度もそこを欠けさせていない。
夏が終わり、秋が来て、山の輪郭が濃くなる。
学校から「紙の相談箱」の月報が届く。
〈“親友”の線の引き方についての質問、増加〉
〈返事例:“線”は引くものではなく、“座り直す”もの〉
返事を書いたのは、たぶん葛西だ。
“座り直す”という表現は、俺の好きな動詞の一つになった。
席替えのたびに、同じ教室のどこかに座り直し、同じ黒板を見る。親友のままの恋人、という座り直し。
遠距離という座り直し。
“相談役ごっこ”はもういらない。
俺たちは同じ側のベンチに座り直し、同じ景色にコメントを付けていく。
秋の終わり、父が会社の飲み会帰りに、珍しく甘いものを買って帰ってきた。
「駅前の新しいパン屋。塩パン、二つ」
袋から出して、一つを半分に割る。
「半分こ」
父の口からその単語が出るのを初めて聞いて、俺はおかしくて泣きそうになった。
父は理由を聞かない。
俺は説明をしない。
言葉は時々、流行りを経由して家族に届く。
回り道をした言葉のほうが、うちに入ってくる角度がやわらかいことを、最近知った。
冬休みの手前に、俺と律はもう一度“ミニ発表会”を計画している。
観客は、たぶん、前と同じか、少し増える。
葛西の脚本の一節を朗読で挟もうか、と提案が来た。
〈“終演後の照明”の段落を読む〉
〈いいね〉
ピアノの音と朗読の間に、短い沈黙を挟む予定だ。
沈黙は、嫌な間じゃない。
言葉が追いつくのを待つための、合図の形だ。
“歩幅の取り方・完全版”。
そんな大げさな見出しをノートに書いて、青い線でいくつかの項目を置くことにした。
完全版なんて、きっとない。
ないけれど、今日の“完全”を記録しておく。明日、書き換えるために。
——一、最初の“ド”は、何度でも置ける。迷ったら戻る。戻るのは敗北ではない。
——二、“&”は、離れても鳴る。二拍目でも四拍目でも、八拍目でもいい。どこで鳴らすかを一緒に決める。
——三、“半分こ”は、パンだけでなく、寂しさにも使う。偏ったら、指で戻す。戻すのは恥ではない。
——四、拍手が怖くなったら、隣の体温を確認する。拍手は承認であり、終わりの合図でもある。どちらにも負けない呼吸を思い出す。
——五、“約束の骨格”は、共有フォルダに。守れなかったときの手順も、同じ場所に。
——六、“言う勇気”と“言わない優しさ”のあいだに、紙を挟む。紙は重い。重さは救いになる。
——七、噂は室温を上げる。室温に合わせず、体温で喋る。
——八、線を引くのではなく、座り直す。隣に座れる形を、飽きるまで選び直す。
——九、遠距離は距離の名前ではない。リズムの名前だ。
——十、“さよならの稽古”はしない。“行ってきます”と“ただいま”で往復する。
書き終えて、ページの端に小さく“改稿可”と書き添えた。完全版は、常に未完成でいい。未完成の余白に、俺たちは手を入れることができる。
ノートを閉じる前に、スマホが小さく震えた。
律から。
〈明日の“&”、十七分から。八拍目に〉
〈了解。——“ド”を長めに〉
〈いいね〉
〈“歩幅の取り方・完全版”、今日、書いた〉
〈見たい〉
〈今度、紙で渡す〉
〈了解〉
“了解”が、今日も句点になった。
画面を伏せる。
窓の外で、風の音が低く鳴る。電柱に当たって、遠くで曲がって、また戻ってくる。
耳を澄ますと、いろんな音が、同じ拍を探している。俺の心臓の音、冷蔵庫の微かな唸り、父の寝息、通り過ぎる車輪。
拍を数える。
いち、に、さん、し。
“&”。
床の上で、見えないメトロノームが左右に揺れる。針は目に見えないけれど、揺れ幅は、俺たちのあいだで決められる。
離れていても、揃え直せる。
それが、今の俺たちの“完全版”だ。
