翌日の昼、海架町の資料室はひっそりとしていた。
 夏の名残を残した陽光がすりガラスを通して床を照らす。
 四人は、昨日の映像に映った「流木の模様」について調べるため、町の古い資料を探していた。
 管理人の女性が埃を払った帳簿を机に置く。
 「この辺りの記録は戦後すぐのものね。流木? そういえば“模様板”って呼ばれてた木材の記録があった気がする」
 「模様板?」大芽が身を乗り出す。
 「うん。誰かが板戸に刻んだ祈りの模様らしいけど、詳細は残ってないの」
 彼女が指で棚をたどり、一枚の写真を取り出した。
 白黒の写真には、家の戸板に刻まれた幾何学模様が写っている。
 優里が息をのんだ。
 「これ……流木の模様と同じ」
 弘喬も即座にスマートフォンの画像を開き、並べて確認する。
 線の角度も、中央の円も一致していた。
 「偶然じゃないな」
「でも、この家、どこにあったんだろう」
 千優が静かに写真の端を指さす。そこには、薄く“海架町東・大工町”の文字が読めた。
 そのとき、奥の席で新聞を読んでいた老紳士が顔を上げた。
 「……その家なら、わしの祖父の家じゃ」
 四人が一斉に振り向く。
 「祖父さんが、模様を刻んだのですか?」
 「そうだ。戦争から帰ってきたときに、亡くした妻のために“無事帰還”の願いを刻んだと聞いとる。
 けれど家は台風で流され、板戸も海へ……」
 老紳士は静かに笑った。
 「海が持っていった祈りが、また浜に戻ってきたのかもしれんな」
 千優はノートを開き、拓本の線を一針ずつなぞり始めた。
 「……これ、布に刺繍して残したい」
 「刺繍?」優里が尋ねる。
 「木はまた流される。でも布なら、町の中に残せる」
 その言葉に、大芽が微笑んだ。
 「いいね。“模様を町に返す”。それが俺たちの映像の最後にふさわしい」
 老紳士は四人を見渡し、少しだけ目を細めた。
 「若いのに、いい目をしておる。うちの祖父もきっと喜んどるわ」
 そのとき、資料室の奥から低い音が響いた。
 乾燥機の作動音だが、まるで古いテープレコーダーの再生音のように聞こえる。
 弘喬がそっと近づき、棚の裏に置かれた箱を見つけた。
 「これ、再生機じゃないか?」
 中には古びたカセットテープが数本。ラベルには「昭和二十五年 祈り」と書かれている。
 大芽が再生ボタンを押す。
 テープの回転音のあと、ざらついた声が流れた。
 『――無事で帰れ。波を越え、風を越え……』
 声は、確かに老紳士の祖父のものだった。
 優里の目に涙が浮かんだ。
 「虚構じゃない……本当にあった祈りなんだ」
 大芽はそっとテープを止め、録音機を抱えるように持ち上げた。
 「この音、映像に使わせてください。誤解を生まないように“現実の祈り”として」
 千優は刺繍の布を膝に広げ、模様の続きを縫っていた。
 「音の線と、模様の線。似てる」
 「本当だ」弘喬が画面を覗き込む。
 波形データと刺繍の針目が、まるで呼応するように重なって見えた。
 「じゃあ次は、“虚構じゃない映像”を撮ろう」
 大芽が言うと、優里が笑った。
 「“やさしい虚構”なら、現実を包むためにあってもいいかもね」
 四人は資料室を出て、陽の差す通りへ出た。
 浜風がカーテンのように街を抜ける。
 振り返ると、窓の向こうで乾燥機の音が止み、代わりにカモメの声が響いた。
 まるで、祈りが風に溶けて海へ帰っていったかのようだった。