翌日の夕刻、海架町の堤防はオレンジ色の光に包まれていた。
 潮の匂いが濃く、セミの声が夏の名残のように遠くで鳴いている。
 防波堤の下では、工事作業員たちが資材を運び、重機の音が低く響いていた。
 大芽たちはそのすぐ脇にカメラを設置し、今日も撮影の準備をしていた。
 「今日は“働く音”をテーマにしよう」
 大芽が言うと、弘喬がうなずいた。
 「了解。映像は最小限、音で語るやつだな」
 千優は、昨日の夜に録音された“謎の声”の入ったレコーダーを取り出した。
 「……これ、再現する?」
 優里が少し戸惑う。
 「“注意!砂袋!”って声、まだ誰も出してないのに録れてたんだよね。偶然にしても変だよ」
「偶然だろ。風とか、重機のノイズとか」
 大芽は笑ってみせたが、その笑みには少し強がりが混じっていた。
 録音を開始して五分ほど。
 堤防の上で、作業員の一人が足場の砂袋を運びながら声を張った。
 「気をつけろよー! 滑るぞ!」
 その声に混じって、千優のイヤホンが一瞬だけノイズを拾う。
 「……今、また聞こえた」
 「何が?」弘喬が身を乗り出す。
 「“注意!砂袋!”って。二回重なった」
 大芽が録音データを止め、再生する。
 確かに、作業員の声の直前、少し高めの同じ声が重なっていた。
 「……まるで予告みたいだな」
 優里がつぶやく。
 その直後、現場の反対側で小さなざわめきが起きた。
 一人の作業員が足を取られかけたのだ。
 すぐに別の作業員が叫ぶ。
 「砂袋! 危ない!」
 その声に反応して、他の人がとっさに支え、転倒を免れた。
 一瞬のことだった。
 誰もけがはしていない。
 大芽はカメラを止めず、その様子をただ静かに撮った。
 弘喬も、何かを確かめるようにレンズ越しで現場を見ている。
 千優は胸元でレコーダーを握りしめ、小さく息をついた。
 「……録音が、先に知らせたのかも」
 「まさか。でも……結果的に助かったんだ」
 優里が笑顔を見せる。その笑顔は、恐怖よりも安心に近かった。
 「“偶然でも誰かが助かる”なら、そんな偶然は歓迎だよね」
 現場の作業員がこちらへ歩み寄ってきた。
 「今の、撮れてたんか?」
 「ええ、ちょうど」
 大芽が答えると、作業員は照れくさそうに笑った。
「いやぁ、助かったわ。ほんまに。まるで誰かが先に教えてくれたみたいや」
 その言葉に、四人は顔を見合わせた。
 優里がそっと言った。
 「……“やさしい虚構”かもしれないね」
 弘喬が尋ねる。
 「虚構?」
 「うん。偶然が、人を守る形で現実に混じってくる。
 それを“怖い”って言うより、“ありがたい”って思える方がいい」
 風が吹き、海からの湿った空気が彼らを包む。
 遠くで波が砕け、夕陽が海面にきらめく。
 大芽はその光景を見つめながら、小さく笑った。
 「じゃあこの映像は、脚色なしで出そう。再現も演出もいらない。“起きたこと”そのままで」
 「了解。ノーカット編集ね」弘喬が頷く。
 千優もレコーダーを掲げた。
 「“音の地図”、描いてみる」
 「音の地図?」優里が目を瞬かせる。
 「さっきの“声”がどこから来たか、波形で線にしてみる」
 その夜、四人は公民館の作業室に集まった。
 千優がノートに描いた「音の地図」は、まるで浜辺の拓本のように線が重なり、ひとつの形を作っていた。
 「……これ、流木の模様に似てない?」
 優里の言葉に、全員が息を呑む。
 中央から放射状に伸びる線。まるで、誰かが音で描いた“祈り”のように見えた。
 「なあ」大芽が静かに口を開いた。
 「もしこの模様が、誰かの想いの残響だとしたら――俺たちはそれを、ちゃんと伝えないとな」
 弘喬がレンズを磨きながら笑った。
 「“録音だけが知ってる真実”か。タイトルにいいかもな」
 窓の外では、潮風に乗ってカモメが鳴いた。
 その声が、まるで「よくやった」と言っているように聞こえた。