次の休みに、またサロンで会う。
観客は、たぶん、数人。
それで充分。
曲は、何度でも同じでいい。C–G–Am–F。
そのたびに違う指の温度で、違う“&”で、違う呼吸で鳴らす。
演奏のあと、俺たちは相変わらず沈黙を共有し、相変わらず同じ景色にコメントをつける。
「今日の“&”、バニラ味」
「わかる。じゃあ来週は、シナモン」
子どもみたいな会話が、遠距離のなかでいちばん大人の約束になるときがある。
——“相談役ごっこ”は、もういらない。
それでも時々、相談は必要になる。
そのときは、同じ側のベンチで相談する。
ベンチの木目を指でなぞりながら、手の熱で固有名詞をやわらかくする。
答えはすぐには出ない。
出なくても、拍は止まらない。
止めない。
練習のためじゃない。
本番のために。
眠りに落ちる前に、枕元のメモを指で探る。
——十七分、“&”。
小さな字が、暗闇のなかで音に変わる。
“ド”。
“レ”。
“ミ”。
“ファ”。
指が、空の鍵盤を辿る。
どれも、最初の音だ。どこからでも始められる。
同じ音はひとつとしてないけれど、全部“はじめまして”の顔をして、ちゃんと“ただいま”になる。
目を閉じる。
遠くで風が曲がり、また戻ってくる。
歩幅は揃っている。
離れていても、揃え直せる。
ハッピーエンドのコード進行を、何度でも。
明日の夜、また“&”。
そして、行ってきます。
——ただいま、までの、短い往復のはじまり。
朝、窓の向こうの山の線は、長野では鋭い。空の色は薄く、夜の名残りが白い湯気みたいに尾を引く。父の新しい部屋には、新品の匂いと段ボールの紙の匂いが混じっていて、最初は落ち着かなかった。けれど本棚の端に、駅前ベーカリーの“半分こ”の袋を折りたたんで差し込んでおいたら、部屋が少しだけ過去に繋がった。紙の薄い皺が、俺の知らない街の空気に小さな折り目を付けてくれる。
土曜の夜は“練習”。オンラインの鍵盤アプリを開き、画面越しに同じCの位置に指を置く。
〈せーの〉
律の声がイヤホンの向こうから軽く落ちてくる。
“ド”。
ひとつだけの音は、距離の単位を無効にする。続けて“レ”。二つ目の音が鳴るまでの、わずかな沈黙。嫌な間じゃない。呼吸が形を持つまでの予備動作。
〈今日の“&”は、三拍目に入れて〉
〈了解〉
メトロノーム機能の針が、画面上で左右に揺れる。俺は二拍目にほんの少しだけ指を弾ませ、三拍目で“&”を置く。タン。
律の肩が画面の隅で一ミリだけ上下するのが見える。その小ささが、俺の一日を支える。支えるのは大げさだけど、ほかに言いかたがない。音は、人の手の中でしか生きられない。俺の“&”は、彼の指の上で生きる。
隔週の日曜は“映画デート”。同時再生アプリのカウントダウンに合わせて、三、二、一――再生。
別々の街の暗い部屋で、同じ明るさの画面を見る。効果音の低音が床板を通じて爪先に届いて、笑いのタイミングがずれると、チャット欄に小さな抗議が飛ぶ。
〈今“ここ”笑ったのどこ〉
〈子役の眉〉
〈わかる〉
“わかる”という二音は、距離を跨ぐときの関節だ。そこが柔らかいと、無理がない。
劇場に現地集合する回もある。駅の改札に「ただいま」と「おかえり」が互い違いに立っていて、手を上げるだけで、肩の高さが合う。座席の肘掛けは、右を譲る回と左を譲る回を交互にする。譲ることも、譲らないことも、どちらも優しさになる順番があると、やっと覚えた。
@相談くんは、春の終わりにはすっかり熱を失った。燃えるタイムラインよりも、窓ガラスに貼った手書きの小さな案内のほうが長く残る。学校の“紙の相談箱”は、まだ目立たないところにあるけれど、ちゃんと続いている。
