櫂李が来てからというものの、穏やかな日々は消え去った。
 その代わりに、寂しいなんて考える暇もなくなったんだけど。

「はぁ……」
 教室の自分の席に着きため息を吐くと、隣の席にカバンを置いた鈴原紫暮(すずはらしぐれ)が顔を覗き込んできた。
 
「っはよ、星凪。朝からどうしたん?」
「紫暮、おはよ。今朝もうちのワンコが激しくて。既に疲れた」
「あはは。櫂李か。あいつ元気だし社交的だし、煌陽の後継者にピッタリだよな」
「確かに広報に向いてると思うけど」
「目が半分閉じてる。HRまで寝てれば?」
「いや、いい。話してる方が落ち着く」
 大きな欠伸をしながら机に顎を乗せる。

「言ってることと、やってることが正反対だけど」
 紫暮が眉を下げ、俺の髪を乱す。

「いい奴じゃん、櫂李」
「分かってる。けど、それと恋愛が結びつくわけじゃない」
「あんなにも正々堂々と愛情表現してくれる人なんて早々いないし、本気で好きだって分かるじゃん。あとは、星凪が信じたいって思うかどうかじゃない? それとも、生徒会長は大人の恋愛を所望かな」
「そんなんじゃねぇけど……。初っ端から俺への気持ちを熱弁されて戸惑ってるっていうか……なんか、よく分からん。徐々に来てくれって感じ」
「徐々に……なんてやってると、一生伝わんないよ。星凪には。前生徒会長がそうだったように。先輩の気持ち、気付いてないわけじゃなかったんだろ?」
「……うん。でも、憧れが強すぎて踏み込めなかった」
「一歩踏み込めば両思いだったのに」

 紫暮は中学からの友達でもあり、同じ生徒会メンバーでもある。
 去年までは同じA棟で生活していたのもあり、俺の拗らせっぷりを知っている。
 片思いしていた前任の生徒会長とは、脈ありどころか完全に両思いだった。
 先輩も惜しみなく愛を注いでくれていたし、毎日好きが更新されるほど舞い上がっていた。

 けれど、なんで先輩が俺を好きなのか、考えるほど訳わかんなくて、勝手に線を引いて遮断した。
 
「自分に自信がなさ過ぎて、俺は先輩には相応しくありませんって言っちゃったんだよな」
 思い出しては後悔ばかりしている。
 俺にとっては初恋の相手でもあったから、余計に気恥ずかしくて、はぐらかしてばかりいた。
 
 先輩は完璧な人だった。
 成績もスポーツも、性格も人望も、ファッションセンスも何もかもズバ抜けていた。
 SNSでは他校の生徒からも人気で、他人から『推される』対象だった。

「星凪だって負けず劣らずじゃん」
「買い被りすぎだよ。SNSもやってないし。成績だって必死で勉強してなんとかトップクラスを保ってる。ちょっとでも気を抜くと、きっと……」
「ほら、また考えすぎの癖が出てる。いいよ、俺は星凪が誰よりも努力してるって知ってるから。でも、たまには息抜きもしな?」
「うん、ありがと」
 
 とはいえ、考えすぎる癖は簡単には治らない。
 学校のトップに立つ人間として相応しい人になりたいと思う。
 『前は良かった』なんて言われないようにしないと……って、また負のループに陥りそうだ。

 気持ちをどうにか切り替えるために、午前中の授業に専念した。

 昼休みになると、教室は活気を取り戻す。
 殆どの学生は学食へと向かう。
「紫暮、学食行くだろ?」
「それがさ、じゃーん」
「え、弁当? なんで?」
「B棟も弁当の当番制やってみようって話になって。今日は吏生(りお)が作ってくれた」
「いいじゃん。教室で食べられる」
「学食の混みっぷり、やばいもんな。俺らももっと早く弁当にすれば良かった。ってか、明日は俺が作んないとなんだけど、何作ればいいか分からん。星凪、放課後教えてよ」
「いいけど、俺も大したものは作れないよ?」
「なんでだよ。料理上手いじゃん」
「妹の世話してたからね。生活に困らない程度にできるってだけ。なんか作りたいものある?」
「俺、星凪の卵焼き好き」
「櫂李と同じこと言ってる」

 箸で卵焼きを一切れ掴み、紫暮の口に運ぶ。
「んまっ」
「こんなんで良ければ、いつでも教えるよ」

 その時、勢いよく教室のドアが開き、「星凪先輩!!」同時に叫ぶ声が響く。
 紫暮と二人で椅子から落ちる勢いで驚いた。
「いきなり大声出すな!!」
「だって、学食来ないから!! ってか、今『あーん』してませんでした? 『あーん』!!」
「だからなんだよ」
「紫暮先輩だけズルイです。オレにもしてくださいよ」
 許可もなく三年の教室に飛び込んできた櫂李が、俺の隣に椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。
 もう弁当の中に卵焼きはないというのに、大きな口を開けて、雛鳥みたいにご飯が運ばれるのを待っている。
「櫂李、自分の弁当は?」
「もう食べました」
「じゃあ、もういいだろ。俺は今からなんだから」
「オレだって星凪先輩から『あーん』してもらわないと、嫉妬で狂いそうです」

 紫暮が『入れてやれ』とジェスチャーを送る。
「……ったく。ほら」
 唐揚げが一つ減った。
 櫂李は満足そうに頬張り、お礼のお菓子を机に置いた。
 オレの好きなチョコレート。今日はこれを渡そうと探していたのか。

「いつも学食なのに、なんで今日は教室なんですか?」
「B棟も今日から弁当になったんだ。だから、弁当当番が続く限りは教室だな」
 オレの代わりに紫暮が答えた。
「今日の放課後、星凪に卵焼き教えてもらうから、A棟にお邪魔するわ」
「なんですか、それぇ!! 聞いてないです。オレもやります」
「いいな。料理教室みたいじゃん。星凪先生、よろしくお願いします」
「勝手に先生にするな」

 予鈴が鳴り、櫂李が渋々教室へと帰っていった。

「なんで櫂李も誘うんだよ」
「だって恨まれたくないもん。いいじゃん人数多いと楽しいし」

 人前でもお構いなしに抱きついてこられるの、恥ずかしいんだけど……。
 断りもできず、小さくため息を吐いた。