料理教室は一回で終わった。二人とも、スッパリと諦めたらしい。
「得意な人がやればいい」と紫暮もB棟で言われたらしく、大人しく弁当当番からは退いたと苦笑いを浮かべていた。

 櫂李といえば、あれ以来勉強に励む姿をよく見かけるようになった。
 テスト前だから誰でも勉強して当たり前なんだけど、いつも騒がしいのが急に静かになると、それはそれで気になってしまう。

「夜食でも作ろうか?」
 シェアハウスのみんなに声をかける。
「えっ!? 先輩が俺のために作ってくる夜食!?」
「櫂李だけじゃなくて、全員!! 遅くまで勉強してるのはみんな同じだからな」
「でも、オレのためも含まれてるじゃないですか。残さず食べます!! ってか深夜に腹減りすぎて昨日ぶっ倒れるかと思いましたよ。この辺、コンビニすらないし」
「あっても深夜に抜け出せないだろ。おにぎりとか簡単なものになるけど、文句言うなよ」
「お礼しか言いません」

 一旦、喋り始めるといつもの櫂李だ。
 謎にホッとしてる自分がいる。
「抱きつかなくていいだろ。離れろって」
「だって最近、先輩に触れてなかったから人肌恋しくて」
「テスト期間終わるまでは、勉強だけに集中しろよ」
 俺と櫂李のコントが始まると、煌陽と凛はニヤニヤしながらあらぬ事を考えている。
 そうして、ありがた迷惑な提案をしてくるから困るんだ。

 絶対何も言うなよ……。
 心の中で願っていたが、凛が口を開いた。
「櫂李、そんなに人肌恋しいなら凪星の部屋でお泊りすれば良いんじゃない?」
「っ!! お泊り……なんて素敵な響き!! 凛先輩、天才ですか!!」
「おい、凛! 余計なこと言うなよ。俺だって勉強しないといけないんだから」
「お泊り!! しましょう、先輩!! どっちの部屋にしますか? オレはどっちでもいいですけど、先輩の匂いに包まれて寝たいから先輩の部屋に行きますね」
「強引に話を進めるなよ。俺は許可してない」
 慌てて否定すると、ショックを受けた櫂李が大きな耳を垂らしてしょんぼりしている大型犬に見えた。
 ダメだ……また、甘やかしてしまいそうだ。

「いいじゃん、一回くらい」
 最近は煌陽まで櫂李の味方になってしまう。
「うん……まぁ、じゃあ今日だけだからな」
「本当ですか!! オレ、勉強めちゃくちゃ頑張れます」
「大袈裟だな」
「真実ですよ。結果で証明して見せます」
 ガッツポーズを決める櫂李は、こう見えて有言実行タイプなんだよな。俺も負けていられない。トップを死守しないと示しがつかない。
 こういうプレッシャーは本当は苦手だ。みんなにバレないように、こっそりとため息を吐く。

 あれだけお泊まりに闘志を燃やしていた櫂李は、夜食を作る時間になっても部屋から出てこなかった。
「ま、勉強してるか」
 煌陽と凛は一緒にリビングで勉強している。
「櫂李も息抜きに呼ぶ?」と凛から聞かれたが、「せっかく集中してて静かだし、部屋に夜食運んでおくよ」と断った。

「櫂李、お祭り楽しみにしてたよ」
「何でもう知ってるの?」
「あいつが喜びを隠すなんて出来ないだろ」
 煌陽まで笑って言う。
「いい奴じゃん」と続けて言われ、返事に困ってしまった。

 良い奴だと俺も思う。忠犬だし、意外と気使えるし、俺のこんな性格でも諦めないでいてくれる。
 
「頼って欲しいんだよ、櫂李」
 凛がペンを机に置いてこっちを見た。
「応援、してるからね。夜食、ありがと」
「う……うん」

 調子狂う。
 まるで俺の方が櫂李を好きみたいじゃないか。
 いや、別に好きだよ。後輩として。
 恋愛としては……どうなんだろ……。
 あいつは、俺とキスとか出来ちゃうんだろな。

 キスなんて、したことない。
 どんな感じなんだろ。そんなにいいものなのか。
 ……って、今は勉強!!

 凛と煌陽の余計な後押しに、まんまと絆されてる気がする。
 櫂李の部屋のドアをノックするのに、緊張してしまった。
 『はぁい』
 中から声がして、ドアが開くと眼鏡をかけた櫂李が出てきた。
「眼鏡なんてかけてたっけ?」
「部屋でいるときだけですけどね。いつもはコンタクトです。夜食、作ってくれたんですか? お腹減ってたんです。いただきます」
「あ、あぁ……」

 櫂李はトレーごと受け取ると、すぐにドアを閉めてしまった。
 普段のリアクションとの違いに呆然としてしまう。
 いや、期待していたわけじゃない。櫂李だって試験でトップクラスに入らないといけないし。
 俺も部屋に戻ろう。

 夜食作りはいい息抜きになった。

 櫂李もお泊まり会だと騒いでいたけど、冗談だったんだろう。あの調子だと、深夜まで集中してそうだ。
 別に、寂しいとかは思ってない。
 一人で勝手にソワソワしていただけだ。
 なのにどうしても集中力が持続せず、潔く寝ることにした。
 ベッドに横になると睡魔は瞬く間に襲ってくる。
 別に疲れてるわけでもないのに……考えているうちに深い眠りに落ちた。

 翌朝、寝返りが打てなくて目が覚めた。
「なんか、ある……? って、櫂李!! なんで俺のベッドで寝てんだよ!!」
「昨日、お泊まり会やるって言ったじゃないですか。なのに部屋に来たら先輩、先に寝ちゃってるんですもん。オレ、寂しかったんですからね」
「本当に来るなんて思ってないだろう」
「行きますよ。俺は行くって言ったら行きます。でも、先輩のベッドって寝心地いいですね。先輩がいるからですかね」
「どの部屋も同じだ。シングルのベッドに男二人なんて……ほら、しがみつくな」
「しがみついていません。抱きしめているんです。今日は週末で学校休みだし、もうちょっとのんびりしましょうよ」
 ベッドの中に引きずり込まれ、櫂李は俺をホールドしたまま二度寝に落ちた。
 一定のリズムで繰り返される寝息を聞いてるうちに、俺も眠気が蘇る。

 俺よりも体温の高い櫂李に包み込まれ、心地よさを感じたのは無視できなかった。