月に一度、葛西がまとめて知らせてくれる。
〈今月の質問:隣の席の彼に話しかけるタイミング/部活の先輩の目線の意味/“親友”の線の引き方〉
〈返事:半歩後ろから声をかける/目線は三回続いたら合図かもしれない/線は引くものじゃなく、座りなおすもの〉
紙は重い。重いから、忘れない。
“開封作業の立会い”という段取りは、今も丁寧に守られているらしい。校舎の光の届かない端っこで、誰かの悩みと誰かの言葉が、誰の視線にも晒されずに行き来している。その風景を想像するだけで、胸の奥の空洞が少し温かくなる。
葛西は演劇部の脚本賞を取った。タイトルは『後日談』。
「草稿、送るね」と言ってデータを寄越した。
冒頭の一行目はこうだ。——終演後の照明は、舞台の上ではなく客席の通路に落ちる。
読みながら、俺は笑った。あの公演の日の空気が、文章の隙間からそのまま戻ってきた。
〈二人で書いた短い“後日談”、大事に使わせてもらったよ〉
葛西からそう書かれたメッセージを見て、律にスクショを送る。
〈俺たちの“言語化の宿題”、点は何点かな〉
〈満点じゃないとむしろ不安だから、八十三点〉
〈ちょうどいい〉
俺たちは、ときどき、つまずく。
ある水曜の夜、“&”の時間に俺が遅れた。アラームを十分ずらしたのに、風呂で髪を拭く時間を見誤った。濡れた手でスマホを掴んだときには、画面の向こうの律が「——」の吹き出しを長く出したまま、ピアノの蓋に指先を置いていた。
〈ごめん〉
と打つ。
律はすぐに返した。
〈大丈夫。遅れる通知、今度は“&”の前に送って〉
〈了解〉
言い訳を出さないかわりに、段取りをひとつ増やす。
俺が別の日に、「直さなくていい癖は直さないままでいいけど、“約束の骨格”だけは一緒に守ろう」と言うと、律は「骨格は共有フォルダに入れた」と冗談めかして答えた。
共有フォルダの名は、もちろん“ド&”。中にはカレンダーのPDF、サロンの予約表、医師のオンライン枠、映画チケットの半券の写真、そして月末の手紙のスキャン。データなのに、色がある。手触りがあると錯覚できるほど、俺たちは重さのあるものを並べた。
父の暮らしは、思っていたより質素で、思っていたより賑やかだった。
会社の人が時々寄ってきて、玄関に“差し入れ”と書かれた紙袋が増える。父の口数は相変わらず少ない。でも、味噌汁の出汁の取り方が、少しだけ上手くなった。
「湊、青ペン、どこに置いた?」
「二段目。ノートの横」
「お、あった。……ありがとう」
“ありがとう”の言い方が、父の中でゆっくり増えているのを感じる。発音が角ばっていたものが、日に日に丸くなる。
家の冷蔵庫の横に、ベーカリー袋を貼ったマグネットが一個。弁当箱のゴムバンドの横に、青い付箋が一枚。
〈土曜“練習”〉
父は内容を知らない。けれど、付箋の文字を剥がさない。剥がさない、という態度は、時々、とても大きな理解と同じ意味になる。
長期休みの前、律から「サロンで“ミニ発表会”をやろう」と提案が来た。
〈観客は、たぶん数人〉
〈それで充分〉
決行は、八月頭。
発表会の当日の夕方、駅に着くと、空の湿度は薄く、風が指に絡まる。サロンの扉を開けると、いつもの女性がもう三脚を立てていた。折りたたみ椅子が四脚。
「今日は、特等席を用意したわよ」
と壁を指さす。そこには、紙のポスターが一枚。
〈“ド&”ミニ発表会 本日はお越しくださりありがとうございます〉
客席には、葛西と、律の元先生と、俺の父。それから、後ろの壁で腕を組んで見ている、サロンの女性。
開演前、俺は客席の端で父に小さく耳打ちする。
「拍手は、ちょっとだけ遅れて」
「なるほど」
父は頷き、膝の上で手を組んだ。
最初の曲は、C–G–Am–F。
律の指先は、初めの“ド”を置く前に一度だけ空を撫でた。撫でることで、間合いが決まる。
“&”は、二拍目と四拍目。
俺の合図に合わせて、先生のつま先がほんの少しだけ上下したのが見えた。プロは、観客でいるときにも、音楽のほうの身体を忘れない。
終曲。
部屋に一瞬、空白が落ちる。
父が、約束通り、半拍だけ遅れて手を叩く。
葛西がそれに合わせ、先生が静かに続け、最後に壁の女性が“壁からの拍手”を重ねる。
律が笑った。
「拍手、怖くない」
俺も笑って、深く息を吐いた。
「“ただいま”みたいな音がした」
「“おかえり”も、聞こえた」
言葉は、その場にいた四人の胸の上に落ちて、少し跳ね、床に溶けた。
その夜、駅までの帰り道。信号が赤になる。俺たちは手を繋いだ。長い横断歩道の白線を前にして、手のひらを握る角度を確かめる。交差点に吹く風は、町の匂いを数種類まとめて運んでくる。季節と油と、どこかで焼けた砂糖の匂い。
「歩幅、合ってる?」
「合ってる」
青になる。
ふたりで、いち、に、さん、し。
歩く。
この動作は、未来の縫い目をまたぐ練習でもある。練習は、終わらない。終わらないことが、安心になる形もある。
駅のベンチで、俺は律の肩に頭を乗せた。合図ではない。説明のいらない所作。
「好きだよ」
律が小さく言う。
「うん」
俺の返事は短いけれど、その短さは、積み上げた長い文章の上に置かれてる。
違う夜。
俺が疲れてオンラインの“&”に間に合わなくて、連絡をしないまま寝てしまった。
朝、目が覚めると、律から三つのメッセージが来ていた。
〈大丈夫なら大丈夫って送って〉
〈寝落ちなら、“寝落ち”スタンプを作ろう〉
〈今日の“&”は、八拍目に〉
具体的な提案が、不安の侵入口に蓋をする。
俺は、心のなかの不機嫌の正体をほぐしながら返した。
〈ごめん。寝落ち。スタンプ案、採用。八拍目、OK〉
その日の夜、俺たちは八拍目に“&”を入れた。
普通より長い沈黙は、別の種類の安心を連れてきた。
長いから大切だ、とか、短いから軽い、とか、そんな単純な目盛りでは測れない安心。
“約束の骨格”は、確かに守られている。骨格は見えないけれど、欠けるとすぐわかる。
俺たちはまだ、一度もそこを欠けさせていない。
夏が終わり、秋が来て、山の輪郭が濃くなる。
学校から「紙の相談箱」の月報が届く。
〈“親友”の線の引き方についての質問、増加〉
〈返事例:“線”は引くものではなく、“座り直す”もの〉
返事を書いたのは、たぶん葛西だ。
“座り直す”という表現は、俺の好きな動詞の一つになった。
席替えのたびに、同じ教室のどこかに座り直し、同じ黒板を見る。親友のままの恋人、という座り直し。
遠距離という座り直し。
“相談役ごっこ”はもういらない。
俺たちは同じ側のベンチに座り直し、同じ景色にコメントを付けていく。
秋の終わり、父が会社の飲み会帰りに、珍しく甘いものを買って帰ってきた。
「駅前の新しいパン屋。塩パン、二つ」
袋から出して、一つを半分に割る。
「半分こ」
父の口からその単語が出るのを初めて聞いて、俺はおかしくて泣きそうになった。
父は理由を聞かない。
俺は説明をしない。
言葉は時々、流行りを経由して家族に届く。
回り道をした言葉のほうが、うちに入ってくる角度がやわらかいことを、最近知った。
冬休みの手前に、俺と律はもう一度“ミニ発表会”を計画している。
観客は、たぶん、前と同じか、少し増える。
葛西の脚本の一節を朗読で挟もうか、と提案が来た。
〈“終演後の照明”の段落を読む〉
〈いいね〉
ピアノの音と朗読の間に、短い沈黙を挟む予定だ。
沈黙は、嫌な間じゃない。
言葉が追いつくのを待つための、合図の形だ。
“歩幅の取り方・完全版”。
そんな大げさな見出しをノートに書いて、青い線でいくつかの項目を置くことにした。
完全版なんて、きっとない。
ないけれど、今日の“完全”を記録しておく。明日、書き換えるために。
——一、最初の“ド”は、何度でも置ける。迷ったら戻る。戻るのは敗北ではない。
——二、“&”は、離れても鳴る。二拍目でも四拍目でも、八拍目でもいい。どこで鳴らすかを一緒に決める。
——三、“半分こ”は、パンだけでなく、寂しさにも使う。偏ったら、指で戻す。戻すのは恥ではない。
——四、拍手が怖くなったら、隣の体温を確認する。拍手は承認であり、終わりの合図でもある。どちらにも負けない呼吸を思い出す。
——五、“約束の骨格”は、共有フォルダに。守れなかったときの手順も、同じ場所に。
——六、“言う勇気”と“言わない優しさ”のあいだに、紙を挟む。紙は重い。重さは救いになる。
——七、噂は室温を上げる。室温に合わせず、体温で喋る。
——八、線を引くのではなく、座り直す。隣に座れる形を、飽きるまで選び直す。
——九、遠距離は距離の名前ではない。リズムの名前だ。
——十、“さよならの稽古”はしない。“行ってきます”と“ただいま”で往復する。
書き終えて、ページの端に小さく“改稿可”と書き添えた。完全版は、常に未完成でいい。未完成の余白に、俺たちは手を入れることができる。
ノートを閉じる前に、スマホが小さく震えた。
律から。
〈明日の“&”、十七分から。八拍目に〉
〈了解。——“ド”を長めに〉
〈いいね〉
〈“歩幅の取り方・完全版”、今日、書いた〉
〈見たい〉
〈今度、紙で渡す〉
〈了解〉
“了解”が、今日も句点になった。
画面を伏せる。
窓の外で、風の音が低く鳴る。電柱に当たって、遠くで曲がって、また戻ってくる。
耳を澄ますと、いろんな音が、同じ拍を探している。俺の心臓の音、冷蔵庫の微かな唸り、父の寝息、通り過ぎる車輪。
拍を数える。
いち、に、さん、し。
“&”。
床の上で、見えないメトロノームが左右に揺れる。針は目に見えないけれど、揺れ幅は、俺たちのあいだで決められる。
離れていても、揃え直せる。
それが、今の俺たちの“完全版”だ。
次の休みに、またサロンで会う。
観客は、たぶん、数人。
それで充分。
曲は、何度でも同じでいい。C–G–Am–F。
そのたびに違う指の温度で、違う“&”で、違う呼吸で鳴らす。
演奏のあと、俺たちは相変わらず沈黙を共有し、相変わらず同じ景色にコメントをつける。
「今日の“&”、バニラ味」
「わかる。じゃあ来週は、シナモン」
子どもみたいな会話が、遠距離のなかでいちばん大人の約束になるときがある。
——“相談役ごっこ”は、もういらない。
それでも時々、相談は必要になる。
そのときは、同じ側のベンチで相談する。
ベンチの木目を指でなぞりながら、手の熱で固有名詞をやわらかくする。
答えはすぐには出ない。
出なくても、拍は止まらない。
止めない。
練習のためじゃない。
本番のために。
眠りに落ちる前に、枕元のメモを指で探る。
——十七分、“&”。
小さな字が、暗闇のなかで音に変わる。
“ド”。
“レ”。
“ミ”。
“ファ”。
指が、空の鍵盤を辿る。
どれも、最初の音だ。どこからでも始められる。
同じ音はひとつとしてないけれど、全部“はじめまして”の顔をして、ちゃんと“ただいま”になる。
目を閉じる。
遠くで風が曲がり、また戻ってくる。
歩幅は揃っている。
離れていても、揃え直せる。
ハッピーエンドのコード進行を、何度でも。
明日の夜、また“&”。
そして、行ってきます。
——ただいま、までの、短い往復のはじまり。



